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管理者さん (8fzsc460)2022/8/29 08:31 (No.520584)削除
課題映画、第13回文横映画好きの集い(旧作)(2023年2月19日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
藤原さん (8nqqh1v5)2023/3/12 13:59削除
【次回文横映画好きの集い】2023年2月19日(日) 新作推薦作品 『ジュディ 虹の彼方に』(2019年 ルパート・グールド監督)

1.はじめに:この映画を選んだ理由
 ジュディ・ガーランドは『オズの魔法使い(1939)』の主人公、少女ドロシー役で有名だが、私はその後の映画『若草の頃(1944)』、『イースター・パレード(1948)』、『スター誕生(1954)』なども観ていて、彼女が大人のエンターテイナーとしても有名なスターだったとの認識はあった。また後にミュージカルスターとなったライザ・ミネリの母親であることも知っていた。(ちなみに来年「午前十時の映画祭」でライザ・ミネリ主演のミュージカル『キャバレー(1972)』を観る予定)しかしこの映画『ジュディ』を観るまで、彼女が若くして薬物とアルコール依存、精神の不安定さに苦しみ、壮絶な人生の末わずか47歳で死んだことは知らなかった。私はこの映画にすっかり魅了されてしまい、(映画館ではないが)三~四回繰り返し観た(内一回は息子と)。また映画のサウンドトラックを録音して今でも時々車の運転中に聴く。昔のスターであり、今の世代にはなじみのない存在となったジュディ・ガーランドだが、本映画は人間ドラマとしてすばらしく、強く心を打たれたので今回取り上げた。

2.ストーリー
 「映画好きの集い」HPの遠藤さんの記事(11/28)にくわしくストーリーが記載されているので省略します。

3.討議テーマについて(以下ネタバレがあるので要注意)

3.1 映画の中のエピソードやショーなどで印象に残ったところはありますか?

(1)レネー・ゼルウィガー吹き替えなしのパフォーマンス
 私がこれまで観たレネー・ゼルウィガーの映画といえば『ブリジット・ジョーンズの日記(2001)』シリーズや『シカゴ(2002)』程度で、むしろ丸顔のイメージだった。しかし彼女はこの作品で徹底した役作りをしたらしくすっかり痩せていて、その演技の説得力とステージでのパフォーマンス(吹き替えなし)はすごい。ジュディの年齢(47歳)をモロに表現したメーキャップもリアル。そして観客の前でのショーとなると突然その痩身から強いオーラを発し、エネルギッシュに歌い踊る、それはまるでジュディ本人が乗り移ったかのようだ。
 ステージシーンとしては、ロンドン公演の初日(嫌がるジュディをアシスタントのロザリンが無理やり舞台へ押しやる)の『By Myself』と、最後のステージ(ジュディが自分の代役ロニー・ドネガンに頼んで舞台に立たせてもらう)での『Come Rain or Come Shine』、そして『虹の彼方に』を歌う場面がとくに印象的だった。

(2)娘ローナと電話で会話する場面
 映画の後半、ジュディがアメリカに残してきた娘ローナに、ロンドンの公衆電話から電話をかける場面がある。ジュディは娘ローナや息子ジョーイが、母親である自分と一緒にいることが幸福だ、子供達もそれを望んでいるはずと思い込んでいた。しかしそれは彼女のエゴからくる思い違いだった。子供達はじつは、父であるシドのもとで安定した家に住み学校に通う生活をしたいと願っていた。ローナから直接それを聞いたジュディは泣きながら納得する。この場面は切なかった。

3.2 脚本として優れていると思った場面はありますか?

(1)ゲイカップルの役割
 この映画ではジュディの熱烈なファンであるゲイカップル(役名はダンとベン)が三回登場する。このカップルに実在のモデルがいるのか、まったくのフィクションなのかわからない。しかしこの二人の存在が、この映画にとって非常に印象的なエピソードと感動的なラストシーンをつくり出している。脚本としてうまいなぁと感心した。
 二人が最初に登場するのはジュディがロンドン公演の会場に車で乗り付けたとき、この二人が待ちかまえていてジュディに声をかける。二回目は、ある晩のショーの後、二人がジュディを「出待ち」していて、結局ジュディと三人で、カップルが暮らしているアパートへ行き、卵料理を食べるエピソード。当時のイギリスでは同性婚が違法だった時代があり、一人が収監されたことをダンが語り、ジュディは二人の心の傷みに寄り添う。この深いやりとりがあったからこそ、映画の最後、ジュディが最後のステージで『虹の彼方に』を途中で歌えなくなったとき、会場にいたダンが立ち上がりジュディに代わってこの曲を歌い出し、やがてそれが観客全員の合唱へと拡がってゆく、あの感動的なラストに繋がる。

(2)誕生日ケーキ
 子供時代のジュディはハンバーグや甘いものを食べることを禁止されていた(ダイエットのため)。回想シーンでは、少女のジュディに宣伝撮影用の大きな作りもののケーキがプレゼントされる。一方、たび重なるジュディの醜態でロンドン公演が打ち切られた後、ロザリンとバート(バンドリーダー)がレストランで傷心のジュディにささやかだが本物のケーキを贈り誕生日を祝ってくれる。これまでケーキをほとんど食べたことのないジュディは、恐るおそるケーキの小片を口にして「おいしい」と言う。過酷な少女時代の記憶とロザリン、バートのせめてもの思いやりが、ケーキを媒体にうまく対比されている脚本と感じた。

3.3 映画を観てジュディ・ガーランドの生涯についての感想

 ジュディの少女時代、深夜まで働き続けるため、またはステージでのパフォーマンスをよりよくするために覚醒剤(強壮剤アンフェタミン)を常用させられていた(しかも母親や映画会社MGMからの強制で)。当時これらの薬は違法ではなく市販されていたものだった(日本でもヒロポンが合法だった時代もある)。アンフェタミンで一旦興奮するとそれを抑えるために睡眠薬を飲まないと眠れない。こうしてジュディは二十代半ばには薬物とアルコール依存で心身ともにぼろぼろになっていた。フレッド・アステアと共演した『イースター・パレード(1948)』や有名な『スタア誕生(1954)』などは、そんな時代のジュディが何とか完成できた映画だった。
 本作品が描くジュディはまだ47歳。私はyoutubeでジュディ晩年のステージを観たが、すでに老婆のようだった。長年の薬とアルコール漬け生活がいかに彼女の心身を蝕んでいたかを想像させる。
 映画の中でも描かれているが、ジュディが唯一生涯にわたって信じ続けていたものは、観客とステージの自分との間に共有される特殊な信頼関係だったのだろう。その信頼関係を信じることによってのみ、彼女はステージに立つ恐怖やショーをしくじる不安に打ち勝つことができた。その意味でジュディは死ぬまでステージに自分をかけたエンターテイナーだった。

4. その他
 以前シャンソン歌手エディット・ピアフの伝記映画『エディット・ピアフ― 愛の讃歌 ―(2007)』を観たことがある。ピアフも過度の飲食とモルヒネの濫用で、偶然にもジュディとおなじ47歳で死ぬ。また、ホイットニー・ヒューストンもアルコールと薬物依存に苦しみ、48歳のとき入浴中のコカイン使用により風呂場で溺死する(事故死)。こちらも最近伝記映画が公開された(私は未見)。これらの女性たちの生涯を思うと、ショービジネス界のスポットライトの背後にある深い闇を感じる。
遠藤さん (8nqqh1v5)2023/3/12 14:01削除
『ジュディ 虹の彼方に』は、2019年のイギリス・アメリカ合作のジュディ・ガーランドの伝記映画。監督はルパート・グールド、主演はレネー・ゼルウィガーが務めた。

  本映画、第13回文横映画好きの集い、新作テーマということでさっそく観てみた。
 ジュディ・ガーランドの名前は知らなかったが、『オズの魔法使』は有名なので、その主人公を務めていたことでイメージが湧いた。
先般映画で「エルヴィス」を観ていたため、この手の歌手の半生を描いた物に多く見られる栄光と挫折を描くスタイルはアメリカのビッグスターに付き物だという感がある。
 ジュディ・ガーランドの半生もたった47年間に様々な事が起こり、波瀾万丈人生であった事がよく分かった。
 一番に感じたのは、主演を務めたレネー・ゼルウィガーの歌の巧さである。
こんな歌声で歌われたら、生で聞くと相当盛り上がるだろうし、魂を揺さぶられることだろうと思った。

1.映画の中のエピソードやショーなどで印象に残ったところはありますか?
 自室のバスルームにこもっていたジュディを引っ張り出し、メイクをして衣装を着せてナイトクラブへ引っ張っていくシーンとバースディケーキも本物ではなく、反発して撮影所のプールに飛び込んでしまうシーン。彼女のせめてもの抵抗をよく表しているシーンだと思った。

2.脚本として優れていると思った場面はありますか?
 ルイス・B・メイヤーを冒頭に出し、少女に歌える喜びと芸能界の厳しさを叩きこむ場面を途中ダメになりそうになった時に思い出させる場面は、呪縛として見ている側に同情と芸能界の厳しさを伝えるという意味で効果を成していると思った。

3.映画を観てジュディ・ガーランドの生涯についての感想
 家族からも恋人からも最終的に見捨てられ、一人ぼっちになり、薬物に頼り、依存していく所は、アメリカのビッグスターの宿命なのかもしれないと他のエルヴィスなどの映画も観て感じた次第である。
阿王 陽子さん (8nqqh1v5)2023/3/12 14:08削除
「ジュディ《虹の彼方に》」を観て
         阿王 陽子

一、印象に残ったエピソード
ゲイのカップルを、たびたび登場させるのが、粋だった。
また女性マネージャーがラストのあたりでジュディの不屈のたくましさに感嘆するのが良かった。

二、優れているシーン
子役時代、「少女好き」プロデューサーに反抗し、少女のジュディがプールで泳ぐシーン

三、ジュディ・ガーランドの生涯について、また感想など

私はライザ・ミネリの「キャバレー」や「ニューヨークニューヨーク」などのミュージカル映画が好きで、繰り返し見ている。ジュディ・ガーランドの「スタア誕生」「イースター・パレード」も、また、見たことがあったが私はジュディにあまり魅力を感じていなかった。それはミュージカル映画なのに、暗さがある感じがしたからである。娘のライザ・ミネリの「キャバレー」は、ナチスドイツの批判の映画で暗いのであるが、彼女自身は腹の底から明るく歌うのであるが、ジュディ・ガーランドの「スタア誕生」は、スターの話なのに、なんだか不安定な暗さが漂っていた。母娘であまりに印象が違うのである。
今回藤原さんがチョイスしてくれた、「ジュディ《虹の彼方に》」をより、理解を深めたくて、Amazonプライムのジュディ本人作品を片っ端から見ることにした。スマホで2作品から3作品観ては、充電して、といった具合である。

オズの魔法使い(1939)
美人劇場(1940)
若草の頃(1944ぐらい)
ハーヴェイ・ガールズ(1946)
イースター・パレード(1948)
グッド・オールド・サマータイム(1948)
踊る海賊(1947)
サマー・ストック(1949)

オズの魔法使いの頃は、ビビアン・スーみたいな雰囲気で可愛らしい感じであった。オズの魔法使いの内容はあまり知らなかったので、新鮮だった。犬のトトが地主のおばさんに噛み付いて連れていかれそうになる冒頭、竜巻が起き、かかし、ブリキ、ライオンと魔女退治、そして願いを叶える。おうちほどいい場所はない、というラスト。この鮮烈なかわいいドロシー役で人気を得たジュディは、それからたくさんのミュージカル映画に出演。 

美人劇場は、魔性の美女ラナ・ターナーと端正な美女ヘディ・ラマー、アメリカの良心、若き日のジェームズ・スチュアートの共演で、とにかく楽しめた。ここでのジュディは歌手志望の父親思いの少女。ラナ・ターナーやヘディ・ラマーが美しいため、ジュディは見映えがしなかったが歌は頑張っていた。

若草の頃は、ライザ・ミネリの父親、ヴィンセント・ミネリ監督の作品。四姉妹と家族のあたたかな話で、四女トゥーティ役のマーガレット・オブライエンが主役を食う演技でアカデミー賞を受賞。ジュディは、赤毛の可愛らしい次女役。

ハーヴェイ・ガールズは、西部にきたウェイトレスたちの話。ジュディは結婚のために遠くから来たが、結婚せず、ウェイトレスになる。酒場とハーヴェイレストランとの対立。あまりストーリーが面白くない。コスチュームが豪華。なぜライバル店の経営主トレントに惹かれるのかわからなかったし、ジュディ演ずるスーザンにトレントがいきなり惹かれるのもわからなかった。

イースター・パレードは、フレッド・アステアとの共演。イースターのためのたくさんの帽子が出てくるのがオシャレ。衣装やダンスシーンが素敵な作品。ジュディは垢抜けないダンス相手の役。

グッド・オールド・サマータイムでは娘のライザ・ミネリがラストの娘役として出演。ストーリーは「ユー・ガット・メール」の原案の「街角/桃色の店」で、ミュージカル映画「シー・ラブズ・ミー」の原案。ストーリーが面白いがジュディ演ずるフィッシャーになぜ、楽器店の店員男性(最後は支配人になるのだが)が、求婚するのかその恋愛のプロセスがいまいち説得力に欠ける。バイオリニストの彼女のほうが、店員男性には似合っていた。

踊る海賊はジーン・ケリーとの共演にして、当時の夫ヴィンセント・ミネリ監督の作品。セラフィン役のジーン・ケリーほか、出演者のコスチュームがエキゾチック。ジーン・ケリーは魅力的だったが、ジュディは、目元が暗く怖い。海賊マココの意外な正体にびっくり。

サマー・ストックは、Amazonにて見られてよかった日本未公開作品で、ジーン・ケリーとの共演作品。農場主の姉と妹の恋人の劇団座長との恋を描いている。ジュディがかなり太っているが顔はナタリー・ウッドみたいな印象になっている。しかし、やはり目つきが怖い。ラストのゲットハッピーの曲の、黒いストッキング、ヒール、シルクハットが、ジュディのそれからの定番スタイルとなった。

ジュディは、オズの魔法使いや美人劇場が、表情がいきいきとしていた。だが、踊る海賊ぐらいから、目つきが悪く、不安定な感じがする。

さて、課題に戻って、この「ジュディ《虹の彼方に》」は以前にAmazonプライムにて見たことがあった。「ブリジット・ジョーンズ」のキュートなレネー・ゼルウィガーが演じたことで、ジュディの暗さが明るくなっていて、この作品は成功と思う。レネー・ゼルウィガーはスラリとしたスタイルで、151センチの太め体型のジュディを表現するにしては、163センチのレネーは背が高くスタイルも良く、また、レネー・ゼルウィガーは軽快な明るい雰囲気をもつ女性なため、ジュディのアクの強さを表現するにしては、ややあっさりしている。これが、ナタリー・ポートマンやアン・ハサウェイらが演じたら、またアクの強さを表現したかもしれない。ただジュディ・ガーランドに似せているようでぜんぜん似ていないので、これは再現映画ではなく、また、似せようとしているものでもないのだろう。

実際のジュディは顔は可愛くはないし、スタイルもどちらかといえばズングリした感じで、歌も低音で単調なときがあり、また何回も繰り返した結婚と、早くに覚醒剤をダイエットのためにしていたことでの覚醒剤中毒、またアルコール漬け、あるいは、若くに子役としてデビューするまでの性経験の豊富さなどが伝えられ、わたしはジュディ・ガーランドはハリウッドの闇や暗さをイメージさせる女優だと思っている。
オズの魔法使いあたりの若い頃の可憐で溌溂とした魅力が、どんどんハリウッドの毒に蝕まれて、踊る海賊あたりではだんだん、目つきが怖く、病んでいってしまった感じがして、悲しかった。
オズの魔法使いで、利発な、豊かな、勇敢な少女ドロシーだったが、その後の作品は佳作なものの、ドロシー役以上のはまり役がなかった。若草の頃、イースター・パレードなど、佳作はあったものの、小柄で、不美人なジュディは、やはり子役スターである自身を乗り越えることはできなかったのだと思う。
娘のライザ・ミネリは、「母を殺したのはハリウッドだ」と発言し、ハリウッドではなくニューヨークで葬儀を執り行い、ニューヨーク郊外の墓地にジュディを埋葬したことがあったそうだが、ジュディが、ハリウッドに蝕まれていく姿を娘のライザはそばで見て育ったのだろう。

レネー・ゼルウィガーの歌のほうが聞きやすかった。好みは分かれるかもしれないが、声質がレネー・ゼルウィガーは高めのかわいらしい声であり、ジュディ・ガーランドは、低めの渋い落ち着いた声質であるので、あまり似てはいなかった。
「ジュディ《虹の彼方に》」は、ジュディ・ガーランドの伝記映画にして、まるっきり違った、レネー・ゼルウィガーのジュディを創り上げた、レネーの歌の旨さと天真爛漫さが、成功した映画であるだろう。
清水 伸子さん (8nqqh1v5)2023/3/12 14:09削除
「ジュディ 虹の彼方に」を観て
1.エピソードやショーで印象に残った所
 やはり最後の感動のシーンにつながるゲイカップルとのエピソードが好きです。心からジュデイの歌を愛している彼らを客席に見つけると「ほっとする」というジュディ。二人のささやかな家で失敗した卵料理を食べながら心が通いあうエピソードがあるからこそロンドン公演の最後でジュデイが歌えなくなった時に歌を引き継ぐ感動の場面につながるのだと思います。
 また、無力な子供時代に今なら虐待と言える扱いを大人たちから受けたジュデイが、自分の子どもたちを心から愛し、一緒に住めるようになることをどれほど夢見ていたことかと思うのに、電話で娘から「父親の家で暮らしたい」と言われると、そのまま受け入れる場面も印象に残った。ジュディの周りの大人たちが自分のエゴを優先させて、彼女の子ども時代を踏みにじったにもかかわらず、ジュディは子供たちの意志と幸せを一番に尊重し守ったのだと感じて強く印象に残った。。

2.脚本としてすぐれていると思った場面
 冒頭の場面…デビューしたての子ども時代に、もっと自分の時間が欲しいという願いを伝えると、「普通を願うなら出て行くがいい」と分別もありそうで権威を感じさせる男性(プロデューサー?)から言われる場面で、ジュディがその後自分の気持ちを押し込めて従うしかなかった事がはっきり伝わってくる。誕生日にプールに飛び込んだ後の場面でも「撮影を遅らせるな」という彼の言葉が印象に残る。お酒と薬物におぼれ、仕事も愛する人々もすべて失っていく物語と子どもの頃のエピソードが綾織のように進んでいくことで、彼女の人生の大事な側面が浮かび上がるように思う。

3.ジュディ・ガーランドの生涯についての感想
 彼女がスターとしては落ち目になり次第に悲惨な状況に陥っていく様や、子ども時代のつらい数々のエピソードは観るのがつらかった。ただ、ロンドン公演で失敗しておろされた後に頼みこんで舞台に立って歌う彼女の姿は圧巻だった。スターの光と影…影の部分の闇の深さを感じた。
山口愛理さん (8nqqh1v5)2023/3/12 14:10削除
ジュディ虹のかなたに 感想
1.映画の中のエピソードやショーで印象に残ったところ
レネー・ゼルウィガーの演技が素晴らしかったので、この映画はそれに尽きると思った。あの「ブリジット・ジョーンズの日記」と同じ女優とは思えない。彼女の印象は明るいアメリカン・ガールという感じだったので、だからこそ内面に暗さや苦悩を内包した役柄ができたのかもしれない。もともとそんなイメージの人が演じたら、重すぎる映画になってしまっただろう。
また、アシスタントのロザリーを演じたジェシー・バックリ―も良かった。奔放なジュディに怒るでもなく、理解と尊敬の念を示しながらコンサートを成功に導こうとする。そしてピアニストと三人で食べたケーキに、ジュディが「おいしい」というシーンが、ナチュラルで好きだ。
2.脚本として優れていると思った場面
彼女が同性愛者に理解があり、また自身もそうであったという説もあるが、それを生かしたエピソードがラスト近くのロンドンコンサートでのシーンだろう。歌えなくなった彼女の代わりに客席のゲイカップルが歌いだす。それに連れて客席みんなが歌って一つになる。実際にこんなことはなかったかもしれないが、うまい形で彼女のある一面を盛り込んだと思った。
3.ジュディ・ガーランドの生涯について
子供のころから才能があるがために、大人たちにある意味利用されてしまい、薬物中毒や神経症に陥ってしまったジュディ。明るいショービジネスの世界と、それを成功させるために払った彼女自身の努力や犠牲。でもだからこそ「オズの魔法使い」も「ジュディ・ガーランド」という名前も人々の記憶に残り続けるのだろう。天賦の才と平凡な家庭生活は、なかなか両立できないのだな、と改めて思ったが、娘のライザ・ミネリの活躍は彼女にとっての救いだったのではないかな、と想像した。
石野夏実さん (8nqqh1v5)2023/3/12 14:12削除
2019年公開英米合作映画「ジュディ 虹の彼方に」
                   2023、2,2  石野夏実

 この映画は2019年の英米合作映画で日本での公開は翌年である。
ジュディ・ガーランドというアメリカでは有名な、歌って踊れる子役時代からのスター女優の伝記を映像化した作品である。
 主役のジュディに「ブリジット・ジョーンズの日記」「シカゴ」のレネー・ゼルウィガーが扮している。
 彼女はこの映画でアカデミー主演女優賞を獲得した。全ての歌唱シーンは吹き替えなしとのこと。レネーのような変幻自在でどんな役でも自分のものにしてしまう女優を見ると、アメリカの役者のプロフェッショナルさは、世界一だと思う。
 副題の「虹の彼方に」は、ジュディが17歳の時に、原作では11歳のドロシーという少女役で有名になった「オズの魔法使い」(39年公開)の主題歌である。
※今回参考のために観た「オズの魔法使い」の中では、最初に出てくる有名な「虹の彼方に」の歌詞がとても心に響き一番印象に残った。

 この伝記映画を観るまでは、ライザ・ミネリ〈46年生まれ)の母親=ジュディ・ガーランド〈22年~69年)がこれほど有名な子役出身者で、今でも語り継がれているミュージカル女優だとは思ってもいなかった。(子役で成功したのはシャーリー・テンプルとエリザベス・テイラーしか知らなかったからである。)
 ライザ・ミネリに関しては、好きな女優であるわりにはWIKIの情報くらいしか知識がなく、父親が映画監督で母親が女優の恵まれた環境の中で育った才能ある娘が、20代で成功し(映画「キャバレー」72年作品でアカデミー主演女優賞)スターになったのだとずっと思っていた。※5年後に「ニューヨーク・ニューヨーク」〈77年ロバート・デ・ニーロとW主演マーティン・スコセッシ監督)
 
 ジュディ・ガーランドは22年生まれで69年に亡くなっているので「キャバレー」で、自分が獲れなかったオスカーを娘が獲ったことは知らない。
ライザはブロードウエイ上演でのトニー賞のミュージカル主演女優賞を19歳で受賞したが、これはジュディが存命中の受賞であるから、ふたりで祝っている写真が見たくてネットで探したが見つからなかった。幼い頃の写真は何枚かあった。
 
 今回この映画が課題になったことで、女優中心の人生が、実は私自身は使うことが少ない「宿命」とか「業」という特殊な言葉でしか表現できないほどの特別な環境下の仕事であり、その反動で精神の不安定さは顕著になるのではないだろうかと思った。それはアルコールや薬物に依存しなければシラフではやってられないほどの苦しい道なのだとあらためて気付かされた。(映画業界はパワハラ、セクハラ多々あり。)
 前述のほぼ同時期活躍の6歳で天才といわれた年下の子役、シャーリー・テンプルの非の打ち所がない優等生人生と比べると、あまりにも正反対なジュディの弱さが人間らしく思える。
 俳優という仕事は、役の上で別の人格と人生を生きるわけであるが、虚構の方の比率が大きくなるほど実生活は疎かになるのは、当たり前だと思う。だから精神のバランスが崩れる人がいるのも理解できる。
 そしてライザも母ジュディと同じく、薬物やアルコール依存症を繰り返し、何度も入退院をしている。この年まで頑張って生きているライザ・ミネリを、この伝記映画を観たり検索を読んだりして、たまらなく好きになった。
しかし当のライザはジュディの映画化に反対だったそうである。(公開後は、どうなのだろう)
 
 この映画は、ライザ・ミネリではなく、47歳で亡くなった母のジュディ・ガーランドの伝記映画なので、ジュディを知らなければ始まらないと思った。
 それには他の出演作も観るべきなので、先週「ハーヴェイ・ガールズ」(45年27歳)今週は「オズの魔法使い」(39年17歳)と「スタア誕生」〈54年32歳)の3作品を観てみた。(※年末年始と土日に遊びすぎて今頃エンジンがかかりました)
ライザは大柄で特に手が長いので踊り映えがする、ジュディは背も小さく細い。(「ハーヴェイ・ガールズ」はミュージカル映画なので群舞も多いが他の出演者の方が上手に見えたり美しかったりした。)母娘の歌声は似ているし、顔も似てはいるが、目の大きさが違う。ライザは造作の大きなファニーフェイス、ジュディは派手な顔ではない。

 そして、そして、映画に戻るとレネー扮するジュディが、つけまつげの下から覗く目は、ほとんど隠れて見えないが優しくて悲しい目。
平凡な普通の道は歩けない。それがスターになった人の宿命。酒だけで命を繋ぐ。
向精神薬のせいか、クネクネしている。彼女は借金で首が回らない根無し草の宿無し。
それでも生きるために舞台に立つ。長い間、ファンでいてくれる人たちの存在は裏切りのない一番の救いだった。

ジュディ虹の彼方への課題
①討議テーマ
1.映画の中のエピソードやショーなどで印象に残ったところはありますか?
2.脚本として優れていると思った場面はありますか?
3.映画を観てジュディ・ガーランドの生涯についての感想

1.娘と息子を連れての旅から旅への巡業。ふたりと一緒に小さな舞台に上がり日払いの出演料は150ドル。落ちぶれている。宿無しだからその街のホテルに泊まる。終演後、疲れと空腹で定宿のフロントに行くと支払いの滞納で宿泊を断られる。
ふたりを連れてタクシーに乗り別れた夫のところに。子どもたちは、これ以後、ジュディの手を離れ父親の家から学校にも通いだす。ジュディがある時電話をすると、娘は父親のところにいる選択をした。子どもたちの意志を尊重するジュディ、彼女は子どもたちをとても愛している。

2.心情的には共感しないが、少女相手には説得力がある強烈な箇所。映画が始まる冒頭の場面。プロデューサー(声だけ)がジュディ(顔だけを大写し)を相手に、
「この壁の向こうは?想像して。心に描いて」と語りかけるところからの数分間のプロデューサーの台詞。ジュディは言う「少しだけ時間が欲しい、ほかの子みたいに映画を観に行ったりしたい」
プロデューサーはジュディに「平凡な生活は、ジュディだけの特質、容姿ではなく『その声』を活かすことはできない。ここにいれば我々やきみの家族がその声で100万ドルを稼がせてやるぞ。きみは別世界に住んでいる」と言った。「ただ普通に生きたいのなら引き止めないからゲートから出ていけ」「ごめんなさい」というジュディ。
効果が絶大なプロローグだった。華やかさの裏にある過酷な人生の始まりだった。

3.実際は47歳で睡眠薬の過剰摂取によって浴室で死亡していたが、自殺と断定できる証拠が見つからなかったため事故死と判断された。
映画のエピローグでは「ロンドン公演の半年後に47歳で逝去」と
"心はどれだけ愛したかではなく”"どれだけ愛されたかが大切だ”「オズの魔法使い」より~が流れた。
ジュディの女優人生は、まさにその通りだった。
藤野茂樹さん (8nqqh1v5)2023/3/12 14:13削除
ジュディ感想  藤野

外国のスターの伝記映画はかなりあるが、この映画もよく知っている人物であるため、素直に物語に入れ、感情移入もできた。
ただ、挿入歌で自分が知っているのは、お粗末ですが最後の「虹を超えて」だけだった。

1. 印象に残った所
A、「子供をステージに立たせて、虚構の世界に入れたくない‥‥‥」とジュディが言うが、娘のライザミネリはまたその世界に入っていった。ジュディがいかに苦しんでいたかがわかるのに、娘はどう考えてまたその世界に入っていったのか知りたいものです。
B、今まで彼女の前には彼女で一儲けしようという人々しか現れなかった。ところがロンドン公演の最中に、名もないゲイのファンに自宅に招かれた。食事も粗末なものだったが、この一晩の交流こそが彼女の望んでいたものだった。
C、最後舞台で歌えなくなった時に、同性愛者の二人が歌い始め、それが全員に広がったこと。感動的だったが、その後この観客と一体になる方法は日本では歌声酒場でよく使われるパターンとなった。なので、映画が作られた時は大感動だっただろうが、現代ではちょっと古い印象を持ってしまった。

2. 脚本について
現在と過去を行ったり来たりしている。肉体的にも精神的にもコントロールされた青春時代と、大人になってから利用しようと群がる人間に振り回され、対応が出来ずに薬物に侵されて零落していく姿を往復して作られていた。このような構成がジュディの不幸をより強調していた。
例えばロンドン公演での不祥事の際には、少女時代にルイス・B・メイヤーにしかられたことを思い出す。そのエピソードのはさみ方は、PTSDのようである。
こういう場面は食事や食物(ケーキ)、等にもあって、マインドコントロールされたジュディが抜けられなくて苦しむ姿がよく分かる。

3. ジュディの生涯について
うつ病との闘い。不眠症、体調不良、不安障害があって、薬を多用し、少しでも気持ちを安定させようと結婚を繰り返す。ハリウッドのスターにはよくある話だが、彼女もその典型だったようだ。
また、うつ病特有の現象だが、認知のゆがみがあり、適切な判断ができていない。子供の幸福は自分と共に暮らすことと信じて疑わず、ひとりロンドンへ旅立ち公演を続け、ある日電話で、娘が父親と故郷で静かに暮らしたいと言われ愕然とする。そして益々孤独になり、薬が手放せなくなっていく。可哀そうな人生だったのですね。
返信
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管理者さん (8fzsc460)2022/8/29 08:33 (No.520586)削除
課題映画、第13回文横映画好きの集い(新作)(2023年2月19日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
阿王 陽子さん (8nqqh1v5)2023/3/12 13:44削除
2023年2月19日 文学横浜の会映画好きの集い、【旧作】「インディ・ジョーンズ/レイダース 失われたアーク《聖櫃》」(阿王)

a.イントロ
今回旧作に「インディ・ジョーンズ/レイダース 失われたアーク《聖櫃》」を選んだのは、
アマゾンプライムで見られること、明るいこと、カッコイイことの3つの理由です。
便利なプライム、また戦争やコロナ禍で少しでも元気が出るように、また、ハリソン・フォードのセクシーなかっこよさを、ぜひ話し合いたい、と思い、選びました。
そこで、テーマを次のように決めました。

「インディ・ジョーンズ レイダース 失われたアーク」テーマ
1.この映画の中のハリソン・フォードの魅力について思うところ、またインディー・ジョーンズの魅力について思うところ
2.考古学者志望が増えたきっかけになったといわれるこの映画のなかでの、考古学とはどんなものでしょうか。
3.ほか自由感想


下記は梗概と、私の感想を載せました。


b.梗概(ウィキペディアより)

インディ・ジョーンズ シリーズは、架空の考古学者であるインディアナ・ジョーンズを主人公とした冒険を描く映画、ドラマ、小説シリーズ、およびそれを基にした一群のフィクションである『インディアナ・ジョーンズ シリーズ』 (Indiana Jones series) の、日本における名称である。「インディ」は「インディアナ」を略した通称。連続活劇の現代版。シリーズ全体の原案はジョージ・ルーカスとスティーヴン・スピルバーグ。製作はルーカスフィルム。



レイダース 失われたアーク《聖櫃》
インディアナ・ジョーンズ - 世界的に有名な考古学者にして冒険家。愛称はインディ。
マーカス・ブロディ - インディの友人。ニューヨーク国立博物館館長。
マリオン・レイブンウッド - インディの師である考古学者・アブナー・レイブンウッド教授の娘。現在はネパールで酒場を経営。
サラー - インディの友人で、遺跡発掘のベテラン。
ルネ・エミール・ベロック - フランス人の考古学者で、インディの宿敵。ナチスに加担して聖櫃を探す。
ヘルマン・ディートリッヒ - ドイツ国防軍の大佐。ナチスの聖櫃捜索部隊の司令官。
アーノルド・エルンスト・トート - ナチスの秘密警察「ゲシュタポ」のエージェント。
コブラー - ディートリヒ大佐の補佐官。


魔宮の伝説
インディアナ・ジョーンズ - 世界的に有名な考古学者にして冒険家。愛称はインディ。
ショート・ラウンド - 中国人の孤児。インディの若きパートナー。
ウー・ハン - おなじくインディのパートナー。
ラオ・チェー - 上海裏社会の大物。
ウィリー・スコット - 上海のクラブ<オビ=ワン>の歌手。
シャーマン - インディ達がたどり着いたインドの村「メイアプール」の長老。インディにシヴァリンガと村の子供たちの奪還を依頼する。
ザリム・シン - パンコット宮殿の若きマハラジャ。
チャター・ラル - パンコット宮殿の宰相。
モラ・ラム - 邪神「カーリー」を崇拝する暗殺教団「サグ」の司祭。素手で人の心臓を掴みだす。


最後の聖戦
インディアナ・ジョーンズ - 世界的に有名な考古学者にして冒険家。愛称はインディ。
ヘンリー・ジョーンズ - インディの父親。長年聖杯探索を行っており、その記録のすべてを「聖杯日誌」に記した。
マーカス・ブロディ - インディの友人。ニューヨーク国立博物館館長。
サラー - インディの友人で、遺跡発掘のベテラン。
エルザ・シュナイダー - オーストリア人の考古学者。裏でナチスに加担している。
ヴァルター・ドノバン - 考古学マニアの億万長者。裏でナチスに加担している。
エルンスト・フォーゲル - ナチス親衛隊大佐。


クリスタル・スカルの王国
インディアナ・ジョーンズ - 世界的に有名な考古学者にして冒険家。愛称はインディ。
マット・ウィリアムズ(ヘンリー・ジョーンズ三世) - 実はインディの息子だが、本人はその事を知らされていなかった。
マリオン・レイヴンウッド - マットの母親。
ジョージ・マクヘイル(マック) - 第二次世界大戦中、インディと共にナチスと戦った元MI6の局員でソ連の二重スパイ。
ハロルド・オックスリー教授(オックス) - インディの大学時代の友人。
ディーン・チャールズ・スタンフォース - マーカス・ブロディの死後の大学の学部長。インディとは旧友。
イリーナ・スパルコ - KGBのエージェント。超能力研究者。レイピアを使う凄腕の剣士。
アントニン・ドフチェンコ - スパルコの部下のソビエト連邦軍の軍人。階級は大佐。
オレリャーナ - 黄金の都市を探し求め、ペルーで行方不明になった500年前のスペイン人探検家。謎のカギとなる。

c.評価(ウィキペディアより)
レイダース/失われたアーク《聖櫃》
1981年のアメリカのアドベンチャー映画

『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』[注釈 1](レイダース/うしなわれたアーク、英: Raiders of the Lost Ark)は、1981年に公開されたアメリカ合衆国の映画。ジョージ・ルーカスとフィリップ・カウフマンの原案をもとに、スティーヴン・スピルバーグが監督を務めた。出演はハリソン・フォード、カレン・アレン、ポール・フリーマンなど。第二次世界大戦前の1936年を舞台に、フォード演じる考古学者のインディアナ・ジョーンズが、神秘の力を宿すと伝わる「聖櫃」を巡りナチス・ドイツ軍との争奪戦を繰り広げる冒険活劇で、後に続く「インディ・ジョーンズ」シリーズの第1作目である。

レイダース/失われたアーク
《聖櫃》
Raiders of the Lost Ark
Hollywood Studios - Indy and the idol - by hyku.jpg
インディ・ジョーンズの模型
監督
スティーヴン・スピルバーグ
脚本
ローレンス・カスダン
原案
ジョージ・ルーカス
フィリップ・カウフマン
製作
フランク・マーシャル
製作総指揮
ジョージ・ルーカス
ハワード・G・カザンジャン
出演者
ハリソン・フォード
音楽
ジョン・ウィリアムズ
撮影
ダグラス・スローカム
編集
マイケル・カーン
製作会社
ルーカスフィルム
配給
アメリカ合衆国の旗 パラマウント映画
日本の旗 パラマウント映画・CIC
公開
アメリカ合衆国の旗 1981年6月12日
日本の旗 1981年12月5日
上映時間
115分
製作国
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語
英語
製作費
$18,000,000[1]
興行収入
世界の旗 $384,140,454[1]
アメリカ合衆国の旗 $242,374,454[1]

🇯🇵21億円(推定)
配給収入
日本の旗 13億8000万円[2]
次作
インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説



映画史に残る名作の一つとして知られる。初公開時の1981年最高興行収入を記録するなど成功を収め、アカデミー賞5部門、サターン賞7部門など多数の賞に受賞・ノミネートされた。また、大衆文化にも大きな影響を与える人気となり、公開後には『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年)、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年)、『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008年)の3作のほか、テレビシリーズ、ビデオゲーム、テーマパークのアトラクションなど多くの続編やスピンオフが製作されている。
1999年、「文化的・歴史的・芸術的にきわめて高い価値を持つ」とみなされアメリカ国立フィルム登録簿に登録された[3][4]。


評価
ナショナル・ボード・オブ・レビューでは、本作を「インスタント・クラシック」と名付け、これまでに作られた最もユーモラスでスタイリッシュなアメリカ映画の1つと評した。また、古い連続活劇を現代の観客にとって、最も完璧な形に洗練して見せたと説明し「息をのむような信じられないほどの」冒険と呼んでおり、この映画が娯楽作品というジャンルで唯一の成功をおさめ、スターウォーズ、ジェームズボンド映画、スーパーマンの流れを汲む冒険叙事詩を作成したと結論付けている[29]。

バラエティ誌のスティーブン・クレインは「爽快な現実逃避の娯楽」と呼び、映画がアクション、コメディ、サスペンスと神秘的な神話とのバランスをうまくとっていると評した[30]。

水野晴郎は本作を「息をつかせぬ面白さ」と評している。また、カーチェイスの場面に『駅馬車』(1939年)の類似点があることや、公開直前行ったインタビューでルーカスが「映画を作る前に『隠し砦の三悪人』(1958年)を見なおした」と語っていたことを挙げ、「映画史上に有名な、面白い映画のエッセンスが全部込められているわけです」と述べている。

一方、アラブ系の人種を粗野で野蛮に描いていると、公開当時に鑑賞していた映像作家のウサマ・アルシャビ(英語版)が指摘している[31]。

スピルバーグは自身は、後に「シリーズの中で最も完璧な映画が当作だと考えている」と語った[32]。

影響
本作は公開後に大衆文化にも永続的な影響を与え、”現代映画の試金石”となったと考えられている[32]。

公開後、考古学を学ぶ若者が増加しており、現代の考古学者には「この映画がその道へすすむきっかけだった」と語る人物が多い。ジョン・リス=デイヴィスは、これまでに出会った150人以上の講師、教授、考古学者が「この分野への関心はこの映画から始まった」と語ったことを明かしている[33]。

ルーカスの協力者で著名なゲイリー・カーツは本作について、ルーカスが「観客は物語より『ジェットコースターに乗ること』に関心がある、と確信するようになった作品」とし、以降のルーカス作品は、脚本よりアクションを重要視するようになったという[34]。

受賞・ノミネート
賞 部門 対象 結果 出典
アカデミー賞 美術賞 ノーマン・レイノルズ
レスリー・ディリー
マイケル・フォード 受賞 [35]
視覚効果賞 リチャード・エドランド
キット・ウェスト
ブルース・ニコルソン
ジョー・ジョンストン 受賞
音響編集賞 ビル・ヴァーニー
スティーヴ・マスロウ
グレッグ・ランデイカー
ロイ・チャーマン 受賞
編集賞 マイケル・カーン 受賞
特別業績賞 ベン・バート
リチャード・L・アンダーソン 受賞
作品賞 N/A ノミネート
監督賞 スティーブン・スピルバーグ ノミネート
撮影賞 ダグラス・スローカム ノミネート
作曲賞 ジョン・ウィリアムズ ノミネート
サターン賞 ファンタジー映画賞 N/A 受賞 [36]
監督賞 スティーブン・スピルバーグ 受賞
主演男優賞 ハリソン・フォード 受賞
主演女優賞 カレン・アレン 受賞
脚本賞 ローレンス・カスダン 受賞
音楽賞 ジョン・ウィリアムズ 受賞
特殊効果賞 N/A 受賞
ゴールデングローブ賞 監督賞 スティーブン・スピルバーグ ノミネート [37]
キネマ旬報ベスト・テン 読者選出外国映画監督賞 N/A N/A [38]

d.感想
シリーズを見て、レイダースを振り返り私の感想である。

インディ・ジョーンズ四部作、キング・ソロモンの秘宝(リチャード・チェンバレン主演)二部作、ナショナル・トレジャー(ニコラス・ケイジ)二部作を年末を使って見ることにした。
インディの最初の作品を見るだけでも良いかとは思ったものの、やはりレイダースが成功したから、インディシリーズや、似たような考古学作品が人気になったからだと思ったのである。

レイダース→ワクワクする冒頭の黄金の像のあたりから変わって、大学の講義では女子大生がメロメロになっている。うっとりしている女子大生。やはり、ジョーンズ先生は人気でかっこよいのだ。
本作のターゲットは、モーセの十戒の石版をアーク(聖櫃)に納め、隠したという伝説のアーク。インディ曰く、考古学者になったきっかけがアークだという。
ナチスドイツと対決する。
アークはどんな形なのか、どんなものなのか、見どころ。
ワクワクするような音楽や映像。
1981年公開のレイダースにおいて、1942年生まれのハリソン・フォードは、39歳ぐらいで男盛り。野性的な姿のインディと、スーツ姿の知的なジョーンズ先生姿の違いがまたカッコよい。今回、インディシリーズを日本語吹き替えで見たのだが、村井国夫が三作、吹き替えをしていたが、ハリソン・フォードの雰囲気に似合っていた。

さて、考古学はもっと地味でおたくっぽいと思っていたのだが、本作の考古学は冒険、アトラクション、そして歴史のストーリー。そして綺麗な女性が現れる。

この、男性の冒険家の冒険物語に若い綺麗なはねっかえりの強気な美女、という組み合わせパターンは、1981年のインディシリーズからではないだろうか。待ってるだけのおとなしい女の子では、砂漠の中で冒険に同行したりすることはできない。本作のカレン・アレン演ずるマリオンは少女漫画みたいな可愛い顔のブルネットの美人であるが、酒場を経営している考古学者の娘でインディの元恋人であり、四部作の「クリスタル・スカルの王国」にも再び出てくる。

マリオンが後半ガンシップで銃を乱射するのが面白かったが、インディがナチスドイツの軍人を殺しすぎていて、そこが気になりはした。

インディとマリオンのラブシーンは少ないが、はだけた傷だらけのインディにキスをしながら展開していくのはなかなかロマンチックだ。
アークを開けたあとの敵が魂を奪われるあたりは、よくできた内容だと思った。

考古学や博物館は、たしかに研究機関や展示会場という機能があるが、危険があり、また、わからずやの権威とのたたかいもある、というのが本作での考古学。しかし、考古学、発掘は略奪ではないか、と思う一面もあった。

シリーズ最初にしてベストの作品であるだろう。


魔宮の伝説→レイダースのヒロイン、マリオンのつぎは、ケイト・キャプショー演ずるクラブ歌手ウィリーだったが、足を引っ張る感じで始終騒がしく、見てる方はイライラしてしまった。後で調べたら、ケイトはスピルバーグ監督の奥さん。オーディションでこの役を勝ち取った。
本作はチャイニーズの少年がいるから、バランスは良かった。聖なる石と子どもたちを取り戻しに行くストーリーだが、舞台みたいなシーンやアクションが、レイダースより多めで、魔宮の伝説のほうが派手な印象。  

最後の聖戦→またもやナチスドイツが宿敵。ショーン・コネリーが貫禄あり。キリストの聖杯が意外な見た目で驚くが、これが面白いところでもあった。本作ヒロインはスパイだが、最初から冷たそうなため、他の作品のヒロインとは違うことがわかる。ショーン・コネリーの父親役がとぼけた感じで面白かった。やや軍国的な印象の本作。聖域にたどりつくまで、謎解きを次から次にするのが面白い。

クリスタル・スカルの王国→戦後の自由な雰囲気から一転、今度はソ連の組織。ケイト・ブランシェットがミステリアス。インンディはさすがに老けたが、マッチョさは健在。第一作のレイダースのヒロイン、マリオンが、青年マットの母親役。マットがインディの息子というわけである。カレン・アレンのマリオンもたしかに年をとったが、可愛さは健在だった。年取ったインディにかわって、若いマットがオートバイで縦横無尽に駆け回る。インディの声が日本語翻訳では内田直哉に代わっている。村井国夫より滑舌が良い反面、セクシーさは半減した。とりわけ古代遺跡などの美術セットが見事だった。インディシリーズは遺跡などの美術が特に優れていると感じる。ただ、超能力とかをとりいれていて、宇宙人が出てくるので、ちょっとやり過ぎかと思った。ラストの結婚式は文句なしのハッピーエンド、嬉しかった。

ほか、似たような作品として見たのは、「キング・ソロモンの秘宝」二部作で、ハガードの冒険小説を原作にした、美男俳優リチャード・チェンバレンと若き日のシャロン・ストーン(可愛い…!)のアドベンチャーで、興行的には失敗したが、楽しめる作品だった。
また、最近の「ナショナル・トレジャー」二部作はニコラス・ケイジとダイアン・クルーガーで面白かったものの、ロマンチックさは感じられず、イマイチだった。


年末の休みに、インディ・ジョーンズ四部作、また、キング・ソロモンの秘宝シリーズ、ナショナル・トレジャーシリーズを見たが、やはり1981年の「インディ・ジョーンズ/レイダース 失われたアーク《聖櫃》」がいちばんまとまっている作品だと思った。考古学映画の草分けにして最高の作品だと思うし、またエンタテインメント作品としても満点だと思った。

e.おわりに
さて、インディ・ジョーンズシリーズ5作目は、2023年6月30日、日米同時公開だそうで、5作目で、最後の作品だという。今回たくさん予習をしたので、最後の作品を楽しみに待つことにしたい。
藤原さん (8nqqh1v5)2023/3/12 13:46削除
旧作推薦作品 『インディ・ジョーンズ/レイダース 失われたアーク(聖櫃)』(1981年 スティーヴン・スピルバーグ監督)

1.はじめに
 初めて『レイダース(1981)』を映画館で観たのは社会人になって間もなくの頃。まずその面白さに理屈向きで圧倒されたのを覚えている。と同時に、密かに映画好きを自任していた私としては、「映画は面白ければそれでいいのか?」とひねくれて言いたくなる気分も少しあった。同じ頃私は、メリル・ストリープ主演の『フランス軍中尉の女(1981)』などの文芸作品を好んで観ており、一方で『レイダース』の面白さは文句のつけようもなく、複雑な気持ちだった。

2.ハリソン・フォードの魅力
 『スター・ウォーズ(1977)』のハン・ソロ役でブレイクしたハリソン・フォードはその後『レイダース(1981)』、『ブレードランナー(1982)』など話題作に次々と出演、一躍ハリウッドのドル箱スターになった。不器用そうなアクション俳優に見えるが、笑顔は人懐っこくユーモアを感じさせ、黒澤映画における三船敏郎に少し似た雰囲気もある。私の個人的な好みで言えば、『刑事ジョン・ブック 目撃者(1985)』と『逃亡者(1993)』の主人公役が気に入っている。

3.考古学とロマン
 考古学上の発見は、現代人であるわれわれに悠久の時間を遡る壮大なロマンを感じさせる。私も考古学上の発見には興味津々である。古くはシャンポリオンのロゼッタストーン(ヒエログリフ)解読(1823)、シュリーマンのトロイア発掘(1876年頃)、ハワード・カーターのツタンカーメン王墓の発掘(1922)、日本でも高松塚古墳壁画の発見(1972)、最近ではフランスの建築家ジャン・ピエール・ウーダンによるクフ王の大ピラミッド建設方法の仮説(2006)や名大研究Gによる宇宙線(ミューオン)を利用したクフ王ピラミッド未知の巨大空間発見(2017)など、わくわくする話題が多い。
 ただし映画『レイダース』でもインディやナチスが聖櫃発掘(カイロ)の許可をエジプト政府(?)に取っている様子はなく、やっていることは盗掘と紙一重である。大英博物館やルーブル美術館の所蔵品の中には、正当な対価を払っていない略奪品も多い。

4.冒険活劇の系譜
 連続活劇、冒険活劇は映画の得意なジャンルであり、昔から様々な映画が作られている。その中で、エンターテイメントとして高い完成度を示した映画のひとつが黒澤明の『隠し砦の三悪人(1958)』である。ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ(1978)』やルーカス、スピルバーグの共作であるこの『レイダース』が、『隠し砦…』からインスパイアされて製作されたエピソードは有名。この他に現在の映画へ多大な影響を与えた連続活劇映画を考えると、ヒッチコックの『北北西に進路を取れ(1959)』が思い当たる。非常に洗練された映画手法で、主人公(ケイリー・グラント)の逃亡劇を描き出している。『ロシアより愛をこめて/007危機一発(1963)』も明らかに『北北西に…』を教科書としている。また無実の主人公が必死に逃げながら、同時に真犯人と事件の謎の答えを追うという『北北西に…』のストーリーは、ハリソン・フォードの映画『逃亡者』の原型でもある。

5.『レイダース』成功の功罪
 『レイダース』が冒険活劇の傑作であることは誰もが認める事実だろう。しかしその興行的大成功は、ある意味その後のハリウッド映画の方向性を変えたと思われる。ひとつはヒット作品のシリーズ化が加速したこと、ひとつはヒット映画のパターンを学習した映画製作者たちが同じような要素(冒険、アクション、バイオレンス、ロマンス、ミステリーなど)を詰め込んだ、似たような映画を量産し出したことである。少し大げさに言えば、興行的に失敗しない映画ばかりを志向する現在のハリウッド業界が、活力を失っている遠因はこの辺りにあるのかもしれない。ハリウッド映画製作会社のトップは本当の映画好きではなく、MBA(経営学修士)の資格を持つCEOが牛耳っていると聞くが、本当だろうか。

6.その他
 『レイダース』に登場するナチス軍人やゲシュタポのキャラクターがバカっぽいのは、ユダヤ系であるスピルバーグの当てこすりだろう。
清水 伸子さん (8nqqh1v5)2023/3/12 13:47削除
「インディージョーンズ レイダース 失われたアーク」を観て

1.ハリソン・フォードの魅力、インディージョーンズの魅力
 映画の中でのインディージョーンズと演じるハリソン・フォードの魅力は共に教授としてのスマートで知的な面と、冒険に出たときの野性味溢れる面を併せ持ち、苦境に陥った時も決してあきらめず知恵と工夫そして腕力で乗り切って行くところなのではないでしょうか。

2.考古学とは
 この映画のように超自然現象的な事が起こったりすることは考えにくく、大勢の人々が地に這いつくばり、こつこつと丹念に発掘作業を行いながら昔の人々や生き物の様子を解き明かしていこうとする学問ではないかと思います。

3.自由感想
 インディージョーンズシリーズは今回初めて観ましたが、これは劇場の大画面で見ると迫力が違うのだろうなと思いました。次から次へと目の前に現れる敵と体力知力を尽くして戦うジョーンズの大冒険物語は娯楽作品として優れているのだと思います。ただ、あまりに次々人が死んでいくのが気になりました。敵=ナチ=悪という構図なのかなとは思うのですが…。
 またアークの蓋が開いた後、精霊?が現れたあたりで、ジョーンズはなぜ目を開けてはいけないと知っていたのか不思議に思いました。ラストシーンではアークが厳重に箱に入れてしまい込まれるのですが、その前の部分で上部が謎の解明に着手しているという話をしていたりジョーンズは不満そうな様子だったりすることと合わせて考えると一体結末はどうだったのか、よくわからず、皆さんがどのように解釈されたのかを伺ってみたいと思いました。
山口さん (8nqqh1v5)2023/3/12 13:48削除
レイダース失われたアーク 感想
1.この映画の中のハリソン・フォードの魅力、インディ・ジョーンズの魅力とは。
先ず、考古学者で大学教授にして冒険家の顔を持ち、信じられないほどの体力と格闘の技を持つインディ・ジョーンズというキャラクターを創り上げたことが成功だと思う。(蛇に弱いところが可愛いが。)この文武両道の漫画チックなヒーローがいかにもアメコミ的で面白かったのではないか。そして、あの帽子にムチというお決まりの格好も覚えやすい。
ハリソン・フォードはこのインディ・ジョーンズというキャラクターにぴったりとはまっている。ちょっと彼以外には考えられないほどだ。なぜなら眼鏡をかけた彼はどう見ても考古学者風だから。しかもアクションも十分にこなしている。リメイクするならブラッド・ピット?ジョニー・デップ?いやいやアクションはこなせても、あの学者的雰囲気はなかなか出せないだろう。ところで今年6月、ハリソン・フォードが最後に主演するインディ・ジョーンズのシリーズ新作が上映されるようだが、あの年齢で、とびっくりである。
2.この映画の中での考古学とは?
これは難しい質問。もともと考古学にそれほど興味がないので。ただ。考古学にはひたすら土を掘るといった地味なイメージがあったのだが、この映画ではそんな考古学のイメージをロマンチックで派手やかなものに変えたと思う。
3.自由感想
インディ・ジョーンズは疾走するトロッコのシーンが有名な二作目のみ観たことがある。それと今回の作品との共通項はスピード感だろうか。テンポが良くて飽きさせないのはよいところ。ただ娯楽作という捉え方は変わらない。文学で言うならば、純文学ではなくて大衆文学というところか。だが、それがこのシリーズの良さでもあるのだろう。
それとスター・ウォーズもそうだが、テーマ曲が素晴らしい。曲を聴いただけでワクワクできるのもこの映画の魅力だ。
石野夏実さん (8nqqh1v5)2023/3/12 13:54削除
「レイダース/失われたアーク≪聖櫃≫」1981年公開感想
2023.1.23  石野夏実

 映画館では観たことがなかったが、TVではインディー・ジョーンズの初期3部作は何度も放映されたため、家族で何となく観た記憶があった。
 今回は課題映画に指定され、プライムで”観るぞー”と気合を入れてはみたものの、一気に最後まで観ることは出来ず、あの勇ましい音楽が流れると平然と撃ち合いや人殺しが始まるので、椅子から立ち上がる私であった。
 作り話であっても、主人公に瞬時に殺されていく名も無き人々。そんな場面が、これでもかというほど多く出てくる。
40年前の映画との距離感、違和感を強く感じた。たとえ娯楽作品であってもだ。
 兵士や現地人にも日々の生活や人生があると思うと、命の重さは主人公たちと同じだとの思いが強く、観ていられなくなるのだ。現地人をいかにも無知で野蛮な集団として扱う場面も好きではない。
 名も無き人々のひとりひとりの人生を、たとえ犬死であっても、追いかける映画の方が私は好きだ。
 確かにハリソン・フォードはカッコよく頭もいいし運動神経も抜群で~といういうことなしの考古学者の役で大当たりしたが、あの時代だからこそ求められたヒーローかもしれない。
 スピルバーグもハリソン・フォードもユダヤ系であるが、設立時のハリウッドの映画会社全体がユダヤ資本から成り立ったそうである。アメリカは金融資本の国であるが金融もユダヤ人が牛耳っている。イスラエルに次ぐユダヤ人の人口が多い国なのである。
ロシアとウクライナの戦争が終結どころか先の見通しも立たない。
毎日伝えられる戦争のニュースで、理不尽に繰り返される殺戮に敏感になっている私がいる。
 
2022.2.3 追記

「インディ・ジョーンズ レイダース 失われたアーク」テーマ
1.この映画の中のハリソン・フォードの魅力について思うところ、またインディー・ジョーンズの魅力について思うところ
2.考古学者志望が増えたきっかけになったといわれるこの映画のなかでの、考古学とはどんなものでしょうか。
3.ほか自由感想


1.ハリソン・フォードの魅力は、あまり癖がない(顔)が幸いして、色々な役ができるところかもしれない。俳優は個性が大事ではあるが、どんな役もできるというのは大きな強みではある。頭もよさそうに見えるし、考古学者なのだからハンサムなだけではいけない、知的な感じも必要。若い頃のロバート・レッドフォードなら、この役ができたかなと思った。
インディ・ジョーンズは彼にとって一番の当たり役なんだろうけど「逃亡者」もキンブル役に合っていて良かった。中学生の時、毎週土曜の夜にTVで「逃亡者」のリチャード・キンブルを観ていたが、その当時の俳優とはタイプも違い、映画化は新鮮だった。観たのは去年あたり、地上波でないどこかのCHで夫が観ていたのを一緒に観たのだった。調べたら93年公開なので、ドラマから30年後のリメイクであった。

2.考古学は、発掘した遺跡物から歴史を想像し拡大していく学問なので、それが楽しい人にはたまらない分野なのでしょう。映画にあったように陽光の射す角度の研究とか、柩を守るための仕掛けとかは、研究すると面白そう。

3.時間とお金を費やし、観る価値があるかどうかで映画館に行くか行かないかを決める場合、私が一番行かない選択をするのがアメリカ映画の活劇娯楽映画である。
家庭ではTVの画面も大きくなり、動画配信を利用すればかなりの映画が観られるようになった。“10年ひと昔"とは、的確な表現であると常々思う。
藤野茂樹さん (8nqqh1v5)2023/3/12 13:56削除
レイダース/失われたアーク 感想 藤野  2023.2.12

40年前の映画だが、今見ても十分楽しめる娯楽映画です。
「魂の井戸」における攻防、飛行場での格闘、トラックでカイロに向かうベロックを追跡、カイロからイギリス行き貨物船「バンソーウインドウ号」で脱出、ドイツのUボートに臨検されるなど、スリルとサスペンスに満ちた冒険、格闘シーンの連続でした。

宿題です。
2.この映画が出てから考古学者が増加したとか。
「魂の井戸」は実際にエルサレムにあるとか。
また、アーク(聖櫃、または契約の箱―モーゼの十戒を記した石板が入っている)は、
BC586年ごろから行方不明とか、日本の邪馬台国はどこ?(近畿か、九州か)というのと同じで、ロマンを掻き立てる話ですね。

3.自由感想.
アークの蓋は開けてはならないものだったのか?
ベロック一味が滅ぼされるので、開けてはならない蓋だったのかという疑問が出てきます。
モーゼが神からもらった十戒の石板が入っているそうで、ここが一つの謎になっています。
パンドラの箱や「絶対に後ろを振り返ってはいけない」などのギリシャ神話に出てくる謎のお話に似ていると思います。
そういわれると人間は必ず開けたくなり、不幸な結末になっていく。
これはどうも人間の宿命を表しているのかもしれませんね。

またアークというものが命を懸けて奪うべきものか? という問題がどうしても出てきます。これがこの作品を理解する上で重要と思います。
キリスト教徒ならインディ博士は意義のある行動をしていると考えると思うが、敬虔なキリスト教徒でないなら、この映画は楽しい冒険活劇で終わるような気がします。
返信
返信6
管理者さん (8fzsc460)2022/8/29 08:38 (No.520592)削除
自由映画について、ご自由に感想をお書込みください!
山口さん (8fzsc460)2022/8/29 08:40削除
「サムライ」を観て

『サムライ』1967年フランス 原題/Le Samurai監督/ジャン=ピエール・メルヴィル
アラン・ドロン主演のフレンチ・ノワールの傑作。薄汚れたこの時代のパリが、ある意味たまらなく美しい。
冒頭、『武士道』からの引用「侍ほど深い孤独の中にいる者はいない。おそらくそれは密林の虎以上だ」の文言が流れる。サムライを意識させるのはここだけ。殺風景な部屋に一羽の小鳥の声だけが聴こえる。誰もいないのかと思ったらベッドから細い煙が。横たわっていたアラン・ドロンが煙草をくゆらせていたのだ。孤独な殺し屋の、つかの間の休息を感じさせる長い印象的なオープニング。
そして「仕事」に出かける前に身支度を整えるドロンの所作の美しさ。スーツの上にベージュのトレンチ・コートを羽織りベルトをキュッと結び、グレーの中折れ帽を目深にかぶって、つばの淵を手でシュッと一回なぞる。これがサムライの凛とした身支度と重なるのだろうか、映像的にパルフェ!完璧だ。
殺し屋のドロンは、手違いから警察と組織の両方に追われることになり、知恵と体力を駆使しながら、警察から逃れ組織への復讐を果たしていく。警察を相手にした地下鉄での逃亡シーンは、その後の色々な映画に影響を与えたらしいが、緊張感とスピード感が素晴らしい。そして盛り上がった末のラストシーンのあっけなさ。これぞフレンチ・ノワールだ。
ストーリーそのものがどうこうというよりも、ドロンの所作と風貌の美しさ、そして無駄のない乾いた映像美を堪能する映画。『太陽がいっぱい』『山猫』などの芸術的名作や、『あの胸にもういちど』『栗色のマッドレー』などの恋愛ものなど、何を演じても絵になるドロンだが、フィルム・ノワール(犯罪映画)のドロンもまた格別だ。
女性遍歴の多かったドロンが唯一、籍を入れた妻ナタリー・ドロンが高級娼婦役で共演している。ちなみに、演技に目覚めた彼女が女優の道に邁進したくなったことが原因で、後に離婚することになる。彼女は生涯ドロンを名乗り、お互い老齢となってからも長男を交えて親交があった。残念なことに彼女は昨年、病気で急逝した。86歳になったアラン・ドロンは引退後に脳卒中を患っていたが、今はスイスで療養しているという。時代は確実に流れた。
藤原さん (8g07wmfj)2022/8/29 15:38削除
山口さんの感想文を拝見しました。アラン・ドロンの『サムライ』、いいですね。小生も5年程前に観ました(録画したもの)。ただ主人公が小鳥を飼っていたこと以外、詳細は忘れていたのでNetでストーリーを確認し、ああそうだったと思い出しました。今回、映画を見直してはいませんが、山口さんが書いておられるように、これはアラン・ドロンの魅力を描くためにつくられた映画といってもいいですね。
 飼っている小鳥が唯一の慰めである孤独な殺し屋は、自分を厳しく律して生きています。彼はアウトローであるがゆえに、この世とは異なる、より妥協のない自らのルールに縛られています。この生き方は、フランス人(または欧米人一般)にとって東洋的な神秘と精神性を感じさせる日本の「サムライ」を観念的な理想像としているのでしょう。このあたりは、映画『ボディガード(1992)』の劇中、ボディガード役のケビン・コスナーが黒澤明の『用心棒』で三船敏郎演じる「サムライ」をリスペクトしているエピソードとどこか共通しています。日本人としては少しこそばゆい感じがしなくもありませんが。
 また同時期のアラン・ドロンの出演映画としては、『サムライ』の翌年につくられた『さらば友よ』(1968年仏伊)があり、これは小生リアルタイムで観た記憶があります。男臭さをむんむんさせたチャールズ・ブロンソンと美貌のアラン・ドロンが、けれん味たっぷりな演出でぶつかり合う犯罪映画で、これも楽しめました(あのラストは何度観てもしびれます)。
 もうひとつ映画の紹介を。『サムライ』の殺し屋はそのストイックな様式美がやや誇張されて表現されていますが、プロフェッショナルな殺し屋をドキュメンタリータッチでリアルに描いた『ジャッカルの日』(1973年 英仏合作。フレッド・ジンネマン監督)もいいです。フレデリック・フォーサイスの原作とともに有名な映画なので観られた方も多いでしょうが、あらためてお勧めします。(ただしこちらにアラン・ドロンはでてきません)
山口愛理さん (8j0wh7xb)2022/12/4 16:50削除
『ザリガニの鳴くところ』 2022年アメリカ 監督/オリビア・ニューマン 原作/ディーリア・オーエンズ

この映画評は書籍評とともに書きたい。
先ず原作について。女性動物学者であるディーリア・オーエンズは60代でこの初めてのミステリー小説を書き始め、69歳で発表すると瞬く間に全世界で1500万部のベストセラーとなった。
あらすじ/ノースカロライナ州の湿地帯で、6歳から一人きりで暮らすカイアという少女がいた。父親のDVにより一家は離散したのだ。交通手段はボートだけ。教育も受けず湿地の自然の中で生きる術を学ぶ。そんな彼女の暮らしの中に入り込んできた二人の男性。読み書きを教えてくれた初恋の少年テイトとは将来を夢見るが大学に行くと音沙汰がなくなり、街の名士の放蕩息子であるチェイスとは結婚の約束までしておきながら裏切られる。失意のなか、彼女は湿地で一人きり生きることを決め、かつてテイトに勧められた本の出版を目指し、動植物を描くことに没頭する。そんな時、湿地でチェイスの死体が発見される。果たして事故か他殺か。先ず疑いをかけられたのは、カイアだったのだが……。

原作は、単にミステリーにとどまらず、DV問題、差別問題、貧困問題、自然破壊・環境問題など訴求点は多岐に及ぶ。それらを、ロマンスを交えながら堅苦しくない柔らかな筆致で包んでおり、しかも哲学的で詩的なニュアンスが漂う。久々に満足できる傑作だと思った。
映画『ザリガニの鳴くところ』は大筋のところや湿地帯の雰囲気、カイアの家の雰囲気など概ね原作通りで、その静謐な画面作りは素晴らしかった。が、原作にあったミステリー要素、カイア以外の犯人の可能性などがあまり描かれておらず、そのため法廷シーンも単調で少し物足りなかった。分厚い原作に比して二時間半の映画なので、仕方のないところだろうか。またカイアが綺麗すぎて、野性味やしたたかさがもっと欲しい感もあった。
だが、この原作を映画化するのは至難の業だろうと思っていたので、特に湿地やそこに生きる動植物の映像は素晴らしいの一言だった。「ザリガニの鳴くところ」とは、湿地そのもので、カイアの原点とも呼ぶべきところ。淡々とした映像の中にも、彼女の凛とした生き方が静かな感動を呼ぶ。声高に叫ばなくても、思いや意図は伝わる。久々に映画らしい映画を堪能できたと思う。
石野さん (8k5s1zqt)2022/12/12 07:40削除
2022年11月公開 石川慶監督「ある男」
2022,11,20~12.10  石野夏実
 「文学横浜53号」の随筆で少し触れたように、今秋の終わりに平野啓一郎の長編小説「ある男」が映画化公開された。
主演は弁護士の城戸役に妻夫木聡。行方不明者の名前を買い、宮崎まで流れてきて森林組合に職を得て静かに暮らし始め、事故死した「ある男」谷口大祐に窪田正孝。その地で谷口と結婚した女性里枝に安藤サクラ。この3人が物語の主軸である。
 谷口は絵を描くのが趣味で、画材を買いに時々地元の文房具屋を訪れる。ここの店番をしているのは、東京から宮崎の実家へ息子を連れで出戻った里枝(安藤サクラ)。
 谷口と里枝は時々話をするようになり互いに好感を持ち、やがて結婚する。娘も生まれ、里枝の連れ子の息子悠人と谷口との関係も良好で、家族は平凡ながら幸せに暮らしていた。
 ある日、谷口は森林組合の現場を見るのが好きな中学生の悠人を森に連れて行った。谷口は、悠人のすぐそばで自分が切り倒した木の下敷きになり命を落とした。葬式もすみ、里枝は1周忌に納骨と墓の相談のため生前の谷口から聞いていた実家に連絡を取った。
実兄の訪問を受け遺影を見せたことから夫の谷口が谷口大祐ではなく、どこのだれか全くわからなくなってしまった里枝。
 悩んだ末、東京で離婚した時に世話になった在京の弁護士城戸に連絡し調査を依頼した。
 これは谷口大祐として宮崎の小さな町でひっそりと平凡に暮らしていた「ある男X」の重すぎる過去を探っていく物語である。
 この小説は、読売文学賞を2018年に受賞した。その年の「本屋大賞」にもノミネートとのこと。
 前作の「マチネの終わりに」(2017)も映画化され、今回の「ある男」も映画化されたことによりあらためて考えてみたのであるが、平野の長編小説は視覚的でありドラマティックであるため映画化しやすいのではないかと思った。
おそらく監督の余計な手出しは無用の域にまで達した物語は、設定と構成により、イメージ通りのキャスティングを組めば、あとはほぼ誰が監督をしても水準の高い映画が出来上がるのではないだろうか。
 原作を知らないで映画だけ観た観客にとっては、インパクトの強い作品になったことだろうとも思った。
彼らは、この物語の訴える力に心を掴まれるであろうし、主たる3人の登場人物の俳優たちの適役に大いに納得するであろう。
原作を先に読んで映画の公開を待っていたものとしては「ある男」になりきっていた窪田正孝をとても評価する。清野菜名の後藤美涼役(本物の失踪中の谷口大祐の恋人)は、もう少し違うイメージを持っていたのでかえって新鮮だったが、物足りなさも感じた。
 戸籍を売買した人物、谷口に仲野太賀が扮していたが、上映時間の都合であろうか、残念ながら映画では出演時間も少なく物足りなさも感じたが、もともと谷口の人物設定自体が軽い人物像なので深追いは必要なかったのかもしれない。
 原作と映画の設定が違うのは、プロローグとモノローグに+α。これは観てのお楽しみということになるが辛口評価で☆3.8前後にしたい。
 城戸が在日三世であることは原作でも書かれているが映画の方がよりその出自を前面に出しているように思えた。
 平野のtwitter発言を読めばわかるが、彼はリベラルであり今の日本を大変危惧している。中村文則もそうであるが、小説家の政治的な発言は、今も昔も真摯に状況に向き合えば向き合うほど避けて通れない道であるようだ。
阿王 陽子さん (8kvydqc8)2022/12/31 19:32削除
岩下志麻「古都」「雪国」「五瓣の椿」「秋刀魚の味」を観て           阿王 陽子

岩下志麻というと、着物姿できりっとしたアイラインをきかせた目元、「覚悟しいや」の、極道の妻たちがまず思い出されるのだが、若い頃の作品を観ていなかったため、正月休みを使って観ることにした。

「古都」(1963)→川端康成文学の原作は二十年前ぐらいに読んだ。山口百恵版は見たことがある。京都の情感豊かな映像に、京都弁の岩下志麻の可憐さが映える。着物がよく似合う。京都の呉服問屋なだけあり、着物の柄が豊か。ちょっとミステリーっぽい。双子が不吉と言われていた時代の話。髪型や眉毛の太さを変えることで、お嬢さんと山娘の違いを現している。ややラストがあっけない。

「雪国」(1965)→二十二年前ぐらいに読み、調べ、大学の授業で発表の題材に選んだのが、この原作の川端康成「雪国」だった。何度も映画化された作品だが、まだ映画を観たことがなかった。
加賀まりこが葉子役で出ており、加賀まりこが川端康成と付き合いがあった、とのことで、前から観たいと思っていたのが岩下志麻版の雪国である。
トンネルを抜けると、雪国であった、の原作のイメージを忠実に表現していた。
木村功が、島村役だが、原作の印象にかなり近い。無為徒食、という島村の頼りないかんじが似合ってる。妻ある中年の役。
また、岩下志麻が、はっとする美しさで、都会にいる島村がなお惹かれることがわかる。葉子役の加賀まりこがとにかく可愛らしいが、駒子の次に葉子に惹かれる島村の男としてのだらしなさ、ひどさ、たよりなさを現していた。最後の雪中火事のシーンのあとが、創作。葉子が目をやられてしまい、駒子が誰にも会いたくないと言う。駒子は島村との別れを決断したのだが、これは映画オリジナル。男女の悲哀ある交情をテーマとしたこの映画は、よくできていた。

「五瓣の椿」(1964)→こちらは山本周五郎原作の「五瓣の椿」という小説をもとにしている。私は、五瓣の椿は小説で読んだことがあった。ひとり、またひとり、と、母親の愛人だった男たちが殺されてゆく展開はとてもスリリング。岩下志麻が妖艶な美しさである。1964年のブルーリボン賞主演女優賞を岩下志麻が受賞したのが今作。時代劇ドラマを凝縮したような作品だったがやや映画にしては長すぎた。実の父親に襦袢姿で迫るシーンは、身の毛がよだつ。ラストの奉行、加藤剛との会話が、おだやかで、さびしかった。

「秋刀魚の味」(1962)→小津安二郎遺作の作品。
父親、弟思いの娘の路子は、嫁入りする。
小津安二郎✕笠智衆✕花嫁の娘、の話。日本語字幕入りで観た。笠智衆のおだやかなモゴモゴしたかんじの話し方が、やや聞き取りにくいのである。ムーミンとしてしか知らなかった若き日の岸田今日子がブルーリボン賞助演女優賞、毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。脇に佐田啓二、岡田茉莉子。岩下志麻の路子役は、悪くないものの、他の作品でよく笠智衆の娘役をしていた、原節子の神秘的で貞節な雰囲気にはかなわなかった。

四作品を、観て感じたことは、とにかく岩下志麻が可愛かったことである。声が艶めかしい感じもして、着物がぴったりで、華があった。

正月休み、まだあるので、昔の女優シリーズを観ることにしたい。
藤原さん (8g07wmfj)2023/1/2 12:21削除
岩下志麻が好きすぎて
藤原芳明 2023/01/02

 阿王さんの岩下志麻作品(四作品)感想を拝見して嬉しくなり、ついコメントしたくなりました。というのも私(1956年生まれ)は中学生時代から岩下志麻が好きで、よくひとりで彼女の出演作品を街の映画館へ観に行った記憶があるからです。
 最初に観た岩下志麻出演映画はたぶん『赤毛(1969)』というそれほど有名でない作品だったと思います(幕末を舞台にした三船敏郎主演映画)。それがきっかけで彼女の出演映画を追いかけるようになりました。ちょうどその頃、松本清張原作のミステリーを映画化した作品が続き、その主演女優を彼女が演じることが多かったのです。たとえば『影の車(1970)』、『内海の輪(1971)』、『黒の斜面(1971)』など(少し後では『鬼畜(1978)』)。当時の彼女は三十歳前後の成熟した女性の美しさを発散していて、思春期だった私は完全に魅せられてしまいました。
 その後、四十代になった彼女が役柄を冷徹な女弁護士(『疑惑(1982)』)や任侠世界の姐御(『極道の妻たち(1986)』)などへと転換してからは、私の彼女への想いも次第に離れていきました。この役柄転換は女優として当然のことですが、私にはこのようなキツイ女の役が彼女らしい役とは思えませんでした(これはファン心理の勝手な思い込みでしょうが)。
 一方その頃から彼女の昔の出演映画をさかのぼって観るようになりました。そして『秋刀魚の味(1962)』、『古都(1963)』、『五辨の椿(1964)』など二十歳頃の岩下志麻の美しさを再発見することになります。
 いまでも彼女が出演している昔の映画がBSやWOWOWで放映されるとつい観てしまいます。岩下志麻好きが昂じて、私の最初の創作品(文横第五十四号)では、登場人物のひとりを志麻と名付けてしまいました(笑)。
阿王 陽子さん (8kvydqc8)2023/1/7 22:09削除
若尾文子「刺青いれずみ」「卍まんじ」「越前竹人形」「雁(がん)の寺」を観て
             阿王 陽子

若尾文子というと、黒川紀章の奥さんで、カワイイおばあさんだと思っていたのだが、若い頃の写真を見ると、とても色っぽくしたたかになにか悪いことを思いつくような悪女のようだった。岩下志麻シリーズに続いて、正月休みで四作品を観ることにした。
「しとやかな獣」「初春狸御殿」は以前に観たため、省いて、今回は谷崎潤一郎文学の「刺青いれずみ」「卍まんじ」、水上勉文学の「越前竹人形」「雁(がん)の寺」の映画作品である。いずれも小説だが、まだ小説は読んでいない。生々しいあらすじを見て、読まず嫌いになったのである。




「刺青」(1966)
大映映画。大映テレビというと、スチュワーデス物語などで有名だったが、その基礎を固めた増村保造監督の黄金期の作品。なんというなまめかしい、あだめいた色気の強い女性なんだろう。若尾文子演ずるお艶は、桃のような肌で、山本学演ずる彫師清吉が、ぎらぎらと肌をなめまわすように見つめている。
山本学は、白い巨塔の医師役をしていた、いまは好々爺のような風貌だが、この当時は若々しく野心ある風貌。いかにも腹黒そうな権次。権次という名前には不良少年という意味があるらしいが、歌舞伎の桜姫東文章の権助を思い出した。
さて、お艶の肌に入れ墨したいと言う清吉の希望により、大きな女郎蜘蛛が背中に彫られてしまう。観音や桜だったら良かったのに、恐ろしい女郎蜘蛛だった。
若尾文子が背中を半裸にしていて、かなりエロチック。若尾文子の経歴をウィキペディアで見ると、十代の性典シリーズなどで有名になったとある。令和に見てもかなりエロチックだから、昭和に見たらかなりセンセーショナルなセクシーさであったに違いない。
駆け落ち相手の新助は純朴な青年だが、権次に殺されかけて逃走、2ヶ月経ってようやく芸者屋を回り、染吉となったお艶に会う。
芸者になった染吉はしたたかに悪女になり、権次をそそのかす。
信助を連れて染吉が権次の元へ向かう。女房のおたきを殺した権次は、新助によって刺し殺されるが、お艶は復讐できた、と金を奪い、新助には自首しないでそばにいるように釘を刺す。
徳兵衛と染吉は旗本芹沢から百両だまし取ろうと企むが、悪巧みは成功せず、芹沢によって切られた徳兵衛をまた染吉がそそのかし、正当防衛もあって、新助がまた殺す。
新助をそそのかす染吉を刺青師の清吉は、呆然と眺めている。刺青師は刺青がおそろしくなり、刺青師をやめたのだった。
芹沢には佐藤慶。いい役者である。
芹沢は染吉に執心で、百万両を渡す。染吉は芹沢と一晩共にする。
芹沢との浮気を知った新助は、嫉妬から染吉を打ち叩く。
若尾文子の桃色の肌にムチのあとがつく。これはある意味SMの趣味の方にはたまらない映画だ。
最後は悪女になった染吉を嫉妬から新助が心中をはかるが、染吉は新助を刺し殺す。
すると刺青師清吉が現れる。
展開が早く、大映映画の増村保造監督の技が光る作品であった。

「卍」(1964)
谷崎潤一郎文学の代表作。エログロのイメージがあったため、あらすじは知っていたが小説や映画を見ていなかった。
映像化するとこの手の作品は文学の薫りが失せて、下品さだけが残りやすいが、岸田今日子演ずる園子の語りがなまめかしく、ひきこまれる。
和服の岸田今日子の園子と、洋装の若尾文子の光子が、日本画クラスと洋画クラスに通うのを喩えている。
同性愛のレズビアンを描いた作品は、外国の「ボーイズ・ドント・クライ」「モンスター」などで見たことがあるが、ゲイを描いた作品より数が少なく、また悲劇的結末になることが多い。
本作は、若尾文子演ずる光子の肉体美があまりに美しいので、暗いというより、肉体賛美の作品とも言える。
二人の文通のレターセットがとてもオシャレ。
綿貫からせまられて、園子は光子をめぐって誓約書を交わす。
若尾文子が小悪魔的な光子を自然にサラリと演じている。
園子の夫役が船越英二で英一郎の父親。
こちらも増村保造監督作品。
ちょっと私には刺激が強すぎた。

「越前竹人形」(1963)
水上勉文学。白黒映画。大映映画。昭和のはじめ、福井県の竹細工の村。喜助は父の墓前を訪ねた父のなじみの娼妓、玉枝を忘れられず、百五十円で身請けを申し出る。
無事祝言をあげる喜助と玉枝。しかし初夜にもかかわらず喜助は玉枝に触れようとはしなかった。
新婚生活が始まる。玉枝は味の辛い味噌汁、焦げた飯を出してしまう。ながい妓楼生活だったから、台所仕事はこども時代しかしなかったと話す。
喜助は優しく、また、夜は竹人形作りに打ち込み、ふたりは少しずつ愛情を深めていく。
喜助の亡き父が玉枝にあげた竹人形がとても美しい藤娘だ。それを超える喜助の竹人形は、金賞を受賞し、順風満帆だったはずだった。
しかし、喜助が玉枝に結婚してから一度も触れないのを不満に思う。
西村晃演ずる番頭が実は昔の顔なじみで商売のためにあがるのだが、心ならずもふいをつかれて過ちを犯してしまう。
喜助は父親がなじみだった玉枝を好いていたが、男女の交わりをして彼女を手に入れたいとは思わなかった。玉枝が襲われたことを知らない喜助は家に帰り、竹籠などの注文が増えたのを喜ぶ。
喜助にせまる玉枝に対して、喜助は、「怖いんだ。、、、あんたはうらのおっかあだ。」と拒む。
喜助は竹人形製作が軌道に乗って、弟子を取るようになると、癇癪持ちのようになる。しかし、お光から、父親もまた玉枝に触れていなかったことを知ると、さわやかな顔で喜助は家に帰宅し、夫婦の交わりを結ぼうとするのだが、玉枝は妊娠していた。堕胎は罪になる時代だった。
玉枝がせっかく幸せになれそうなのになれない薄幸の女性でハラハラさせられた。
受け身の流される女性を若尾文子が熱演。救いのない最後が虚しい作品。

「雁の寺」(1962)
白黒映画。原作は直木賞受賞の水上勉の小説。川島雄三監督作品。
雁の襖絵の禅寺が舞台。住職は生臭坊主で、愛人、里子を囲っている。若尾文子は愛人の里子役。しかし、若尾文子は着物がいつもデコルテを深く開けた芸者風が似合う。
少年が年上の女に惹かれて犯罪を犯すストーリーは松本清張「天城越え」を少し思い出した。当時仏教界から反発があり、公開が難航したそうだ。



若尾文子は着物が似合うが、岩下志麻の感じとは、また違い、とにかく色っぽいのである。なで肩なのだろうし、頭の形がとても良いのだろうし、顔が小さいのだろうし、首が細く長いのだろう、また、唇の形が色っぽいし、令和にこんなセクシーな女性はいないだろう。
下品なセクシーさではなく、上品なセクシーさなのである。
黒川紀章が若尾文子に出会ったときに、「バロックのような美しさだ」とほめたたえたというが、どんな聖人君子や貞淑な妻も、若尾文子によろめくような美しさである。破壊的な、どんな人格者でも崩れ落ちるような退廃的な美しさが若尾文子にはある。
阿王 陽子さん (8kvydqc8)2023/1/9 09:41削除
高峰秀子「カルメン故郷に帰る」「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾歳月」「娘・妻・母」を観て      阿王 陽子


高峰秀子の作品は「浮雲」「女が階段を上る時」を観たことがある。いずれも女の戦後の生きづらさを描いた作品で、森雅之との共演であった。
高峰秀子の印象は、とりたてすごい美人ではないが、演技派という印象で、平凡などちらかといえば地味な顔立ちなのに、演技が秀逸なのである。子役から培った演技力と、天性の華があり、また、聡明な印象がある。
今回正月休みで、岩下志麻、若尾文子に続いて、高峰秀子も観ることにした。
高峰秀子作品はたくさんあるものの、今回は円熟期の下記の4作品にした。


「カルメン故郷に帰る」(1951)
日本初のカラー作品。木下惠介監督。日本映画文化受賞受賞。信州浅間山の麓の村。まだひらけていないため、プリンスホテルやアウトレットができていない。性風俗やメディアがいまほど溢れていない時代。戦後の混乱から、わずか6年、復興し始めた頃。貧しさからストリッパーという風俗に働きに出ていながら、明るいこと。派手な化粧や服装は、ややパンパンガールっぽいが、明るい。「リリィカルメンです、どうぞよろしく」と話す話し方もこの映画独特。美空ひばりのような歌声で、高峰秀子のカルメンはテーマソングを歌いながら馬車でのんびり、帰郷。ノンスリーブのドレスがスリットが深く、いやらしさを出している。初めてのカラー作品だからか、カルメンの朱赤の唇やスカーフが靴が目立つ。いや、カラー作品のため、あえてはっきりした色にしたのだろう。
運動会でアクシデントからカルメンと女友だちは群衆から笑いものにされる。
でも、カルメンは自分の仕事のストリップ踊りを村でやって見せることを提案。明るく、ポジティブ、前向きなのである。
鞠のような身体で歌とともにしなやかにはねる高峰秀子のストリップ踊りは、前衛芸術。笠智衆の校長と父親は涙で反省会。
最後はストリップを見ていた男性陣たちからたくさん手を振られ見送られて東京に戻る。

戦後の自由でいながら、やや軽薄になってしまった解放的な文化、ファッション、風俗を風刺しながらも、カルメンの底抜けに明るい前向きさが胸を打つ。戦後のこの時期でしか作れない映画だ。


「二十四の瞳」(1954)
壺井栄の小説が原作で、原作の小説は、小学生のときに読んだことがあった。木下惠介監督。ゴールデングローブ賞外国語映画賞、ブルーリボン賞作品賞受賞。
瀬戸内小豆島が舞台。戦前から戦後にかけて、分教場に赴任したハイカラな女教師と瀬戸内の12人の生徒たちが、戦争によって運命を翻弄されていく反戦映画。前半の子役たちがのびのびとして良いが、だからこそひとり子どもたちが家庭のために、貧困のために、学校に通えなくなり、また、おなご先生自身も、夫が戦死し、母親と娘が亡くなる。

賛美歌312番の友なるイエスはの音楽や、仰げば尊しなどの曲が悲しい。


「喜びも悲しみも幾年月」(1957)
佐田啓二との共演。木下惠介監督。
160分、と長めの二部構成。
昭和7年、佐田啓二演ずる有沢と高峰秀子演ずるきよ子夫婦は、灯台守として赴任し、以降、灯台守として日本全国勤務するとともに歴史の渦にのみこまれていった。全国ロケが壮大な映画。極寒地や島などで大雪の季節などにもロケを敢行。全国行脚。グーグルマップなどがない時代、観客は映画で、全国行脚した気持ちになったのだろう。
灯台守という仕事があるのを初めて知った。
高峰秀子は素朴で温かい良妻賢母を演ずる。

「娘・妻・母」(1960)
原節子、淡路恵子、上原謙、宝田明、仲代達矢、草笛光子、森雅之、杉村春子、笠智衆らと共演。成瀬巳喜男監督。
豪華なスター共演作品。
こちらは原節子が主役の作品だろう。
草笛光子の若い頃の映画作品は見たことがなかったが、あまり今と印象が変わらないから驚いた。
原節子が、引退より3年前なため、中年の感じだった。モノクロ作品よりカラーは、かなり彫りが深い顔立ちにみえる。華やかな美しさである。出戻りの長女役。
高峰秀子は地味な主婦役で、長男の妻。
原節子演ずる早苗が、百万円持っていると知り、長男の子どもや、長男の森雅之、次女の草笛らがたかるのが、いらっとした。
早苗と仲代達矢演ずる黒木がデートするのは上野の国立西洋美術館だ。原節子にキスシーンがあるとは、知らなかった。黒木のことが早苗は好きなのに、お見合いを進められてしまい、年上の上原謙演ずる京都の男性との再婚を決断するのが、昭和の時代というべきだろうか。
次女が姑と暮らしたくなくて、姑に家を出るというと、逆に杉村春子演ずる姑が自分で老人ホーム行ってしまうのだが、老人ホームが楽しそうだった。
長男の取引先が倒産し、自宅の家を抵当に入れていたため、家族の崩壊につながる。母親の扶養問題をあけすけに話す三女たちが下世話だった。長男の妻で嫁の高峰秀子は、最後は母親をひきとることを決意する。

昭和35年の東宝ナンバーワンヒット作品だがスターをたくさん出しているのに、話の筋がお金絡みの、現実的な家庭の崩壊の話なため、スターの持ち腐れな感じがしないでもなかった。

かわいくあでやかな娘役の岩下志麻、したたかな悪女役の若尾文子に続いて観た、高峰秀子は、聡明さや革新を感じる女優だった。
昔の日本映画はいま観てもとても新鮮である。今年も古い日本映画をたくさん観たいと思った。
清水 伸子さん (8ixz4w01)2023/1/16 12:44削除
*ストーリー
 マレーシアのとある高校で音楽コンクール「タレンタイム」が開催されることになり、希望者の中から7名が選ばれる。その一人でピアノが上手なムルーは、彼女をバイクで送迎する役目になったマヘシュに「ありがとう」と言っても無視されて腹を立てるが、彼が聴覚障害を持っていると知って誤解が解け、互いに惹かれ合っていく。あくまでもプラトニックなその初恋は叙情的で美しい。しかし民族も宗教も異なる家庭で育っている二人の前には、そのことが壁となって立ちはだかる。また二胡を演奏する優等生のカーホウは、成績学年トップの座を転校生のハフィズに奪われておもしろくない。一方ハフィズは成績優秀な上に歌もギターも上手いが、父親がいないうえに女手一つで育ててくれた母親は癌で入院し、亡くなってしまう。
 そしていよいよ「タランタイム」開催の日がやって来る。

*感想
 この映画はアジアの宝物と称されたという(私は知らなかった)ヤスミン・アマハドという女性監督の遺作であり最高傑作とも言われているらしい。マレーシアの映画を観た事もなかったため、とても興味深かった。日本とはずいぶん異なる多民族国家ゆえの複雑な背景があり、理解しづらいと感じる面もあったし、母子家庭の上に母親が癌で入院しているハフィズは経済的、そして生活面でも大変な状況にあると考えられるのに、映画の中では描かれていないのが疑問として残った。けれど、効果的に挿入されるクラシッ曲やムルーのピアノ、カーホウの二胡、ハフィズの歌などの音楽や登場人物の瑞々しい心情を映し出す映像が本当に美しくて印象に残り文化的な側面を知る事とも合わせて観る価値のある作品だと思った。
清水 伸子さん (8ixz4w01)2023/1/16 12:52削除
すみません、上の清水の投稿はマレーシア映画「タランタイム」に関するものです。肝心な部分が抜けていました。
石野夏実さん (8gx8dwqr)2023/1/19 19:40削除
2020年日本公開レオン・レ監督ベトナム映画「ソン・ランの響き」
2023.1.19 石野夏実

 昨秋、あるきっかけで香港と中国の戦後映画の歴史に興味を持ち始めたのであるが、アマプラやネトフリで30年ほど前の香港ニューウエーヴあるいは中国第5世代系映画を鑑賞することはとても困難であった。
そのため、興味あるそれらの映画のDVDを何本か入手し、他の動画配信サイトにも入会して視聴した。
 興味深い映画群ではあるが「文横映画好きの会」の課題映画には指定しにくいので、整理と理解が進み上手くまとめることができたならば、次号文横55号の原稿にしようかとも思うようになった。
 このような時、たまたまアマゾンプライムで偶然にベトナム映画「ソン・ランの響き」を見つけて鑑賞した。
こちらは京劇にも似たベトナムの伝統歌劇「カイルオン」の話である。「さらばわが愛~覇王別姫」にも似ているという話もあるが、私は違うと思う。核に京劇とカイルオンがあるからだろうが。。。
 とても琴線に触れた映画であったので以下、内容と感想を投稿することにしました。東南アジア独特のくすんだ暗いオレンジ色の映像光景と街並みは最高です。
 
 中国とベトナムは1400キロにも及ぶ国境を接している。フランスの植民地になるはるか以前は、1000年近く中国の歴代王朝の管理下(北属)にあった。したがって、文化が大きく影響を受けているのは当然のことであろう。  
 この映画の時代背景はベトナム戦争後の1980年代であるが、制作されたのは数年前の2018年、日本公開は2020年である。
 私自身「青いパパイヤの香り」〈日本公開1994年、時代設定は1951年)以外ベトナム映画は観たことがなかったので、この「ソン・ランの響き」はたいへん新鮮であった。
監督はレオン・レ。原作はなく、すべて脚本もオリジナル。これが彼の鮮烈なデビュー作である。伝統大衆歌劇「カイルオン」が大好きで絶やしたくないとの思い入れが強い作品であるとのことだ。
 主人公は、非情な借金の取り立て屋で「雷の兄貴」と呼ばれる一人暮らしの孤独な若者ユン。共演は、「カイルオン」の花形役者フンである。
※二人の俳優はとても役にぴったりで、ファンになってしまうほどだった。やはり役者は、目が命だ。
 設定は1980年代のサイゴン(ホーチミン市)。主人公は家に帰ればファミコンでゲームを楽しんでいるし、借金の取り立てに行ったレンタルビデオとゲームの店で新しいゲームを買ったりする場面もあり、時代はベトナム戦争後の下町庶民の様子を伝える。
 さて題名にもなっている「ソン・ラン」とは、「カイルオン」のリズムを取るため小さな木魚の様なものと、それを叩く同じくもっと小さな道具を付けたものとを一体型にし、足で踏んで打つ楽器だ。手の上に乗るほど小ぶりだ。
 映画はお寺でソンランを手にしたユンの独り言から始まる。
「父(ユンは父がカイルオンの奏者、母は女優)がよく言ってた。ソンランはただの楽器ではない。音楽の神を宿し奏者と演者にテンポを与えながら人生のリズムを刻みつつ芸術家の品性を導いていくのだと。だが俺の人生はその懐かしい響きから久しく遠ざかっている」この場面は最後近くのシーンで、取り立て屋を止め、フンの劇場に行く前に父親の遺影を預けお参りした寺の光景だった。
 ユンの取り立ては厳しい。ある日地方巡業から戻ってきたカイルオンの劇団に取り立てに行った。返せないならと、ユンは衣装にガソリンを撒き始めた。止めに入った劇団の若き花形男優フン。反目し合う場面から接点が始まる。
 ユンは、切符を買いフンの舞台「ミーチャウとチョン・トゥーイ」を観る。幼い頃、舞台裏で走り回っていた自分を回顧する。父は奏者、母は主演女優だったのだ。
 翌晩、フンは食堂で男たちに絡まれ喧嘩になっている時、居合わせたユンに助けられユンの家で目を覚ました。フンは自宅の鍵も失くし、すでにその時間は舞台の終演時間であった。無断で休むことになってしまったフン。
 最初はぎこちないふたりであったが、ファミコンで遊んで垣根は外れた。
相手に対しユンは「お前」、フンは「君(きみ)」と呼ぶ。
もう一勝負しようといった時、停電になった。仲良く夜食を食べに行った屋台で流しの歌の歌詞に心打たれるフンであった。自分の過去を語ることで、ふたりはひと晩にして深いところで理解し合い繋がり合う友となった。どちらかというと、ユンは聞き手だ。
 プロデューサーは映画を売るためにBLとして描かせようとしたが、監督は強く拒みそのような箇所はひとつもなかった。見つめ合う場面はあったような。。
その夜、ユンのお気に入りの場所、アパートの屋上で夜空を見ながらふたりの会話。一番気に入った箇所をひとつ紹介する。
フン「タイムトラベルは可能と思う?タイムトラベルは3つのやり方が可能だと思う。人と物と場所を通して」
ユン「つまり?」
フン「例えば、誰かに会ったりどこかに行ったり、何かを見たりすると、その時の記憶が過去に引き戻す。タイムトラベルだ」
その時、停電が終わり街に灯が戻った。しかし、すでにかなり真夜中だ。

その前はというと、フンが喧嘩で倒れユンの部屋で目覚めたのが夜の10時半。それからふたりは、ファミコンをし停電になり、屋台でフォーを食べ弾き語りを聞き、ゆっくり歩いて部屋に戻る時、道路で子どもたちはまだ缶倒しで遊んでいて、いったい何時まで外で遊んでいるのだろうと思ったほどだった。

ふたりは明かりのついたユンの部屋に戻り、フンがユンの愛読書(フンも幼い時よく読んだ「象の話」)のページを繰るとユンの父親が遺した歌詞が一枚出てきた。ユンは最初その紙を取り上げたが、すぐに渡し直し即興で歌ってくれとフンに頼む。
フンは伴奏がないと歌えないという。ユンは父親の形見の二胡(ベトナム楽器ダン・ニー)を取り出し見事に伴奏をつける。歌い終わりフンは「君の腕を知ったら団長がスカウトするよ」という。
書き始めたら、どんどん細部まで書きたくなってしまうほど、この映画は少ないながらも精鋭された言葉と映像で成り立つ。
朝になり、フンは言う「今夜、団長の前で演奏を」
ユン「なぜ?」 
フン「才能がある」

ユンはやくざな取り立て屋から足を洗い、生き直す決心をした。
部屋の電気製品を売り、現金もおろし、自分の取り立てのせいで母娘心中をした一家の病院に駆け付けたが3人は亡くなった。この子たちとの生前の触れ合いも少し前半で描かれている。子どもに全く罪はない。病院にいた父親に姿を見られた。彼らの借金を肩代わりして元締めばあさんに支払ってきたことを父親は知らない。
形見の二胡を背中にユンは約束の劇場の前で美しいフンの看板を見上げていた。そして後ろから刺され血が流れ。。。
舞台では、事件を知らないフンが、いつもと違う情感のこもった演技をしていた。

以前、師匠はフンに言った。
「お前のテクニックは素晴らしい。ただ心が欠けている。だから感動しない。恋をしろ。失恋しろ。いい役者になれるぞ」

ユンと出会って過ごしたほんのひと晩。知り合ってからの3日間。フンは生涯忘れることはないだろう。タイムトラベルで何度も何度もあの日あの時、あの場所で、君と呼んだユンと過ごした愛しい時間を思い出すだろう。
阿王 陽子さん (8kvydqc8)2023/2/26 18:48削除
「夜の河」を観て  阿王陽子 

「夜の河」(大映・1956年・カラー)は京都のろうけつ染めを家業にする女性、きわの不倫の恋がテーマである。音楽は池野成で、不安感や罪悪感を感じさせる不穏な音楽である。

山本富士子が着る着物す型がとても素敵である。

また、山本富士子が眩しいばかりの美しさである。豊かな頬、高い鼻、聡明そうな額、キリリとした目元、甘い声と、揃っていて、当時としては大柄な身長(159センチ)が、インパクトがある。また京都弁がとてもうまくかわいらしい。 

上原謙演ずる竹村がきわが染めたネクタイをしていることで、きわが染めた同柄のバッグを見て、縁を感じ、独身のきわは竹村が既婚者で娘もいるのに、ときめきを覚える。そして、段階を経て、許されざる関係に発展する。

上原謙は色男の役が似合う。それも女をだめにする浮遊する役が似合う。妻子がありながら、きわと関係するが、きわが「もし子どもができたら」と言い出すと、竹村はつれない素振りをする。ひどい男である。

赤いハエのろうけつ染めから、赤い宿屋の照明、恋の芽生えと背徳感が漂っている。また、竹村の娘が、手に取る図鑑に載っている赤い彼岸花、ラストのメーデーの旗も情念と情熱を感じる。

今は見慣れてしまったが、キスシーンや、風呂のシーンが色っぽかった。

主人公を崇拝する画学生から「僕のベアトリーチェ」と言われるのが凄いと思った。ベアトリーチェは、ダンテ「神曲」の恋人である。

崖のシーンは、サスペンスかと感じた。竹村は「あんなに寝ていると諦めをかんじる、もう少しで終わりだ」と、具合の悪い妻の死を待っているかのようであり、きわは、「もう少しとはなんどす?」と、竹村から離れる。
竹村の妻が亡くなったことを手紙で知らされる。きわは葬儀に参列し、花を送るが、罪悪感でいっぱいになる。

最後はきわは竹村と別れる覚悟を決める。竹村の人間性の卑劣さを責めるのである。
竹村がきわが染めた、緑のネクタイをパラッとはずすところが印象的だった。

青い藍染めがラスト、印象的で、藍色と赤色(メーデー)の旗と、きわの迷っているような表情が大きく映し出された。

今から67年前の作品であるが、ろうけつのシーンなどとても興味深く楽しめた。父親約の東野英治郎がいい味を出している。

103分、飽きることなく楽しめた作品であった。
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管理者さん (8fzsc460)2022/8/29 08:30 (No.520580)削除
課題映画、第12回文横映画好きの集い(新作)(2022年11月20日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
管理者さん (8g3zs2tf)2022/9/1 07:02削除
ムーンライト(2017) 監督:バリー・ジェンキンス
以降、幹事のテーマを記載後、皆様の書き込みをお願いします。
石野夏実さん (8fzsc460)2022/10/6 08:45削除
私が大好きな映画「ラ・ラ・ランド」がアカデミー賞の作品賞を獲れなかったのは、実はこの「ムーンライト」が作品賞を受賞したからだったということもあまり知らなかった。
話題作を観るのは好きなほうではあるが、この作品は何故だか観ることもなく今日まで来ていた。そして内容もほとんど知らなかった。
 ところがである。。。観始めて一気にこの映画の世界に入り込んだ。
 最初のカメラの動きがサークルショットで、被写体の周りをぐるぐる回り、すぐに観客をトリコにする。もちろん、このような撮り方の映画は、過去にいくつもあるのだろうけれど、ダラダラした映画じゃあないよという告知のようなものだと感じた。この映画ができるまでの拾い↓Wiki+追記
 2016年、バリー・ジェンキンスは、(原案者)タレル・アルバン・マクレイニーと脚本を共著し、8年ぶりの新作映画『ムーンライト』を監督した。映画はマクレイニー・ジェンキンス双方の出身地だったマイアミのリバティ・シティで撮影され、2016年9月にテルライド映画祭で初上映されると、批評家に絶賛され、様々な映画賞を受賞した。『ニューヨークタイムズ』のA、O、スコットは「ムーンンライト」は黒人の身体の気高さ、美しさ、脆さ、そして黒人の生命の存在・肉体的問題を強調している」と述べた。『バラエティ』誌では、「 (サウスフロリダでの幼少期を活き活きと描いたバリー・ジェンキンスの描写は、彼の人生における3つのステージを再考するもので、現在のアフリカ系アメリカ人の経験について豊かな洞察を提供してくる」と書かれた。『アトランティック』誌のデイヴィッド・シムズは、「他の偉大な映画と同じように、『ムーンライト』は明確かつ徹底的だ。アイデンティティに関する物語だ——登場人物について考えたことを、観客によく考えるようにも求める、聡明で骨の折れる仕事でもある」と述べた。
 作品は多くの映画賞を受賞し、その中にはゴールデングローブ賞 映画部門 作品賞 (ドラマ部門)や、アカデミー作品賞も含まれている。ジェンキンス・マクレイニーはアカデミー脚色賞も受賞したほか、第89回アカデミー賞ではアカデミー監督賞を含めた8部門にノミネートを受けた。

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あらすじ
 この映画はシャロンというアフリカ系黒人の ①<リトル>と呼ばれていた少年期 ②<シャロン>本名でのティーンエジャー期 ③<ブラック>と呼ばれる大人になったシャロン=の3部作で成っている。インパクトが強いこの映画のポスターは、3つの時期の顔の合成だ。また、それぞれの部の会話の中で、心に響く言葉が出てくる。
舞台はマイアミの黒人たちが多く住むリバティシティと呼ばれる危険な地域。

①大人しく内気な少年シャロンは、いつものように下校時にいじめっ子たちに追いかけられ、一目散に廃屋に逃げ込んだ。その様子を見ていたファンと呼ばれる麻薬のディーラー(仲買人)は、シャロンを恋人テレサと暮らす家に連れて帰り食事をさせ話をしようとするが、名前しか言わない。ひと晩泊めて自宅に送り、母親のポーラに引き渡す。シャロンのことをファンはとてもかわいがりシャロンも徐々に心を開いていく。マイアミだからビーチが近い。ファンはシャロンを海に連れて行き泳ぎ方を教える。ファンに抱えられたシャロンはまるで赤ちゃんのようだ。ファンはシャロンに言う「自分の将来のことは自分で決めろ。他の誰にも決めさせるな」と。学校でひとりだけシャロンを気にかけ話しかけてくれる友達がいる。名前はケヴィンだ。ケヴィンは、体はそれほど大きくないが運動能力もあり喧嘩も強そうだ。

②高校生になったャロン。まだいじめられている。母親は麻薬中毒がひどくなっている。居場所のないシャロンは、ファンが死んでしまったテレサの家へ行き優しく迎えられる。※何故ファンが死んだのかは、映画の中では語られていない。執拗にシャロンをいじめるレゲエ髪の同級生がいる。学校帰りにまたいじめられ電車に乗ってビーチに行く。砂浜にいるとケヴィンが現れる。夜の海を見ながらのふたりの会話。ケヴィンは目をつむり言う「潮風が気持ちいい。気持ちよくて泣きたくなるだろ?」
シャロン「泣くの?」
ケヴィン「いや泣きたいだけ。おまえは何に泣く?」
シャロン「泣きすぎて自分が水滴になりそうだ」
ケヴィン「海に飛び込みたいか?この辺の連中は海でかなしみを紛らす」
ふたりの心は通じ合いキスをする・・・
翌日、レゲエ髪のいじめ同級生がケヴィンにシャロンを殴るよう言い渡す。
ケヴィンのパンチはシャロンを倒す。起き上がらなけらばすぐ終わるから起きるなというケヴィンの言葉がシャロンには届かない。シャロンは殴られても起き上がる。ボコボコだ。シャロンは決意した。翌日学校でレゲエ髪を椅子でぶちのめし警察に逮捕された。

③大人になったシャロンは「ブラック」と呼ばれている。大好きだったファンと同じような車に乗り、頭にはピチッとした黒布の海賊巻き、仕事も麻薬のディーラーだ。体を鍛えグリルの金歯を装着し強さを誇張している。ある日、ケヴィンから電話が入る。テレサから電話番号を聞いてかけていると。故郷を出てかなりの年月がたっていた。先ず施設で暮らす母に会いに行き和解する。その足でダイナーで料理人(オーナー?店長?)として働いているケヴィンに会う。あの弱々しかったシャロンが頑強な大男になっていた。シャロンに似た客がかけたジュークボックスの音楽でシャロンを思い出したと言って電話してきたケヴィン。その曲名はバーバラ・ルイスの「ハロー・ストレンジャー」だ。
※歌詞=ハロ~懐かしい恋人 嬉しいわ帰ってきたのね 何年ぶりかしら 最後に会ったのは 遥か遠い昔 とても嬉しい あなたが顔を見せてくれて あの頃が懐かしい~♪
ケヴィン手作りのお薦めの特製を食べ(キャビアてんこ盛り)ワインを何本も明け、閉店の戸締りをしてバスで帰るというケヴィンを車で家まで送っていき、家に入り最後はふたりで仲良く寄り添い終わる。ラストの絵は、少年時代の幼いシャロンがブルーの月明りの海辺でこちらを振り返る姿だ。

 登場人物が全員、黒人だった。一番印象に残るのは少年時代のシャロンだ。悲しみを湛えながらも冷静さも併せ持つ凝視する大きな目と何も発しない太い唇。
ファン役のマハーシャラ・アリはこの作品でアカデミー賞助演男優賞を獲得。2年後にもういちど「グリーンブック」で同賞を授賞している。今一番注目されている俳優だ。とてもいい目をしている。ブラックと呼ばれる大人になってからのシャロンを演じたトレヴァンテ・ローズも目がいい。母親ポーラ役のナオミ・ハリスもテレサ役のジャネール・モネイもよかった。

 誰が誰を愛しても私は驚かないし、個人の意思を尊重する。恋愛だけでなく男とか女とかに分ける必要がない仕事も事柄も多い。この映画をひとりでも多くの人が観るといいと思う。麻薬を売らなければ生活できない人が減るように、麻薬の中毒になる人が減るようにと願わずにはいられない。シェフになってちゃんと生活しているケヴィンは偉いと思った。

テーマ:①この映画を観て何を一番感じましたか。テーマは何だと思いますか。
    ②ファンは、どうしてシャロンを大切にするのでしょうか。
    ③気に入った俳優はいましたか。
遠藤大志さん (8fzsc460)2022/10/6 08:50削除
ムーンライトを観た。
 『ムーンライト』は、2016年に公開されたアメリカ合衆国のドラマ映画。タレル・アルヴィン・マクレイニーによる "In Moonlight Black Boys Look Blue" を原案としており、監督はバリー・ジェンキンスが務めた。出演者は、トレヴァンテ・ローズ、アンドレ・ホランド、ジャネール・モネイ、アシュトン・サンダース、ナオミ・ハリス、マハーシャラ・アリほか。

 第74回ゴールデングローブ賞では映画部門 作品賞 (ドラマ部門)を獲得したほか、5部門にノミネートされた。同年の第89回アカデミー賞では8部門でノミネートを受け、作品賞、助演男優賞(マハーシャラ・アリ)、脚色賞を受賞している。

1. リトル
 シャロン(アレックス・ヒバート)は、「リトル」という渾名を付けられた、恥ずかしがり屋で引っ込み思案の男の子である。彼はいじめっ子たちから隠れているところを、キューバ人のクラック・コカイン売人であるフアン(マハーシャラ・アリ)に見つけられ、フアンはシャロンを、自分とガールフレンドのテレサ(ジャネール・モネイ)が暮らす家へ連れて行く。夕食と一夜の宿を許された後、シャロンは心を開くようになる。翌朝フアンは、感情的で虐待する母ポーラ(ナオミ・ハリス)の元へシャロンを送り返す。
 シャロンには、クラスメートのケヴィン(ジェイデン・パイナー)しか友人がいない。シャロンはフアンと多くの時間を共に過ごすようになり、彼から泳ぎと、人生は自分で切り開かなくてはならないのだということを教えられる。ある夜フアンは、自分の顧客のひとりが、ポーラと車中でクラック・コカインを吸っていることに気付く。翌朝シャロンは、テレサとフアンに、母に対する憎悪があることを認める。母に薬物を売っていたフアンと揉めたシャロンはその場を立ち去り、フアンは恥ずかしさからうなだれる。
2. シャロン
 ティーンエイジャーとなったシャロン(アシュトン・サンダース)は、ケヴィン(ジャレル・ジェローム)と仲良くしているものの、テレル(パトリック・デシル)のグループにいじめられる毎日を送っている。母ポーラはその後薬物依存に陥り、ヤク代に困って売春婦として働いている。フアンは亡くなったものの、テレサはシャロンに食事の世話などの交流を続けている。ポーラはテレサがシャロンへ渡した金すら自分に寄越すよう迫る始末だった。
 ある夜シャロンは、ケヴィンが裏庭で女性と性行為をしている夢を見る。別の夜、ケヴィンはシャロンを訪ねて、彼の家近くにあるビーチを訪れる。ブラントでマリファナを吸いつつ、ふたりは人生の野望を語り合う。麻薬で酔った後、ふたりはキスを交わし、ケヴィンはシャロンに手淫を行う。
 翌朝、テレルはケヴィンにいじめの儀式に参加してシャロンを殴るよう命令し、ケヴィンはいやいやこれに従う。シャロンは崩れ落ちるのを拒み、ケヴィンは彼を何回も殴りつけることになる。シャロンが立ち上がれなくなったところで、テレルや取り巻きが彼を囲み踏みつけ、蹴り始めるが、警備員が現れて彼らは逃げ出す。ソーシャル・ワーカーと面談したシャロンは、暴行された相手の素性を話すよう求められるが、シャロンは名前を告げても何の解決にもならないと考える。翌日登校したシャロンは、教室で無防備なテレルの背中を椅子で殴りつける。シャロンは逮捕されるが、パトカーに乗せられる時、彼はそばに立っているケヴィンを睨み付ける。
3. ブラック
 大人になったシャロン(トレヴァンテ・ローズ)は、アトランタで薬物の売人として暮らしており、「ブラック」との通り名で知られている。少年院を出て薬物の売人を始めてから引っ越したシャロンは、かつてのフアンと同様の人生を送っている。シャロンの元には、ポーラから頻繁に家に帰るよう求める電話がかかってくる。ある夜、彼はケヴィン(アンドレ・ホランド)から電話を受け、自分が食堂で働いているマイアミを訪ねてほしいこと、そしてティーンエイジャーの時の行動を謝罪したいことを伝えられる。翌朝目覚めたシャロンは、自分が夢精していたことに気付く。その後、彼は薬物治療施設に住む母ポーラの元を訪ねる。母は売人を辞めるようシャロンを諭すも、シャロンは母に対し今まで溜まっていた思いを吐露し、母もまた今までの行いを後悔する。
 シャロンは、マイアミでケヴィンと再会したが、飲み交わしながら話す気にはなれない。一方のケヴィンも、シャロンの現在の風貌や、彼に会いたいという動機に驚かされる。レストランのジュークボックスでバーバラ・ルイスの「ハロー・ストレンジャー」を聴いたふたりはケヴィンの家へ向かう。ケヴィンは、自分の思うような道でなくても、自分の人生は幸せなものだと打ち明ける。そんなケヴィンに、男性はおろか、親密な関係になった人物はケヴィン以来、誰もいなかったことをシャロンは明かす。直後ふたりは和解し、ケヴィンはシャロンを優しく抱きしめる。フラッシュバックで、少年時代のシャロンは、月明かりの海辺で遊んでいる。

 本映画、第12回文横映画好きの集いの新作映画のテーマということで、早速観てみた。
 黒人社会の貧困、麻薬、LGBTなど様々な現代の問題が盛り込まれている。
製作総指揮がブラッド・ピットということで、その点も驚かされた。
 物語は、主人公のシャロンの幼少期から大人になるまでの20年から25年間の成長記録である。
 シャロンは幼少の頃から細身の体で、その態度が女々しいということで「ゲイ」だといじめられている。その為か言葉数も少なく、母親しか頼る人間がいない。母親はその貧しさからなのか、寂しさからなのか、やがてドラッグに頼るようになる。
 そんな時にシャロンに手を差し伸べたのがフアンとテレサだった。そんなフアンもまたドラッグの売人である。
 シャロンには、唯一クラスにケヴィンという友人がいる。
 やがて中学、高校生になったシャロンは自らのLGBTを自覚していく。
ケヴィンはそんなシャロンを理解する。しかしいじめの片棒を担いだことにより、シャロンを殴りつける。
 それが原因でシャロンはいじめの張本人にケガを負わせ、少年院に入ることになる。
そこから月日が10~15年の月日が流れる。
 シャロンは自らの体を鍛え上げ、シマを仕切るドラッグの売人になり、金持ちにのし上げっていた。そんなシャロンの元にケヴィンが電話してきて、昔のことを詫びたいと言う。
再会し、旧交を温めつつもシャロンがドラッグの売人になっていたことに、ケヴィンは友人として非難する。
だがそうなった理由も理解し再び抱きしめる。
 黒人部落での貧困、ドラッグに身を預け、売人なるという悪循環が上手く描けていると思う。
 しかし、ここまで貧弱で心根の優しいゲイのシャロンがシマを仕切る売人になりえるだろうか? そんな思いが最後まで残った。もう一つ注文を付けるならば、様々な闇の部分を詰め込み過ぎた感があり、焦点が定め切れていないというもどかしさが残った。
 とはいえ、淡々と進むストーリーに退屈な思いを感じる時間もあったが、観終ると黒人社会の貧困と社会を生き抜く強さみたいなものを感じ取ることができた。日本がいかに生きやすい国であるかを実感することができる映画である。


1.この映画を観て何を一番感じましたか。テーマは何だと思いますか?
 黒人社会の貧困、麻薬、LGBTなど様々な現代の問題が盛り込まれていますね。貧困から抜け出すには多少の「悪」を行わないとそこから抜け出せないのかもしれない。だからと言って「ヤクの売人」になってしまったらそれこそそこから抜け出せないし、ロクな末路が待っていない。
それを友情、愛情というものが最後の防波堤になる可能性を秘めているというのがこの映画のテーマなのではないでしょうか。

2.ファンは、どうしてシャロンを大切にするのでしょうか?
 自分の貧しくヤク漬けの家族が取り巻いていた幼少時代と重なったからではないでしょうか。

3.気に入った俳優はいましたか?
 フアン役のマハーシャラ・アリですね。
 彼は最後まで関わってくると思われていたが、あっさり前半で姿を消しています。
も少し大人になったシャロンと関わって欲しかったと思います。
阿王 陽子さん (8igugdx7)2022/10/30 17:38削除
ムーンライト、月の光の下だと黒人の黒褐色の肌色が青色に見える、と冒頭のフアンの語りで話されることから、そのムーンライトをタイトルにしたのが絶妙と言わざるを得ない。
1、低下層のなかの愛と友情(ホモセクシュアル)、貧困のなかの光、暗い中の光、暗闇の中の月光、ムーンライト

2、フアンはおそらく、若い頃ポーラと男女関係があったのだろう。もしかしたら、シャロンの父親なのかもしれないと感じた。ポーラがテレサにやたらと関心があるのも嫉妬かもしれない。

3、フアン役のマハーシャラ・アリは味わいのある役者さんで、アカデミー助演男優賞をとったのもうなずける。

また、学生時代役のシャロンを演じたアシュトン・サンダースはとても綺麗な美しいスタイル、顔、そして瞳を持った俳優さんだ。
カルバン・クラインのモデルを2017年に、トレヴァンテ・ローズ、アレックス・ヒバート、マハーシャラ・アリとともにモデルとして出たというが、なかでもアシュトン・サンダースはスラリとしていて美しい。
阿王 陽子さん (8igugdx7)2022/10/30 17:43削除
学生時代役アシュトン・サンダースのカルバンクラインモデル写真をピックアップしました。
藤原さん (8g07wmfj)2022/11/7 21:31削除
1.映画のテーマ
 この映画には様々な要素が含まれている。自分がゲイであることの自覚と男らしく生きることとの葛藤、母親への愛憎、自分を息子のようにかわいがってくれた売人ファンへの憧憬。貧困なシングルマザー家庭に育ったひとりの黒人男性の半生(少年から青年、大人になるまで)を、三部構成でていねいに描いている。

2.ファンはどうしてシャロンを大切にしたか
 「母親を憎んでいる」と言う少年シャロン(リトル)に、ファンが「自分もそうだった。しかし今は(母親が)恋しい」と語るシーンがある。ファンはリトルの中に幼い頃の自分を認め、放って置けなかったのだろう。
 ファンはリトルに人生で重要なことを諭す。「自分の道は自分で決めろ。周りに決めさせるな」そして少年シャロンには不必要とも思える生きるすべを、たとえば敵から不意打ちされない座席の選び方などを教える。これが後の伏線になり、三章でヤクの売人にのし上がった大人のシャロン(ブラック)が、後輩の売人を指導するシーンへと繋がる。

3.俳優
 ファン役のマハーシャラ・アリの存在感はさすが。数年後の『グリーンブック(2018)』では芸術家肌のピアニスト(彼はゲイ)を演じており、俳優としての幅の広さを示している。もうひとりはリトルを演じた子役の少年。内気で無口で感受性が高く、訴えるような瞳の表情が印象的。

4.思い出す映画のシーン
 本作品からは離れるが、昔の米映画では同性愛(男性が多いがときには女性も)をタブー視する傾向がつよく、映画の中で同性愛をほのめかすこと自体が話題になることさえあった。小生が観た映画では、例えばテネシー・ウィリアムズ(彼もゲイといわれる)の戯曲が原作の『熱いトタン屋根の猫(1958)』や『去年の夏突然に(1959)』(ともにエリザベス・テーラー主演)。これらの映画では男の同性愛が裏のテーマとして扱われ、登場人物たちはそれを認めないか、なんとか隠そうとする。
 近年ではLGBTの映像化がオープンになってきており、これはいいことにちがいない。しかし小生が若い頃観た映画ではまだ男同士のシーンは少なく、そういったシーンは小生の中で衝撃的な場面として記憶されている。例えば『スケアクロウ(1973)』の刑務所でアル・パチーノがボスの男に暴行されるシーン。または『ミッドナイト・エクスプレス(1978)』で、主人公がやはり刑務所(トルコ)内のシャワー室で囚人仲間の男と抱き合うシーン、など。
 小生には古い先入観が残っているのか、いまだに男性同士のシーンを平静に直視できないところがある。本作を最初に観たとき(数年前)は、高校生のシャロンと同級生ケヴィンの海辺シーンがちょっときつかった。ただ今回は2回目で物語の展開もわかっていたので、わりと冷静に映画の細部まで鑑賞できた。

5.ボディビルに熱中する男たち
 自分をゲイと自覚したひ弱な青年が、大人になってからボディビルディングにより自分の身体を鍛えあげ、筋肉の鎧をかぶって精一杯外面を武装し、強面(こわもて)として生きる。このシャロンの姿は、どことなく三島由紀夫を連想させる。三島も青少年期に自分の同性愛的傾向を自覚し(「仮面の告白」)、ある時期からボディビルによって自らの肉体を人工的に造形し始める。そして思想的にも葉隠のような武士道や天皇中心の国家観(これも一種の精神的武装だろう)へと傾斜を強めていく。
 小生が通うスポーツクラブにも、不必要なほどに筋肉を鍛えている男性たちがいる(ときには女性も)。余計なせんさくだが、ボディビルに熱中する人間の心理には、何か共通する願望があるのだろうか。(これも小生の偏見かもしれないが)
清水 伸子さん (8ixz4w01)2022/11/11 15:56削除
見終わった後しばらく余韻に浸っていました。いい映画ですね。

①この作品のテーマ
シャロンの育った環境、そして持って生まれたゲイとしての資質によって、彼は幼い時から厳しい状況の中で育つ。けれどもなぜか父親のように生き抜くすべを教えてくれたフアンとフアンの彼女で優しいテレサの存在があり、唯一の友人であり恋人?であったケビンの存在もある。しかしフアンは死にケビンには殴られて裏切られたように感じシャロンは一度絶望したのではないかと思う。いじめの張本人を椅子で殴り少年院に送られ、そこでシャロンは生まれ変わったようにひたすら体を鍛えタフな売人としてのし上がっていく。けれど久しぶりに故郷を訪ね、長年恨み続けてきた母が麻薬を断ち、心からの謝罪と、お前が愛してくれなくても私は愛していると告げられる。そして再会したケビンからも謝罪され、真っ当に生きている様子を目の当たりにし、ケビンがかけた曲によって彼もシャロンの事を大事に思い続けてきたことを知る。その時、長年タフ外見の鎧で守り固めてきたシャロンの心の底にある柔らかい心が涙と共に溶け出していくのだ。どんな過酷な状況の中でも、人が人に向ける優しさや愛情は暗闇に差し込む月明りのようだと感じ、それがテーマではないかと思います。

②フアンはなぜシャロンを大切にするのでしょう
いじめられて怯え、自分の殻に閉じこもって容易に心を開かないシャロンは自分の幼い頃を思い出させたのではないかと思います。幼い日の自分にしてほしかったこと、伝えてあげたかったことをシャロンにしてあげたのかなと思いました。

③気に入った俳優はいましたか
シャロンの幼い頃…リトルを演じた子(アレックス・ヒバート)が印象的でした。フアン役のマハーシャラ・アリも魅力的です。
藤野茂樹さん (8j4tkzsk)2022/11/16 10:55削除
ムーンライト 感想
2016年アメリカ映画

国が違うと映画はこんなに違うという代表例。麻薬やゲイを扱った映画も日本ではほんの少ししかシーンとして扱われず、麻薬は単純な悪として、ゲイは生きづらさとして登場する。
このムーンライトではヤクは日常の問題で、生きていくために売人になったり、ヤク欲しさに売春したり、その世界のすさんだ母子家庭を取り上げ、そこで育ったゲイの少年の20年(?)を描いている。
アメリカでは黒人の地位は極端に低く、そこで生まれた人は収入が低いから満足な教育を受けられず、したがっていい仕事にもつけない。悪循環。たぶんどこで生まれたかが就職にも影響すると思われる。なので、そこで生まれた人が生きていくために、ヤクの売人に、あるいは売春に走るのも理解できる。
このすさんだスラムの一母子家庭を取り上げて物語が進行するのだが、何かイライラするものがある。この母子家庭にカウンセラーはいないのかとか麻薬捜査班はいないのかなどである。日本と違って隅々まで麻薬に侵された国では到底追いつかないらしく、放置されている。忸怩たる思いを抱えて観ていく。
LGBTについては理解不足で的外れかもしれないが、発見はあって「シャロンとケヴィンに清純な思い出」があるということです。「清純」という言葉は適切でないかもしれないが、自分にはLGBTを見下ろす感覚があって、「どうせあちこちいろいろと関係がるのだろう」ぐらいに見ていたら、「1回だけの触れ合いを忘れない」というような部分があって、はっとするシーンでした。今どきの男女よりはるかに清純でした。
また終わりが、大人になって、立派な仕事について成功しましたではなく、まだその世界で生きていますとなっている。しかし、ケヴィンのことは忘れていませんといったささやかな救いを残してしている。

1.テーマは何か? 貧困と犯罪の連鎖から這い上がれない母子家庭。
2.ファンはどうしてシャロンを大切にするのか?
 貧困の連鎖から立ち上がれないシャロンに同情している。自分もそうだったから。同時にたくましく生きる方法も伝授している。
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管理者さん (8fzsc460)2022/8/29 08:29 (No.520578)削除
課題映画、第12回文横映画好きの集い(旧作)(2022年11月20日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
藤野茂樹さん (8fzsc460)2022/10/6 08:57削除
討議テーマ

*最も瞼に残ったシーンはどこですか?
*同性愛的な印象をどこで感じますか?
*青春群像として納得できますか?
阿王 陽子さん (8igugdx7)2022/10/30 16:13削除
美しい女性、飛行機、鉄を使ったアート、ギャラリー、レーシングカー、カジノ、そして美男。パリのおしゃれで当時の新しい映画は今見てもとてもモダン。
1、廃棄された車の鉄くずを使った、レティシアの「顔」のガスバーナーアートシーン。
今見ても斬新。
この「顔」はまるで早逝の画家モディリアーニの描いた女性の顔みたい。パリらしいエスプリきいた演出。
2、同性愛的な要素は感じられず、友情を感じた。
3、青春群像劇とは感じなかった。それぞれが、アート、レース、飛行機と、世界を持っているので、非常にオシャレな映画だと感じた。
石野夏実さん (8gx8dwqr)2022/11/9 17:47削除
11月旧作課題映画「冒険者たち」〈1967年フランス映画)感想
             2022.11.9  石野夏実

若い男性や男のコたちはジョアンナ・シムカス(レティシア役1943~)、女性たちはアラン・ドロン(マヌー役1935~)、中年はリノ・ヴァンチュラ(ローラン役1919~)が目当てで観たであろう今から55年前のフランス映画。
3人はそれぞれが自分の夢の実現のために生きていた。ローランは新型レーシングカーエンジンの開発に夢中の(元?)エンジニアで中古車の解体業者(?)。マヌーは凱旋門の低空飛行に挑戦する飛行クラブのパイロット。レティシアは廃材を使って表現する新進前衛アーティスト。廃材集めのレティシアがローランと知り合い、ローランとマヌーは前から仲が良く、繋がった3人はすぐに親しくなっていった。
しかしローランは新作エンジンが爆発するし、マヌーは凱旋門通過の依頼者に騙されパイロットライセンスが永久停止になった。
レティシアは、個展が新聞に酷評されふたりの所へ泣きながら戻ってきた。三者三様のツイてない人生を抱えていた。
マヌーとローランは、凱旋門をくぐる低空飛行の罠でマヌーを引っ掛けた遊び人たちのひとりを叩きのめし、捕まえてコンゴの海に眠る財宝の話を聞きだした。ふたりは、もはや財宝探しに賭けるしかなかった。
ローランは落ち込んでいるレティシアにも「気分転換に旅行に行こう」と誘った。今までは、一人一人の冒険だったが、これからは同じ夢に向かっての「冒険者たち」となった。
行先は5億フランの財宝が眠るコンゴの海。
財宝は見つかったが、財宝のありかを知っていて新たに仲間に加わった男(財宝を乗せた墜落飛行機のパイロット)を追う悪人たちの襲撃によって、レティシアは船上で死んでしまった。結局そのパイロットだった男も殺され、大金を手にしたローランとマヌーは悪人たちにしつこく命を狙われた。
レティシアから大金が手に入ったら故郷の無人島を買いたいという夢を聞いていたローランは、その島を手に入れた。その無人島を舞台に、最後の銃撃戦が始まりマヌーも命を落とす。
ローランが投げる柄付き手榴弾で悪人たちは全員死亡、ひとりローランだけが生き残った。最後に海に浮かぶ要塞だった無人島とローランを映すカメラは要塞全景の空からの旋回ショットでエンドロール。
ふたりに愛されたレティシア、3人の絶妙な友情はレティシアがふたりを信頼し愛していたからだろう。どちらかを選ぶ前に(ローランを選んでいた)レティシアは短い生涯を閉じた。ふたりは海の底にレティシアの亡骸を葬るため潜水服を着せ、水中で3人で繋いでいた手を放した。ゆっくり沈んでいくレティシア。永遠の別れだ。

TVのロードショーでこの映画を観た年にジョアンナ・シムカスは15歳年上の黒人俳優シドニー・ポアチェと結婚し引退した。その時は、とても驚いた。当時は、マヌー役のアラン・ドロンにしか目がいかず、ローラン役のリノ・ヴァンチュラの魅力にもほとんど気が付かなかった。今なら私も、レティシア(ジョアンナ・シムカス)と同じように一緒に暮らすならもちろんローランでしょうと思う。
今回は廉価版のDVDを購入し、時間を空けて2度観た。最初はおっさんにしか見えなかったローランが時間が経過するごとに場面が変わるごとにカッコいい中年になってゆき、すっかりリノ・ヴァンチュラのファンになってしまった。
口笛のテーマ曲「冒険者たちのテーマ」もラストのピアノの調べのそれも、遠ざかる要塞の映像とマッチしてとても良かった。
楽しい時は、ほんとうに短い時間だと思う。宝探しのつかの間の船での生活。泳いで潜って食べて笑って、短い命を生きたレティシアだった。

討議テーマ
①最も印象に残ったシーンはどこですか
 海の中でローランとマヌーがレティシアを葬るシーン。潜水服に身を固め、ゆっくりまっすぐ深く落ちていくレティシア。
②同性愛的な印象をどこで感じますか
あまり感じませんでした。強いて言えば、二人の喧嘩のシーンがなかった記憶。理屈抜きにとても仲が良い。阿吽の呼吸で動いている。
③青春群像と感じる要素は何でしょうか
それぞれが夢を追う3人の生き様と互いを応援する姿。優しいローランがいたからこそ3人でコンゴの海まで冒険旅行に行くことができた。

※テーマには関係ないですが、ローランは争いを好まない。船に置いていた鉄砲もへし折って海に投げ捨てた。
※ちょっと?となるところは、財宝を持ってコンゴから脱出するベルギー人を乗せてすぐに遭難し、水中に沈んだ飛行機の生存パイロットは、事件から時間が経っているのに、あの時何故ふたりの前にタイミングよく現れたのか。どの辺りに機体が水没しているか、わかっているのなら一人で探せば分け前も不要。それとも、船を借りる資金もないしちょうどいい相棒を探していたのか?パイロットを追う悪者一味は、もっと早く彼を捕まえることができたはず、とも思う。
※パリからコンゴへ渡る船代も、潜水具一式、食料、その他いろいろにかかる資金は3人分必要で、船やボートの賃貸料も、いったいどこから出たのだろう?
レティシアは、個展のために貯金を全部使ったといっていたし、ローランとマヌーは、ルーレットで黒にかけ負け続け、有り金をかなり使ったはずだし。。。3人共、お金がないはずなんだけど。。。
山口愛理さん (8j0wh7xb)2022/11/13 17:05削除
「冒険者たち」を観て
1967年 仏伊製作 監督/ロベール・アンリコ
男二人女一人という鉄板のパターンのはじめの映画らしい。微妙に絡む恋愛感情や友情や夢や希望や冒険が、海洋という大自然をバックに描かれる。物語の主要なシーンが撮られた要塞島の存在感が圧巻だと思う。
ジョアンナ・シムカスが亡くなった後で、その分のお金を二人で分けずに彼女の故郷に持っていくところが素敵。さらに賢くて可愛い彼女のいとこの男の子にそのお金を渡すという決断も三人の繋がりが感じられて良い。
この映画のもう一つの特色は、伊達男アランドロンが振られるというところかも。これは滅多にないパターンではないだろうか。
総じてストーリー自体はちょっと荒唐無稽だが、なかなか楽しめた。
1、最も印象に残ったシーンは?
戦いが終わった後の海洋の中の要塞島からカメラが引いていくラストシーン。藤田敏八監督の日本映画『八月の濡れた砂』のラストシーンもこれに似ていて、海洋の中に取り残されたヨットから引いていくラストシーンがとても印象に残ったことを覚えている。思えばこの映画も男二人女一人の青春ものなのだった。
2、同性愛的な印象はどこで?
私は全く感じなかった。同性愛というよりは、リノ・ヴァンチュラが鷹揚で懐の深い人物を演じていると感じた。中年でも独身なのは、趣味が高じているせいと思った。
3、青春群像と感じる要素は?
群像というと大人数のイメージがある。この映画は主に三人だし、一人は中年(夢を追う姿は青春といえるかも)でアランドロンもそう若くはないので、青春群像というよりは、独特なバランスを保った三人の世界の物語と感じた。
清水 伸子さん (8ixz4w01)2022/11/14 00:01削除
jジョアンナ・シムカス演じるレティシアとアラン・ドロン演じるマヌーは美しく、リノ・ヴァンチュラ演じるローランドの人間味あふれる魅力と相まって。三人の間に育まれる心の繋がりがとても美しく、この作品の魅力だと感じました。
ローランドは高速で走るレーシングカーを作る夢、ローランドは軽飛行機で自由に飛ぶ夢、レティシアは廃材を使って美しい作品を作る夢を追い求めるが、それぞれが上手くいかず行きづまった結果、みんなでコンゴの海に沈んだ財宝を探す冒険に向かう。財宝を探し当てた事より船の上での冒険の日々そのものが幸せだったのではないでしょうか。船の上での三人が一番生き生きと輝いて見えました。ローランドがレティシアを想い、レティシアはローランドを思うという微妙な関係にもかかわらず、三人で過ごす様子が生き生きと輝いて見えるのは、恋愛感情だけでない互いが互いを大切に思い合う気持ちがあるからだと思いました。レティシアを失った後、二人で彼女の親戚を訪ねて従弟にあたる少年に信託財産としてお金を渡し、更にローランドは彼女の夢を引き継ぐかのように要塞島を買い取り、ホテルとレストランにして、マヌーはヘリコプターでの客の送迎をするという新たな夢を紡ぐ。なんて優しく大きな人なんだろうと思いました。それなのに最後はマヌーまで失い一人になってしまうのは残酷な結末なのですが、そのラストシーンはなぜか美しいと感じました。

①最も印象に残ったシーンはどこですか?
レティシアを乗せてまぬーが操縦する軽飛行機ガローランドの運転するトラックのすぐ隣を一緒に低空飛行している場面が好きです。また死んでしまったレティシアに潜水服を着せて三人で海に潜り、海底に弔う場面も印象的でした。

②同性愛的な印象をどこで感じますか?
私には感じられませんでした。

③青春群像を感じる要素は何でしょうか?
三人がそれぞれ好きな事を追い求めていく過程で繋がり、三人とも一旦は夢破れても諦めずに財宝を探す冒険に繰り出し、冒険の日々を楽しみ、そして財宝を目的するのではなく、その財宝で夢を叶えたいと願う彼らの姿に青春を感じました。
藤原さん (8g07wmfj)2022/11/14 20:49削除
1.印象に残ったシーン
 登場人物の三人(ドロン、ヴァンチュラ、シムカス)がそれぞれ目指した当初の目標は、映画の前半でいずれも挫折する。しかしその後この作品は、きわめて楽天的で、ロマンチックに、センチメンタルに進行する。一旦夢破れた三人は、すぐさま次にはコンゴ動乱のドサクサで海に沈んだという財宝探しに熱中し始める。このあたりの刹那的な生き方、出たとこ勝負の明るさがこの時代(1960年代)の雰囲気なのだろうか(『勝手にしやがれ(1959)』的な)。
 印象に残ったシーンは、アフリカの海の船上で、三人がはしゃぎながら財宝を探す場面。財宝は夢の象徴であり、それに向かって熱中する時間こそが最も幸福な瞬間なのだと言いたげである。逆に三人が財宝を手にしてから物語は哀愁を帯びた展開となり、切ないラストへと向かう。
 
2.同性愛的な印象(『太陽がいっぱい(1960)』と比較して)
 『冒険者たち』と同じくアラン・ドロン主演で海を舞台にした映画、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』と比較してみたい。この作品の特徴は、アラン・ドロン演じる育ちの悪い青年の屈折したむき出しの野心と犯罪、タイトに展開するサスペンス、そして意地悪な(フランス映画らしい)切れ味鋭いラストだろう。作品のムードは、ふわふわした雰囲気の『冒険者たち』とはまったく似ていない。しかし、男二人と女一人の組合せが共通している。
 淀川長治によると、『太陽がいっぱい』を「映画の文法」(淀川氏の表現)に則って観れば、ドロン(トム・リプレー)とモーリス・ロネ(フィリップ)の間に明らかな同性愛的な関係が示されている、という。小生はそのサインに気づかなかったが、淀川氏にはわかるらしい。
『冒険者たち』のドロンとヴァンチュラの間にそういう関係性が感じられたかと言うと、小生にはよくわからなかった。むしろ二人は気が合い、信頼できる相棒、心を許した親友のように見えた。(ドロンにはイヴォンヌという恋人もいる)

3.青春群像
 本作公開時、ヴァンチュラは48歳、ドロン31歳、シムカス22歳である。少なくとも年齢的にはこの男たちを若者とは言えないだろう。しかしこの三人は目の前のふわふわした夢に飛びつく「夢追い人たち」であり、大人になり切れないものたちである。その意味で、この物語もひとつの「青春群像」と呼べるだろう。

4.男二人に女一人の映画
 藤野さんがおっしゃるように、『冒険者たち』は男二人に女が一人の映画。しかも中年男と若い男と清楚な女の三人という点でも『明日に向かって撃て!(1969)』のモデルになった映画だろう。
 ところで今週、「午前十時の映画祭」にかかっていた『ディア・ハンター(1978)』を久しぶりにスクリーンで観た(スクリーンでは2回目、全部で5~6回目か)。ここでも男二人女一人のパターンがみられる。マイケル(ロバート・デ・ニーロ)とニック(クリストファー・ウォーケン)、ニックの恋人リンダ(メリル・ストリープ)の三人である。ニックもマイケルもリンダの写真を身に着けてベトナムへ出征する。マイケルはリンダを秘かに想いながら、自分の想いをリンダには告げない。親友ニックの恋人としてリンダを大切にしているのだ。このデ・ニーロの繊細な演技が素晴らしい。小生にとってはこの映画のデ・ニーロがベスト。山での鹿狩りのシーンは息をのむほど美しい。
 男二人に女一人の映画としては、この他にトリフォーの『突然炎のごとく(1962)』が有名。一人の女、カトリーヌを演じるのはジャンヌ・モロー。

5.その他、気づいたこと
 財宝探しの場面で、海中の男三人(途中から加わった元パイロットを含め)が沈んでいる飛行機を見つけ、コクピットの死体のそばからお宝のボックスを取り出すシーン。これは『007サンダーボール作戦(1965)』からの借用だろう。007では、海に沈んだNATOのジェット機からスペクターのメンバーが小型原爆二本を取り出す。
藤野茂樹さん (8fzsc460)2022/11/15 08:27削除
1967年仏・伊映画 監督ロベール・アンリコ 出演アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ、
ジョアンナ・シムカス
あらすじ
新型レーシングエンジンの開発に取り組む中年の自動車技師ローランと、その友人でハンサムなパイロットマヌー、そしてある日ローランの工房に材料探しにやってきた駆け出しの前衛彫刻家レティシア。この3人がそれぞれの夢に向かって、支えあって絆を深めていく。
しかし、マヌーは凱旋門の下を飛行機でくぐり抜けるという仕事を成功するが、危険飛行で免許を停止され、失業。これが依頼主の悪ふざけだったと後に判明する。
ローランは完成したエンジンのテストドライブを行うが異常が発生してエンジンが爆発。
さらにレティシアも苦労して開催した個展が批評家たちによって酷評され、成功への道を閉ざされる。
経済的に追い詰められた3人は、ベルギーのコンゴ移住者が海に墜落し、その財宝が海底に眠っている、という話を信じ宝探しに向かう。コンゴの近海で宝探しを始めるがなかなか見つからない。そこに怪しい男が船に乗り込んできます。銃で3人を脅迫しますが話を聞くと、墜落事件の唯一の生存者だという。男は報酬を山分けすることを条件に現場へ案内するということになる。3人は少し疑いつつもその話に乗り、仲間に入れて宝探しを続け、ついに発見する。財宝は4等分された。その後ローランはレティシアと二人になった時に、レティシアが「ローランと二人で暮らしたい」と言い出して困惑する。
ここで財宝を狙っている一味が船に乗り込んでくる。4人は気付いて銃撃戦となった。ここでレティシアが死亡。死の原因を作った男をボートに乗せて追い出し、マヌーとローランはレティシアに潜水服を着せて、海に葬る。このシーンは印象に残る。
フランスにもどった2人は彼女の取り分を遺族に渡そうとする。
いとこの少年がいることがわかり、この少年に渡すことになる。少年はお礼にこの町の近くに要塞島があることを教える。その島はかつてレティシアの話していた島とわかる。
マヌーはパリに戻り、ローランは町にとどまった。
マヌーはパリに戻って成功するがレティシアを失ったことがいつまでも胸に残り、再び要塞島に戻ってくる。そこではローランが島を回収してホテル兼レストランにしようとしていた。しかし、ここでまた財宝を狙う男たちがあらわれ、銃撃戦となる。
銃に心得のあるマヌーのおかげでローランは男たちから逃げることができたが、マヌーは重傷を負う。やがて男たちを追い払い、ローランは瀕死のマヌーを抱き上げ、「レティシアが何て言ったと思う? お前と暮らすって」という。それに対して、マヌーは「噓つきめ」と笑って目を閉じた。ラストシーンは上空から延々と撮影され、非常に印象的である。

納得できない部分もあるが、感動的なシーンも多く良い印象を持って終わった。
1. 最も印象的なシーンは、レティシアを水葬するシーン。この時残った二人の男の胸中を想像させるため、充分な時間をかけている。
2. 同性愛的な印象をどこで持つか。ローランがレティシアから「ローランと二人で暮らしたい」といわれて困惑するシーン、ラストでローランが瀕死のマヌーに「レティシアが何と言ったと思う?お前と暮らすって」などというシーン。
この男2人と女1人というパターンは成功し、のちの映画に影響を与えた。
「明日に向かって撃て」など。
3. 青春群像と感じる要素
中年男も混ざり、あらすじに納得できない部分もあるが、「荒唐無稽な夢を追う3人」
が「海」「空」「船」「孤島」で活躍する。この構成が成功していると思う。
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