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映画好きの集いの掲示板です。
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管理者さん (8pa6wkw7)2024/8/21 13:44 (No.1245450)削除
課題映画、第20回映画好きの集い(旧作)(2024年11月17日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
上終結城さん (8g07wmfj)2024/8/30 16:26削除
旧作 『ノーカントリー』(2007年、アメリカ映画、監督:コーエン兄弟)
 
1.この映画を選んだ理由
 コーエン兄弟監督の作品を全部観たわけではないが、これまで観たなかでは本作(原題は “No Country for Old Men” )が最も好きな映画である。観たのは今回で五回目くらい。コーエン兄弟の作品はとぼけたオフビートな作風で知られるが、本作にはユーモアも笑いもない。濃密なサスペンスとバイオレンス、ほとんどホラー映画といってもいいだろう(米国ではR指定、日本ではR-15指定)。血と暴力の描写は女性メンバーに歓迎されないかもしれない。2007年度アカデミー賞で、作品賞、監督賞、助演男優賞(ハビエル・バルデム)、脚色賞を受賞。 

2.鑑賞テーマ
 鑑賞のテーマを下記のようにしました。10月中旬頃になったら少し詳しいコメントを投稿する予定です。

(1)本作にはサスペンスを盛り上げる演出の工夫が随所にあります。あなたがハラハラドキドキしたシーン、怖かったシーンをいくつか教えてください。

(2)アントン・シガー(ハビエル・バルデム)は悪夢のような追跡者で、けっして追って来てほしくない男です。この男は不思議な哲学めいたルールを持っているようです。ときにはコイントスによってものごとを決めます。このシガーの行動をあなたはどう感じますか。シガーとは何者でしょう。自由に感想をお聞かせください。(もちろん正解はありません)

(3)あなたがこれまで観た映画で最も怖かった敵役(人間以外でもOK)は何かを教えてください。

(4)その他、自由に感想をどうぞ。
無敗の藤原さん (95c8u6fd)2024/9/8 21:24削除
課題映画「ノーカントリー」について。
【設問1】
本作にはサスペンスを盛り上げる演出の工夫が随所にあります。あなたがハラハラドキドキしたシーン、怖かったシーンをいくつか教えてください。


ハイウェイの途中にある雑貨屋に入ったシガーが店主と会話するところ。まだ視聴者が死のシーンに慣れていない段階で、会話の返答次第で殺されるんじゃないかというヒヤヒヤがありました。
特に店主がシガーの恐ろしさを知らないから迂闊なことを言いそうで、それが心臓に悪いなと思いましたね。
もう一つ、映画的手法で怖さを作り出しているなと思ったのが、保安官がシガーのいる部屋に入るシーン、ラストのところですね。
部屋の中にシガーがいることを視聴者に見せて、暗闇をゆっくり進ませる。多分このゆっくり具合がいい味出している。その後保安官の背中を映すんですけど、何となく背後から撃たれるんじゃないかって気持ちにさせられました。


【設問2】
アントン・シガー(ハビエル・バルデム)は悪夢のような追跡者で、けっして追って来てほしくない男です。この男は不思議な哲学めいたルールを持っているようです。ときにはコイントスによってものごとを決めます。このシガーの行動をあなたはどう感じますか。シガーとは何者でしょう。自由に感想をお聞かせください。(もちろん正解はありません)


結局は自分の感情に素直なのかなと思いました。
まず、単純に自分の邪魔になる人に関しては特に会話をすることなく殺す。
次に、シガーのことを恐ろしいと感じている人に対しては、なにか会話をしてから内容次第で殺す。
自分で決められない場合はコイントスをする。
作中唯一、すんなり生き残ったモーテルのおばあちゃんは頑なにモスの行き先を言わなかったし、恐らくシガーを恐ろしい人間と認識してなかったから殺さない、みたいなルールなのかなと思いました。
キャラクターの奥行きが増えてとても良い設定だと思います。考察のしがいがあるし、今回の場合はサスペンスを盛り上げるのにも活かされてます。

【設問3】
あなたがこれまで観た映画で最も怖かった敵役(人間以外でもOK)は何かを教えてください。


未だに怖いのはエクソシストですね。小さい女の子に取り憑いたっていうところが怖いのかも知れません。
それに、女の子としての人格と悪魔の人格が交互に出てきて迂闊に近づいてしまいそうになるあたりも…ほんとにもう二度と見れない作品です。


【設問4】
その他、自由に感想をどうぞ


登場人物みんなプロフェッショナルって感じが面白いです。なんでみんなランボーみたいにサバイバルに長けているんだと思いました。
そして、徹底的に絵で見せる演出に拘ってるのが評価されたポイントなのかなと思います。
メキシコの国境超えるときにビール何に使うんだろ?って思ったら酔っぱらいを装うためだったとか、ああいうの良いですよね。説明をせずに絵で理解させるというか。
モスの奥さんに表か裏か聞くシーンがありますけど、殺したか生かしたかはハッキリしない。けど、シガーが家を出たときに自身の靴裏を確認する仕草を見せるんですよね、あれって多分血がついてないか確認したと思うので殺したんだろうなってわかる。もし自分が映画作る身だったらそういう演出思いつけるんだろうかって考えちゃいます。
清水伸子さん (8p590r59)2024/9/10 17:14削除
とにかく最初は怖くて続けて観られませんでした.シガーを演じたハピエル・バルデムが薄気味悪い殺人鬼になり切っていたせいだと思います.何とか最後まで観たのですが、この映画の良さが全く感じられませんでした.このままではいけないと思い、二度目に観た時はテーマなどを考える余裕ができました.

課題1について
ハラハラドキドキしたのはシガーがモスをモーテルの部屋の前まで追跡してくる場面です.

課題2について
シガーの行動については、相手の行動の先を読みながら自分の行動を決めて細心の注意を払って成し遂げようとする所と、一切の感情を持たずに邪魔をするものは殺していく非常さを併せ持った人物で人間らしをを全く感じられませんでした.

課題3について
これまで怖い映画は避けてきたので、今の所思いつきません.

課題4 自由感想
最初と最後に保安官とその妻が出てくる場面がとても重要な気がします.銃を持たず馬に乗って見回りをしていた古き良き時代は遥か昔に過ぎ去り、麻薬と金のために多くの血が流れ命を救う術もない現状を目の当たりにして退職した元保安官は夢の話をします.馬に乗り自分を追い越して行った父親は先で火を焚いて待っているという夢は何と温かいのかと思いました.モスとシガーもある程度生き延びていく知恵と力を持って対比されるような存在かと思いました.そしてモスはタフに見えながらも人間らしさが感じられます.特に可愛らしい奥さんの存在があります.そんなモスはあっけなく死に奥さんも殺されシガーは生き延びていく.非情な世界観だと感じました.
藤堂勝汰さん (95zmy5n6)2024/9/14 08:27削除
第20回映画好きの集い
コーエン兄弟の作品という事で興味はあった。
いかにもコーエン兄弟の作品という印象を持てた作品である。

鑑賞テーマ

(1)本作にはサスペンスを盛り上げる演出の工夫が随所にあります。あなたがハラハラドキドキしたシーン、怖かったシーンをいくつか教えてください。

(A)
やはりドライブインがどこかで店の店主とのやりとりの部分である。
散々意味もなく、感情も露わにせず、無言で容赦なく殺しているシガーがドライブインに現れ、店の店主に一方的に聞き、相手の言葉を無視している。
間違いなく数秒後に殺されるんだろうなと観客に思わせておきながら、最後の一言で死を免れる。絶対的覚悟の中で、生が選ばれる偶然、これが究極の生還という感じがした。

(2)アントン・シガー(ハビエル・バルデム)は悪夢のような追跡者で、けっして追って来てほしくない男です。この男は不思議な哲学めいたルールを持っているようです。ときにはコイントスによってものごとを決めます。このシガーの行動をあなたはどう感じますか。シガーとは何者でしょう。自由に感想をお聞かせください。(もちろん正解はありません)

(A)
後にも記すが、モス同様シガーもベトナムに従軍していた経験があると思った。ベトナム戦争では、もちろんベトナム戦争以外もそうかもしれないが、壮絶な殺し合いがあった。正当な理由や、確固たる使命が無いままに、そこにいる人間を人と思わず殺す事をミッションにしていた為に、自分の死も人の死もどうでもいいものになってしまっているのだなと感じた。

(3)あなたがこれまで観た映画で最も怖かった敵役(人間以外でもOK)は何かを教えてください。

(A)
色々と怖い役柄、ものはあったが、この映画のシガーはベスト3に入る。まず、風態、風貌、目つきが見るからに怖い。髪型もなんとなく怖い。シガーの怖さは、目つき、髪型、体格この三拍子が揃っている点である。


(4)その他、自由に感想をどうぞ。
(A)
コーエン兄弟の作品で印象に残っているのは『ファーゴ』である。
ファーゴを観た後、コーエン兄弟を知った。
ファーゴは奇想天外なストーリーで、一見するとコーエン兄弟の思い付きや、趣味趣向の延長と捉えられる作品であるが、観終わった後に糸を引くような印象をずっと残す。

▪️ノーカントリーという題名
コーマック・マッカーシーの小説『ノー・カントリー』(原題: No Country for Old Men)が原作らしい。
直訳すると老人が住む国は無い。
まさに『ノーカントリー』は老保安官ベル(トミー・リー・ジョーンズ)の物語なのだろう。その証拠に、若いモスはあっさりシガーに殺されてしまう。観ている人はきっと(自分を含めて)、モスがシガーをやっつける場面を想定していたと思う。何もできない老保安官が生き残り、最後に「夢の話」を妻と交わして終わる。
これがコーエン兄弟らしい見せ場なのだろうと思った。
▪️ベトナム戦争従軍
この映画いかにもアメリカっぽいと感ずる点は、モスが国境を越える際にその国境係員との会話の中で、ベトナムへ二度従軍したというセリフがあり、それにより国境越えが可能になる。
アメリカ人にとってベトナムに従軍するという行為、そしてそれが二度に及ぶということは、今のたとえみすぼらしく、落ちぶれた風体であっても、勲章が首にかかっている状況なのである。
アメリカ映画の中で、ベトナムへ従軍するという行為はアメリカの恥部であると共に、男の勲章でもあるのが、我々日本人にとってはなかなか理解できない場面でもある。
そしてシガーもまたアメリカという国が作ったベトナムの亡霊なのだと思った。敵人を虫ケラと思わない限り、戦争では全く機能しない。そういった意味では、モスもシガーもいかにもアメリカの象徴なのだと感じた。
上終結城さん (8g07wmfj)2024/11/6 14:46削除
<感想>
1.ハラハラドキドキしたシーン、怖かったシーン
 
 サスペンスとは、観客が次に起こることを予測できずに、宙ぶらりんの心理状態にすることだという。本作には観客を宙ぶらりんの緊張状態にさせる場面がいくつもある。
 私が印象に残ったのは、みなさんと同様、雑貨商の店主とシガーがかみ合わない会話をするシーン。ああ、この人は殺されるのか? とハラハラした。
 また、モスがモーテルで200万ドルのカバンに受信器が仕込まれていたことに気づいた直後、時すでに遅くシガーが廊下からモスの部屋に忍び寄ってくるシーン。ドア下の隙間から廊下の明かりが差し込んでいる。このシーンは、ヒッチコック『裏窓』で、車椅子から動けない主人公(ジェームズ・スチュアート)の部屋に殺人犯が忍び寄ってくる場面によく似ている。おそらく『裏窓』へのオマージュだろう。

2.シガーとは何者か

 本作の秀逸なキャラクターはなんといっても殺し屋のアントン・シガーだ(ハビエル・バルデムはこの怪演でアカデミー助演男優賞)。シガーは「ユーモアが通じない(賞金稼ぎウェルズの言葉)」男で、奇妙な自分のルール(哲学)を持って生きている。そのルールは他人にはまったく理解できない。たとえば、一旦仕事を請け負ったら、どのような危険を冒しても、または重傷を負わされても、それをやり遂げるまで止めない、などもそのひとつだ。
 しかしシガーも、殺人の直前に、コイントスでその実施有無を決めることもある。たとえばモスの妻カーラの前に現れたシガーは、自分とモスの「取引」の結果カーラを殺すつもりだが、もしおまえがコイントスに勝ったら見逃すと提案する。シガーの存在は、死が運命によって(たとえば死神によって)定められたものではなく、多分に偶然の要素を含むという、予測不能性を象徴している(人生の不可知性)。芥川龍之介のアフォリズム「人生は地獄よりも地獄的である」を思い出す。

3.怖かった敵役

 これまで観た映画の中で怖かったものの例は、以下のとおり。
(1)『エイリアン』(第一作)。何の感情も持たずに獲物(人間)に襲いかかる最強の生命体。徐々に怪物の姿が明らかになってゆくその演出法も怖かった。
(2)『サイコ』のノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)。映画の最後まで観客をくぎ付けにするヒッチコックの演出がすごい。
(3)本作のアントン・シガー

4.その他

(1)殺人場面の演出方法
 本作の殺人シーンの演出について。はじめはショッキングで生々しい描写が多い。やがて殺人描写が直接は画面に出なかったり、殺人シーンそのものを省略したり、次第に観客の想像に任せる方向へと移行する。
<最初> 保安官助手の首をしめて殺害(リアルで残酷なシーン)。車の運転手を屠殺用圧搾ガン(?)で殺害(リアル)。モーテルでギャング三人(じつは間違った相手)を無残に殺害。
<中盤> 賞金稼ぎウェルズを部屋で殺害(ウェルズの姿は見えずサイレンサーの音だけ)。自分の雇い主と会計係のいるオフィスへ乗り込んで行き殺害(会計係の殺害は描かず)
<終盤> モスの妻の場合。生死は不明(描かず。たぶん殺害か?)

(2)唯一のユーモア
 まったく笑いのない本作で、唯一といっていいユーモアシーン。それは雑貨商の店主とシガーがかみ合わない会話をしたあと、コイントスに店主が勝ち、シガーが店を出る場面。ここでシガーは店主にお茶目ともいえる笑顔を向ける。「おまえ、運がよかったな」とでも言いたげ。

(3)シガーの交通事故
 ラスト近くでカーラの家を去るシガーの車が突然衝突事故に遭遇し、シガーは腕を骨折する重傷を負う。これは悪の化身シガーをそのまま無事にはおかない、ハリウッドコードによるものだろう。
池内健さん (9bsh1ffc)2024/11/7 10:42削除
老保安官ベルは映画冒頭のモノローグで、14歳の少女を殺害した少年の思い出を語る。その犯罪は新聞に激情犯罪と書かれるが少年本人は感情はないという。この少年のように激情に駆られることなく殺人を繰り返すシガーという存在がリアルで怖い。神戸児童連続殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗や70代の女性を手斧で殺害した名古屋大学の女子学生など、知的能力が高くて共感能力がない人物は一定数いる。


(1)ハラハラドキドキしたシーン、怖かったシーン

 シガーは雑談ができない。お互いを理解しあうことに意味を見いだせない。自分の規範、ルールで理解できなくなるとコイントスを持ち出すのも、話し合いによって結論をすりあわせることができないからだろう。ガソリンスタンド店主はそれで助かり、モスの妻カーラは(おそらく)命を失った。

 カーソンはシガーに金をやるともちかけたり「アントン」と呼びかけたりして懐柔を試みるが、これも「腹を割って話せば分かる」という大人の知恵とは無縁(理解もできない)シガーには無力だった。モスが殺されたモーテルのプールでは、モスに粉をかけた女も殺されていたが、これもシガーに何か余計なことを言った結果なのだろうか。これらの人物とは逆に、トレーラーハウスの女管理人は規則に従い、機械的に情報を教えられないと繰り返すだけだったので、シガーは納得して去った。

 モスはシガーとは対照的に人間的な感情を持ち、それが結果的に命取りとなる。そもそも、瀕死のメキシコ人に水をやりに現場に戻らなければ、シガーたちに追われることもなかった。ベトナム戦争帰りという背景もあり、死にかけている人間を見過ごせないということなのだろうか。

(2)シガーの行動をどう感じるか。シガーとは何者か

 何歳なのか気になった。引退間近の老保安官にとって理解しがたい若い世代であるのは確かだ。22歳なのだろうか(ガソリンスタンドで賭けに使ったコインは1958年発行で、シガーは「22年旅をして今、ここにある」という。モスの妻カーラとの対話では「コインと同じ道をたどってきた」という。コインを自らと同一視している)。気持ちの悪いおかっぱ頭も若者のサラサラヘアを示したものなのだろうか。
 (他の)人間と理解しあえず、圧倒的な破壊力をふるうという意味では自然災害のような存在でもある。モスのように立ち向かうと命を失う。やりすごすしかない。老保安官ベルも他の保安官から「(シガーは)異常殺人鬼(homicide lunatic)」と言われたとき、「幽霊(ghost)のようだ」と答える。人間以外のもの、と言いたかったのだろうか。

(3)これまで観た映画で最も怖かった敵役(人間以外でもOK)

 映画になっているかわからないが、浮上できなくなった潜水艦に閉じ込められたり、トンネル事故で脱出できなくなった状況で次第に酸素がなくなっていく恐怖には耐えられないと思う。


(4)自由感想

 この映画の舞台は1980年のアメリカ。大統領選でレーガンが現職のカーターを破った年だ。ベトナム戦争の記憶が生々しく、経済的にも閉塞感がある一方、メキシコ国境の管理はずいぶん緩かった(身分証明書がなくてもベトナム帰還兵だというだけで通れた)。トランプ氏の勝利に終わった今年の大統領選をみていると隔世の感がある。
山口愛理さん (9bsqpmjl)2024/11/7 15:14削除
「ノーカントリー」を観て

1. ハラハラドキドキ怖かったシーンは
全部が怖かった。特に普通の店主のおじさんと話しているシーン。おじさんの表情と会話の間からドキドキ感が伝わってきた。
また、ベトナム帰還兵の元溶接工モスが、尋常でなくタフだったのにはちょっと笑えた。彼が盗んだお金を持って、配管の間を逃げるシーンも怖かった。
最後の方のシーン、目撃した少年達が無事でいるよう、ハラハラしてしまった。

2. シガーの行動についてどう思う
怖さを通り越して、何だか可笑しみも感じてしまう、不思議なキャラクターだ。コイントスで生死を決めたり、極悪非道なのに独自のルールでどこか几帳面だったり。一筋縄ではいかないというか、つかみきれない怖さがある。ハビエル・バルデム、凄い。

3. これまで見た映画で最も怖かった適役は
あまり思い出せない。シガーが一番かも。
ただ、適役ではないがラストシーンが震えるほど怖かったのは、「エイリアン」と「赤い影」だ。

4. 自由感想
この映画は公開当時、映画館で見た。その時も怖かったが、今回、その怖さをもう一回体験した。いや、凄い映画だ。昨今の映画は特撮で怖さやダイナミックさを演出するものが多いが、この「ノーカントリー」は、いわば映像はアナログ的であり、ストーリーは単純ながら、ひと時も目を離せない。
それにはアメリカ・メキシコ国境付近の乾いた大地という設定と映像、ハビエル・バルデムの怪演、労保安官の語りが奏功している。コーエン兄弟の脚本と監督の力量のたまものだろう。
返信
返信7
管理者さん (8pa6wkw7)2024/8/21 13:46 (No.1245451)削除
第20回文横映画好きの集い(自由映画)(2024年11月17日)について、ご自由に感想をお書込みください!
清水伸子さん (8pa6wkw7)2024/11/5 10:43削除
「本日公休」を観て
*まず「本日公休」公式ホームページよりざっくりした映画の紹介を載せておきます
 台湾の俊英フー・ティエンユー監督が、自身の母親をモデルに書き上げたシナリオを元に、台中にある実家の理髪店で撮影を敢行、3年の月日をかけて完成させました。全編を通じて柔らかなノスタルジーを感じさせながらも、家族間に波立つ感情や、“老い”を受け入ていく心情、新たな希望を見出す道程を、リアルで現代的な視点を交えながら繊細に描き出します。プロデュースは、エドワード・ヤン監督『ヤンヤン 夏の想い出』(00)への主演や、ホウ・シャオシェン監督『悲情城市』(89)、『恋恋風塵』(87)の共同脚本で知られる台湾ニューシネマの重鎮ウー・ニェンチェンが担当。


 私自身は上の情報を全く知らないまま映画を観ました。台湾の映画を観たのも初めてだと思います。主人公は町で小さな理髪店を営む初老にさしかかった女性アールイさん(ルー・シャオフェン)です。すでに成人した三人の子どもがいますが、彼らは母親がどんな毎日を送っているのか興味がなさそうです。それでも彼女は丁寧な仕事をし、常連客を大切にして、頼まれると遠くの町まで独り車を運転して出かけて行きます。一見平凡に見える日々の生活の中にある大切なものを感じることができ、劇場内には時折温かい笑いが起こる素敵な映画でした。因みに映画館自体(みなとみらいのキノシネマ)も雰囲気がとても良かったです。
返信
返信1
管理者さん (8pa6wkw7)2024/5/24 14:39 (No.1171114)削除
課題映画、第19回映画好きの集い(新作)(2024年8月18日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
山口愛理さん (8pa6wkw7)2024/6/17 09:55削除
課題映画 新作『市子』について、
(1)自由に感想をお聞かせください。

(2)杉咲花と若葉竜也の演技についても感想をお願いします。
(テレビ『アンメット』でも共演していて話題になっています)
藤堂勝汰さん (8pa6wkw7)2024/6/17 10:10削除
第19回映画好きの集いの新作テーマである「市子」を早速鑑賞してみた。
普段あまり邦画を映画館で観ない。
理由は、映画代を掛ける価値がないと僕自身が感じているからである。
今回、アマプラで観る事が出来たので、それなりに面白い映画であるという結論である。

市子と言う「戸籍を持たない」主人公が、彼女のフツーの幸せを求めて殺し、逃げて、過去を断ち切っていくというストーリーである。
そこには明るい未来は見えない。
シチュエーションは全く違うが、先に未来が無い逃亡劇としては「福田和子」を彷彿とさせた。
繰り返されるのは、出生の秘密を守るために過去を塗り潰していくことである。
テーマとしては、「離婚後300日問題」とその制度の不正確さへの皮肉である。

離婚後300日問題とは、日本の民法(明治29年法律第89号)772条の規定およびこれに関する戸籍上の扱いのため、離婚届後300日以内に生まれた子が遺伝的関係とは関係なく前夫の子と推定されること(嫡出推定)、また推定されて前夫の子となることを避けるために戸籍上の手続きがなされず、無戸籍者の子供が生じている問題をいう。

■父の推定
民法772条は1項で「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」ことを規定する。また同条2項は妊娠中の期間を想定して「婚姻の成立の日から200日を経過した後」または「婚姻の解消もしくは取消しの日から300日以内に生まれた子」は、「婚姻中に懐胎したものと推定する」ことが規定されている。このため、離婚から300日以内に生まれた子は、2段階の推定により、原則として前夫の子として扱われることとなる。

明治時代に制定された法律である。この時代にはDNA鑑定はなく、「2段階の推定」で決定するしか方法が無かった。
まさにこの問題により、前夫の子供としたくなかった母親が子供の将来を考えずに行った行為が、市子のなりすましや殺人、不幸な人生を形成していったのである。
戸籍やマイナンバーカードなど個人を特定する手段は必要だと思うが、がんじがらめにすることで、そのはざまに身を置かざるを得ない人間を浮き彫りにし、炙り出していくことが果たして良い事なのかどうかは分からない。

ひとつ疑問に思ったことは、彼女にプロポーズした長谷川への愛の真偽である。
長谷川を市子は愛していたのか? その部分が最後まで語られることはなかった。
本当に愛していたのなら、結婚というルールに縛られることを選ばず、実質的な妻にもなれたのではないか。楽しく過ごしていくことができたのではないか?

市子に幸せになる権利はあるが、市子自身が幸せの形を何にするのかを市子自身が決めなくてはならないだろう。
無敗の藤原さん (95c8u6fd)2024/6/23 07:27削除
課題映画、『市子』について
【課題1】
自由に感想をお聞かせください。


犯罪を犯しながら逃げていくさまが、『復讐するは我にあり』という映画を思い出させました。多分父も同じことを思ったんじゃないですか、一緒に見た映画だから。
この映画は市子という女の子の境遇が可哀想だなぁ、……では終わらないものだと思ってます。
市子が月子と思われる女の子を殺したときも、お母さんの恋人を殺したときも、心配で探しに来てくれた眼鏡の青年とネットで知り合った女の子を殺したときも、やや動機に欠けるというか私には共感できませんでした。

市子は普通というものに憧れており、友達と一緒にケーキ屋をやりたいだとか、人を好きになるとか、結婚してくださいって言われた時は涙まで流していました。それと、味噌汁の匂いが好きとかはまさに普通の家庭に対する憧れだったと思います。
でも本人も気づいてないところでやっぱり狂ってるほうが本性なのかなと思います。
度重なる殺人は、どれも仕方なくやったって感じじゃないんですよね。能動的に殺していて、それこそが市子の本当の姿なのだと感じました。


【課題2】
杉咲花と若葉竜也の演技についても感想をお願いします。


杉咲花は秘密のある感じ、影のある感じを表情で演じていてすごいなと思います。若葉さんはあんまり知らない俳優さんですけど、あまり上手くないのかなという印象です。
長谷川という人物に憑依するのではなく、一般的なドラマの登場人物としてセリフを言っているような気がする場面が何度かありました。
とはいえ、狂気を演じる杉咲花と対比して一般人っぽい男性を起用したかったという意図であれば成功していると思います。
清水伸子さん (8p590r59)2024/6/27 21:07削除
「市子」を観て
1 自由感想
 この映画が課題になって2回観ましたが、最初はとにかく杉咲花の演技に圧倒されました。今まで特に好きな女優さんではなく「テレビで見かけたことのある人」くらいの印象しか持っていなかったので驚きました。けれど2回目に観た時は、作品のアラのようなものが目につき気になりました。まず、市子が重い障害を持った妹の人工呼吸器を外して殺してしまうのは、母なつみの言葉によれば「限界だった」からというのですが、それはとても重いテーマであるにもかかわらず、その実態があまり描かれていません。そして月子の白骨化した遺体が発見されると、恋人の元を離れて新たな戸籍を手に入れ生き抜く為に自殺志願者だけでなく高校時代から彼女を守ろうとしてきた友人まで死なせてしまうというストーリーからはやり切れなさを感じました。この映画が杉咲花が演じた市子のイノセントなほどの悪魔性を描きたかったのなら成功していると思います。しかしそれなら障がい者介護や無戸籍といった重いテーマを絡ませるべきではなかったのではないかと思いました。ただ、最初と最後に出てくる鼻歌は印象に残りました。それは母親から受け継いだものであり、現実から目を背けて生きてゆくための鼻歌だったのでしょう。にじと言う童謡・・「きっと明日はいい天気」

2 杉咲花と若葉竜也について
 杉咲花に関しては1で述べましたが、この映画は彼女の独壇場と言っても過言ではないと思います。若葉竜也については地味な印象でした。二度目に観た時は、彼がしごく平凡だけれども真っ当な暮らしの象徴だと考えればなるほどとも思いました。
上終結城さん (8g07wmfj)2024/7/14 00:31削除
1.はじめに
 最近の邦画をほとんど観ていないので、本作の監督も出演俳優も誰一人知らなかった。しかし見始めると、ミステリーのようにずんずん引張っていかれた。映画の終わり方が謎めいていたので、もう一度観直した。インパクトのある映画だ。無戸籍のままこの世に生を受け、存在証明を持たない人間として生きざるを得なかった市子。まずこのような無戸籍の人が日本にも多数(数千人)いる事実に驚かされた。

2.映画『市子』について
 監督のインタビュー記事を読むと、舞台の戯曲として書かれた本作を映画化するにあたり、黒澤明『羅生門』(1950)の構成をヒントにしたとある。警察官・後藤と恋人・長谷川が、市子を知るさまざまな人を訪ねるにつれて、市子の過去と実像が立体的に浮かび上がってくる。この展開は成功していると思う。

3.川辺市子(杉咲花)
 この無戸籍という運命を背負った市子に情状酌量の余地はあったとしても、市子のおこなった殺人はすべて、自分が生きのびるための手段だった。
 まず、難病の異父妹(月子)を亡き者にした。この場面は痛ましさに目をそむけたくなる。つぎに、月子の死体遺棄・隠ぺいの共犯者である義父を、偶発的とはいえ殺害する。そして(映画では明確にしていないが)義父殺人を目撃し、その死体処置の協力までした同級生・北を、自殺志願者の女とともに(心中と見せかけて)謀殺したらしい。とくに最後の殺人は明らかに計画的で、今後、市子が身寄りのない自殺志願者の女に成りすますことを想像させる。
 こう考えると、市子を単なる社会制度や境遇の犠牲者とみなすことはできない。とくに、月子の呼吸器を無表情に外すシーンや、市子を追って店に現れた北に屈託なくケーキ屋の夢を語るシーンなど、空恐ろしさを覚える。
 映画はこの市子の姿を、肯定も否定もしていない。市子が月子を手に掛けたことを知った母親なつみは、食器を洗いながら童謡『にじ』を口ずさむ。そしてラストシーンで市子も、母親と同じ童謡を口ずさむ(「きっと明日はいい天気」という歌詞らしい)。この母娘は、恐ろしい過去を忘れて生き続けようと、自分に言い聞かせているのだろうか。
 市子は、束の間ではあっても長谷川と幸福な三年間を過ごし、平凡な日常や友人とのケーキ屋を夢見る女でもある。この平凡でおとなしい女と、発作的に抑制が効かなくなり一線を越えてしまう女が共存する複雑なヒロイン像、これを演ずる杉咲花の表現力は称賛に値する。

4.長谷川義則(若葉竜也)
 この重い映画の救いは、市子と三年暮らした長谷川の、市子への変わらぬ愛と誠実さである。失踪した市子を探し求め、市子の壮絶な過去が明かされてもなお愛し続ける長谷川を、若葉竜也は説得力をもって演じている。私は若葉竜也という俳優を知らなかったが、この映画の長谷川役には好感をもった。
 市子は長谷川のプロポーズを聞き、婚姻届を見せられた翌日、長谷川の前から消えた。自分の過去を知られ、長谷川に捨てられることを恐れたのだろうか。結果論だが、もし市子が長谷川にすべてを告白したらどうだったろうか。長谷川はそれでも市子と暮らし続ける人生を選択したのではないだろうか。

5.ソフィーと市子
 今回『ソフィーの選択』と『市子』の二作品を観賞した。ソフィーも市子も過酷な過去を抱えている点で共通している。しかし人間像は正反対だ。愛する者との死別、過去への悔恨から、自分だけ生き続けることをもはや望まないソフィー。過去を忘れ、別人に成りすましてでも生き抜こうとする市子。二人のヒロインの姿は、どちらもつよい印象を残した。
山口愛理さん (8xfaoi67)2024/7/15 15:14削除
『市子』を観て

〇『市子』を選んだ理由
邦画において今、この女優が出るなら観たいなと私が思うのは、「杉咲花」「蒼井優」「黒木華」の三人である。
杉咲花をはじめて観たのは、もう10年ほど前、湊かなえ原作のテレビドラマ『夜行観覧車』だった。壮絶ないじめを受ける女子生徒の役。まだ少女だった杉咲だが、リアルな演技に圧倒された。その数年後に観たのは映画『湯を沸かすほどの熱い愛』。これがまたしても、いじめを受ける少女の役だったのだが、没入感が凄かった。どちらも動の演技だった。
そして先日最終回を迎えたテレビドラマ『アンメット』。記憶が一日しかもたない脳外科医を演じたのだが、その自然な静の演技がこれまでにない杉咲花の可能性を感じさせた。このドラマでは彼女を助けようとする風変りな脳外科医を演じた若葉竜也の演技がまた秀逸だったのだ。『アンメット』というドラマ自体の出来が素晴らしく、連続ドラマのクオリティをはるかに超えていたのも奏功していた。この二人が主役の映画で話題になっていた『市子』も、観たいと思いながら劇場では見逃していたので、今回是非観てみたいと思った。

〇『市子』の感想
親の事情のため、無戸籍児だった市子(杉咲花)が重度障がい者の妹月子の戸籍を乗っ取って生きて行く。ヤングケアラーとして世話をしていた妹の命を奪った後で。その意図があって殺したのか、殺した後で思いついたのか。
市子にプロポーズした長谷川(若葉竜也)は翌日に姿を消した市子を追い求める。彼女と出会った様々な人物に話を聞くうちに、少女時代からの市子の、過酷で異様な人生が浮かび上がってくる。彼女のリミットは近づいていた。月子の遺体が発見されたからだ。市子は何者かにならなければ、これから生きていけない。そして新しい戸籍を得るために、彼女に思いを寄せ続けていた北という男を利用してある考えを実行する。
原作は、戯曲『川辺市子のために』で、劇団の旗揚げ公演は大変な人気だったそうだ。劇団の脚本・監督を務めた戸田彬弘が、この映画の監督も務めている。
この映画には多くの社会的問題が含まれている。無戸籍、障がい者、ヤングケアラー、DV、性暴力、犯罪そして殺人。そんな重く暗い事象の積み重ねにもかかわらず、杉咲演じる主人公の市子は、どこかふわふわとしており、瞳はいつも遠くを見ているようだ。
市子はサイコパスなのかもしれない。だがそうなったきっかけは幼少期からアイデンティティを持てなかったことに起因し、それは彼女自身だけの責任とは言いきれない。
市子が本当に望んだのは、気の合う友人と小さなケーキ店を開き、自分を愛してくれる長谷川とごくごく平凡で幸せな日々を送ることだった。しかし、それさえも彼女には許されない遠い夢だった。
全てを失っても市子は、鼻歌を歌いながら前に進む。新しい自分になろうとする。その強さと無邪気さが空恐ろしい。

〇杉咲花と若葉竜也、主役二人の演技について
杉咲花については上述したように、その演技に信頼を置いていた。だから今回も思った通り、難しい役どころを演じてくれた。
明るく前向きなドラマは、誰もが観たいものだし、演じる方も同様だろう。彼女も朝ドラで浪花千恵子をモデルとした『おちょやん』を健気に演じていてとても良かった。が、役者の真骨頂はいかに人間の持つある種の「狂気」を演じられるかにあるのではないだろうか。
『市子』における市子は、通常の人間が踏み込んでしまった狂気というよりは、生い立ちや環境によってねじ曲がった方向に生育してしまったゆえに生まれた狂気をはらんでいる。杉咲花はその童顔を生かしつつ、無邪気の中に潜む無意識の悪意のようなものを、見事に表現していたと思う。
子供時代から大衆演劇出身の若葉竜也については、外見上はとても雰囲気のある人だが、『おちょやん』『市子』ではごく普通の市井の人を演じていたので、特に演技の素晴らしさという点には気づかなかった。先日終わったドラマ『アンメット』の、風変りながら有能で努力家で繊細な脳外科医の役があまりにもはまっていたので、比較のしようがない。彼が主演で評判の良かった映画『街の上で』もぜひ観てみたいと思った。
池内健さん (98cgg0kf)2024/8/13 05:37削除
(1)自由感想
 DV、無戸籍、ヤングケアラー、ストーカー、自殺願望と、重いテーマをこれでもかと詰め込んでいて、ふつうなら観るのがつらくなるが、主役二人のさわやかさがある種の救いとなって最後まで鑑賞できた。

「市子」というタイトルなのに主役は最初「月子」と呼ばれていて混乱する。しかし、その混乱自体が主題に結びついていく。主役の謎を追っていく展開がよい。今回はメモを取りながらみたのでストーリーについていけたが、映画館だと(メモが取れず)理解が難しかったかもしれない。

 この映画では戸籍に名前が記載される「就籍」の話が出てくる。スパイ扱いで指紋を採られたりするので半分くらいが断念するというのは残念なことだと思った。ここで頑張っていればふつうの社会生活を送ることが可能になったはずだ。就籍問題はDV関係が注目されるが、フィリピンには戦争中に日本人とフィリピン人の間に生まれながら日本国籍を取れない人がたくさんいて、民間団体が就籍を支援している。ただ、日本人であることを示す書類がないことが多く、認められることはまれだ。

 難病(筋ジストロフィー)の妹を死なせるシーンはやりきれない。呼吸器具を外すだけで命が消える。帰宅して気づいた母親は「ありがとうね」と言って鼻歌を歌う。ここで素直に死亡届を出して、戸籍を偽っていたことも告白すれば、仮に殺人罪に問われても情状酌量で執行猶予付き判決が出ただろう。同時に家庭問題が背景にあることもわかって就籍支援が強化されたのではないか。もちろん当事者がそんなに冷静に判断できるとは限らないし、行政に対する不信感・嫌悪感もあっただろうが。

 ただ、ここで一番の障壁は市障害福祉課の小泉の存在だった。小泉は立場を利用して(戸籍を市子に乗っ取られている)妹・月子の介護支援を引き出していた。小泉がいたから2人の「月子」が共存できたわけだが、いなければもっと早く正常化できた可能性もある。嘘に嘘を重ねるとどんどん後戻りできなくなり、挙げ句の果てに市子に殺されるという形で罪を犯させてしまう。この場合もおそらく正当防衛が主張できるので素直に自首していればよかった。それなのに自殺偽装で罪(死体遺棄)を上塗りした。ヒーローきどりのストーカー北に目撃されたのが不運だったのかもしれない。

(2)杉咲花と若葉竜也
 2人とも清潔で透明な存在感があって売れっ子なのがよくわかる。
藤野燦太郎さん (8j4tkzsk)2024/8/16 22:19削除
市子 感想 藤野燦太郎
日本の法律で、離婚した女性が300日以内に産んだ子は元夫の子とするという届け以外は受理されないという問題を扱った映画。
2023年12月に公開されたこの映画も役に立ったと思われるが、2024年4月より300日以内でも現在の夫の子となり、無戸籍問題は解消された。

このため、私たちは無戸籍問題に驚く最後の世代になりそう。
(1) 自由に感想をお聞かせください。
貧しい母子家庭なのに、筋ジストロフィ―の子、さらに無戸籍の子と解決不能の問題を抱えた家庭に、市役所の福祉課の役人までがその場しのぎの違法な対応をして、さらに問題を複雑にしている。
最後は市子を幸せにしたいという北秀和と、自殺願望の北見冬子が一緒に車で海に飛び込んだらしいという結末。市子は冬子の身分証明で生きていくらしいということになっている。
やや強引な最後でした。この最後が引っかかっています。
テーマであった無戸籍問題は、日本社会からなくなりましたが、母子家庭の貧しさと、ヤングケアラー問題は今後とも残りますね。
覚悟して離婚したのでしょうとか、家族が大病しても助け合うのが当たり前でしょうと突き放す社会はよくない。
行政がもっと支援し、家族会が連絡をとりあって孤立しないようにすべきですね。
そうしないと市子のように呼吸器を外す人が出てくるでしょうから。

(2) 杉咲花と若葉竜也の演技についても感想をお願いします。
無戸籍や極貧、ヤングケアラー問題に苦しめられた人は、社会の道徳や正義、法律などは信じられないし、守る気にもならないと思います。
特に無戸籍は子供の責任ではないので、それで国から無視されたら、その子はアナーキストになるのは当然と思います。
杉咲花はこのような人の命に対して無感情になる瞬間をある程度演じられたようにも思います。
返信
返信8
管理者さん (8pa6wkw7)2024/5/24 14:39 (No.1171115)削除
課題映画、第19回映画好きの集い(旧作)(2024年8月18日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
無敗の藤原さん (95c8u6fd)2024/5/28 22:10削除
課題映画 旧作『ソフィーの選択』について、
私はもうこれで観るのは3回目になりますが、始めて見たときに「この主演女優さんはきっと演技で何かしらの受賞をしたに違いない」と思いました。
想像した通り、アカデミー賞とゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞したそうです。
極限状態に追い込まれたとき、人間がどのような反応するのかを描き、ひとつの到達点にたどり着いている作品だと思います。

以下に討議のための質問を記します。

【課題1】
この映画はメリル・ストリープの演技が魅力的だと思います。
みなさんの一番印象に残っている表情はどのシーンですか?


【課題2】
ソフィー(メリル・ストリープ)は2人の男性からプロポーズされます。
片方に対してはとても喜んで見せて、もう片方には明らかに気が進まない態度を見せます。
その違いは何だと思いますか?


【課題3】
もしもスティンゴの望み通りソフィーが結婚して、田舎の農園で暮らしたとしたら、どのような生活になっていたと思いますか?


【課題4】
ソフィーとネイサンとスティンゴは互いが互いを愛している、最高の友達と言ってます。
男2人と女1人という奇妙なバランスではありますが、本当の友情があったと思いますか?
藤堂さん (95zmy5n6)2024/6/14 07:04削除
ソフィーの選択 感想、課題

【課題1】
この映画はメリル・ストリープの演技が魅力的だと思います。
みなさんの一番印象に残っている表情はどのシーンですか?

(回答)
いくつかありますが、収容所に送られ、所長の召使になり、所長は美人のソフィーに興味を示し、彼女は所長を利用しようと決意する。ソフィーは隠し持っていたポーランドの機密文書を見せ、自分の投獄は間違いだと訴える。しかし所長は近々ここを出ることになっており、面倒なことを避けようとする。ソフィーは、それならば息子だけでも助けて欲しいと懇願する。息子はドイツ人化計画にぴったりの少年だと売り込むと、所長は息子を収容所から出すことを約束してくれる。ラジオは盗み損ねたが、息子を救えたことにソフィーは満足する。しかし、その約束は守られない。
そこで絶望するシーン。ざんぎり頭で必死に懇願するシーンは、印象に残る。


【課題2】
ソフィー(メリル・ストリープ)は2人の男性からプロポーズされます。
片方に対してはとても喜んで見せて、もう片方には明らかに気が進まない態度を見せます。
その違いは何だと思いますか?

(回答)
ソフィーは優しく時に暴力的になるネイサンを心の底から愛しており、彼の危うい生命観を自分とダブらせていたのだと思う。
一方スティンゴに対しては、弟として純朴で一途な所を好んでいたが、ネイサンの様に心躍る事は起きなかった。彼にはソフィーが居なくても生きていける生命力があると判断できたんだと思う。

【課題3】
もしもスティンゴの望み通りソフィーが結婚して、田舎の農園で暮らしたとしたら、どのような生活になっていたと思いますか?

(回答)
彼女はやがてスティンゴの優しさに耐えられずに彼の元を黙って立ち去っていたと思う。
ソフィには平凡な幸せよりも、波瀾万丈であるが、たとえ長続きしなくとも心躍らせる恋愛の方が重要であると知っていたと思う。ソフィー以外の誰しもがスティンゴと生きた方が幸せになれると分かっていても。

【課題4】
ソフィーとネイサンとスティンゴは互いが互いを愛している、最高の友達と言ってます。
男2人と女1人という奇妙なバランスではありますが、本当の友情があったと思いますか?

(回答)
あったと思うし、なくなってしまったとも思う。ネイサンはスティンゴの事を好きだったし、気に入らなかった。
ネイサンは同じ精神状態を維持させる事はできなかったのだから。
ソフィもまた、スティンゴの気持ちを知ってしまった以上、これ以上彼の将来を考えた時、彼の元を離れてあげる事が、彼の為であると考えたのではないだろうか?
しかし、結果として、ネイサンとソフィが心中してみて、彼ら三人の友情は思い出という形で確立できたのではないだろうか。

(その他感想)
 今回、初めて本作を観たが、長い映画であるにも関わらず、飽きずに興味を持って最後まで観ることができた。
 無敗さんに感謝したい。
 改めて、ナチスのユダヤ人虐殺、ポーランド人の虐殺の冷徹さを感じ、義憤の思いに駆られた。
 印象に残ったシーンは、ネイサンがスティンゴの小説を読み、スティンゴとソフィーを呼び出し、
ネイサンは2人を橋の上に連れ出し、それぞれのグラスにシャンパンを注ぐ。そして橋の欄干に登り、「スティンゴ万歳!」と叫んでグラスを投げる。それはネイサンからスティンゴへの、最大の賛辞だった。スティンゴから見たネイサンは、恐ろしいほどカリスマ性のある魅力的な人物だと実感する所である。
 最も三人の友情が現れる場面であると思う。
清水伸子さん (921a7cxd)2024/6/23 22:34削除
「ソフィーの選択」を観て

 とにかくすごい映画だと思いました。ソフィーというユダヤ系ポーランド人女性の個人的な体験はすさまじく、ホロコーストというものの実態としての残虐さが迫ってきました。また、ソフィーだけでなく、ネイサンとスティンの人物造形も素晴らしいと思いました。

*課題1について
 メリルストリープの演技には終始圧倒されました。表情というよりはアウシュビッツでヘスの秘書に取り立てられよろよろと歩いて行く姿が目に焼き付いています。最初に彼女の顔が大写しになった時の輝く美しさと、アウシュビッツで化粧をせず丸刈りにされた時の別人のような落差にも彼女の女優としてのすごさを感じました。

*課題2について
ソフィーが男性として激しく愛したのはネイサンで、スティンゴには恋愛感情は抱いていなかったからだと思います。

*課題3について
 私には彼女がスティンゴと結婚して田舎で暮らす姿は想像できません。その先に死が待っていようと、結局ネイサンの元に戻るのは必然だと感じました。

*課題4について
 ソフィーとネイサンは心に深い闇を抱えているからこそ強く惹かれ合い、ネイサンは時に激しい感情を相手にぶつけます。そんな二人にとって純朴で穏やかなスティンゴの存在は癒しでありに弟に対するような感情を抱いていたのではないでしょうか。そしてスティンゴは二人に振り回されながらもその魅力にひきつけられ、ソフィーに対しては恋愛感情に発展して行きます。私はこの三人の間にある感情を友情と名付けることはに躊躇いを感じてしまします。

上終結城さん (8g07wmfj)2024/7/15 12:30削除
【はじめに】メリル・ストリープについて

 私はメリル・ストリープという女優を『ディア・ハンター』(1978)のリンダ役ではじめて知り、以後ずっと注目してきた。当初は『フランス軍中尉の女』(1981)や『愛と哀しみの果て』(1985)などの文芸作品を劇場で観た。このころの彼女が演ずるのは、今回の『ソフィーの選択』(1982)も含め、思いつめたような暗い陰のある女性が多かった。憑りつかれたように役に入り込むストリープの演技を高く評価する声が多い一方で、過剰な演技がうっとうしいと感じる批評家もいたようだ。
 私は彼女のファンなので、どの作品も好きだが、とくに『激流』(1994)の元ガイドの主婦役や『マディソン郡の橋』(1995)のイタリア出身の農婦役などを愛する。たくましい中年女を自然に演じている。

【設問1】一番印象に残っている表情はどのシーン?

 どのシーンもすごいが、やはり印象的なのは、息子と娘をかかえたソフィーがドイツ軍兵士から「命の選択」を迫られる場面だ。連れ去られ泣き叫ぶ幼い娘を眼で追いかけるソフィーの表情。選択を迫る兵士がソフィーに呟く台詞がイエスの言葉であるところが恐ろしい。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」(マルコによる福音書)

【設問2】ソフィーの2人の男性に対する態度の違いは何だと思うか?

 ネイソンは極端な躁鬱症状を繰り返す精神を病んだ男だ。自分を天才と信じる妄想と死への衝動。太宰治のような典型的な破滅型人間である。ソフィーはネルソンのなかに自分と同じ絶望的な孤独を感じ取ったのではないか。そしてお互いの孤独を埋められるのは自分たち以外にないと直感していた。
 一方スティンゴは、まっとうで知的な青年である。ソフィーとではなくても十分幸福な家庭を築くことができる。ソフィーにとってスティンゴは善き友人として大切な存在だが、彼の結婚相手として自分はふさわしい女ではないと思っている。
 ソフィーは自分が幸福になることへの罪悪感を抱いており、これ以上生きつづけることを望んでいない。彼女がスティンゴに語った言葉がそれを象徴している。「愛する人より長生きすることは悲しい。」そして結局、ネイソンとの情死を選んだ。

【設問3】ソフィーが結婚して、田舎の農園で暮らしたとしたら、どうなったか?

 ソフィーはあまりにも深い心の傷と闇を抱えている。それはスティンゴとの平凡な暮しで癒えることはない。それにスティンゴの故郷は因習の濃いアメリカ南部の田舎。ポーランド出身のわけあり年上女が心安らかに暮らすのは難しいだろう。結局、ソフィーはスティンゴの元を去り、ネイソンのところへ戻ったのではないか。

【設問4】男2人と女1人、本当の友情があったか?

 親友どうしである二人の男と、間に入るひとりの女。映画のなかで探せば、まず『ディア・ハンター』のクリストファー・ウォーケン、ロバート・デ・ニーロ、メリル・ストリープ(ウォーケンの恋人)。仏映画『冒険者たち』(1967)のアラン・ドロン、リノ・バンチュラ、ジョアンナ・シムカス。邦画なら向田邦子原作の『あ・うん』(1989)の高倉健、板東英二、冨司純子(坂東の妻)などが思い浮かぶ。
 経験がないので想像するしかないが、もし三人の間にそのような友情が結ばれるとしたら、両方の男が、独占欲や嫉妬心をかなり抑制する必要がある。そしてこれは、相当微妙であやういバランスの上に、かろうじて成り立つものなのだろう。
山口愛理さん (8xfaoi67)2024/8/10 10:53削除
「ソフィの選択」はもう40年くらい前になるだろうか、公開当時に映画館で観た。かなり話題になっている映画だった。しかしこの40年という年月のために、私は内容をほとんど忘れてしまっていた。アウシュビッツがからんでいてメリル・ストリープが良い演技だったというおぼろげな記憶しかなかった。だが今回観直してみて、ああ、映画らしい映画というか、オーソドックスながら秀作だなあと思った。自分自身が年齢を経ていることで、より深くこの映画を味わうことができたのかもしれない。
作家志望で南部の農場からマンハッタンに出てきた若いスティンゴの目を通して、上階に住むポーランド人女性ソフィとユダヤ人の男性ネイサンのカップルを描く。ソフィは美しいが何か秘密を抱えている様子で、ネイサンは魅力的だが感情の起伏が激しい激情型の人物。このエキセントリックなカップルとスティンゴの三人で過ごした日々が描かれる。そして最後に進むに従って、ソフィの抱えていた秘密が明らかになる過程がとてもショッキングだ。
スティンゴの目を通して描かれる現在進行形の部分に、ソフィの過去のポーランドでの回想の部分が挟まれており、全体に長い映画ながら飽きさせず興味深い構成になっている。

課題① 
メリルの演技は全体に良かったが、特にアウシュビッツで選択を迫られた時の演技は真に迫っていて素晴らしかった。色が抜けるように白く美しいその容姿も相まってのことだろうが、弱弱しさと強さを同時に感じさせる演技だった。
課題➁
二人の男性からプロポーズされたが、その反応の違いは、はっきりしている。愛していたか、友情のみだったかの違いである。色々なことに疲れて、友情のみ感じている相手にイエスと答える場合もある。が、ソフィはネイサンを愛しすぎていたのだろう。そのようにはできなかった。ソフィはかつて「ネイサンに救われた」と語っていた。この気持ちは大きい。
課題➂
スティンゴと結婚して農園で暮らしていたら、それなりに幸せになったのかもしれない。だが、ソフィの場合、心のどこかに空虚なものを抱えた一生になったのではないだろうか。
課題④
ソフィ、ネイサン、スティンゴの三人は最高の友達だが、男二人女一人に本当の友情はあるか、という問いだが、これはなかなか興味深い。三人に友情は存在すると思うが、その中の二人だけに強い愛情がある場合、長続きはしないだろう。女性が他の二人の男性を同じくらい好きで、三人で理解しあいながら暮らすというユートピアのような世界も有りかもしれないが、現実にはなかなか難しいだろう。
このような三人パターンの映画は結構ある。私が面白いと思ったのは、「突然炎のごとく」「冒険者たち」「バーニング劇場版」などである。
池内健さん (98cgg0kf)2024/8/12 15:42削除
第2次大戦の悲劇に深い心の傷を負った女性ソフィーをメリル・ストリープが見事に演じている。きまぐれなネイサンと激しい恋を繰り広げる現在(1947年)と虎刈りの収容所時代の落差。ナチス政権下のパートではドイツ語とポーランド語を流暢に使い分け、違和感を与えない。

 ソフィーはナチスのレーベンスボルン計画を背景に、2人の子供のどちらを生き残らせるかの選択を突きつけられる。選択を迫る将校の意図はよくわからないが、「支配民族」の宣伝文句に陶酔して自分(たち)が人々の生死を決める神に等しい存在になったと勘違いしていたように思える。実際、収容所で働くドイツ人軍医が父にどんな仕事をしているか聞かれ「神の仕事」をしていると答えた、というシーンもあった。人が神になるとろくなことはない。
 
 レーベンスボルン計画はナチスの政策だが、ウクライナでもロシアが子どもたちをさらってロシア人としての教育を受けさせているという報道もあった。ドンバス地域では学校教育がロシア化している。決して過去の話ではないことにぞっとする。

 ソフィーを救うネイサンが精神障害者のユダヤ人というのも興味深い。障害者はナチスによって迫害されたが、アメリカに住むネイサンは定職を得て社会的に一定程度受け入れられている。2人がエミリー・ディキンソン、トーマス・ウルフといったアメリカの文学者の作品を通じて心を通わせるようになった経緯もアメリカの文化的優位性を誇っているようにみえる。ネイサンがスティンゴの部屋に来て投げ渡すビールは「Rheingold」(ラインの黄金)というブランドで、反ユダヤ主義者でもあったワーグナーの作品名と同じ。当時ニューヨークでもっともシェアの高かったビールらしいので偶然かも知れないが、アメリカの余裕を感じさせた。

 スティンゴはソフィーたちの死後、彼女たちもナチスに虐殺された子供たちの一部だったと見なす。たまたま肉体的に生き延びただけで、精神的にはすでに死んでいた。それを認めることはある種の救いだと思った。


【課題1】一番印象に残ったメリル・ストリープの表情

 収容所でも出来事をカメラ目線で語る場面。スティンゴに向かって話している設定だが、観客がじかに告白を受けているような気分になる。

【課題2】2人の男性からのプロポーズ

 ソフィーとネイサンはともに文化的素養が高く、かつ心に傷を持つ。同じ種類の人間同士で理解し合える存在だと思う。これに対してスティンゴは若く田舎育ち。その優しさにシンパシーは感じても恋愛の対象にはならない(実際、演じている俳優もあまりかっこよくない)。

【課題3】ソフィーが結婚して田舎の農園で暮らしたら

 自分の子供(の一人)を見殺しにした罪悪感は大きく、子供をつくることに心理的な負担を感じている。しかし信心深い南部の田舎では「なぜ子供を産まない」と圧力をかけられ、遅かれ早かれ結婚生活は破綻していたと思う。

【課題4】3人の友情

 スティンゴはあくまで語り手。「ソフィーとネイサン」の友人で、その男女関係をつぶさに観察できた目撃者だ。三人の関係には濃淡があり、正三角形でない。
藤野さん (8j4tkzsk)2024/8/13 10:41削除
ソフィーの選択 感想 藤野燦太郎
今回このような映画を選んでいただいて感謝致します。深刻な映画でしたが考えるところがいくつもあり、良かったです。

【課題1】
この映画はメリル・ストリープの演技が魅力的だと思います。
みなさんの一番印象に残っている表情はどのシーンですか?
なんといっても焼却室に息子か娘の二人を送るか、あるいはどちらか一人を送るかと看守が選択を迫り、一人でも助けたい一心で娘を送ってと答えるシーンですね。このことで、自分の中で罪悪感が増大し、さらに自分を否定する人間になっていくわけです。
日本でも同じように、中国満州で敗戦を迎えた際に、ソ連軍が雪崩れ込んできて、それを抑えるために娘を差し出したり、緊急で日本に帰国する際に限られた列車や車、船に乗せられないため、2~4人の子供のうち長男のみ選別して帰国した。その数108万人。空襲や原爆は体験談を残そうと多数の本や手記が出ている。ところが満州帰国者の多くは体験を話すことがほとんどない。敗戦国、戦争を始めた国という負の面があるからだろう。たぶん50万以上の「ソフィーの選択」があったものと推定されます。

【課題2】
ソフィー(メリル・ストリープ)は2人の男性からプロポーズされます。
片方に対してはとても喜んで見せて、もう片方には明らかに気が進まない態度を見せます。その違いは何だと思いますか?
焼却室に娘を送ってと答えたのち、自分の中で罪悪感が増大し、さらに自分を否定する人間になっていく。後にステインゴに結婚を申し込まれるが、ステインゴのまっすぐな人間性を感じていて、とても自分は妻として向かない、子を持つことも不適切と考えて辞退する。自分だけ幸せになろうとはもはや考えない。最後はダメな奴と判っているのに、その男のところへ戻っていく。罪悪感からうそを繰り返して生きて来たソフィーには、過去を偽り妄想の世界で生きているネイサンが過去を忘れさせてくれるからよいと思うのだろう。

【課題3】
もしもスティンゴの望み通りソフィーが結婚して、田舎の農園で暮らしたとしたら、どのような生活になっていたと思いますか?
あの時の選択は一生を支配するので、その数年間にあったことは誰にもしゃべらないでしょう。その時代を封印してしまえばなんとか、生きていけるでしょう。
自分の患者さんが亡くなった時に遺族に必ず尋ねますが、中国戦線、南方戦線、特攻隊の生き残りの人たちは、妻や子に体験を話すことはまずないですね。
【課題4】
ソフィーとネイサンとスティンゴは互いが互いを愛している、最高の友達と言ってます。
男2人と女1人という奇妙なバランスではありますが、本当の友情があったと思いますか?
友情、愛情共に少し混ざり合っている。メインが男2人、女1人という映画は有名なものが多いですね。
第三の男、冒険者たち、カサブランカ、太陽がいっぱい、まだまだありそう。

追加 スティンゴの「自分探し」という文言が最初に出てきます。これについては、彼が暗い過去を持つソフィーやすぐ病気の為に怒り狂うネイサンに出会い、彼らと暮らしながら、普通なら関係を断てばすぐに楽になるのに、彼らを理解しようと努力するが最終的にはうまくいかない。でもこの体験を通じて、スティンゴは自分の好奇心、想像力、観察力に自信をもち、作家として一歩踏み出せると思ったようですね。
返信
返信7
管理者さん (8pa6wkw7)2024/5/24 14:40 (No.1171117)削除
第19回文横映画好きの集い(自由映画)(2024年8月18日)について、ご自由に感想をお書込みください!
藤堂勝汰さん (8pa6wkw7)2024/6/10 16:17削除
『破戒』(2022)を観て

【公開】
2022年(日本映画)

【原作】
島崎藤村

【監督】
前田和男

【キャスト】
間宮祥太朗、石井杏奈、矢本悠馬、高橋和也、小林綾子、七瀬公、ウーイェイよしたか(スマイル)、大東駿介、竹中直人、本田博太郎、田中要次、石橋蓮司、眞島秀和
(あらすじ)
 子供の頃、村を離れる際に、丑松は父から誰も信じてはいけない、絶対にこの村のことは隠し通せと言われ、丑松は、父の戒めを守ってきた。
 ある日、下宿先の宿屋でおかみに、部落出身であることを隠して宿泊していた客がいたと言われる。世間体もあり、全ての部屋の畳を変えるから部屋を片してほしいと言われる。
丑松が、外に出て人々が騒いでいる方を見ると、身なりのよい老人が人力車に乗ろうとしているところだった。人々は罵倒し、出ていけと叫んでいる。一人が石を投げ、老人の頭にあたり老人は頭から血を流していた。
その様子を見た丑松は引っ越しを決意し、下宿も兼ねている蓮華寺に引っ越すことを決める。
 丑松は、部落出身であることを公言している作家であり、活動家の猪子蓮太郎(眞島秀和)の著作を読み、猪子蓮太郎の新たな思想、理不尽な差別に対して声を上げる姿勢に感銘を受ける。
丑松の小学校の同僚であり、師範学校からの知り合いの銀之助(矢本悠馬)は、猪子蓮太郎に傾倒していく丑松の様子を心配する。
丑松が務める学校の校長は保守的で猪子蓮太郎などの新たな思想を嫌っていた。
 校長は丑松や銀之助をあまりよく思っていない。更に、郡視学の甥である若き教員文平が新しく赴任したことで、文平を重宝し始める。
そんな中、年配の同僚・敬之進は体調がよくなく、やむなく遅刻などを繰り返していたが、とうとう退職することになる。あと数ヶ月働けば恩給がもらえる敬之進のことを慮って丑松は校長にこれまでの働きに免じて恩給を出してはもらえないだろうかと相談する。
 しかし、規則は規則だ校長は相手にしない。その夜、敬之進と酒を交わした丑松は、蓮華寺にいる娘・志保(石井杏奈)が実は敬之進の娘であることを知る。
前妻の娘である志保は、金銭的な理由でやむなく蓮華寺に養子として出し、長男は日露戦争に従軍していると言う。
丑松は、蓮華寺で生活し、少しづつ志保に惹かれる気持ちを感じていながら、父の戒めを思い出し、気持ちを抑えようとする。
更に市議会議員の高柳利三郎(大東俊介)を見かけた丑松は、その妻が同郷の出身で部落出身であることに気づいてしまう。
 後日、蓮華寺にいる丑松を高柳利三郎が訪ねてくる。そして妻の出自について黙っていてもらいたいと丑松に突きつける。
 そして、校長は学校を上げて次の市議会選で高柳利三郎を支持すると表明するが、対抗馬は猪子蓮太郎が支持している弁護士だった。
以前から猪子蓮太郎の新作が出るたびに、自身の出自を明かさず、手紙を送っていた丑松は、猪子蓮太郎が演説で各地を巡回していることを知る。その上猪子蓮太郎自ら蓮華寺を丑松に会いに訪ねてきたと聞く。
猪子蓮太郎が泊まっている宿に向かった丑松は猪子蓮太郎に会い、興奮気味に猪子蓮太郎の著作、そして思想に対する思いをぶつける。猪子蓮太郎も丑松の熱い思いを感じ、自分のような出自のものにも対等に接してくれることに感激する。
 幾度となく、自分の出自を猪子蓮太郎に伝えようと思っては、父の戒めを思い出していた丑松だったが、とうとう決意し、猪子蓮太郎に次に会ったら聞いてほしい話があると伝える。
しかし、その夜猪子蓮太郎は、高柳利三郎が雇った人々に襲われて命を落とす。
猪子蓮太郎の思想に触れ、自身も理不尽な差別に対し、声を上げたいと思う丑松だったが、今まで師範学校に通い、教師としてやってこれたのは、出自を隠してきたからであり、自分の出自を話す勇気が持てずにいた。
文平は、丑松が生まれの地を誤魔化して明確に言わなかったことがひっかかており、旧友との会話で丑松の話をした文平が、その地に瀬川という名の部落民がいたことを知る。
丑松をよく思わない文平は丑松と銀之助以外の教員らに教員の中に部落出身のものがいるという噂を流したり、志保に丑松の出自や悪口を聞かせていた。
猪子蓮太郎の思想に触れ、じわりじわりと自分の出自がバレてしまうのではないかという不安、思いを寄せていても許されぬ志保への思いなど、さまざまな思いで丑松は塞ぎがちになる。
塞ぎ込む丑松の様子を心配する銀之助だったが、何が丑松をそう暗くさせるのかがわからず、志保と丑松がお互いに惹かれあっていることを感じていた銀之助は、丑松に志保となぜ一緒にならないのかと聞く。
葛藤の末丑松は、銀之助に噂は本当だ、自分は部落出身なのだ、今まで黙っていてすまなかったと言う。その告白に銀之助は驚きつつも、今まで無神経な発言で君を傷つけてしまった、すまないと謝るのだった。
全てを曝け出す決意をした丑松に銀之助は、早まるな、何も馬鹿正直に全て言う必要はないと言うが、丑松は聞く耳を持たず、生徒や同僚らにも伝え、学校を辞める気でいた。
生徒を前に丑松は今日は皆さんに話があると言い、自身は部落出身であると告白する。
皆さんが大人になった時に瀬川という教員がいたこと、瀬川が伝えてきたことを思い出してほしい。私は卑しいとされる身ではあっても皆さんに正しいと思うことを伝えてきた、と言いながら涙を流しその場に崩れ落ち
る。
 今まで騙していて本当に申し訳ありませんでしたと謝る丑松の姿に生徒も涙を浮かべる。
 全てを告白し、一人で東京へと向かうつもりであった丑松の元に、銀之助が志保を連れて現れる。君は薄情だなと明るく冗談を言うと、志保は全てをわかった上で丑松と一緒になるつもりであったことを伝える。
志保は丑松と共に歩き出す。そんな2人の元に生徒も見送りに駆けつける。しかし、途中で文平がやってきて学校に戻るように言い放つ。
文平に対し、銀之助が普段とは違う怒りに満ちた声で、責任は全て自分が取るから君は帰って校長の機嫌でも取っていたらいいと怒鳴りつける。銀之助の剣幕に驚いた文平は立ち去り、生徒らは無事丑松と志保を見送る。
「またどこかで」そう力強く告げ、丑松は志保と共に前へと歩き出す。

 本作は島崎藤村の「破戒」を原作とし、約60年ぶりに作られた映画である。かつては巨匠、木下恵介監督や市川崑監督により映画化されたこともある。
2022年版として、間宮祥太朗が丑松を演じ、最初はイメージが違うのではと思っていたが、後半に入り間宮が部落出身である苦悩を感じるころから、意外と嵌っていると感じることができた。志保(石井杏奈)も明治期のおしとやかであるが芯の強い女性を上手く演じ切れていたと思う。
島崎藤村は僕の母校出身で明治学院本科の第一期卒業生で、校歌も作詞しているので特に思い入れのある作家でもある。
破戒のテーマである「部落」問題は例えば日本で言うと「ハンセン病」、海外では黒人、ユダヤ人差別など付いて回る人間の病である。

以下名古屋市「1.部落差別(同和問題)を正しく理解しましょう」から抜粋
江戸時代には、身分的制度のもとで農民、町民とは別に置かれた「えた」「ひにん」などと呼ばれた人たちへの差別が強くなりました。住む場所や職業が決められ、結婚、服装、時には
食べるものさえも規制されたのです。
 1871(明治4)年、「えたやひにんといった名称はなくした、これからは身分も職業も平民と同じである」という内容の太政官布告、いわゆる「解放令」により封建的な身分差別は制度上
はなくなりました。しかし、人々への啓発などは行われず差別意識は依然として残りました。さらに、明治政府の急激な近代化政策の中で同和地区の産業は衰退し、かといって根強い差
別のため新たな仕事につくこともできず、同和地区の人々の貧困化は進みました。子どもたちが満足に学校にも行けないなどその貧しい生活実態が差別の口実として新たに加わったので
す。

 明治期のこの差別はどうしても避けなくてはいけないものだったのだろう。
その苦悩や、自尊心の葛藤が本映画で巧く描かれている。いい映画なので、皆さんにも見ていただきたいと思います。
(amazon prime)
https://www.amazon.co.jp/%E7%A0%B4%E6%88%92-%E9%96%93%E5%AE%AE%E7%A5%A5%E5%A4%AA%E6%9C%97/dp/B0B8RQV9PL
藤堂勝汰さん (8pa6wkw7)2024/6/25 11:42削除
『流浪の月』(2022)
【公開】
2022年(日本映画)
【原作】
凪良ゆう『流浪の月』(東京創元社刊)
【監督・脚本】
李相日
【キャスト】
広瀬すず、松坂桃李、横浜流星、多部未華子、趣里、三浦貴大、白鳥玉季、増田光桜、内田也哉子、柄本明

【作品概要】
2020年の本屋大賞に輝いた凪良ゆうの小説『流浪の月』を『悪人』(2010)、『怒り』(2016)の李相日監督で映画化。

【感想】
本映画、先般「市子」を観た流れで、アマプラで観られるという事で鑑賞してみた。
幼少期に誘拐された経験がある更紗(さらさ)役を広瀬すずが、誘拐犯役の文(ふみ)を松坂桃李が演じている。
最初誘拐犯の家に行き、そのま居ついていてしまう流れからストックホルム症候群(※)をテーマにした映画かなと思う。ある意味合っているし、ある意味合っていない。
文自身にはロリコンの匂いも感じられるし、実際文自身は大人の女性に話しかけることはできないでいる。
文は第二次性徴が来ない病気を患っていたのである。
この映画はテーマと役者によって大きく印象が変わる。
広瀬すずと松坂桃李であるなら、ストックホルム症候群でもロリコンでも第二次性徴が来ない病気を患っていても何とか観ていられるが、一般社会ではまだまだ「きもい」範疇のストーリーである。
第二次性徴が来ない病気を患っている小さな少女にしか声を掛けられない男が家庭環境に問題があり、家に帰りたくない少女に「うちに来る?」と声を掛けるところから始まる。
好奇心旺盛な少女は男性の雰囲気を一切醸し出さない男にいつしか安堵と安心感を得る。それは彼女にとって居心地がよく、初恋であるのかもしれない。
やがて男は少女誘拐の罪で逮捕され、少年院送りとなる。
一方少女は男に何もされなかったにもかかわらず、汚されたレッテルを張られたまま成長していく。
そして15年後に”初恋”の相手に再会する。
相変わらず女性に対して奥手な一面を持ったままであることと、彼女ができていることに更紗は安心する。
更紗には彼氏がいるが、心の底から愛しているのではなく、好きになってくれた恩義だけで付き合っている。
そして更紗の心はやがて元誘拐犯、文に傾いていく。
それを感じた彼氏は、思うようにいかないことに苛立ち、やがて彼女に暴力を振るうようになる。
結果、文から彼女が離れ、更紗の下から男が去っていき、二人は一緒に生きていくというストーリーとなっている。
ハッピーエンドと言えばハッピーエンドであるが、観ている側には素直に喜べないしこりが残る。
勝手にやっていればと言うと突き放した言い方になるが、どうでもいい者同士の逃亡劇の感は否めない。
流浪と言うのは気になる二人の行く末だと思うので、本人たちがよければそれでいいんじゃねと言うのが僕の率直な感想である。
大人になり切れない男女が”清い”ままに生きていくのが羨ましいのか? そんなことを考えた。

(※)
メディアや臨床心理学においては、被害者が犯人と心理的なつながりを築くことについて「好意的な感情を抱く心理状態」と判断して表現しているものが多い。
さらに誘拐や監禁以外の被害者の反応についても表現されるようになる。
藤堂勝汰さん (8pa6wkw7)2024/7/11 08:34削除
ディア・ファミリー
劇場公開日:2024年6月14日
監督:月川翔
原作:清武英利
出演者:
坪井宣政:大泉洋
坪井陽子:菅野美穂
坪井佳美:福本莉子

 7/10、水曜日は映画を¥1,300で観られるので、これでいっかという感じでディア・ファミリーを鑑賞した。
テレビなどでは素人が人工心臓を作ろうと奮闘するストーリーという事くらいは知っていた。
よくあるお涙頂戴の浅いストーリーであろうと思っていた。
 結論から言うと、今年観た映画(アマプラ含む)の中で一番良かった。
 この映画は10歳の娘佳美を持つ主人公が娘の心臓疾患により余命[10年]を突き付けられて、無謀にも10年間で娘の命を救う為に人工心臓を作ろうと挑戦をする家族愛を描いたハートウォーミングストーリーである。
 親の愛の強さが無ければ、こんな無謀な発想が生まれるはずが無い。だが、逆の言い方をすれば、この愛の力が無ければ、こんなに短期間で物事を進める原動力は生まれないという事である。
父親役に大泉洋、どこまでも諦めが悪く、妥協できない性格と大泉の人柄がマッチしている。大学教授役に光石研、上司の顔色を伺い、最後に手のひらを返す辺りの演技はさすがである。
これは実話に基づいたストーリーである。
 人工心臓は完成させる事はできず、娘佳美も23歳の若さで亡くなってしまう。しかしながら、多くの患者が救われる事になる日本人に特化したカテーテルを開発し、多くの命を救う功績を残す。
娘への愛、娘の多くの人を救ってあげてという思いを最後まで投げ出さずにやり切るわけである。
 最後に妻とのやり取りで、「次は何をやる?」と言い合うやり取りは、まさに向かうところ敵なしの無双状態である。
10年以上掛けて、多くの挫折や失敗を重ねて来て、ようやく物にした人の自信に勝るものはない。どこかに糸口はあるはずだし、人の心も熱意の前では翻る可能性はある。
余談であるが、自分は大動脈乖離、大動脈瘤という病気で、何度も手術をして来た。その間にはステントグラフトやこのカテーテルも経験してきた。今も何とか生きていられるのは、先人たちの成してくれた数多の失敗と死の上に成り立っていると自覚している。
 医学は進歩している。生まれる時代で、助かる命、助からない命は確かにある。ただ一つ言える事は、助けたいと思えば、その努力はいつか報われるという事である。「あきらめたらそこで試合終了ですよ」というスラムダンクのセリフはまさに人類が共通に認識しているという事である。
 皆さんも劇場でアマプラなどで本映画を観てもらい、勇気をもらって欲しいと思います。
返信
返信3
管理者さん (8pa6wkw7)2024/2/19 13:40 (No.1081152)削除
課題映画、第18回文横映画好きの集い(新作)(2024年5月19日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
藤堂勝汰さん (8pa6wkw7)2024/2/20 10:51削除
お疲れ様です。藤堂です。第18回文横映画好きの集い 新作課題作品は、「白いカラス」です。

『白いカラス』は、ロバート・ベントン監督の2003年のアメリカ映画。
黒人差別をしたと訴えられて辞職に追い込まれた教授を通して、アメリカの人種問題の深刻さを伝えた作品。
原作はフィリップ・ロスの『ヒューマン・ステイン』。

以下に、討議内容を記します。よろしくお願いします。
課題①
本映画の原作はフィリップ・ロス 著『ヒューマン・ステイン』(人間の穢れ)という本ですが、あなたはこの映画のタイトルとして、原作名『ヒューマン・ステイン』(人間の穢れ)と「白いカラス」のどちらがしっくりきましたか?

課題②
コールマンは図らずも黒人差別の用語を口にしたという事で解雇されそうになった時に、自らは「黒人である」と言って解雇を免れることもできたはずです。
なぜそれをしなかったと思いますか?

課題③
ニコールの元夫はなぜ二人を殺害したと思いますか?

課題④
自由に感想を述べてください。

(余談)
僕は学生時代「黒人文学」「ユダヤ人文学」を専攻しておりました。
その中で強く印象に残った作品が「ネイティヴ・サン: アメリカの息子」リチャード・ライト著 です。
これは、概略こんなお話です。
「1930年代、大恐慌下のシカゴ。アフリカ系の貧しい青年ビッガー・トマスは、資本家令嬢で共産主義に傾倒する白人女性を誤って殺害してしまう。発覚を恐れて首を斬り、遺体を暖房炉に押し込んだその時、彼の運命が激しく変転する逃走劇が始まった――。現在まで続く人種差別を世界に告発しつつ、アフリカ系による小説を世界文学の域へと高らしめた20世紀アメリカ文学最大の問題作」
黒人で生まれると、白人に対して「恐怖」を抱き、その恐怖から逃れるために暴挙に出るという、我々民族には感じたくても感じられない抑圧されたものがDNAレベルで沁み込んでいるわけです。
克己 黎さん (8kvydqc8)2024/3/31 09:14削除
『白いカラス』を観て 克己黎 

 <テーマ>(1)本映画の原作はフィリップ・ロス 著『ヒューマン・ステイン』(人間の穢れ)という本ですが、あなたはこの映画のタイトルとして、原作名『ヒューマン・ステイン』(人間の穢れ)と「白いカラス」のどちらがしっくりきましたか?

→ヒューマンステインに一票。
白いカラス、だとすぐに内容に想像がついてしまう。また、人間の意識にある穢れの問題がテーマと思う。

(2)コールマンは図らずも黒人差別の用語を口にしたという事で解雇されそうになった時に、自らは「黒人である」と言って解雇を免れることもできたはずです。なぜそれをしなかったと思いますか?

→隠してきた秘密を明かしたくなかったから。

(3)ニコール(フォーニア・ファーリー)の元夫はなぜ二人を殺害したと思いますか?

→ベトナム復員兵のPTSDにより気が触れていたから。

(4)自由に感想を述べてください。
 
→アンソニー・ホプキンス。エド・ハリス。ニコール・キッドマン。ゲイリー・シニーズ。アカデミー俳優が揃った、演技合戦。ニコール・キッドマンが若々しく美しい。
若き日のコールマンはたしかテレビドラマで人気になった俳優で、その彼女役は『ブリジット・ジョーンズ』二作目に出てきたレズビアン弁護士役の魅力的な美人だ。

作品はシドニー・ポワチエの『招かれざる客』を思い出させる。

黒人の遺伝の要素が薄い色素が白人と間違えられるコールマンの心には、黒人が劣等しているという意識が強くあり、アイディンティティの喪失があったのだろう。

また、市川雷蔵の『破戒』も思い出させる。

非常に難しい問題を扱った内容だと思った。
上終結城さん (8g07wmfj)2024/5/3 21:39削除
1.はじめに
 初見の映画で、まったく予備知識なしで観た。妻を亡くした男(60代)と歳の離れた女(30代)の恋愛を中心にした人間ドラマ、という意外な内容だった。
 ニコール・キッドマンのツンとした美人顔はあまり好きではないが、あばずれ女を演じるときのキッドマンはいい味を出す。たとえば『誘う女』(1995)や『ペーパーボーイ 真夏の引力』(2012)など。本作もその系列。
 アンソニー・ホプキンスは『羊たちの沈黙』(1991)(レクター博士)の怪演で有名だが、本来は『日の名残り』(1993)の執事や『ファーザー』(2020)の認知症老人など、しぶい演技が持ち味。本作ではめずらしく、若い女と恋愛する老人役に挑戦している。

2.設問への回答
【課題①】
この映画のタイトルとして、原作名『ヒューマン・ステイン』(人間の穢れ)と「白いカラス」のどちらがしっくりきましたか?

【回答①】
 映画の主な登場人物は以下の四人。
(1)フォーニア・ファーリー(ニコール・キッドマン) 
(2)コールマン・シルク(アンソニー・ホプキンス) 
(3)レスター・ファーリー(エド・ハリス) 
(4)ネイサン・ザッカーマン(ゲイリー・シニーズ)
この四人は全員、なんらか心の傷(stain)を抱えている。だから「The Human Stain」というタイトルも悪くないと思う。ただ邦題として地味なので、配給会社は観客の興味をひきやすい『白いカラス』を考えたのだろう。
 『白いカラス』とは当然コールマンを示すのだが、作中、フォーニアが檻の中にいる黒いカラス(人に飼いならされ自然に帰れないカラス)へ「お前は私と同じだ」と話しかける場面がある。このカラスも重ねているかもしれない。

【課題②】
コールマンは自ら「黒人である」と言って解雇を免れることもできたはずです。なぜそれをしなかったと思いますか?

【回答②】
 コールマンは黒人である出自を隠し、社会的地位(大学教授)を獲得した。両親は死んだといつわり、母や兄妹とも縁を切って生きてきた。妻にも事実を話していない。コールマンにとって自分が黒人であることは、職や地位を失うよりも秘密にしたい事実だったのだろう。このあたりの心理はわれわれ日本人には理解しづらい。

【課題③】
ニコールの元夫はなぜ二人を殺害したと思いますか?

【回答③】
 やはり元妻(フォーニア)への執着心、未練から二人の関係に嫉妬し、我慢できなかったのだろう。破れかぶれになり、自分もろとも二人を道連れにしようとした。しかしレスター(元夫)の記憶と意識は混濁していて、自分の行動をはっきりと自覚できていない。

3.自由感想
3.1 黒人差別問題を扱った映画
 黒人差別をあつかった映画は多数あるが、本作を観て小生が思い出したのは、古い映画『最后の接吻』(1958)である。第二次大戦中(フランス戦線)を背景に、アメリカ軍将校(フランク・シナトラ)と下士官(トニー・カーティス)と黒人混血娘(ナタリー・ウッド)をめぐる葛藤のドラマ。シナトラは美しい娘ウッドに想いをよせるが、ウッドは陽気でハンサムな若者カーティスに心を奪われる。しかしウッドが黒人との混血であることを知ったカーティスはウッドを冷たく捨てる、傷心のウッドは……、そして……。昔、TVで観た記憶がある。(どうやら1968年の『 日曜洋画劇場 』だったらしい)

3.2 事故で終わる映画
 本作は事故(元夫の故意による車事故)により唐突に終わる。車事故で終わる映画はいくつもあるが、幸福感に満たされた状態のカップルが突然事故死する映画としては、『存在の耐えられない軽さ』(フィリップ・カウフマン監督1988)が思い出される。
清水伸子さん (8p590r59)2024/5/12 17:46削除
随分前に一度観たことがあるが、ニコールキッドマンが美しかった印象だけが残っており、今回改めてこの映画を2回観た感想を述べたいと思う。まずは課題の回答から

1.原題の「ヒューマンステイン」と「白いカラス」とどちらが良いと思うか
 作者がこの作品で伝えたかった事を思うと「ヒューマンステイン」だと思うが、映画の題名としては「白いカラス」の方がイメージが湧きやすので難しいところだと思う.

2. コールマンは解雇されそうになった時、なぜ自分の出自を明らかにして解雇を免れようとしなかったのか?
 彼は長年自らを偽って生きてきており、それまで妻にも明かしてこなかった。そんな重い事実をこの場で明かす訳にはいかなかったのだろう。

3.フォーニアの夫は何故2人を殺害したのか?
 この映画を通しては、何故彼が2人を殺さなければならなかったのかという切実さは伝わってこなかった。ベトナム戦争での心的外傷と息子を妻に殺されたという恨み、そして妻への執着などが理由としては考えられる。

4.自由感想
 黒人差別問題の他、ベトナム戦争の傷跡、一つの言葉のみを取り上げて差別だと糾弾する社会の風潮、家庭の中の家父長制、そして大統領の不倫についてなど多くのことを取り込みすぎている感じを受けた。コールマンがフォーニアに惹かれるのは分かるが、フォーニアがなぜコールマンに惹かれたのかが分からなかった。それぞれが深い傷を抱えていた事が理由なのかとも思ったが、彼女の「あなたは若すぎる。せめて100歳以上でないと」という言葉からは、父親的な存在を求めていたのかなとも思ったが、それもあまり切実には感じられなかった。
藤堂勝汰さん (8pa6wkw7)2024/5/13 09:43削除
今回新作テーマとして「白いカラス」を選ばせていただきました。
本作現在ではアマプラで鑑賞できない状態になっており、会員の方々にはご不便をおかけしてしまいました。申し訳ありません。
自分はGEO宅配レンタルに加入し、再度鑑賞しました。
改めて以下の討議内容について考えてみたいと思います。

【討議内容】
課題①
 本映画の原作はフィリップ・ロス 著『ヒューマン・ステイン』(人間の穢れ)という本ですが、あなたはこの映画のタイトルとして、原作名『ヒューマン・ステイン』(人間の穢れ)と「白いカラス」のどちらがしっくりきましたか?
(私見)
 映画の中では「人間の傷」と訳されていました。
「人間の穢れ」でも「人間の傷」でも、やはり「白いカラス」の方がしっくりくると感じました。

課題②
 コールマンは図らずも黒人差別の用語を口にしたという事で解雇されそうになった時に、自らは「黒人である」と言って解雇を免れることもできたはずです。
なぜそれをしなかったと思いますか?
(私見)
 教授であるコールマンは授業に姿を現さない学生を「幽霊」にたとえ「spook(スプーク)」と呼んだが、それは黒人に対する差別語としても使われることのある言葉でもあった。
両親や兄弟を捨てて白人として生きていくと心に決めたコールマンにとってはたとえ学部長の職を失いかねない状況になったとしても尊厳を守り通したかったのだと思います。
そしてその秘密は墓場まで持って行こうと決意していたのだと思う。

課題③
 ニコールの元夫はなぜ二人を殺害したと思いますか?
(私見)
 二人の子供を事故で失い、美しい妻は自分の下から離れていき、生きる希望を失い、自暴自棄な気持ちに襲われる。
美しい妻フォーニアは自分よりもずっと年上の老人の下に行き、やり直せるチャンスが無いと感じたからではないだろうか。
この手の元妻、元カノへのストーカー殺人は後を絶たない。

課題④
 自由に感想を述べてください。
(私見)
 この映画はコールマンの友人で作家のネイサン目線で描かれたコールマンとフォーニアの「生れ出づる悩み」を性と暴力で描いた作品である。
二人は年齢も生まれも育ちも全く相違しているが、どこかで「似た者同士」を自覚しており、互いの弱い部分を少しづつ相手に見せていくことで、関係を深めていく。
そしてコールマンはついにフォーニアに自らは「黒人」であることを告げる。
それは彼が両親や兄弟と縁を切って、誰にも告げずに墓場まで持って行こうと心に決めた「秘密」であった。
その秘密を初めて他人に告げられた瞬間、彼はようやく呪縛から解放されたのだと思う。
池内健さん (94qy09pz)2024/5/16 13:20削除
重苦しい印象だった。人種差別や性的虐待、DV、ポリティカルコレクトネス、家族、老い、戦争経験など、アメリカ社会の負の側面を重層的に描いているからだろう。ただ、異国の話ばかりとは思えず、主人公の過去が次第に明らかになる過程では、やはり主人公が過去の秘密を抱えた映画「砂の器」を連想した。

「白いカラス」の主人公コールマンは大学の古典の教授。授業ではギリシャ神話の英雄アキレスとアガメムノンの諍いが女性を巡るものであったことを説明している。海軍に志願して学費を稼いだコールマンとベトナム戦争帰りのレスターが、ニコール・キッドマン演じるフォーニアを挟んで対立する構図を暗示する形になっている。華々しい英雄たちの戦いとして語り継がれるギリシャ神話と異なって登場人物たちの社会的背景は貧しいが、人生の苦しみは時間も空間も超えて共通するということなのかもしれない。

 画面ではコールマンのヨーロッパ趣味が目についた。車はスウェーデンのボルボだし、ザッカーマンと飲むビールはチェコのピルスナーウルケル。大学でつき合った彼女は金髪のデンマーク系だった。そういえば大学名もギリシャ神話の女神アテナを冠していた。ユダヤ人を詐称したのは、妻がユダヤ系だったのに加え、色が白い東欧系だけでなく浅黒いスペイン系もいて紛れやすいことも一因だろうか。いずれにせよ、ユダヤ人はギリシャ文明を淵源とする西洋文化(=白人文化)の構成員であり続けており、コールマンはユダヤ人を名乗ることで、白人社会では植民地関係で従属的な地位におかれてきた黒人とは違う、ある種の優越性を感じていたに違いない。

「白いカラス」というタイトルは、直接的には黒い肌の家族のなかに生まれたコールマンを現しているのだろう。ただ、映画のなかでは、フォーニアが保護されたカラスに話しかける場面がある。このカラスは仲間から切り離されて育ったので鳴くことができない。自分の思いを言語化できずに暴力に走ってしまうフォーニアやレスリーをも象徴しているようだ。

課題①タイトルは「ヒューマン・ステイン」(人間の穢れ)か「白いカラス」か
  Stainを辞書でみると「汚れ、しみ、汚点」といった語義が並べてある。大部分はきちんとしているのに一部だけ欠陥があり、それが致命傷になるというイメージで、アキレス腱を連想させる。「Human Stain」というタイトルはよく出来ていると思った。ただ、これをカタカナ表記にしたり、直訳しただけだったりすると残念な日本語タイトルになってしまう。「白いカラス」も、配給会社がそうとう工夫したのだろうが、観ようという気を起こさせない。

課題②コールマンはなぜ黒人だとカミングアウトしなかったのか
 古典世界につながっていることがアイデンティティとなっているので、そこから切り離された黒人だと自ら認めることは自己否定になってしまう。職や表面的な名誉を失うよりもつらいことだったのではないか。

課題③元夫はなぜ二人を殺害したか
 ギリシャ悲劇だから。悲劇では主人公は死ななければならない。

課題④自由感想
 アメリカのユダヤ人というとドイツ系の名前が多い印象がある。Spielberg(芝居の山)、Zuckermann(砂糖男)、Morgenthau(朝露)など。だからコールマンがユダヤ人といいながら名前がSilk(絹)という英語名だったのではじめは違和感を感じた。後に黒人だったとわかり、納得できたような気がした。
山口愛理さん (8xfaoi67)2024/5/17 15:54削除
「白いカラス」を観て

①『ヒューマン・ステイン』と『白いカラス』どちらが良いか。
何も前知識が無くて観たら、映画後半以降にならないとこの映画の言いたいことが分からないだろう。その意味では、『白いカラス』の方が、観る前から半ば想像がつくので良いのでは。
また日本では白いカラスとはあり得ないこと、それだけにとても貴重なことを意味するようだ。『ヒューマン・ステイン』(「人間の傷」と映画の中では字幕に出たと思う)では一般的であり意味が広過ぎる。それが良いとも言えるが。

➁コールマンはなぜ自らも「黒人である」と言わなかったのか。
一度婚約しようと思った彼女が離れて行ってから、彼は黒人である出自を隠して生きてきた。それが、この世界で能力を存分に発揮して生きる意味であり、プライドだった。だからこの期に及んで告白するわけにはいかなかったのだろう。
また、例え自分は黒人であると告白したとしても、「白いカラス」であるだけに、「優越感を持った黒人」と捉えられかねない。それでは告白した意味も無くなる。

➂ニコールの元夫はなぜ二人を殺害した?
ニコールのことを愛していたからだと思う。あらゆる愛憎の犯罪にあるように、これが彼のゆがんだ愛し方だったのかもしれない。

④感想
黒人の中に白人(アルビノ?)として生まれた苦悩が描かれている。だがその出自にふたをして生きねばならなかったのは悲しい。こういうストーリーの映画は初めて観た。この人種差別問題がひとつ大きなテーマ。
そして、もう一つは年齢のギャップのある傷ついた者同士の二人の恋愛。
この二つのテーマが重なり合うためには、コールマンが告白してからの二人の会話や時間の流れをもうちょっと丁寧に描いて欲しかった。二人がわかり合い、最高潮の幸せが訪れたところで、突然の悲劇、という方がもっと効果的と思った。
また、ニコール・キッドマンは綺麗で妖艶だったが、アンソニー・ホプキンスにはそれほどの魅力を感じなかった。出会ってすぐに、どこにそんなに彼女が引き付けられたのか、その説得力は乏しかったと思う。
例えばマーロン・ブランドが当時もう少し若く、元気であればコールマンを演じて欲しかった。(マーロンはアンソニーより13歳年上。映画公開時、マーロンは79歳でアンソニーは66歳。マーロンはその翌年に病気で他界している)
映画全体がミステリータッチなのは惹きつけられたし、どこか英国調の品のある画面作りも功を奏していたと思う。
返信
返信7
管理者さん (8pa6wkw7)2024/2/19 13:40 (No.1081153)削除
課題映画、第18回文横映画好きの集い(旧作)(2024年5月19日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
清水伸子さん (921a7cxd)2024/3/6 16:09削除
課題映画 旧作「欲望という名の電車」について

 今回この映画を選んだのは、大学時代に舞台で「ガラスの動物園」という作品を観たのがきっかけです。誰が演じていたのか全く覚えていないのですが、脆く美しい作品世界はテネシー・ウイリアムズという名前と共に強く印象に残り続けていたため、また彼の作品に触れてみたいと思ったのです。もちろんビビアン・リーがブランチをマーロン・ブランドがスタンリーを演じているのも魅力です。

課題について

 ①スタンリーがブランチのトランクから手紙を取り出したとき、「触られたから焼く」とブランチが激しく動揺したのはなぜだと思いますか?
 ②イブニングスターの集金人の登場はどんな意味があると思いますか?
 ③花売りの老女は二回登場します。どんな意味があると思いますか?
 ④最後にステラは「もう帰らないわ。今度こそ戻らない」と言いますが、本当に戻らないと思いますか?

それでは皆さんと一緒にこの映画について語る時間を楽しみにしています。
藤堂勝汰さん (8pa6wkw7)2024/3/19 13:38削除
「欲望という名の電車」を観て

 本作は文横の読書会で2020年1月に読書会で藤本さんが取り上げ、作品を読むと共に、映画も観た。
 本作、1951年に制作されているが、元々原作が戯曲ということもあり、登場人物のキャラクターがしっかり描かれており、ストーリー展開もしっかりしているので、何回観ても、強く印象に残る作品である。
 1951年当時、本作のテーマである女性の性がまだまだオープンになっていない時代に主人公ブランチ(ヴィヴィアン・リー)の性の行いは非難の対象であった。特に田舎町では、女教師が生徒に手を出す事は町中の噂となり、とてもそこで暮らし続けられる状況ではなくなった事が予想される。
逃げるように町を出て、妹ステラ(キム・ハンター)の住む港湾都市ニューオーリンズのうらぶれた下町に身を寄せる。

 以下のセリフは印象的である。
「欲望という名の電車に乗って墓場という電車に乗り換えて六つ目の角でおりるように言われたのだけれど――極楽というところ」

 家も失い、精神も病み、金も持たない独身の女。
何とか妹の所で体や精神を休め、心機一転、一からやり直そうと考える。
しかし妹の夫スタンリー(マーロン・ブランド)は、そんな義理の姉に厳しく、家の売却で得た金を妹に渡す様強く迫る。
その金が入らないとなると苛立ち、義姉に強く当たり、彼女の立ち直ろうとする前に立ち塞がり、悪態をつき、彼女を追い込んでいく。
ブランチはやがてミッチ(カール・マルデン)と親密になり、結婚しようとするが、スタンリーの調査で、田舎で行っていた不貞の数々を調べ上げ、縁談は潰されてしまう。
スタンリーは妻との子供が生まれる段階で、ブランチの存在が邪魔であり、金にも窮していた。
スタンリーは義姉ブランチを犯し、彼女はとうとう発狂してしまう。
そして最後精神病院に送り込まれてしまうのである。
 演劇、映画では如何にもと言うストーリー展開で、観る側をハラハラドキドキさせる。
 それぞれの立場があり、一概に妹の夫スタンリーを責められない事が、このストーリーの最も考えさせられる所である。
何と言ってもヴィヴィアン・リーとマーロン・ブランドの鬼気迫る演技が凄く、息をも吐かせない作品に仕上がっていると感じた。、
「欲望」の虜となり、意のままに生きようとし、苛立ちの中で発散し、壊れていく人間模様が生々しく描かれている。

【課題について】
①スタンリーがブランチのトランクから手紙を取り出したとき、「触られたから焼く」とブランチが激しく動揺したのはなぜだと思いますか?
→元々南部の大地主だった家柄のブランチはお嬢様気質で、港湾都市ニューオーリンズのうらぶれた下町で働く身なりが汚く下品なスタンリーに触れられたことにより、汚らわしさが移ると感じた為ではないでしょうか。

②イブニングスターの集金人の登場はどんな意味があると思いますか?
→ブランチの女の性、少年への憧れ、誘惑、回顧などを彷彿とさせる。

③花売りの老女は二回登場します。どんな意味があると思いますか?
→不幸の始まり、暗示。悪い予感の象徴ですかね。
悪夢の世界に入っていく先導役。

④最後にステラは「もう帰らないわ。今度こそ戻らない」と言いますが、本当に戻らないと思いますか?
→待望の子供が生まれ、夫のせいで姉が発狂したと分かっていても、もはや行くあても無く、また心のどこかでスタンリーを強く求めている為、戻ると思う。
克己 黎さん (8kvydqc8)2024/3/30 19:58削除
『欲望という名の電車』を観て 克己黎

マーロン・ブランドのスタンリーのむきだしの肉体美にまず目が行き、あふれだす性の感情と、ビビアン・リーのブランチの薄い生地のドレスをまとい貴婦人ぶる虚栄が、アパートでぶつかり合う。昔観たことがあったが、あらためて今の年齢になって、観て良かった。

<テーマ>(1)スタンリーがブランチのトランクから手紙を取り出したとき、「触られたから焼く」とブランチが激しく動揺したのはなぜだと思いますか?

→露骨で卑猥なラブレターがあったから。

(2)イブニングスターの集金人の登場はどんな意味があると思いますか?

→ブランチの過去にすがる若さへの執着と過去に犯した少年への性愛を比喩している。また少年への性癖を表している。

(3)花売りの老女は二回登場します。どんな意味があると思いますか? 

→ブランチの暗喩。花売り=売春婦のメタファー 老女=40過ぎの女のブランチのメタファー

(4)最後にステラは「もう帰らないわ。今度こそ戻らない」と言いますが、本当に戻らないと思いますか? 

→スタンリーの肉体やDVに依存しとりこになっているからスタンリーのもとに戻る。


なかなか悲しい話で、女性の欲情と若さへの執着、虚栄、男性の労働者の肉体美、など、いろいろ勉強になった。
山口愛理さん (8xfaoi67)2024/4/27 13:53削除
「欲望という名の電車」を観て
・感想
何の前知識も持たずにこの映画を観た。味のある白黒映画。いきなり「Desire」行の市電が出てきて、おお、そのままだ、と思う。降り立ったのは美しい女性。身なりも良い。どこかで観た顔、そうだ、ヴィヴィアン・リーだ!と驚く。これに出ていたとは。
ヴィヴィアン演じるブランチが、猥雑な街で妹ステラの狭い家に仮住まいすることになり、次に登場したのはステラの夫の粗野なスタンレー。この顔も観たことがあるがわからない。しかし、いい男である。
物語が進むにつれて、ブランチが大地主だった故郷の家を売り払い、一文無しでありながらプライド高く感情的な女性であることがわかる。優しい妹とは裏腹に、馬が合わないブランチとスタンレーだが、ともに暮らすうちに次第にブランチの精神状態が崩れていき、壮絶な過去が明らかになっていく。
観ながら、遠い記憶もあって、これはもともと戯曲だろうと推測する。舞台の場所が限られているし、セリフがかなり練られている。感情のおおげさなほどのぶつかり合いがある。こういう舞台劇風な映画はあまり観たことが無かったのだが、退屈することなく最後まで見入ってしまった。いや、かなり面白かった。
観終わってから色々調べ、スタンレー役がマーロン・ブランドであることを知って二度驚く。若い頃の彼をあまり観たことが無くて「ゴッドファーザー」「ラストタンゴ・イン・パリ」「地獄の黙示録」しか知らなかったからだ。そしてやはり原作はテネシー・ウイリアムズの同名戯曲であることを知る。マーロン・ブランドは初め舞台に出演し、その後、同役で映画にも出演した。監督は「エデンの東」などのエリア・カザンという豪華さだ。ヴィヴィアン・リーをはじめ俳優たちも適役であった。
原作には、同性愛、少年愛、レイプなど、過激な要素も入っていて、映画ではそれらが緩和された表現になったらしい。実在したという「欲望という名の電車」を題名に付けたのは、登場人物たちのそれぞれの生き方を表現するためのメタファーか。
時には前知識も何もなく観るのも、発見があって楽しい。そして古き良き映画を紹介してくださった清水さん、ありがとうございました。

・課題について
①ブランチが激しく動揺したのは?
粗野なスタンレーに対して、潔癖症なブランチの一面を表わしたシーン。
➁集金人登場の意味は?
ブランチは教師時代に教え子の少年と関係を持った。それが理由で解雇された。そんな過去はこのシーンではまだ明かされていないが、予言するようなシーンだ。
③花売りの老女が二回登場する意味は?
ブランチの不安な心の表れ。そして不吉な結末の予感。「墓場」「極楽」という駅名に呼応している。
④ステラは戻らないか?
はっきりと描いていないが、スタンレーはブランチをレイプした。だとしたらステラは気持ちではまだ愛していたとしても、戻るのは難しいだろう。が、いずれは戻りそうな気もする。「欲望という名の電車」なので。
上終結城さん (8g07wmfj)2024/5/6 22:30削除
1.はじめに
 本作を観たのはおそらく二度目だが、一度目はかなり以前で詳細な記憶はほとんどなかった。今回、この名作をあらためてじっくり観なおすことができた。

2.マーロン・ブランドとエリア・カザン監督
 マーロン・ブランドの俳優キャリアを考えると、ピークが二回ある。初期の出演映画のなかで優れた作品はいずれもエリア・カザン監督である。
『欲望という名の電車』(1951)
『革命児サパタ』(1952)
『波止場』(1954。アカデミー主演男優賞)
この作品群がブランド(27~30歳)の最初のピークである。ブランドは自伝のなかで、自分の演技を磨いてくれたのはカザンだと言っている。
 しかしその後、ブランドはながい低迷期に入る(興行的に失敗作が続く)。そしてよく知られるように、ブランドを復活させたのがフランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』(1972。二度目のアカデミー主演男優賞)である。ここが二回目のピーク。

3.設問への回答
【設問①】
 スタンリーがブランチのトランクから手紙を取り出したとき、「触られたから焼く」とブランチが激しく動揺したのはなぜだと思いますか?
【回答①】
 手紙が初恋の相手(アラン)からの詩を綴ったもので、ブランチにとっては唯一「純愛」の記念だったから(推定)。

【設問②】
 イブニングスターの集金人の登場はどんな意味があると思いますか?
【回答②】
 集金人の若い男が死んだアランを思い出させる。ブランチがこの集金人を誘惑しかけたのも、過去に17歳の高校生を誘惑したのも、アランと同年代の少年への偏愛なのだろう。

【設問③】
 花売りの老女は二回登場します。どんな意味があると思いますか?
【回答③】
 死者にたむける花を売る老女 ⇒ 「死」を連想させるもの、ブランチが見たくないもの。

【設問④】
 最後にステラは「もう帰らないわ。今度こそ戻らない」と言いますが、本当に戻らないと思いますか?
【回答④】
 姉(ブランチ)がレイプされたことを知れば、姉想いのステラはスタンリーを許さないだろう。しかし、スタンリーはステラなしでは生きていけない男。また、ステラ自身も本心ではスタンリーを求めている。もし(本作中でもあったように)スタンリーに泣きつかれれば、結局元のさやに納まるのではないか。

4.テネシー・ウィリアムズの戯曲
 テネシー・ウィリアムズの戯曲を映画化した作品は何本か観ている。本作の他には『熱いトタン屋根の猫』(1958。個人的感想だがエリザベス・ティラーはこの映画のマギー役が最も美しい)、『去年の夏 突然に』(1959)。この二作はいずれも男性のホモセクシュアルが裏のテーマになっている。ちなみにテネシー・ウィリアムズもゲイであるといわれる。

5.『サンセット大通り』のグロリア・スワンソン
 過去への妄執から精神を崩壊させ、妄想の世界に生きる女主人公ブランチ……、その姿はビリー・ワイルダーの名作『サンセット大通り』(1950)のグロリア・スワンソンを彷彿とさせる。女の妄想を持続させるためには、その妄想世界に奉仕する崇拝者が必要である。『サンセット大通り』ではスワンソンの執事(夫だったか?)エリッヒ・フォン・シュトロハイムがそれであり、本作では、ブランチの過去を知る前のミッチがそれに相当する。
 とにかく本作におけるヴィヴィアン・リー(このとき38歳)の演技はすごい。アカデミー主演女優賞も当然だろう。
池内健さん (94qy09pz)2024/5/14 00:24削除
「欲望という名の電車」

 これまでに何度か、ピンクのフリル付きのワンピースを着て白いソックスをはいた中高年の女性を街で見かけたことがある。どちらかといえば顔立ちは整っている方だが、少女チックな装いがかえって肌の衰えを強調していることが多かったように思う。この映画の主人公ブランチも、社会の変化、そして自らの変化を拒否し、自滅していく。

 フランス系のデュボア家は大きな農園を経営する裕福な一家だったが時代の変化と共に没落したのだろう。ブランチは国語(英語)教師として働かざるを得なくなる。しかし幸せだった少女時代が忘れられず、現実から目をそらしてばかりいる。一方、妹のステラは現実に向き合い、庶民的なたくましさに満ちたポーランド系労働者のスタンリーとけんかしながらもそれなりに仲良く暮らしていた。しかし、故郷を追われたブランチがステラたちの家に居すわったことで、夫婦の関係もおかしくなっていく。

 ブランチが一番幸せだったのは、初めて愛を知った16歳の頃。精神的にはそこから一歩も成長していない。しかし体は加齢を重ねていくからそのギャップに耐えられない。肌の衰えが露わになる明るい場所を嫌い、普通のアメリカ人にはありえないほど、ひっきりなしに入浴する。一番恐れている変化は「死」。死の反対は生の原動力となる「欲望」だから、美しいものに囲まれ、男たちにチヤホヤされつづけたいと願う。17歳の生徒と不適切な関係を持ったのも、「16歳のまま」でありつづけるブランチにとってはむしろ自然なことだったのではないか。

 ブランチは現実から目をそらすため何かというとポエムの世界に逃げ込む。ミッチと仲良くなったのも銀のシガレットケースに刻まれたブラウンニングの詩がきっかけだった。イブニングスターの集金人に「千夜一夜の王子に似ていると言われたことはない?」と粉をかける場面もあった。スタンリーが、音楽にあわせて踊るブランチに腹を立ててラジオを窓に投げつけるシーンには、野蛮でもある現実社会を直視しないブランチへの批判も込められていたと思う。読書会に参加する身としては思わず反省してしまう場面だ。

 生徒と教師の関係といえば、マクロン仏大統領の妻ブリジットさんは24歳年上の高校時代の教師だった。就任時には美談的な紹介もあったので、ブランチの振る舞いもフランスなら許容されたかもしれない。

 スタンリーが「妻の財産は夫のもの、逆もしかり」とするナポレオン法を持ち出して、農園売却代金を浪費するブランチに「だまされた気分だ」と怒るのも印象的だった。世界の多くの国では夫の財産と妻の財産はわかれているのが常識だからこそ、わざわざ言及したのだ。かつて専業主婦が多かった日本では、夫の収入を妻が管理し、夫はお小遣い制という家庭も多かったが、社会学者の山田昌弘によると、こういう慣習があるのは日本と朝鮮と台湾だけ。日本でウーマンリブが成功しなかったのは、男女の賃金格差を是正しなければならないというモチベーションが大きくなかったからだという(今は夫婦共働きが普通なので格差是正は大きな関心事になっている)。

 ブランチ役のビビアン・リーは大地真央に似ていた(大地真央がビビアン・リーに似ているのかもしれない)。マーロン・ブランドは粗野でありながら頭も切れるスタンリーそのものに見えた。映像で見る分には魅力的だが、現実には絶対つきあいたくないタイプだ。

①スタンリーに手紙を触られたブランチが激しく動揺した理由
 大切にしている詩的な世界を粗野な人間に汚されたから

②イブニングスターの集金人が登場する意味
 17歳の生徒を誘惑していたことが明らかになったときのための伏線。若い集金人を誘惑したように17歳の少年も誘惑したのだろうと思わせる

③花売りの老女が2回登場する理由
 1回目は花が死と関係すると説明する前振り。2回目が本番で、死がそこに迫っているとブランチに思 わせ、狂わせる

④ステラは本当に戻らないと思うか
 戻らない。ステラはブランチと違って現実に順応する能力があるので、どこにいっても生きていける
返信
返信6
管理者さん (8pa6wkw7)2024/2/19 13:41 (No.1081154)削除
第18回文横映画好きの集い(自由映画)(2024年5月19日)について、ご自由に感想をお書込みください!
藤堂勝汰さん (8pa6wkw7)2024/3/21 14:43削除
ゴジラ-1.0(マイナスワン)を観て

 映画の集いで、山口さんや上終さんが観て、よかったと評していたことと、アカデミー賞で視覚効果賞を受賞したことを受けて、遅ればせながら3/16(土)に観に行った。

 今作で監督・脚本・VFXを山崎貴が務めている。

 舞台は、1945年終戦間近、一人の若き青年敷島浩一(神木隆之介)が、特攻隊にも関わらず、敵船に突っ込むことなく、大戸島に戻ってくるところから始まる。
その年の冬、焼け野原になった東京に帰ってきた敷島は、隣に住む澄子(安藤サクラ)から両親が空襲で亡くなったことを知らされる。厳しい生活のなか、彼は闇市で空襲中に託された赤ん坊・明子を抱えた典子(浜辺美波)と出会い、成り行きで共同生活をすることになる。

「僕の中の戦争がまだ終わっていない」という敷島の発言は、特攻隊員としての任務を放棄し、その先の大戸島でも、ゴジラを目前に逃げてしまったという自責の念を戦争後も抱え続けていたためである。
戦時中、徴兵された者は「お国のために死にに行く」という考えが支配的だったのに対し、本作でゴジラと戦う人々は、自分の意志で未来のために戦い、そして生き残ることを目指す。野田(吉岡秀隆)の発案したワダツミ作戦も「誰も死なせない」ことを目標としている。
 戦時中に特攻から逃げた敷島は、ゴジラ討伐で死ぬ覚悟を決めていたが、典子や橘(青木崇高)の言葉で生きることを選ぶ。
 ゴジラを核の恐怖の具現化として描いいる。
 ワダツミ作戦のときに敷島が搭乗した「震電」は、実在した戦闘機である。劇中で語られているとおり、太平洋戦争末期に日本海軍が試作したもので、最高時速約740km以上の高速戦闘機として計画されていた。1945年6月に試作機が完成、8月に飛行実験を行うが、実戦で使われることはなく終戦を迎える。
 野田の発案した「ワダツミ作戦」は、水圧の急激な変化によってゴジラを倒す作戦であった。
 まず、2艘の戦艦の間に渡したワイヤーにフロン爆弾を多く設置し、そのワイヤーをゴジラに巻きつける。そして爆弾を爆発させて発生したフロンガスの泡でゴジラを包み、海水より重いガスが沈む原理でゴジラを海底に引きずり込む。このときゴジラの体にかかる水圧が急激に上昇し、ダメージを与えられると野田は考える。
 さらにその後、大きな浮袋でゴジラを海面まで引き上げ、今度は急激な減圧によって息の根を止める作戦であった。
 いくら深海からやってきたゴジラといえど、これほどの急な水圧の変化には耐えられないと仮説を立てたため、この作戦を実行することにする。
 最後いかにも特攻隊員らしく、ゴジラの口目掛けて爆弾を積み込んだ機体で飛び込んでいく。死んだかと思えた瞬間、落下傘でもって降りてくる。
 死んだと思われていた典子も実は生きており、めでたしめでたしというストーリである。

 今回アカデミー賞で受賞した「視覚効果賞」であるが、僕はIMAXで観たので、臨場感も十分堪能できた。少予算ながら、ゴジラの迫力ある動きや脅威が存分に出ていたのではないだろうか。
 特攻隊の生き残りという「負け組」が、ゴジラと言う脅威に対して勇気を振り絞り、「勝ち組」に変貌する姿を神木はうまく演じ切れていたと思う。
 典子が最後生きていたというのは、できすぎ、やりすぎ感も否めなくはないが、アメリカではハッピーエンドが好まれるため、うまく受け入れてもらえたのだと思う。
克己 黎さん (8kvydqc8)2024/4/9 23:27削除
「マイ・ブルーベリー・ナイツ」を観て

ウォン・カーウァイ作品を観たいと思って観た作品。
昔見たことがあったが、だいぶ忘れてしまっていた。

ジュード・ロウがハンサムで若々しい頃の作品。ルッキズムではないが、やはり美男は才能の一つかもしれない。冒頭の何気ないバーのシーンでもジュード・ロウのハンサムらしさに惹きつけられた。

ノラ・ジョーンズはいくつか彼女のおだやかな癒やされる歌を聴いたことがあったが、歌手でありながら自然体の女優でもあった。顔もふっくらしていて可愛らしい。

この作品には、レイチェル・ワイズも出演しているが、ノラ・ジョーンズと顔の系統が似通っているような印象を受けた。レイチェル・ワイズはノラ・ジョーンズと顔が似ているがスタイル抜群で、色っぽい。

もっとがらりと違うキャスティングでも良かったかもしれない。

また、ナタリー・ポートマンも女賭博師として、出演している。

キャスティングがいいのにストーリーはいまいちで、あまり良い話には感じられなかった。また、演技も平凡だったが、カップルや若い女性が観るのには最適な、温かみはあった。

ノラ・ジョーンズのテーマ曲はとても良かった。

2024.4.9
克己 黎さん (8kvydqc8)2024/4/10 09:30削除
「さらばわが愛覇王別姫」
「始皇帝暗殺」
「英雄(HERO)」
「LOVERS」を観て
         克己 黎

中国の映画をいくつか観たので簡単に所感を述べたい。

●「さらばわが愛覇王別姫」
→京劇の虞美人役で有名になった京劇の女形スターに早逝した名スターレスリー・チャン、京劇の項羽役にして石頭、実力派俳優チャン・フォンイー、娼婦に世界的に知られるコン・リー。
実力派俳優の若き日の、表情や所作、セリフすべてに気を配り、ストーリーも緻密に練られ、母性(実母が娼婦)によって男性なのに女児の格好をさせられ、また六本指の畸形を切り落とされて、京劇の養成学校で鍛錬を積んだ主人公が、女形として生きるために男性性を捨て、女性として生きるものの、さまざまな裏切りに遭い、また自信も裏切り、歴史の変動を経て、最期は覇王別姫のように信念を持って虞美人のように自刃し、少年の頃のように男性に戻る、というストーリーである。

コン・リーの娼婦でありながらも愛する人にひたむきな純情な表情と、女形を演じたレスリー・チャンの所作の美しさ、チャン・フォンイーのモテぶりが面白い。

長編ながら最後まで飽きさせない作りは見事。日本軍の横暴ぶりと、文革の酷さも描かれている。

「始皇帝暗殺」
→泰と趙の関係がわかりやすく、三角関係ながら、コン・リーの母性本能ある演技もすばらしかった。何より、ロケのリアルさである。中国の宮殿や、各地を使ったロケは実に見事であった。

また、主役の趙姫コン・リー、荊軻チャン・フォンイーは、「さらばわが愛覇王別姫」のカップル。

「英雄(HERO)」
→「始皇帝暗殺」と同じく始皇帝暗殺をテーマにしながら、ジェット・リーやマギー・チャン、トニー・レオン、チャン・ツィイーら人気俳優を配し、ワダエミの美しい色彩の衣装で、哲学的な問答で美学的にまとめたのがこちらである。東洋的な神秘さがあり、生臭さは無かったものの、迫力が薄かった。

「LOVERS」
→チャン・ツィイーのしなやかな肉体美と金城武の美男ぶりを見せつける圧巻の戦闘ラブ・ストーリー。チャン・ツィイーの舞踊シーンと、驚きの結末が見ものである。

コン・リーの堂々たる演技と母性、チャン・ツィイーのしなやかな肉体美と舞踊が印象に残った。

2024.4.10
上終結城さん (8g07wmfj)2024/5/13 22:17削除
自由推薦作品 『ヒトラーのための虐殺会議』(2022年 ドイツ映画 マッティ・ゲショネック監督)感想 2024/5/13 上終結城

1.驚くべき内容の映画
 1942年1月20日正午、ドイツ・ベルリンのヴァンゼー湖畔にある大邸宅に当時のドイツ高官15名が集まり会議をおこなった。議題は「ユダヤ人問題の最終解決」。会議は90分で終了し、ヨーロッパ内の1,100万人のユダヤ人を計画的に抹殺するとの決定がくだされた。世にいう「ヴァンゼー会議」である。
 わたしは本映画の概説を眼にしたとき、映画というより、歴史上の関心から観てみようと思った。結果は、予想以上の衝撃的な内容だった。(詳細は下記参照) 

ヒトラーのための虐殺会議 - Wikipedia
ヴァンゼー会議 - Wikipedia

2.淡々とした会議進行
 映画は実際の会議時間(90分)をほぼ忠実に再現しており、高官たちがヴァンゼーの邸宅へ到着する場面から始まり、会議が終了し、車がそこから去ってゆくシーンで終わる。
 会議を主催するのは国家保安部代表のラインハルト・ハイドリヒ、参加者はナチス親衛隊および各事務次官(官僚のトップ)15名(+速記用女性秘書1名)。このような極秘会議の詳細(主催者や高官たちの発言)を克明に再現できた理由は、秘書の速記録を書記役(アドルフ・アイヒマン)がまとめた議事録が残されていたからである。
 驚かされるのは、途方もなく怖ろしい会議の議題「ユダヤ人問題の最終解決」と、冷静で淡々とした会議進行のギャップである。参加者のひとりはユダヤ人を銃殺し続けるドイツ兵士の精神的ダメージを心配する一方で、ユダヤ民族全体(1,100万人と見積られる)を抹殺することへの罪悪感、抵抗感はない。そして会議の話題は「最終解決」(ユダヤ人絶滅計画のコード名)の方法へ移ってゆく。
 銃殺よりも「効率的な」方法とその手順(移送、選別、強制労働、強制収容、ガス室)が、有能な実務官であるアイヒマンから説明される。その計画の手際よさと実現可能性に参加者は納得し、賛同する。この一部始終が、ビジネスの課題を協議するような雰囲気のなかで粛々と進行する。ある参加者からガス室による処分に反対する意見も出るが、それは方法にたいする異論であって、ユダヤ民族根絶への反対ではない。
 怖ろしいのは、会議の参加者がいずれも優れた知能と理性をもつドイツのエリートたちで、家に帰れば妻子もいる普通の家庭人であること、けっして特殊な人たちではない点である。この会議の決定事項はドイツ敗戦まで遂行され、その結果、600万人のユダヤ人が殺害された。

3.アイヒマン裁判
 ユダヤ人問題「最終解決」の計画と実行に重要な役割を果たしたアイヒマン(当時親衛隊中佐)は、ドイツ敗戦の際国外へ逃亡し、戦後、変名を使いアルゼンチンで暮らしていた。イスラエルの諜報機関モサドのエージェントがアイヒマンを見つけ出し、1960年5月、彼を拉致してイスラエルへ連行した。アイヒマン裁判は、1961年4月、イスラエルのエルサレムで始まる。アイヒマンは、ユダヤ人に対する犯罪、戦争犯罪、人道に対する罪など15件の罪で起訴され、結局絞首刑になる。
 わたしはアイヒマン裁判のドキュメンタリー映画を観たことがある。神経質そうなアイヒマンが証言席で、冷静に知力をつくして自分の弁明をする姿は、異常者でもなんでもない、普通の役人かインテリのように見えた。

4.本映画とドイツ人
 本作品は、ドイツのTV映画として製作されたとのこと。ゲショネック監督は「ヨーロッパにいる全ユダヤ人の駆逐が、冷静な会話によって議論され決められていく様子を事実に基づいて描こうとした」とコメントしている。この映画にたいするドイツ国内の反応は聞いていない。しかしドイツ史の最暗部、そしてこの会議が果たした役割を忘れないために本映画を製作した人たちがいる、そのことにドイツ人のふところ深さを感じた。
返信
返信4
管理者さん (8pa6wkw7)2023/12/5 08:24 (No.996928)削除
第17回文横映画好きの集い(自由映画)(2024年2月18日)について、ご自由に感想をお書込みください!
山口愛理さん (8xfaoi67)2024/1/6 15:29削除
●『ゴジラ-1.0』を観て    2023年日本 監督・脚本/山崎貴 

かつて本多猪四郎が監督した作品群の『ゴジラ』、『モスラ』、『ゴジラ対モスラ』などの怪獣ものや、『マタンゴ』などのSF怪奇ものを子供の頃、よく父に連れられて渋谷の映画館で観た。思えば、私が映画好きになった原点はこの辺りにあったようだ。この頃の怪獣ものにはロマンがあった。
『ゴジラ-1.0』には、1954年版の『ゴジラ』のような過ぎ去った昭和のテイストが詰まっていて懐かしさを感じた。そんな時代設定でありながら、最新技術のVFXは素晴らしく、古さと新しさが統一されて画面的に違和感がない。そして「核の脅威」の象徴であり、人間が犯した罪の祟り神とも言える肝心のゴジラは間違いなく怖い。
好き嫌いはあるだろうが、私は、戦略的・政府的側面が強くて、ゴジラがそれほど怖くなかったスタイリッシュな『シン・ゴジラ』をあまり評価していない。なので、怪獣ものなら何でもいいというわけではない。
『ゴジラ-1.0』の時代背景は、太平洋戦争末期。特攻隊員だった主人公(神木隆之介)が生への葛藤から特攻できずに生き残り、戦後の荒廃した東京に突如現れたゴジラと対峙する民間チームに入って戦う物語。主人公が自分を取り戻していくという自己完結のストーリーに、混乱の中で偶然知り合った女性(浜辺美波)とのほのかな恋愛が絡めてある。
この賢く勇敢な民間チームとゴジラの戦いがメインなのだが、ここぞという時に流れる例のゴジラのテーマ曲のタイミングが絶妙だ。ストーリーは先が読めてしまう部分もあり、そこが物足りないという意見もあるだろうが、私はそれはそれで良いと思う。変な言い方かもしれないが、「王道の怪獣映画」という安心感があるのだ。
『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズで見せた山崎監督の昭和の街づくりが素晴らしく、主役二人をはじめ、脇を固める俳優陣もみな適役だった。そして大迫力の画面。ラストは、ただでは済まない、この先があるというエンドレスな不安要素を感じさせた。
山口愛理さん (8zp3wwkl)2024/1/7 18:15削除
●『PERFECT DAYS』を観て   2023年 日本・ドイツ合作 監督/ヴィム・ヴェンダース 

「PERFECT DAYS」は、私的で詩的で禅的な映画。観る側の心の奥底をくすぐるような、懐かしさと静けさに包まれた映像とストーリーだ。渋谷で公衆トイレの清掃の仕事をする男の日常を描いているだけなのだが、なぜか最後まで目が離せなかった。
若い頃、ヴィム・ヴェンダースやジム・ジャームッシュの映画が大好きだったことを思い出した。画面作りが本当に美しい。

役所広司演じる平山は、ミニマリストで決まったことを淡々とこなすことに喜びを感じるのだろう。
早朝、近所を掃く老女のほうきの音で目覚め、部屋の植物に水をやる。カセットで音楽を聴きながら掃除道具を乗せたバンで仕事場へ。仕事は丁寧で手を抜かない。終われば銭湯で汗を流し、行きつけの地下の居酒屋へ行く。(店長がいつも「お帰り」と声をかけて一杯目を出すのが良い。)夜は古本屋で買った本を読みながら眠りにつく。見る夢は彼がフィルムカメラで撮る木漏れ日の映像と同じように淡い。
デートをしたい若い同僚にお金を貸して、結局返ってこないかもしれないが、それほど怒りはしない。だが同僚が突然辞めてシフトが崩れそうになった時のみ、普段温厚な彼は異様に怒る。生活のリズムが崩れるのが嫌なのだろう。それは「今」を本当に大切に生活しているから。訪ねてきた姪と一緒に自転車に乗って、大声で歌うように繰り返す「今度は今度、今は今」というフレーズが全てを語っている。

ただ気になったのは、禅的には「掃除と料理も修行の一環」だということ。その点、仕事にしている掃除は完璧だけど、私生活ではもう少し食生活に気を使って欲しかった。朝は車で缶コーヒーのみ、昼はお寺の境内でサンドイッチ、夜は居酒屋でほとんど食べずの繰り返しでは栄養が偏るし、お金もかかる。料理も簡単でいいから彼なりに工夫して欲しかった。ひょっとしてミニマリストで、ガスは止めているのかもしれないが。そういえば、火を点けたシーンは皆無だった。

バンのカセットから流れる60~70年代の音楽も良かった。私はアニマルズの『朝日の当たる家』とオーティス・レディングの『ドック・オブ・ザ・ベイ』しか知らなかったけど。ルー・リードの『PERFECT DAY』という曲は初めて聴いた。
ちなみにスナックのママ役の石川さゆりが歌った『朝日の当たる家』は昔、浅川マキが日本語詞を作って歌ったものらしい。それで、映画の中でギターを弾いていた客はあがた森魚だというから、かなりマニアックだ。他にも一瞬だけ出る俳優たちもいて見逃せない。

彼にとっては、この淡々とした日々が「PERFECT DAYS」なのだろう。過去に何があったか、なぜこの仕事と生活に落ち着いたのか、一切明らかにならず、観る側が想像するのみだ。
最後の平山の表情は良かった。喜怒哀楽が溶け合った至福の表情で、平穏な未来を感じさせた。
藤堂勝汰さん (8pa6wkw7)2024/2/1 10:21削除
今回ブレードランナー ファイナル・カット版が旧作テーマであったため、ついでにブレードランナー 2049(2017年)も観た。
こちらの方がストーリー性があり、長尺であるが最後のどんでん返しが見どころである。
前作でリック・デッカード(ハリソン・フォード)はレプリカントのレイチェルと逃亡するところで終わるのだが、それから30年後(2049)にネクサス9型レプリカントのKはひょんなことからレイチェルの遺骨を発見する。
レプリカントの出産は前代未聞であり、Kの上司であるジョシ警部補は、事実公表によって起きるであろう社会混乱を憂慮し、Kに事件の痕跡をすべて消すように命令する。
捜索の末、ゴーストタウン化したラスベガスを訪れ、カジノに身を隠していたデッカードと遭遇する。
ハリソン・フォードは1942年生まれなので、今年で82歳。撮影時は75歳である。

最後の結末はネタバレになるので控えるが、なかなか面白かった。
まだ観ていない方は、是非この機会に観ることをお薦めする。
上終結城さん (8g07wmfj)2024/2/11 10:18削除
『スケアクロウ』(1973年 ジェリー・シャッツバーグ監督)

1.『スケアクロウ』について
 アメリカン・ニューシネマのムーブメントも終わり近い時期(1973年)に公開された作品。公開当時映画館で観て、つよく心に残った映画。その後テレビ放映等で何回か観たと思うが、今回「午前十時の映画祭」でかかっているのを知り、あらためて映画館で観賞した。
 ロードムービーという点では『イージー・ライダー』(1969)などを、また大男と小男のコンビという点では『真夜中のカーボーイ』(1969)を連想させるが、内容はまったく違う。私は結末を知っていながら、映画の最後には再び感動し、胸が苦しくなった。
 出演は『フレンチ・コネクション』(1971)のポパイ役でアカデミー主演男優賞を受賞したジーン・ハックマン(マックス)と、『ゴッドファーザー』(1972)のマイケル役で一躍注目を浴びたアル・パチーノ(ライオン)、まさに旬の二人。この二人を除けば登場人物は全員、アメリカの普通の男女ばかりであり、美男美女は出てこない。
 アメリカ映画は本作のような地味な佳作映画の時代を過ぎ、やがて『ロッキー』(1976)のような楽観的なハッピーエンド映画の時代へと戻ってゆく。

2.見事な演出と二人の演技合戦
 外観も性格も正反対の二人の男が、偶然出会い、ヒッチハイクをしながらデトロイトまで旅をする。二人の道行きをじっくりと追い、旅のなかで起こるさまざまなエピソードを積み重ねて、二人の友情が深まる過程を丁寧に描いている。
 撮影は「順撮り」でおこなったという。これが俳優たち(ハックマンとパチーノ)の役作りとシンクロして、演技とは感じさせない二人の呼吸や雰囲気を生み出したのだろう。二人の掛け合いがつづく長回しのシーンが随所にあり、旬の俳優同士の演技合戦が見もの。

3.スケアクロウ(案山子)の寓意
 不愛想で喧嘩っ早く、こわもてのマックスは、相手を殴ることでしか問題を解決できない男。その意味でマックスは『レイジング・ブル』(1980)のジェイク・ラモッタと同じ獣だ。一方、ライオンは陽気でおしゃべりで争いを好まない、道化(ピエロ)のような男。
 ライオンがマックスに「案山子」(スケアクロウ)の話をする。案山子はカラスを脅かして追っ払おうとしているんじゃない、カラスを笑わせて、こいつはいい奴だ、こいつの畑は荒らさないでおこう、と思わせるんだ……。イソップの「北風と太陽」の寓話を思い出す。ライオンはマックスに、脅すことしか知らない案山子(北風)では世間が狭くなる、と諭しているのだ。
 この案山子の寓意が、二人のキャラクターを象徴すると同時に、映画のストーリー展開をも暗示する。映画の中盤、マックスが酒場で、喧嘩の代わりにストリップショーを演じて見せ、相手を笑わせてしまう場面がある。マックスはライオンから、ひとを笑わせるすべを学んだのだ。ここは名シーンだった。

4.その他感想
 ネタバレになるので詳しくはいえないが、映画の終わり近く、よくこんな子を探してきたな、と思わせるシーンがある。
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管理者さん (8pa6wkw7)2023/12/5 08:22 (No.996923)削除
課題映画、第17回文横映画好きの集い(新作)(2024年2月18日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
克己 黎さん (8kvydqc8)2023/12/9 07:42削除
『善き人のためのソナタ(2006年・ドイツ映画)』について    克己 黎

イントロ


A、2006年に発表された『善き人のためのソナタ』は長らく秘密のベールに包まれていた東ドイツシュタージ(国家保安局)についてドイツで取り上げたドイツ映画で、公開当初、観にいった覚えがあるが、鮮烈な印象を覚えた映画である。
2007年アカデミー賞外国語映画賞受賞作であり、今回の映画の集いの新作課題として選定させていただいた。

B、シュタージやドイツ(東西ドイツ、ナチス・ドイツなど)について知識はわずかしかなかったため、今回の発表に合わせて、

●『物語 東ドイツの歴史〈分断国家の挑戦と挫折〉』(河合信晴・中公新書)
●『物語 ドイツの歴史〈ドイツ的とは何か〉』(阿部謹也・中公新書)
●『闘う文豪とナチス・ドイツ〈トーマス・マンの亡命日記〉』(池内紀・中公新書)
●『シュタージ(旧東独秘密警察)の犯罪』(桑原草子・中央公論社)
を購入した。

また、東西ドイツや亡命に関する映画としては、ラインに掲載したとおり、
●『引き裂かれたカーテン』(アルフレッド・ヒッチコック製作、監督・ポール・ニューマン、ジュリー・アンドリュース演)
●『さらばベルリンの灯』(マイケル・アンダーソン監督・ジョージ・シーガル、アレック・ギネス演)
●『ホワイトナイツ 白夜』(テイラーハック・フォード製作、監督・ミハイル・バリシニコフ、イザベラ・ロッセリーニ演)
を、映画好きな父から借りてきた。

C、では課題として挙げた内容について述べる。

課題1→日本で公開されたタイトルが「善き人のためのソナタ」になっていますが、原題ではドイツ語で「 Das Leben der Anderen」 (他人の生活、他人の命)となっています。映画を観て、どちらのタイトルのほうが良いと思いますか?

→原題の他人の生活、命は、たしかにシュタージのゲルトらは他人の生活を監視し、命を握る役であった。しかし、作中『善き人のためのソナタ』という曲の楽譜と、ラストシーンでドライマンが新作小説の『善き人のためのソナタ』を出版するあたり、邦題の『善き人のためのソナタ(Sonate für gute Leute)』が映画を上手く表していると思った。また集客もそのほうが良いだろう。善き人、とはキリスト教の善きサマリア人der gute Samariterは、キリスト教の隣人を愛するたとえの話にでるサマリア人だが、他人anderenを隣人と意訳するなら、ゲルトは彼の隣人である。


課題2→この映画に出てきたシュタージのゲルトはどうしてドライマンとCMSに惹かれたと思いますか?

→やはりシュタージ(国家保安局)の大尉として監視役を行ううちに、ドライマンとCMS(クリスタ)との関係に憧れ、二人の関係に愛を感じ、ドライマンの才能を尊敬し、またCMSの女優としてあるいは女性としての魅力に好感を覚え、思慕を抱いたのではないだろうか。
そして大尉の身分から郵便開封役に落とされても、自身の良心や二人への思慕のほうが勝ったのではないかと思う。
ゲルトが娼婦を時間だけ買うシーンがあるが、ドライマンとCMSのラブシーンを聞いて触発されたものなのかと感じた。
二人に啓蒙され、シュタージの規律をだんだんゲルトは侵し始め、タイプライターを隠匿し二人を守る行動にでる。

CMSが事故で死んだ(車に轢かれた)のを自殺ととるか、偶然ととるかで意見が分かれそうだが、私には自殺のように見えた。愛するドライマンをかばわなかった自分への自責の念にかられて、自殺したように見えた。CMSが死ぬ前にゲルトがタイプライターを隠匿したことを彼女に告げたのはまさに隣人愛だと感じた。

課題3→自由感想 

参考文献などの感想を含め、また追って掲示板投稿します。
まずはイントロです。2023.12.9
藤堂勝汰さん (8pa6wkw7)2023/12/11 12:51削除
早速U-NEXTの31日間無料お試し期間キャンペーンを利用して鑑賞した。
本映画、舞台は1984年の東ドイツ、ベルリンの壁崩壊前の話である。
反逆者を監視して国家に背けば容赦なく取り締まる国家保安省の役人が主人公である。
彼は人生を大きく変える「任務違反」により失脚するが、その一方で人間らしく成長し、称賛される。

課題1.日本で公開されたタイトルが「善き人のためのソナタ」になっていますが、原題ではドイツ語で「 Das Leben der Anderen」 (他人の生活、他人の命)となっています。映画を観て、どちらのタイトルのほうが良いと思いますか?
→圧倒的に「善き人のためのソナタ」の方がいいと思います。叙情的で音楽が印象的であるし、ドライマンが劇作家であることからです。

課題2.この映画に出てきたシュタージのゲルトはどうしてドライマンとCMSに惹かれたと思いますか?
→そこがイマイチ僕には分からないところであった。最初劇場で観ていた印象はあまり良いものではなかったはず。
美しい女優と付き合い、いけ好かないヤツという印象と劣等感があった。
敢えて理由を探すのならば、女優が大臣に囲われているのを知り、そんなスカしたヤツが、惨めに感じられたのかもしれない。
だが、監視対象者に同情する事はあるかもしれないが、虚偽報告までするか? また、それがいずれバレる事を考えた場合、職務に戻ると自分は感じた。
自分的には、もっとはっきりした裏切りの根拠が見つからないと、詰めが甘い様な気がした。

課題3.ほか自由に感想をお願い致します。
→社会主義国家の反逆者への仕打ちはすさまじいものがある。
北朝鮮などは公開処刑を施し、絶対的権威を堅固なものにしようと躍起になっている。
この「善き人のためのソナタ」も国家に背けば容赦なく取り締まる国家保安省の役人が主人公である。
納得がいかない場面を以下に挙げる。
①優秀な役人である主人公ゲルト・ヴィースラー(ウルリッヒ・ミューエ)はなぜ、ドライマンの会話や行動を報告書に嘘を綴るようになっていったのか?
②ハムプフ大臣はなぜあっさりとクリスタが来なくなったことを執拗に追いかけなくなったのか?
③ゲルト・ヴィースラーはなぜタイプライターを移動させたのか?
④クリスタは事故死なのか? それとも自殺なのか?
⑤グルヴィッツに一連の行動がバレてしまったゲルト・ヴィースラーは、退役までの20年間地下での作業で済むものなのか?
⑥ドライマンは一度ヴィースラーに会いに行くが、なぜヴィースラーに声をかけずに、に立ち去ったのか?
⑦ベルリンの壁崩壊後は国家保安省のやっていた内容、人物まですべて公開されているものなのか?

 若干突っ込みどころはあるものの、ドイツ映画にあまりなじみが無かったが、今回秀逸な作品を観ることができたので、克己(阿王)さんに感謝したい。
ヴィースラー役のウルリッヒ・ミューエがいい味を出しており、冷たい役人から温かい人間に変わっていく様を演じ切れていたと思う。
また、クリスタの裏切る様もドキドキさせた。
池内健さん (8qbh6yx3)2023/12/18 13:18削除
ソ連を上回る監視国家と言われた東ドイツを描いた作品ですが、今の日本のどこかでも同じような葛藤が起きているような気がしました。機械のような小役人が芸術(特に音楽)に感化されて人間らしさを取り戻すという筋はドイツらしい理想主義にも思えました。

主人公ゲルト・ヴィースラーはシュタージ(秘密警察)の大尉(Hauptmann)。日本の警察で言うと警部補相当でしょうか。管理職の一歩手前で現場のリーダー役。社会主義の大義のために精密機械のように働いています。あるとき、脚本家ゲオルク・ドライマンの監視任務を与えられ、ドライマン脚本の演劇を見て主演女優のクリスタマリア・ジーラントに心を動かされます。やがてこの任務は社会主義の敵を退けるためでなく一大臣の私欲のために利用されることを知り、信念が揺らぎます。

ドライマンがピアノで演奏した「善き人のためのソナタ」を盗聴したヴィースラーは涙を流し、ブレヒトの戯曲を読んだり、初めて娼婦を買ったりして人間らしさを真面目に学んでいきます。時間に厳格なヴィースラーが娼婦に時間延長を求め、「時間厳守なの」と断られるのは数少ないユーモラスな場面でした。

ブレヒトといえば「三文オペラ」「ガリレイの生涯」などで戦前から有名な劇作家。共産主義者でもあったため戦後は東ドイツに暮らしました。ブレヒトの「セツアンの善人」(Der gute Mensch von Sezuan)は未読ですが、「悪しき世界で善人でいることは不可能だ」というテーマだそうです。「善き人のためのソナタ」(Die Sonate vom Guten Menschen)と響き合っているようでもあります。ブレヒトは「芸術が政治的変革をもたらすことは可能だ」とも考えていたと言われ、今回の作品にも通じる信念だと言えます。

ドライマンたちが危険を冒して西ドイツの雑誌に掲載した記事が、東ドイツで自殺が多いことを暴露するものだったことは、「そんな些細なことで」と驚きました。しかし、自殺の多さが社会の抑圧度を示す指標と位置づけられているからこそ、「労働者の楽園」であるはずの東ドイツ当局が隠したがったのです。政府・党が自殺をFreitod(自由意志による死。「自裁」「自決」に近いニュアンスでしょうか)ではなくSelbstmord(直訳すれば自己殺害)と表現していることに反発する表現もあったと思います。犯罪扱いではなく、社会への異議申し立てとして捉えよ、ということでしょうか。ちなみにWHOの最新統計によると、10万人あたりの自殺者数は世界平均が9.2人。ドイツは12.3人で平均を上回っていますが、日本の15.3人より少なくなっています。

壁の崩壊後、ドライマンはシュタージ文書を閲覧し、ヴィースラーが自分を助けてくれたことに気づきます。そして、落ちぶれた本人に直接お礼を言う代わりに本を書きます。これがヴィースラーにも伝わったラストシーンには救いを感じました。

課題1→タイトルは「他人の生活」か「善き人のためのソナタ」か

壁崩壊後に東ドイツを扱った映画は基本的に東ドイツを小馬鹿にしたり、ノスタルジーの対象にしたりしたものが一般的でした。その分、シュタージを美化したとも受け取れるこの作品には反発もあったようです。実際、2006年ベルリン映画祭では参加を拒否されました。そのため詩的に見える「善き人-」を避け、あえて即物的な「他人の生活」を選んだのではないでしょうか。

課題2→ゲルトが芸術家カップルに惹かれた理由

体制への信頼が揺らいだ隙間に芸術の力が影響したから。

課題3→自由感想 

180万ユーロ(3億円弱)の低予算、37日間という短期間で撮影したのに対し、編集には7か月を要したそうです。デジタルではなく編集に手間が掛かる35㍉フィルムを使ったせいもあるのでしょうが、素材集め以上にそれをどう提示するかが大事なのだと思いました。
克己 黎さん (8kvydqc8)2023/12/20 07:41削除
『善き人のためのソナタ』について
自由感想  克己黎 


〜間奏曲〜
東ドイツ、ベルリン、秘密警察など、映画では私には知らないことばかりで、逆に先入観なく世界にのめり込むことができた。
しかし、関連する知識は大事である。
そこで、イントロで取り上げた3作の映画の感想を述べたい。

(1)『引き裂かれたカーテン』(アルフレッド・ヒッチコック製作・監督)
まさにシュタージの恐ろしさと東ドイツ、ソ連の保安の恐ろしさを描いた作品で、ジュリー・アンドリュースがまきこまれる婚約者セーラ、ポール・ニューマンがその恋人で実はスパイ活動をするアームストロング教授。ハラハラさせられる展開。

前に山口さんから紹介いただいて観た『ジュリア』(ジェーン・フォンダ、ヴァネッサ・レッドグレイヴ演)のようにA→B→C→、、、と逃亡の案内役が代わるのがスリリング。

ヒッチコック作品のなかで、こちらの作品と『汚名』(ケーリー・グラント、イングリット・バーグマン演)がダントツに怖く、スパイ活動の緊張感を感じたが、最後はハッピー・エンド。

(2)『さらばベルリンの灯』(マイケル・アンダーソン監督)
かわってこちらは冷戦下の西ベルリン。音楽が懐かしい感じのするノスタルジックなテーマ曲。ネオ・ナチのアジトを探る話。

名優アレック・ギネスが脇役だがいい味を出している。インゲ役の女優センタ・バーガーが美しい。

あちらこちらに監視の目が光っている。最後にインゲの裏切りがわかったのが、やや007やゴルゴ13みたいだった。

(3)『ホワイトナイツ 白夜』(テイラー・ハックフォード監督)
イザベラ・ロッセリーニ(イングリット・バーグマンの娘)、ミハイル・バリシニコフ、ヘレン・ミレンが出演。
ソ連からアメリカに亡命したバレエダンサーの話で、バレエダンサーとして有名なミハイル・バリシニコフ個人をクローズ・アップ。バレエは肉体を酷使した総合芸術と改めて思うが、バレエに詳しくない私でも名前を知っているミハイル・バリシニコフはまさにソ連の宝であった。

本作ではアメリカに亡命した後に海外公演をした際、旅客機がシベリアに緊急着陸したことで、バレエダンサーのニコライ(ミハイル・バリシニコフ)がKGBに軟禁されるところから始まる。
アカデミー賞歌曲賞を受賞したライオネル・リッチーの《セイ・ユー、セイ・ミー》がエンディングテーマ曲。

イザベラ・ロッセリーニが可愛らしい。イザベラ・ロッセリーニは、『不滅の恋〜ヴェートーベン〜』で初めて観た時から魅力的な女性だと思っていたが、本作ではアメリカからソ連に亡命したタップダンサー・レイモンドの妻役。

ソ連からアメリカに亡命したバレエダンサーと、アメリカからソ連に亡命したタップダンサーが心通わせるストーリーとなっている。ダンスのシーンはミュージカル好きにもおすすめである。

さて、この〜間奏曲〜において関連映画の感想を述べた。

冬休み、年明けなどを使い取り寄せたイントロで挙げた4冊の本を読了し、皆様との映画好きの集いズーム会議の結果とまとめを、〜エンディングテーマ〜として、後日投稿する予定である。2023.12.20
克己 黎さん (8kvydqc8)2024/1/3 12:09削除
『善き人のためのソナタ(2006年・ドイツ映画)』シュタージ(Stasi)について  
克己黎

*はじめに*
今回の映画の集い発表(2024年2月18日日曜日)に合わせて、5冊のドイツ関連本を購入した。

1●『物語 東ドイツの歴史〈分断国家の挑戦と挫折〉』(河合信晴・中公新書)
2●『物語 ドイツの歴史〈ドイツ的とは何か〉』(阿部謹也・中公新書)
3●『闘う文豪とナチス・ドイツ〈トーマス・マンの亡命日記〉』(池内紀・中公新書)
4●『シュタージ(旧東独秘密警察)の犯罪』(桑原草子・中央公論社)
5●『あるようなないような話』(ライナー・クンツェ作・野村 泫訳・和田誠絵・岩波書店)


1と4は東ドイツ(DDR)についておよびシュタージ(Stasi)、西ドイツ(BRD)について特集された内容であった。

2はドイツの歴史概説、3はトーマス・マンについて書かれたものであり、2と3は文学横浜の会の2023年12月読書会の『夜と霧の隅で』(北杜夫・新潮文庫)に興味を抱いたこともあり購入したものである。この2と3については機会があればフランクル『夜と霧』の話をするついでに述べてみたい。

*1『物語 東ドイツの歴史〈分断国家の挑戦と挫折〉』(河合信晴・中公新書)について*

1は東ドイツと西ドイツを中立に見つめた内容であり、ベルリンの壁建設から崩壊まで、またウルビリヒト政権からモドロウ政権になり、シュタージ暗躍から解散までが年譜のように述べられていた。
シュタージは、1950年2月に内務省から独立する形で、国家保安省(Mfs,Staatssicherheitsdienst略して通称、 Stasi)として設立された。シュタージは閣僚評議会ではなく、国の組織ではない、政治局に直属し社会主義統一党(SED)の《党の剣であり盾である》と称される。

シュタージは、非公式協力者(IM,Stasi-Inoffizielle-Mitarbeiter)を増やし、1990年に廃止されるまで反対派の監視だけでなく職場での生産活動の様子や消費財の不足に対する不満の声を収集した。
人々の間で、「盗聴と拘束のための人民所有企業」と揶揄され、監視対象は恣意的に選ばれ、正当性に欠けていたとされる。

シュタージが収集した資料は、現在連邦政府直属の旧東ドイツ国家保安省文書のための連邦委託監理団体(BStU)が管理し、博物館運営と政治教育を行っており、シュタージ文書は、本人が当時監視されていたかどうかの確認を求め、記録が発見されれば実際に見ることができる。また許可に日数はかかるが、申請すれば研究目的での閲覧も可能とのことである。

個人情報と思われる箇所にはあらかじめ黒塗りがされているが真っ黒に塗り潰されているわけでないそうである。

映画『善き人のためのソナタ』でドライマンが後半、自分の資料を閲覧することができたのは実際にもできるからである。

また、1は、2020年の発行の本なため、資料が揃った状態で中立に描かれており、
映画『善き人のためのソナタ』については次のように記述されている。

「シュタージの職員の監視活動を描いた『善き人のためのソナタ』(2006年)は、監視対象者の私的生活の機微に触れるなかで、人間性を回復するというストーリーが展開される。公の汚い世界から隔絶した世界の意義が強調される。」(146頁)

また、1によれば、社会主義統一党の知識人への締め付け(作家ライナー・クンツェへの締め付け、西ドイツへの亡命)、1987年11月のシオン教会の環境文庫(『グレンツファル』出版について)のシュタージ捜査では、

「24日から25日の未明にかけて、シュタージは検事を伴って家宅捜索に入った。〜しかし実際には、その印刷はなされておらず作戦は空振りに終わる。それにもかかわらず、印刷機が差し押さえられ、その場にいた人は逮捕された。」(229頁)

があったとあり、
映画『善き人のためのソナタ』は、ライナー・クンツェへの締め付けや、シオン教会の印刷機の件などを参考にしていると思われる。

また、作中でクリスタ・マリア・ジーランドがCMSと略されることは、GMS(社会領域保安協力者、Gesellschaftlicher Mitarbeiter Sicherheit)の略語となにか関わりがあるのではないか、と感じた。

*4『シュタージ(旧東独秘密警察)の犯罪』(桑原草子・中央公論社)について*

4は、1で少しだけふれている、作家ライナー・クンツェほか、作家エーリヒ・レースト、シュタージ書類法、旧東ドイツの罪、IM(非公式協力者)狩りまでが事細かに述べている。

4は1990年のシュタージ解体から間もなくの、1993年に発行された厚い本で、1991年12月20日の統一ドイツ・シュタージ書類法成立から、急速に書かれたものであり、なかなか読み応えがある本であった。

この4に拠れば、シュタージ書類は、

「シュタージによる大規模な湮滅を免れてなお残った書類は、四百万東独市民と二百万西独市民、合わせて六百万ドイツ市民に関する個人情報で、その書類ファイルを並べてゆけば百六十八キロメートルに及ぶ量である。それにさらに十キロメートル弱の索引カード類が加わる。」(12頁)

とあり、自分について調査されたシュタージ書類を、対象者自らが閲覧する、

「何年も何カ月も、自分の情報書類の上にかがんで過ごす人がこうして誕生したのである」(14頁)

光景が見られた。

「シュタージ書類はわれわれのもの!」というスローガンがシュタージ占拠のとき掲げられ、「シュタージ個人情報書類の保全と利用に関する法律」によれば、

「この法律は、当法律の目的のひとつに「リハビリテーションのためにかつてのМfS(シュタージ)(国家保安省)/AfNS(ナージ)(国民保安庁)の個人情報を利用することを可能にすること」と明示している(第一章3)」(58頁)

「個人情報書類は、シュタージ被害者自身がリハビリテーションのために利用できる他に、学問的研究目的のためにも広く開かれた(第一〇章)」(59頁)

と、している。

またIM(シュタージ非公式協力者)は市民3人に1人はそうであったとされる。

映画『善き人のためのソナタ』のドライマンのおそらくモデルとなったであろう、作家ライナー・クンツェや、作家エーリヒ・レーストら、作家、芸術家の監視をしたのはおそらくシュタージ第二十課である。

「ちなみに、シュタージ第二十課とは、国家の諸機関内や芸術活動、文化活動、および地下活動の監視・偵察を担当した課で、レーストに対する監視を担当したのも主としてこの課である」(87頁)

エーリヒ・レーストは『暗号名「作家Ⅱ」』
ライナー・クンツェは、『暗号名「抒情詩」』であった。彼らはシュタージだけでなく多数のIMにより諜報されて記録されており、後日、彼らは自らを対象としたシュタージ書類を元にして、長編の作品をそれぞれ書いて発表している。

ライナー・クンツェのシュタージ書類は、全12巻、3491頁に及ぶものであったそうで、実際はさらに膨大にあったものの、焼かれてしまったものもあったらしい。

エーリヒ・レーストが抜粋したシュタージ書類に対して、ライナー・クンツェが抜粋したシュタージ書類は、このような特色があった。

「クンツェによるシュタージ書類公開について、特筆すべき第二点目は、この種類がインテリでもなんでもないふつうの東独市民がスパイとして働いた姿を、はじめて内外に公開し、クローズアップしたという点である」(183頁)

ライナー・クンツェの書類公開は、『暗号名「抒情詩」―東ドイツ国家保安機関秘密工作ファイル』(ライナー・クンツェ著・山下公子訳・草思社)で日本語訳されている。

*5●『あるようなないような話』(ライナー・クンツェ作・野村 泫訳・和田誠絵・岩波書店)について*

ライナー・クンツェは詩人、作家、童話作家でもあり、今回、私は『あるようなないような話』(岩波書店)を入手した。暗さを感じさせないメルヘンとなっている。和田誠の絵が可愛らしい。西ドイツの児童文学賞を本作で受賞した。

※ライナー・クンツェについて※コトバンクより下記は引用した。

ライナー クンツェ
(英語表記)Reiner Kunze
現代外国人名録2016 「ライナー クンツェ」の解説
ライナー クンツェ
Reiner Kunze
職業・肩書詩人,作家
国籍ドイツ
生年月日1933年8月16日
出生地ザクセン州エルツゲビルゲ
学歴ライプツィヒ大学卒
受賞ドイツ青少年図書賞,ビュヒナー賞〔1977年〕,ヴェルヒハイマー文学賞〔1997年〕,ヘルダーリン賞〔1999年〕,ハンス・ザール賞〔2001年〕,ヤン・スムレク賞〔2003年〕,STAB賞〔2004年〕
経歴ザクセン地方エルツゲビルゲのエルスニッツに炭鉱労働者の息子として生まれる。1951年ライプツィヒ大学に入学、哲学とジャーナリズムを学び、’55年には同大助手となった。第二次大戦を経て16歳の時すでに共産党に入党、’50年代には“体制的”ともいえる詩作を発表していたが、この間に体制への疑問が生じ、内的価値感を根底から問い直すべく、’59年大学を去り一肉体労働者となる。’61年チェコスロバキアの女医との結婚を機にチェコの現代詩に傾倒、その翻訳・紹介に努め、以後、詩人・作家として活動。’73年詩集「Brief mit blauem Siegel」を発表し、若者達の熱い支持を集めながらも、’68年のチェコ事件を機に東ドイツ詩壇よりその名を抹殺され、’77年には西ドイツへの亡命を余儀なくされた。著書に、詩集「傷つき易い道」「声高でなく」「一人一人の生」、散文集「素晴しい歳月」、童謡集「あるようなないような話」などのほか、自身の秘密調査ファイルを編集した「暗号名『抒情詩』―東ドイツ国家保安機関秘密工作ファイル」がある。

*まとめ*
年末年始で、シュタージ書類関連についてなかなか読み応えがある本に取り組んだことは、私にとっては感慨深かった。

また、『善き人のためのソナタ』でドライマンが書類を閲覧するところが引っかかっていたのだが、事実上、可能とわかり、改めて統一ドイツの自由とは何かを考えるようになった。

ドイツについてもっと学びたいと改めて感じた。

2024.1.3 克己黎
上終結城さん (8g07wmfj)2024/1/15 17:08削除
1.優れた脚本(ネタバレ注意)
 この映画は初見。監督自身が書いたという脚本が優れていると思う。ドラマの舞台は統一前の東ドイツ、そして後日談として統一(1989年11月)後のドイツ。主要な登場人物は以下の三人。
 ①ヴィースラー大尉(東ドイツ秘密警察官(シュタージ))
 ②クリスタ(舞台女優。ドライマンの恋人)
 ③ドライマン(反体制思想をもつ劇作家)
映画はこの三人のそれぞれが抱える苦悩と葛藤を、丁寧に描いている。

(1)ヴィースラー大尉
 孤独で冷徹なシュタージ職員。尋問術を若い職員たちに講義する教師でもある。シュタージの任務遂行(反体制分子の監視)を第一と考えている。しかしドライマンのアパートを盗聴中に、ドライマンが弾くピアノ曲「善き人のためのソナタ」に思わず感動し、落涙する。ここからヴィースラーの行動は、本来の監視目的から逸脱してゆく。

(2)クリスタ
 違法薬物を常習している弱みをシュタージに握られ、刑務所行きと引き換えに密告を強要され、恋人であるドライマンを裏切る(西側へ記事を発信したことを明かす)。一度は酒場でヴィースラーに説得されドライマンのもとに帰るが、最後にはタイプライターの隠し場所を教えてしまう。その罪の意識に苦しみ、自死に近い事故死。

(3)ドライマン
 恋人クリスタの背信(ヘルプフ大臣にからめとられそうになる)に傷つきながらも、クリスタを再度受け入れ、愛しつづける。反体制思想を理由に演劇活動を禁止される恐怖に苦しみながら、それでも勇気をもって東ドイツの実態を西側へ発信する。

 秘密警察(国家権力を行使する強者。悪役) vs 監視される弱者(市民。犠牲者)の単純な構図にせず、監視するヴィースラーの心の揺らぎをじっくり描くことで、ドラマに奥行きを与えている。

2.設問について
(1)タイトル
 『善き人のためのソナタ』は、ヴィースラーを感動させたピアノ曲のタイトルであり、東西ドイツ統一後に刊行されたドライマンの本のタイトルでもある。象徴的で文芸的な、いい邦題だと思う。

(2)ヴィースラーがドライマンとクリスタを助けた理由
 ヴィースラーはこれまで、シュタージの任務遂行を第一として生きてきた。上昇志向はないが、仕事に忠実な男である。しかし、じつはヴィースラーには人間的な感情を表現する芸術(演劇、詩、音楽)に対する秘かな憧憬があり、それに感動する感受性もあったらしい。やがて監視するドライマンとクリスタの愛情や、ドライマンの芸術家(創作者)としての生き方に少しずつシンパシーを感じはじめる。またクリスタには個人的な好意もあった。逆に、権力をかざしてクリスタを好きなように扱おうとするヘルプフ大臣にたいする嫌悪感があった。これらが重なって二人を助けたのだろう。
 
3.その他、自由な感想
 脚本も書いたフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督は、社会主義体制の中で、芸術や自由や人間賛歌の感情を封印せざる得なかったシュタージ職員が、監視対象であるカップルの生活を盗聴するうちに、少しずつ人間的感情に目覚めてゆく姿を描きたかったのではないか。映画の冒頭、ヴィースラーがことさら冷酷な人物に描かれるのは、その後の彼のなかの揺らぎと変化を際立たせるねらいがあったのだろう。そして映画のラスト、ドライマンの著作が自分に捧げられているのを知って、めずらしく微笑む、あの表情へとつながる。ヴィースラーを演じたウルリッヒ・ミューエは、抑えた演技で秘密警察官の微妙な心の動きを表現した。

 余談だが、この俳優(ミューエ)はヘンリー・フォンダ、それも『間違えられた男』(1956。ヒッチコック監督)を演じた、当惑したような表情のヘンリー・フォンダに似ている。また映画のなかで、ヴィースラーが自分のアパートへ娼婦を呼ぶ場面がある。あの豊満な中年女が好みだとすると、ヴィースラーはちょっとマザコンかもしれない(笑)。
清水伸子さん (8p590r59)2024/1/19 16:09削除
この映画は以前に一度観て良かったという印象が残っていた。今回課題映画に決まった後すぐ一度観て,3度目はゲルトの心情の変化を中心に据えてまた観直したところ、とても丁寧につくられた映画だと感じた。

1 原題の「他人の生活 他人の命」と「善き人のためのソナタ」はどちらが良いと思うか?
 私は「善き人のためのソナタ」の方が圧倒的に良いと思う。感情が動かされる。一方原題の方はその意味を考えさせられる。そういういう意味ではこちらも良いのかもしれない。

2 シュタージのゲルトはどうしてドライマンとCMSに惹かれたと思うか?
 最初この映画を観た時は,ドライマンの弾くピアノ「善き人のためのソナタ」を聴いて彼の中の善の部分が引き出されたと思い,そんな簡単なものだろうかと疑問が残っていた。でも,今回観なおしたところ,ゲルトは元々社会主義の正義をまっすぐに信じる純粋さを持っていたのではないかと思った。食堂で幹部の席に座ろうとしなかった事はその一例だ。また,クリスタが大臣の車で送られて帰って来る所をわざとドライマンに目撃させるが,その後の2人の様子を観察して彼らが苦悩しながらも愛し合っている事を知る。そして留守中に彼らの部屋に忍び込んだのは彼らに惹かれ彼らのことをもっと知りたくなったからだと思う。そこにあった本を持ち帰って読んだ事で真に美しいものへの憧憬が深まり「善き人のためのソナタ」を聴いた事が決定的に彼を変え、後の行動に繋がっていくのだと思った。

3 自由感想
 ドライマンが直接ゲルトに会って感謝を伝えるのではなく,著書を介して伝えるという場面はこの映画に最も相応しいと感じた。人から人への真っ直ぐな思いが静かに伝わってきた。

 ただ、ゲルトがクリスタを尋問してタイプライターの隠し場所を聞き出す場面で,クリスタは彼が酒場で彼女を諭し,大臣の元へ行くのを思いとどまらせた人物だと分からなかったのだろうかという点,そしてゲルトの処罰が比較的軽く済んでいる点にやや疑問を感じた。
藤野茂樹さん (8pa6wkw7)2024/2/1 09:39削除
善き人のためのソナタ 感想 藤野
1.タイトルは「他人の生活、他人の命」がよいか「善き人のためのソナタ」か?
映画の内容は、国家が保安省職員や民間人を監視人に仕立て上げ、国民の生活を監視し、疑いがある人を追い込み、職業から追放し、生活不能に追い込んでいく。
そういう意味で「他人の生活、他人の命」をタイトルにしてもよいと思う。
しかし日本で公開するには何度も出てきてかつ抒情的な「善き人のためのソナタ」という言葉をタイトルにした方が反響を呼びそうである。
2.シュタージのゲルトはどうしてドライマンとCMSに惹かれたのか?
ゲルトは大変まじめな公務員であり、東ドイツを発展する国にしたい、世界一の社会主義国にしたい、そんな理想がある人物と感じました。監視活動中に劇作家ドライマンや女優CMSが苦しみ、それでも自分の仕事に誠実に向き合う姿を観察するうちに、自分の中で理想国家建設の大義が揺らいでいく。大臣の愛人にさせられ崩れそうな二人の関係を必死に保とうとするドライマンの忍耐は目を見張る。親友イエルスカの首つり自殺後に、彼からもらった「善き人のためのソナタ」をピアノ演奏しながら「この曲を聴く人は革命を達成できない。この曲を本気で聞いた人は悪人になれない」とつぶやく。これを盗聴していたゲルトが涙を流す。理想国家建設のためだった監視活動が、下衆な覗きにすぎず、市民を苦しめているだけと判っていく。
このゲルトの葛藤、揺らぎがこの作品の重要な部分なのだと思いました。
監視活動で生活している自分が、いったい人間なのか、監視する機械なのかわからなくなり、娼婦を買ったり、ブレヒトの戯曲を読んでみたりする。その後監視に対する疑問がどんどん膨らみ誤りだと気づくが、この国で生きていくためには仕事を続けるしかない。そしてついに黙認やうその報告をしてやりすごすようになっていく。
ゲルトがドライマンやCMSに惹かれたというより、彼らに東ドイツの苦しむ姿を見、自分の監視活動は理想国家のためと思っていたのに、国民を苦しめただけとわかったわけです。
3.自由感想
実話だそうだが、ゲルトがパブで正体をあらわし、CMSに「仕事続ける」ように話しかけたこと、またタイプライターが発覚寸前にゲルトが先回りして隠していること、この2つの出来事は、壁崩壊後にドライマンが知った事実なのか、ドライマンの推測または創作か、それとも映画監督の創作なのだろうか、わからない。
ドライマンが脚本「善き人のためのソナタ」出版した際に、タイトルの下に「HGW XXⅦに捧ぐ」と入れてあるが、これはドライマンが入れたのか、それとも映画監督か。
映画監督が創作した部分はどこでしょうか。パブのシーン、タイプライター隠匿、最後にドライマンがゲルトを見かけるが、話しかけるのをためらったシーンなどでしょうか。
また最後にドライマンがゲルトを街で見かけたが声を掛けなかったのは、ゲルトが
不幸な立場ではないことがわかり、また今や人気作家になったドライマンが声をかけることは立場が逆になった相手を見下ろすようになるわけで、やめようと思ったのだと思う。
山口愛理さん (8xfaoi67)2024/2/6 17:24削除
『善き人のためのソナタ』を観て

〇初めに
ドイツの映画はあまり観たことが無かったのだが、ドイツ人監督ヴィム・ヴェンダースは昔から好きで、彼の監督作品は『パリ・テキサス』『ベルリン・天使の詩』『アメリカの友人』『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』と四本見たがみんな大好き。最近では話題の『PERFECT DAYS』も監督している。
さて、今作について。冷戦前の社会主義東ドイツが舞台となっている。はじめは劇作家ドライマンが主役なのかと思ったが、次第に秘密警察局員のビースラーが主役だとわかる。
当初、ドライマンの家に盗聴器を仕掛け、粛々と任務をこなしていたビースラーが、ドライマンが演奏するピアノ曲『善き人のためのソナタ』を盗聴器越しに聴いて涙する。その表情だけの演技が素晴らしかった。心の奥底に眠っていた、芸術への魂が目覚めたのだろう。そして彼らのように、人間らしく生きたいと。
ビースラーを演じた俳優は、この映画公開後間もなく病死したそうだが、そんな自分の運命もわかっていたのだろうか、と思ったりした。
ラストシーンが良かった。「HGWXX/7に捧ぐ」。言葉は少なくても、伝わるものだ。
ドイツで歴史ものというとヒトラーに関する映画は多いが、こういった監視下の生活を描いた映画は初めて観た。全体に重厚な雰囲気で、役者たちの演技も良く、良質な映画を観たと思う。

〇設問について
・題名はどちらが良いか?
もちろん、『善き人のためのソナタ』が良い。逆になぜこの原題にしたのかわからない。「他人の生活」ってストレートすぎてセンスがいまいちで残念。
・シュタージのゲルトはどうしてドライマンとクリスタに惹かれたか?
ひとことで言うと「芸術の力」だろう。人間愛に目覚めた彼にとって、二人は監視対象から憧れの存在に変わり、危険を冒しても守るべきものに変わった。
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