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映画好きの集いの掲示板です。
毎回新旧テーマ映画を挙げ、それについて会員の忌憚の無い感想を書き込みます。

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管理者さん (8pa6wkw7)2023/12/5 08:23 (No.996926)削除
課題映画、第17回文横映画好きの集い(旧作)(2024年2月18日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
藤野燦太郎さん (8pa6wkw7)2023/12/11 12:52削除
ブレードランナー ファイナルカット版 (アマゾンにあります)

Chat GPT、メタバース、量子コンピューターと近年のAI発展は私たちの想像を超えています。細い腸管を内視鏡がさっと通り過ぎた時、医者は何があったかがよくわからないけれど、AIは正確に何個のポリープがあってそれぞれ癌の可能性はどの程度かと一瞬で教えてくれます。東京で医者がロボットを操作すれば、北海道でロボットが胃がんの手術を正確にやってくれます。今は素晴らしい成果ばかりが目立ちますが、その進歩の果てにあるものを考えてみたいと思ってこの映画を課題としました。
いくつかの派生型がありますが、この版だけを見てください。

テーマ

1.4年の命と定められたレプリカント(アンドロイド)バッテイは、なぜレプリカントを3人も殺しているデッカードの命を助けたのでしょう?

2.デッカードとレイチェルの未来は?

3.デッカードは何者なのか?

4.レプリカント(アンドロイド)は何かのメタファーでしょうか?
藤堂勝汰さん (8pa6wkw7)2023/12/19 14:23削除
1.4年の命と定められたレプリカント(アンドロイド)バッテイは、なぜレプリカントを3人も殺しているデッカードの命を助けたのでしょう?
なぜなんですかね?! 直前にプリスが殺されており、執拗にデッカードを追いかけ恨みを晴らそうとバッテイなので、指を折っただけでは怒りが収まらなかったはず。
デッカードが両手で支えていた力も尽き、落下死するのも時間の問題であったはずなのに、バッティはそんなデッカードの手を掴み、拾い上げる。
その後デッカードに自らの最後の時が来たと言い残し、眠るように目を瞑る。
自らの寿命が近づいているのを悟り、「赦す」という人間の感覚が最後に芽生えてきたと察するより他浮かばない。

2.デッカードとレイチェルの未来は?
寿命を全うしたかに思えたレイチェルだったが、彼女は少なくともしばらくは生きていただろう。
しかしながら「4年」とプログラムされたアンドロイドであるが故に、多少の時間差はあるもののそう長くは生きられなかったであろう。
その残された時間を、人間として女として全うできたのではないだろうか?

3.デッカードは何者なのか?
デッカード自身がレプリカント(アンドロイド)だったというのが映画の結末として一番盛り上がると思う。
それを裏付ける証拠はないが。
レプリカントをレプリカントが追い詰める。
この流れは、ターミネーターへ受け継がれていくのだと思う。

4.レプリカント(アンドロイド)は何かのメタファーでしょうか?
・人工知能を内蔵した未来型ロボット
・クローン人間
・遺伝子組み換え作物

(感想)
SF映画の金字塔と呼ばれる本作品。
映画ファンであれば必ずやこの作品を観て、感想を言い合う登竜門と言えるであろう。
また本作品は外部から様々な意見を受け、結末をはじめ様々な箇所で変更を施した枝葉の多い作品でもある。
①初期劇場公開版
②インターナショナル版
③USテレビ放映版
④ディレクターズ・カット版
⑤ファイナル・カット版

それだけ、話題性があり、見方があり、憶測を呼んでいたためである。
以前に5回は観たと思うが、今回「ファイナル・カット」版がテーマということで、過去の記憶を一旦消し去り、上記のテーマを見据えて2回観た。
随所に日本語が聞こえてくる。
「強力わかもと」がと芸者のイメージが強く残る。
3人のレプリカント(ゾーラ・リオン・プリス)を追い詰め処刑する。
最後のバッテイは3人と違い強敵でデッカードでは歯が立たなかった。
しかしながら落下しそうになった際、バッテイはデッカードを救う。
この行為がこの映画の最大なる謎の部分である。
1982年(昭和57年)、僕は18歳であった。この映画は最も興味があり、最も分からない映画であった。
今回この歳になり、再度観られたことにより、謎が少しだけ解明できた気がする。
克己 黎さん (8kvydqc8)2024/1/1 14:14削除
『ブレードランナー  ファイナル・カット版』を観て  克己 黎

何度も観ている本作ではあるが、ファイナル・カット版は初見であった。何度も観ていたのはディレクターズカット(最終編集版)である。
Amazonプライムで元旦に観ることができた。

1.4年の命と定められたレプリカント(アンドロイド)バッテイは、なぜレプリカントを3人も殺しているデッカードの命を助けたのでしょう?

→バティーに憐れみ、優しさ、人を助ける使命感、赦す心、生命の大切さを知る心、など感情や人間らしさが芽生えていたから。慈悲が芽生えていたから。命を大切にする優しさがあったから。

レプリカントのなかのリーダー格であるバティーをルドガー・ハウアーは持ち前のクールな容姿と演技で見事に演じている。宇宙で過酷な労働から逃げ出し四年の寿命をなんとか長くしたいとタイレル社に危険を冒して乗り込む。タイレルに四年の寿命は変えられないと告げられた時の悲しさ。悔しさ。バティーに感情が芽生えたからである。ルドガー・ハウアーはミシェル・ファイファーとの共演の『レディーホーク』で観てからハンサムでクールな容姿だなと思い少し好きだった俳優さんで、おそらくこのレプリカント役が一番の大役となっただろう。

2.デッカードとレイチェルの未来は?

→わずかな四年以内の恋愛でも充実した毎日を二人で過ごすことができたと、信じたい。

ショーン・ヤングはマット・ディロンと共演した『死の接吻』でマネキンのような端正な容姿の美人女優さんだな、と思って観ていた。このレプリカント役はハマり役で、個性的な髪型も違和感無く似合っていた。知的な雰囲気もあり、良い配役と感じた。ショーン・ヤングは、『今ひとたび』(イザベラ・ロッセリーニ主演)にも出ていたが、背が高く体格がしっかりとした印象を受けた。ケビン・コスナーへのストーカー行為などのスキャンダルがなければ、大女優になれたに違いない、惜しい人材である。

3.デッカードは何者なのか?

→レプリカント、と言いたいところだが、人工授精などで作られ培養されたレプリカント狩りを使命として育てられた特殊な人間。だが人間らしさは皆無である。むしろレプリカントのほうが人間らしい心を持っている。

以前映画の会の発表の際、ハリソン・フォードの『インディ・ジョーンズ レイダース』を取り上げた時に、『目撃者』『ワーキングガール』『逃亡者』『心の旅』などを観た。『ブレードランナー』での演技は『心の旅』の事故前のクールな身勝手な夫役の演技に近い印象を受けた。あまり熱さは感じない。ハリソン・フォードの仏頂面がブレードランナーのレプリカント狩りという役割を強調し、冷血漢なデッカード像を創り上げた。

4.レプリカント(アンドロイド)は何かのメタファーでしょうか?

→ターミネーター(『ターミネーター』シリーズ)手塚治虫漫画に登場する、アトム(『鉄腕アトム』)、あるいはムーピー(『火の鳥』シリーズ)、鳥山明漫画に登場する人造人間8号、18号(女性)(『ドラゴンボール』)などの、人工生命体で、現在のAIを進化させたロボットのようなものであり、人工知能や科学は人間を超えた人工生命体を創り出し、感情をも抱かせる。

時に人間以上に人間らしい、悔しさ、悲しさ、優しさ、強さ、慈悲、憐れみを持っている。それは人間が忘れかけている感情であり、人工生命体にいつか乗っ取られてしまう人間の社会になるかもしれないという危惧がある。

ルドガー・ハウアー演ずるバティーの最期の場面と、ショーン・ヤング演ずるレイチェルの静かな美しさ、そして、時折登場する警察関連の男の折り紙が印象に残った。

2024.1.1 克己 黎
藤野燦太郎さん (8j4tkzsk)2024/1/11 23:14削除
ブレードランナー感想 藤野

1.なぜバッテイはプリス、ゾーラ(背後から射殺)、リオンの殺害に関与したデッカードを追い詰めながら最後に助けたのか?
バッテイは、決闘で追い詰め絶体絶命になったデッカードを最後に助け上げる。理由はレプリカントという人間より少し劣り、命の限られた自分たちの運命と解放を理解してほしかったのだと思います。バッテイはデッカードと対決する前に建物のくぎを引き抜き、自分の手に刺します。これは十字架にかけられたキリストの痛みを知り、ただ復讐に燃える自分の心を抑えようとしているのでしょう。そういう意味では、研究室で作られ脳にキリスト教を刷り込まれてきただけのレプリカントが、一歩踏みだしてキリストの痛みを体験し、生まれた「慈悲」の心を実践していく。物語の山場です。平和の象徴である鳩を抱きながら「恐怖の連続だっただろう。それが奴隷の一生だ」と話しかけます。
「お前ら人間には、信じられないものを見てきた。オリオン座近くで燃えた宇宙船や、タンホイザーゲートのオーロラ。そういう思い出もやがて消える。時が来れば、雨の中の涙のように、‥‥その時が来た」そう言ってデッカードの前でバッテイは命を終える。
バッテイの存在感は非常に大きく、完全に主役を上回っているようにさえ見えます。

2.デッカードとレイチェルの未来
最後にガフが言う、「彼女も惜しいですな。短い命とは」
二人が逃げるときに折り紙(犬や馬のようにも見える、ユニコーンだというが)を拾うシーンがある。
デッカードはそれをにぎりつぶして、すべてが分かったかのようにうなずいてレイチェルと共に出ていきます。デッカードは何がわかったのでしょう。ここでデッカードが見た夢をガフが知っていて、デッカード自身がレプリカントだとわかったと考える人もいますが、私はガフ達がレイチェルの運命を自在にもてあそんでいることにデッカードが激しい反発を覚えたのだと思います。折り紙は人間が作り出し、運命を自由に決められるレプリカント、人工物、はかない物の象徴と思います。二人は逃亡し限られた命を燃やすのでしょう。

3.デッカードはいったい何者か?
最後の折り紙で自分がレプリカントだと気付いたという考えもあるが、自分は人間と思っています。レプリカントのはかない運命を理解した人間と考えると物語が大きくなる。
レプリカントだったとすると、ひっくりかえされて、出口の見えない世界に入るように思います。

4.レプリカントはメタファーか
映画の中ではレプリカントとは、人間より少し反応速度が鈍いアンドロイドです。しかし
人間デッカードは躊躇なく、後ろからでもレプリカントの女性を撃ち殺していく。
何の感情もなく、殺害していきます。だからレプリカントを殺すように刷り込まれたレプリカントだという説もあります。
しかし今日まで人間がやってきたことを振り返ると、レプリカントは次のようにも感じませんか。
A 少数民族のメタファー
※白人に対する黒人、少し文明が遅れていたため、奴隷として使われていたし、今も根強い偏見がある。
※ゲルマン民族とユダヤ人 ヒトラーが民族浄化を図って虐殺した。
※中国での漢民族とウイグル族
※アメリカ白人とインディアン
※大和民族とアイヌ民族
※その他多くの国の少数民族

B、弱者のメタファー
※正常人と身体障碍者
※正常者とらい病(ハンセン氏病)患者  断種(子宮摘出、精巣摘出)手術が行われた。
このように世界中に存在する弱者が思い浮かびます。

C、最後に「レプリカント」は私たち人間の象徴と思えないでしょうか。
時々同級生の訃報を聞いているからかもしれませんが、4年の命は明日がないように感じます。15年、30年と言われたら永遠の命があるかのように気楽な気持ちになりますが、4年の命は突然危機感を持って迫ってきます。
私もたぶん弱者への思いやりが少ないのかもしれません。弱者の気持ちを理解しようとすることは、つらさ、苦しさ、悲しさを共有することで、人生が楽しくなくなるからでしょうか。私たちも限られた命と考えて日々を生きるべきではと考えたりもします。バッテイのように、レイチェルのように。

最後に、この映画には多数のアジア的、日本的シーンがあります。遠い未来なのに日常は歌舞伎町に住んでいるような混とんとしたシーンが広がっています。未来の人間はこのような怪しいネオンの洪水、狭い路地、国籍も職業も過去も問われない人が集う、ごちゃごちゃの街に人間性を感じるのでしょうか。
清水伸子さん (8p590r59)2024/1/21 21:59削除
映像がとても美しく、不思議な世界に彷徨い込んだよう。この映画は人間世界の未来を映し出しているようです。大気汚染のせいか常に薄暗くて雨が降りしきり、様々な人種が入り混じり行き交っています。映し出される映像の意味を色々考えても掴みきれないまま残像が残ります。全てが退廃的な雰囲気に覆われているのにそれを美しく感じるのはなぜなのでしょうか?

1 バッテイはデッカードをなぜ助けたのか?
 最後に白い鳩を飛ばす行為が彼の気持ちを象徴しているようです。人間を超える身体能力と知力を兼ね備えながらも奴隷として人間の都合のいいように使われ、愛するという感情を持っても4年という限られた命を長らえさせる術も持てない苦しみを何とか人間に伝えたかったのではないでしょうか?死の恐怖を味わったデッカードだからこそ、彼を生かす事がバッテイの最後の希望になったのかもしれないと思いました。

2 デッカードとレイチェルの未来は
 デッカードはレイチェルを追手から守り、命を長らえさせる方策を探そうとするのではないでしょうか?そう思いたいです。

3 デッカードは何者なのか?
 凄腕のブレードランナーではあっても身体能力はレプリカントより劣っていて、一度はレイチェルに助けられなければ殺されていたかもしれないし、最後もバッテイに助けられる。人間が実はそれほど優れた存在ではない事を象徴する存在なのではないかと思いました。

4 レプリカントは何かのメタファーなのか?
 科学技術の進歩は限りなく、遂には人間を超える存在までも創りだすという未来を暗示していると思いますが、まさにAI 、ロボット技術の進歩は予測が現実になっていると思います。


最後に
 時折登場する折り紙を折る男の存在は何なのか?折り紙は何かを象徴しているのか?強力わかもとの広告で日本髪の女性の顔が度々大写しになるが、どんな意味があるのか?デッカードの部屋のピアノの譜面台に置いてある写真は何なのか?彼の夢に出てくるユニコーンは何を表しているのか?部屋の前に置かれた折り紙もユニコーンだったのはどういうことか?など色々謎として残ります。皆さんはどう思われますか?
上終結城さん (8g07wmfj)2024/1/22 22:05削除
1.秀逸な世界観
 リドリー・スコット監督は前作『エイリアン』(1979)で、宇宙運搬船ノストロモ号を、これまでのSF映画にありがちなチリひとつないキンピカな機内ではなく、配管がむきだしで薄汚れた実用船らしく描いた。
 スコット監督が本作『ブレードランナー』で造形した未来世界(設定は2019年のロサンゼルス)も、整然と築かれた輝く機能都市ではない。酸性雨が降り、無計画に増殖し、暗くごたごたした都会である。廃墟ビルも多い。狭い道路には屋台が並び、日本語を含むエスニックな言葉が飛びかう、猥雑な生活が営まれている。
 『ブレードランナー』は公開当時(1982)、興行的に振るわず、製作費も回収できなかった。その暗い世界観、カタルシスのないストーリーと謎めいたエンディングに観客が戸惑ったのだろう。しかし、ここで描かれた未来像は、一部のファンにカルト的人気を博し、やがてその斬新さを評価する声が徐々にひろがる。そしてついにはその後のSF映画へ決定的に影響を与える作品となった。
 その意味で、『ブレードランナー』は、キューブリックの『2001年宇宙の旅』(1968)と似た位置づけの作品と目されている。『2001年』も公開当時、興行的に不振だった。そして観客の誰もが、この映画をどう評価していいのか躊躇した。ところがその後、画期的な作品として評価は不動のものとなり、いまやオールタイムベスト映画の上位にランクされる、SF映画の金字塔とされている。

2.デッガードのキャラクター
 『ブレードランナー』は未来のL.A.を舞台にしたフィルム・ノワールである。リドリー・スコット監督は主人公デッガード(ハリソン・フォード)のキャラクターに、レイモンド・チャンドラーの私立探偵フィリップ・マーロウをイメージしたという。またロマン・ポランスキーの映画『チャイナタウン』(1974)の私立探偵(ジャック・ニコルソン)も参考にしたらしい。
 デッガードは帽子こそかぶってないが、コートを着た、うらぶれたフィリップ・マーロウだ。マーロウは単純なタフガイではない。屈折した過去を想像させる、陰翳ある人物である。デッガードも過去を引きずる影のある男として描かれている。しかし観客には、腕利きのレプリカントハンター(ブレードランナー)だったこと以外、彼の過去はわからない。唯一、デッガードがユニコーン(一角獣)の幻影を見る、謎めいたシーンがある。

3.テーマ(設問)について
(1)4年の命と定められたレプリカント(アンドロイド)バッテイは、なぜレプリカントを3人も殺しているデッカードの命を助けたのでしょう?
【回答】
 バッティは自分の寿命が尽きそうであることを知っており、デッガードとの決闘を、最後の「生」の充実した瞬間として楽しもうと考えたのだろう。バッティはデッガードの右手の指二本を折る。これはデッガードに殺された仲間ゾーラとプリス(ともに女)の復讐だが、レオン(男)の分は入っていない。(レオンはレイチェルに撃たれて死んだので、バッティの言い分は正しいのだが、なぜレオンの死に方を知っていたのだろう?)この時点でデッガードを殺すこともできたのに、バッティはわざわざ銃をデッガードに返している。あきらかにこのゲームを楽しんでいて、できるだけ長く続けようとしている。
 そして勝負が決し、敗れたデッガードがビルの屋上から落ちる瞬間、それを助ける。屋上に引き揚げたデッガードにバッティは自分の思い出を、詩のような言葉で語りかける。「……それがやがて消える。雨の中の涙のように……」バッティは自分のこの最期の言葉をデッガードに聞かせ、自分の心情を知ってもらいたかったのだろう。 

(2)デッカードとレイチェルの未来は?
【回答】
 すくなくともレイチェルはレプリカントなので、遠からず寿命が来る。その瞬間まで二人は逃避行を続けるのだろうか。バッティとの死闘のあとに現れた警察官ガフ(不気味な男。折り紙の名人)は、デッガードに「彼女(レイチェル)は惜しかったな。短い命だ」と言った。これは逃亡したレプリカントであるレイチェルを見逃してやる、と言ったようにも聞こえる。

(3)デッカードは何者なのか?
【回答】
 このファイナルカット版のラストシーンは以下のとおり。警察官ガフがデッガードのアパートの廊下にユニコーンの折り紙を残していった。それを拾ったデッガードは、何かを得心したような表情を見せる。
 私は今回映画を見直して、こう解釈した。デッガードもじつはレプリカントだった(寿命が長く設定されているのかもしれない)。ガフが、デッガードの見るユニコーンの幻想を知っているということは、デッガードの脳内記憶はじつは人工的にインサートされたものだった。ガフはレプリカント狩りの依頼者としてデッガードの記憶内容を知っていた。そして仕事が終了した後、そのことを折り紙に託した謎としてデッガードに伝えた。デッガードはそれを見て、自分がレプリカントだと知り、苦笑とともに納得した。

(4)レプリカント(アンドロイド)は何かのメタファーでしょうか?
【回答】
 レプリカントは知能、意志、感情を有する人間と同じ存在なのに、その生殺与奪の権利を、ある特定の人間に握られている。そのことに耐えられず、ついに反乱を起こす。この状況から想像される人々の例としては、たとえば①黒人奴隷、②植民地支配された民族、③圧政に苦しむ農民、④被差別民族、などが考えられる。

5.その他、自由な感想
(1)思い出した映画
 デッガードの右手の指をバッティが一本ずつ折ってゆくシーンは、その苦痛を想像して目をそむけたくなる。この場面は『ハスラー』(1961)で、ポール・ニューマンがビリヤード場でつかまり、顔を壁に押しつけられ背中側にねじ上げられた両手の親指を折られるシーンを思い出させた。(痛そう!)

(2)レイチェルのファッション
 テレビを見ていて気付いたこと。転職エージェント「レバテック」のCM。若い男( 賀来賢人。ITエンジニア)のアパートに突然宇宙人の女(八木莉可子)が現れ、「おまえは仕事、楽しいのか? それでいいのか?」と問い詰める。この宇宙人の髪型(左右ふた山に盛り上がっている)とコスチューム(両肩がパッドで極端に飛び出している)は、あきらかにレイチェル(仕事中)のファッションを誇張したものだろう。
https://bluelagoonlife.com/23levtech05/

……と、ここまで書いて、投稿前に藤野さんの文章を読んだら、設問(3)に小生と異なる意見が述べられていました。でも様々な解釈がある、ということでこのまま投稿します。
池内健さん (8qbh6yx3)2024/1/27 11:30削除
少子化による人口減で労働力不足が予測される日本では、レプリカント的な存在の必要性が高まっていく。そう考えながらこの作品を観ました。現実には外国人労働者の受け入れということになりますが、アンドロイドでさえ感情を抱くようになるのだとしたら、労働力としての側面だけに割り切った外国人受け入れは絵空事だと改めて思いました。

1.バッティはなぜデッカードの命を助けたのか
 レプリカントは感情を持つとはいってもその発達は十分ではなく、知能(合理的判断)が勝っています(だから感情を揺さぶるフォークト・カンプフテストにうまく答えられない)。自らの命を守るには自分を殺すつもりのデッカードを殺害する必要がありますが、その命が尽きることが明確になった以上、デッカード殺しの合理的理由はなくなりました。バッティが空に放った白鳩は精霊の象徴で、天国で永遠の命を得たいという願望を示していると解釈しました(その前に創造主・父=神であるタイレルを殺しているのでその願いがかなうかわかりませんが)。

2.デッカードとレイチェルの未来は?
 レイチェルは別の人間の記憶を移植されていて、人間に近い内面を持っています。しかし、自分がレプリカントと知ってアイデンティティが揺さぶられた分、傷つきやすくなっています。デッカードは残り少ないレイチェルの命を、人間らしい暮らしで癒やすのが、バッティたちへの贖罪につながると考えたのではないでしょうか。

3.デッカードは何者なのか?
 レプリカントを始末する仕事は有害鳥獣の駆除のようなものですが、対象がなまじ人間と同じ外見なので、精神的に負担が大きかったのだと思います。しかし、ブライアント署長との対話で、この仕事をやめると何のとりえもない存在になってしまうことに気づき、ふたたび仕事を引き受けます。デッカードもレイチェルと同様にアイデンティティの危機にさらされていたからこそ、彼女を救う行動に出たのではないでしょうか。
(※これを書いた後みなさんの投稿をみてデッカード=レプリカント説を知りました。説得力がありますね)

4.レプリカント(アンドロイド)は何かのメタファーか?
 この映画が公開された1980年前後のアメリカでは、自国の力に陰りが見え始め、日本をはじめとするアジア諸国の台頭への警戒感が高まっていました。70年代には自動車工場の労働者が日本車をハンマーでたたき壊す抗議活動もありました。レプリカント(やアジア趣味に支配されたロサンゼルス)は、アメリカにとって自らの存立を脅かす(しかし撃退しうる)アジアをなぞらえたものだと捉えました。また、公開前年の1981年は、スペースシャトル・コロンビアが初の打ち上げに成功する一方、初のエイズ患者が発見された年でした。宇宙開発や未知の病原体に対する関心が高まっていたといえ、レプリカントにはそうした時代を反映する一面もあったと思います。
 現在の日本でこの映画をみた立場でいえば、クマによる被害を連想しました。クマはうまくすみ分けていれば共存できるのですが、今シーズンは餌のドングリが不作で里山や街中に現れ、駆除せざるをえませんでした。人間の命とクマの命のどちらを優先するかといえば人間の命ですから当然のことですが、クマを駆除した地域の役場には「なぜクマを殺すのか」との批判が殺到しました。人間社会への脅威を象徴するレプリカントは人工物ですが人間そっくりなうえ感情も有し、「人間とは何か」という問題をつきつける存在でもあります。仮に現実の日本が舞台だった場合、その解任(殺害)にはクマ駆除以上の批判が集まった可能性があります。
山口愛理さん (8xfaoi67)2024/2/6 16:02削除
『ブレードランナー ファイナルカット』を観て

〇初めに
『ブレードランナー』は1982年頃の公開当時に劇場で観た。その数年前に衝撃を受けた『エイリアン』と同じリドリー・スコット監督の作品なので、期待して観たのを覚えている。
話の内容もさることながら、一番印象に残ったのはその映像と世界観だ。環境汚染によって光が届きにくくて暗く、常に酸性雨が降り注ぐ未来都市、その空間表現が秀逸だった。ロサンゼルスのチャイナタウンが舞台だが、日本と中国が混ざったようで、電飾と大きな芸者の看板が異様に目立っていた。
そんな映像的記憶が多く、ハリソン・フォード扮するブレードランナーがクルクル回る女性のレプリカントと闘うシーンとか、他の女性レプリカントとの恋愛っぽいシーン以外は、話の細部は覚えていなかった。
今回、ファイナルカットを観て印象に残ったのは、恋愛感情を持つレプリカントのレイチェルの繊細な美しさと、同じくレプリカントで冷淡なバッティの、死を前にした謎めいた人間臭い行動だ。
ちなみに初見当時、この映画が気に入った私は、原作のフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』も読んだのだが、映画とはかなり違う世界観だった。主人公は確か賞金稼ぎだったのだ。それにしても、この原作が1968年に書かれていることを考えると、その当時、人間と人工知能の違いについて表現しようとしたのは、かなり進んでいたと言わざるを得ない。しかし実際には、作者が描いたような未来はもっと遠い未来に訪れるのだろう。

〇設問について
・なぜバッティはデッカードの命を助けたか?
人間と同じような感情が芽生えていたので、自分の最後を悟った時に、何か一つ良いことをしたかったのでは。自分が死ぬからこそ、最後ぐらい生きている者に静かに見届けて欲しい、とするのは考え過ぎだろうか。そこにはもう恨みは無かったのだろう。
・デッカードとレイチェルの未来は?
レイチェルの命が続く限り、一緒に逃亡するのだろう、と思う。スケール大きく、宇宙の果てまで。
・デッカードは何者か?
普通の人間(ブレードランナーを職業とする)と思った。そうでなければ、簡単に殺されそうになったりする、あの不完全さに理由が付かない。
・レプリカントは何かのメタファーか?
私はメタファーとは思わなかった。ストレートに、ロボット、コンピュータ、人工知能、その進化系。1960年代の映画『2001年宇宙の旅』では人工知能HALが思考を持ってしまって反乱するが、人間のように動き回るものではなかった。体力を持ったAIが出現し、鉄腕アトムが悪人になってしまうことを考えると空恐ろしい。
最近では、チャットGPTが騒がれている。人間の知能が人工知能に先を越される日がいつか来るのかもしれない。
返信
返信8
管理者さん (8nj60pct)2023/8/22 06:58 (No.881664)削除
課題映画、第16回文横映画好きの集い(新作)(2023年11月19日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
管理者さん (8nj60pct)2023/8/22 07:13削除
劒岳 点の記(2008)監督: 木村大作
以降、幹事のテーマを記載後、皆様の書き込みをお願いします。
池内健さん (8qbh6yx3)2023/8/22 14:07削除
今夏放送のTBSドラマ「VIVANT」では雄大なモンゴルの砂漠でのロケが話題となりました。人間をちっぽけにみせる大自然の描写は「アラビアのロレンス」を例に挙げるまでもなく映画の得意とするところですが、テレビの高画質化や大画面化、ドローンを使った空撮などにより、ドラマでもやろうと思えばここまでできるということを示してくれました。

というわけで、今回は大自然が「主役」といえる映画「剱岳 点の記」(2009年)を選びました。明治時代の参謀本部陸地測量部が日本地図最後の空白地帯となっていた北アルプス・剱岳(2999m)の登頂を目指す物語で、原作は新田次郎。「八甲田山」など数々の名画で撮影を担当したカメラマン木村大作が監督(兼撮影)を務め、2年間で200日も山小屋に泊まって順撮り(カット順に撮影する手法)で完成させた作品です。雲海や富士山遠望、落石、雪渓などの迫力を、できるだけ大きな画面で観て体感してほしいと思います。

出演者も大自然に負けない存在感を発揮しています。テレビドラマではアクの強さばかりが印象的な香川輝之が、この映画の中では初々しく感じられ、今となっては貴重です。

集いでのテーマは以下の通りです。

① 一番好きなシーンはどこですか?

② 一番良かった出演者は誰ですか?

③ 「自然」が描かれたお薦めの映画は何ですか?
遠藤さん (8nqqh1v5)2023/9/3 17:04削除
地図を作るときに基準となる場所に埋められた標石を三角点と言う。
それを記録した日記である。
 三角点の距離・方位・高さを測量することで、正確な地図を作ることができる。
その数は約10万6000箇所。
 その設置は全て、ただ地図を作る為だけに命をかけた測量士が、先頭に立って道を開くことでなされた。〟
 明治39年、秋~…明治40年7月まで記録。
 陸軍省参謀本部の陸地測量部に所属する測量手・柴崎芳太郎(浅野忠信)は、最後の空白地点と呼ばれる「越中劒岳」の登頂をし、三等三角網を完成させよと命ぜられる。
 古田は柴崎に、地元の山案内人(山岳ガイド)・宇治長次郎(香川照之)を紹介する。
 長次郎は、あぶないことを指摘したうえで、それでも柴崎の気持ちが変わらないと知ると案内を決める。
 長次郎は3つの案を出す。
①雄山(立山)に登り、頂上から尾根伝いに剣沢へ降りて剣岳の東面から取りつく道
②剣御前へ登って、そこから尾根伝いに剣岳へ向かう道
③室堂乗越(むろどうのっこし)を越えて、剣岳から西へ張り出している尾根伝いに登る道
 日本山岳会の小島烏水(仲村トオル)たち一行と出会う。日本山岳会の小島は「自分たちは山にのぼることだけが目的だが、陸地測量部は山にのぼってからが仕事なのだ」と、柴崎らの仕事の大変さに気づく。
 立山温泉の周辺に三角点を作りながら、柴崎は「絶壁コースを攻めるべきか」考えていた。
 山を登っていくうちに、柴崎の考え方が次第にまとまってくる。
 地図とは国家のためではなく、そこに生きている人に必要なのではないかと考えた柴崎は、それまでの迷いが吹っ切れた。人は本来、どこに生きているのか知りたいものだと考えた柴崎は、自分たちの仕事に生きがいを見出す。
 それと同じ頃、雪渓を見た柴崎は、行者が言っていた「雪を背負って降りよ」という言葉の意味を理解する。それは、雪と関わりを持ち、雪を使えという意味だった。
 頂上が見えた時、長次郎が柴崎に道を譲る。「前人未到」と呼ばれたその地の第一歩を踏むのは、柴崎であろうという配慮からです。
 しかし柴崎は辞退し「最後まで頼む。僕たちはもう仲間だ」と言う。
 その時、長次郎が苔の間に、修験者の錫杖(しゃくじょう)を見つける。先に到達していた者がいたのだった。
 その錫杖は1000年以上前の修験者のものだと分かる。
 陸軍の上層部は、陸地測量部が剣岳の「第一の制覇者」ではないことを深く嘆く。
「人は何をしたかではなく、何のためにしたかが大事なのだ」と思う。
 日本山岳会も剣岳の登頂を果たす。木島と柴崎は、向かいの山で互いを見つける。
 日本山岳会は陸地測量部の功績を称え、陸地測量部も日本山岳会の登頂を称える。

①一番好きなシーンはどこですか?
最後手旗信号で日本山岳会は陸地測量部の功績を称え、陸地測量部も日本山岳会の登頂を称える場面。

②一番良かった出演者は誰ですか?
宇治長次郎を演じた香川照之である。田舎の純朴でひたすらまじめな役が良かったと思う。

③「自然」が描かれたお薦めの映画は何ですか?
2000年のアメリカ合衆国のサバイバルドラマ映画の『キャスト・アウェイ』ですかね。
監督・製作はロバート・ゼメキスが務め、トム・ハンクス、ヘレン・ハント、ニック・サーシーが出演している。
フェデックスのシステムエンジニアを乗せた飛行機が太平洋で墜落し、無人島に辿り着いた彼が帰還するまでの4年間の姿を描いている。
克己 黎さん (8kvydqc8)2023/10/22 17:16削除
『剱岳 点の記』 を観て 克己 黎
 <テーマ>(1)一番好きなシーンはどこですか?
→1.長次郎が、一度は命綱を解いて、柴崎に渡し、剣岳の頂上に登るのを自分はやめて、測量隊に譲ろうとしたところ、そしてそのあとで皆で剣岳に登ったところ。
2.山岳会の小島が旗で剣岳から測量している測量隊の柴崎にメッセージを送ったところ。

(2)一番良かった出演者は誰ですか?→香川照之、立山の村の訛りや、動き回る様子が、案内役に似合っていて良かった。

逆に葉津よ役の宮崎あおいは、容貌が現代的すぎて、似合っていなかったように見えた。

(3)「自然」が描かれたお薦めの映画は何ですか ?→1.「ナイアガラ」マリリン・モンローの魅力もさることながら、ナイアガラの滝に圧倒される。2.「砂の器」加藤剛版。ハンセン病をわずらい追われる父と息子が自然の中、転々とするところが感涙するところだ。

映画感想
→BGMにクラシックを使っているところが荘厳さを表していて良かった。
立山信仰自体を知らなかったため、この映画で剣岳が死の山として恐れられていることを知り驚いた。ロケが厳しかったであろう、山々の様子に、大自然の迫力、脅威を感じた。主人公役の浅野忠信よりも、案内役の長次郎役、香川照之が、素晴らしく良い。山岳部の小島役の、仲村トオルが都会的な容貌で、いかにも敵役。
吹きすさぶ嵐、吹雪の中、撮影といえども俳優さんたちの頑張り、忍耐には圧倒される。
途中で何回か雷鳥が鳴くシーンがあるが、それがヒントとなり助かる。
脇に蟹江敬三の子息の蟹江一平、松田優作子息の松田龍平らが出演しているが、エンドロールで「仲間たち」として出演者や協力関係者を表示したのが感動的だった。
2023.10.22
石野夏実さん (8x4c17f0)2023/11/4 19:57削除
23年11月文横映画例会新作「剱岳 点の記」木村大作監督(09年)感想
                          2023,11.4 石野夏実

 立山連峰は登山好き沢登り好きの夫が友人と時々登りに行った山々ということで懐かしく、今回の映画は一緒に観ることにした。私には登山の趣味は全くなくて、槍や穂高、剣岳は写真やTVで観る専門である。
地図を作るうえで現在も使われている三角点を使った三角測量法は、映画を観て初めて知ったのであるが、なるほどと思った。
 地元新聞記者(=新井浩文)は、国の陸軍参謀本部の陸地測量部と民間の日本山岳会(小鳥=仲村トオル)の剱岳初登頂争いを煽るけれど、測量部のリーダーである主人公柴崎芳太郎(=浅野忠信)は「地図を作る仕事のために登るのであって登ってからが本当の仕事」と冷静である。
若い測量部サブの生田(=松田龍平)は初登頂に対して山岳会をライバル視して勇んでいるが危険な目にもあっている。しかし剱岳滞在中に子どもが産まれ、親として命の大切さを自覚する。
もうひとりの測量部サブはベテランの木山(=モロ師岡)で安心感のある役どころだった。
柴崎は、部の先輩で引退した古田(=役所広司)に色々アドバイスを受ける。
浅野忠信の個性なのか柴崎の役柄なのか、主人公は温厚で迫力に欠けるが、安全第一、隊員や案内人の命を預かり地図を作り上げる使命ゆえ誠実さから生まれる信頼感は理想のリーダー像なのかもしれない。
 
 一番の共演者はW主演といってもいいくらい存在感があり役に成りきっていた山岳案内人の宇治長次郎の香川照之であった。長次郎は古田に紹介された立山連峰を知り尽くした信頼できる案内人であった。
今から15年ほど前に作られた映画であるので出演者はみな若く感じた。
明治40年頃の山岳ドラマであるので、女優は柴崎の妻=宮崎あおいと長次郎の妻=鈴木砂羽だけしか出演していない。砂羽さんは、田舎染みていなかった。
 デビュー当時の香川を知らないのであるが、06年の西川美和監督「ゆれる」、08年の黒沢清監督「トウキョウソナタ」、そして今回の09年「剱岳 点の記」の3作品における香川の俳優としての役の幅と力量は絶賛に値する。
監督にも興味があったので少し調べた。黒澤組の撮影助手出身で「ピンと合わせの木村」として黒澤の信頼が厚かったらしい。どおりでメリハリのある映像の美しさ,アングルの確かさは見事だった。
蓮見重彦には嫌われているらしいが、蓮見の書くものは個性的で難しすぎる。

 初登頂者が実は1000年前の修験者で、その錫杖頭を柴崎が発見した。実物を検索して見てみたが、国の重要文化財に指定されていて銅製のため錆が濃く、映画と色が全く違っていた。この点が少し残念だった。
 
最後に山岳会と測量部が山の頂上で互いに手旗信号を使って讃えあう場面があるが、これはこの映画に相応しい清々しいラストだった。 

① 一番好きなシーンはどこですか?
  立山連峰から富士山が見えるところ。ラストの手旗信号の讃えあう場面。

② 一番良かった出演者は誰ですか?
  個性的な役が多い香川であるが、この長次郎役は善良で謙虚で素晴らしかった。

③ 「自然」が描かれたお薦めの映画は何ですか?
  ☆リヴァー・フェニックスとキアヌ・リーヴスW主演の「マイ・プライベート・アイダホ」の自然をバックの広大な荒野
  ☆ロバート・デ・ニーロ主演「ディア・ハンター」の鹿撃ちに行く場面での山岳風景
  ☆アン・リー監督の「ブロークバック・マウンテン」での主人公たち雇われカウボーイふたりが野営する緑深い山々の背景

まだ色々思い出されますが、すぐに頭に浮かんだのがこの3作で、ともにアメリカ映画でした。アメリカの広大な自然は映画の中で大きな役割を果たしていると強く感じました。
池内健さん (8qbh6yx3)2023/11/6 14:46削除
映画ガイドブック「もうひとつの剱岳点の記」(山と渓谷社)に掲載された木村大作監督のインタビューが面白い。キャメラマン出身らしく、「ごまかしのない、本物の映画を撮らなきゃ意味がない」と、ロケで山に入ったのは通算200日。役者も自分の荷物は自分で持って歩き、山小屋に雑魚寝しました。とにかく現場に行くことが目的だとし、「それをごまかしたらヘラヘラな映画になってしまう」「これを撮影だと思うな。お釈迦様の教えにある苦行だと思え」と妥協しなかったそうです。「ヘリ(による空撮)は風景になるんだ、ドラマは感じないね。歩いて人の目線で撮ると、それだけでドラマになるんだ」という発言も、昭和的で古くさいけれどもかっこいいこだわりです。

手旗信号のラストシーンは新田次郎の原作にはない木村監督のアイデア。本当に最後に撮影したので、「映画的な演出は必要ないですよ」。2年間にわたる歩みがにじみ出し、感動的なシーンになったのだと思います。

① 一番好きなシーンはどこですか?
立山から富士山を望むシーン。日本海側からも富士山が見えることに感動しました。手旗信号のシーンは、手旗でのやりとりとしては文章が長すぎるのですが、大自然を相手に苦行を成し遂げた喜びが伝わってきます。仲村トオルがステッキチェアから腰を上げるシーンも、洋式の最新装備で固めた山岳会を一発で印象づけてくれました。

② 一番良かった出演者は誰ですか?
案内人の長次郎を演じた香川照之。素朴で実直、かつ自然や伝統におそれを抱く村人をみごとに演じていたと思います。黒澤映画でみた猟師デルス・ウザーラを思い出しました。

③「自然」が描かれたお薦めの映画は何ですか?
「アラビアのロレンス」に登場するネフド砂漠は、清潔で苛烈。中東に住む人々の激しさや純粋さは砂漠によって育まれたのだと実感しました。「デルス・ウザーラ」のシベリアも厳しさが美しさになっています。

みなさまのコメントはいずれも楽しく、また参考になり、この作品に対する理解が深まりました。ありがとうございました。
上終結城さん (8g07wmfj)2023/11/9 00:42削除
1.『劔岳 点の記』の映像
 2010年にDVDを観ており、今回が二回目でした。この映画は是非映画館のスクリーンで観たかったな、というのが本音です。それほどすばらしい映像でした。ワンシーン、ワンシーンが自然美、山岳美の連続で、木村大作監督が二年もの時間をかけて撮影したのが納得できます。おそらく監督の思い描いた映像を妥協なく撮るために「天気待ち」も相当あったに違いありません。
 長次郎(香川照之)と柴崎(浅野忠信)が劔岳を下見に行った時の夕陽や、雲海越しに見える富士山のシルエットなど、どのシーンもベストの瞬間を切り取った完璧な映像です。
 山を舞台にした映画は多数あります(たとえば『黒部の太陽』(1968)、『八甲田山 死の彷徨』(1977。撮影木村大作)、『植村直己物語』(1986)など)。しかし山の映像美の点で本作は群を抜いています。

2.課題について
(1)好きなシーンはどこですか?
①息子からの手紙を読み、長次郎が夜テントのなかで涙を流すシーン
②山岳会の仲村トオルが測量官柴崎に「登ることが目的のわれわれの行動はやはり遊びかもしれない。あなたたちは登ってからが仕事です」と、柴崎たちの働きに敬意を示すシーン

(2)良かった出演者は誰ですか?
 案内人長次郎役の香川照之はもちろんすばらしい。そのほかの出演者では、私は主人公柴崎役の浅野忠信が非常に印象的でした。陸軍の思惑、山岳会との登頂競争など、いわば雑音をよそに、自分のやるべき仕事に集中し、目的を遂げるための努力を積み重ねる人物。しかしその目的に対して、ときに疑問を感じる生身の人間でもあります。熱く感動しているようでもあり、そうでもないようにも見える、飄々とした主人公浅野に共感しました。

(3)「自然」が描かれたお薦めの映画は何ですか?
①石野夏美さんの意見に一票、同感です。『ディア・ハンター』(1978)。山での鹿狩りシーンは息をのむ美しさです。
②黒澤明監督のソ連映画『デルス・ウザーラ』(1975)。シベリアの森で生きる原住民デルス・ウザーラの姿が『劔岳』の長次郎と重なります。自然(山)に対する経験、勘、そこで生き抜くための知恵と洞察力をもつ自然児。シベリアのタイガを、案内人デルスと探検家アルセーニエフの二人が夕陽に向かって歩くシーンなど、印象に残っています。

3.その他感想 
 前述したように、主人公柴崎は、ときに測量という自分たちの目的に疑問を抱きながらも、自分の仕事を成し遂げようとします。その姿に、スピルバーグ監督『プライベート・ライアン』(1998)の主人公(ミラー大尉。トム・ハンクス)を思い出しました。
 ミラー大尉をリーダーとするチームは、戦場のどこかにいるライアン一等兵を探し出し帰還させることをミッションに、敵がいる戦場(フランス)へと行軍します。チームの誰もが、この困難な作戦の目的に疑問を抱きます。しかしミラーはこの作戦をやり遂げれば、胸を張って妻の待つ故郷(アメリカ)に帰ることができる、その思いを秘め数々の困難に耐えます。『劔岳』では描かれていませんが、柴崎の胸に去来した思いもミラー大尉と同じだったのではないでしょうか。やるべき仕事をやり遂げ、宮崎あおいが待つわが家へ帰るのだ、と。

【追記】
 投稿しようとして、いま皆さんの文章を読んだら、(3)自然を描いたおすすめ映画が石野さん、池内さんとかぶっていました。でもまあ、いいか、このまま投稿します。
清水伸子さん (8p590r59)2023/11/9 20:38削除
今回,初めてこの作品を観ました.課題映画となっていなければ観ないまま終わっていたかもしれません.素晴らしい映画を紹介して頂きありがとうございます.もっと早く知っていれば,ぜひ劇場の大きなスクリーンで観たかったというのが正直な感想です.

ある時は美しい風景の中を黙々と歩く柴崎と長次郎の姿,ある時は雪崩や吹雪,豪雨など自然の猛威とそこに翻弄されながらも立ち向かっていく人間たちの姿がくっきりと心に残ります.映像は文句なく美しいのですが,映像が美しいだけならこんなに感動はしなかったと思います.着物姿でわらじ履き、木の杖をつきながら重い荷物を背負って険しい雪渓にとりつき登っていく過酷な状況の中での様々な人間模様,そして人間関係の深まりが素晴らしい映像と共に本物として迫ってきました.

1,一番好きなシーン
 やはり手旗信号で称え合うシーン

2,一番良かった出演者
 出演者の一人一人に個性があり,とても良かったと思いますが,香川照之と浅野忠信が特に甲乙つけ難い感じで良かったです.

3,自然が描かれたおすすめの映画
 今は特に思い浮かびません
山口愛理さん (8xfaoi67)2023/11/12 12:17削除
「剣岳」点の記を観て
〇初めに
この映画は公開当時に劇場で観たので、久方ぶりの鑑賞になった。当時観たきっかけは、ひとつには夫が登山をやっていたので観たがったことと。もうひとつは監督が木村大作であったこと。彼はもともと撮影技師で、撮影監督も務めていたが、映画監督はこれが初めてだった。私が若い頃はよく色々な映画のクレジットに、撮影-木村大作と出ていたのを覚えている。「八甲田山」「駅STATION」「鉄道員(ぽっぽや)」などは雪がとても印象的な映画でもある。彼なりの、美しく圧倒的な自然描写が見たかった。

〇課題について
①一番好きなシーンは
好きというと語弊があるが、やはり雪山に、人々が挑んでいくシーン。雪崩のシーンや、落ちかけている松田龍平演じるノブを皆で救うシーンは迫力があった。
また、映画全編を通して明治時代の服装、靴、装備などをそのまま再現して撮影している。そのあたりも興味深く観られた。
➁一番良かった俳優は
香川照之が出演していたこともこの映画を観たいと思ったきっかけに入る。やはり期待を裏切らない演技だった。その数年前に公開した映画「ゆれる」でも寡黙な演技が秀逸だと思っていた。昨今はやや過剰な演技が評価されていた彼だが、こういう抑えた演技も上手いと思う。目の色からして善人になりきれてしまうのが、彼の凄い所だ。
③自然が描かれたおすすめの映画は
・2007年公開の「イン・トゥ・ザ・ワイルド」
ショーン・ペン監督が映画化した実話。裕福でインテリな青年が、物質主義の環境に甘んじることができずに、たった一人アラスカの大地に打ち捨てられた廃バスで暮らそうとする。だが食料も捕獲できない過酷な自然条件のなか、衰弱しきって命を落とした後に発見される。大自然の厳しさが際立つ作品。
・2022年公開の「ザリガニの鳴くところ」
60歳を過ぎてから初めて書いたディーリア・オーウェンズのミステリー小説が原作。全世界でベストセラーとなった。湿地に一人きりで住む美しい少女が殺人事件の犯人として疑われる。果たして真実は、という内容。何しろこの原作が面白かったので、映画に期待していたのだが、長い原作を端折った印象がありやや残念だった。だが湿地の映像は、そこに住む鳥や小動物も含め、物凄く良かった。静謐で美しく、それだけでも観る価値ありと思う。
藤野燦太郎さん (8j4tkzsk)2023/11/16 23:16削除
劔岳 点の記 感想 藤野
立山は小学校6年生の時以来5回も登っていて、そこから見える切り立った岩山が劔岳だと教えられていた。室堂までバスで行き、そこから頂上に上るわけだが、小学生でも登れる山と甘く見ていた。劔岳もワンランク上だが高校生になればなどと当時は考えてもいた。
なんと甘い考えかと、今思い出すと恥ずかしくなってしまう。先人が登山道を切り開いてくれたから、私たちはハイキングに行くように3000m級の山に登ることが出来るわけである。
この映画の主人公は測量という地味な仕事をする人で、彼らが周囲の反対を押し切って登山道開拓に挑戦し成功している。こんな人たちによって日本地図が出来上がったことを知った。彼らの名前はエベレストに挑戦した人たちとは異なり、全く歴史に名が残らない。
しかし彼らがいなかったら劔岳登山はできなかったのであるから、彼らの危険を顧みない挑戦を描いたこの映画は貴重である。
テーマ1.一番好きなシーン
柴﨑たちが劔岳山頂で、登頂の喜びを爆発させた後、修験者の杖先端の飾りを発見するシーン。陸地測量部のめでたい話のすぐ後にどんでん返しがあり、信仰の山の奥深さを思い知らされます。この杖先端の飾りは現在立山博物館に保存されており、奈良時代後半から平安時代初期のものだそうです。このシーンのインパクトは大きく、この映画のテーマは測量関係者の挑戦なのか、それとも信仰の山の奥深さなのかと考え込んでしまう。
テーマ2.よかった俳優
香川照之が演じた宇治長次郎は主役を食っているかもしれない。富山弁を上手に使い、
富山県人を見事に演じている。富山は関東と違い、冬は雪に閉ざされているため、太平洋側の人と比べれば、忍耐強くて性格が暗い。また産業もないため堅実で、もしかしたらケチと言われるかもしれない。そんな県民性を見事に表現していた。
返信
返信10
管理者さん (8nj60pct)2023/8/22 06:56 (No.881662)削除
課題映画、第16回文横映画好きの集い(旧作)(2023年11月19日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
管理者さん (8nj60pct)2023/8/22 07:10削除
裏窓(1954)監督: アルフレッド・ヒッチコック
以降、幹事のテーマを記載後、皆様の書き込みをお願いします。
上終結城さん (8g07wmfj)2023/9/1 22:00削除
昔からヒッチコック映画が好きで、イギリス時代の『バルカン超特急』(1938)以降の作品はかなり観たと思う。ただし時代的に映画館で観たものは少なく、記憶にあるのは最晩年の『フレンジー』(1972)だけかもしれない。これまで本集いで取り上げられた作品にヒッチコックがなかったので、今回、小生のお気に入り作品『裏窓』(1954)を選んだ。主演はヒッチコック映画にしばしば登場するジェームズ・スチュアートとグレース・ケリー。とくにグレース・ケリーの美しさは特筆に値する。

 鑑賞のテーマを下記のようにしました。10月中旬頃になったら少し詳しいコメントを投稿する予定です。

(1)サスペンスの巨匠と呼ばれるヒッチコック。この映画でもハラハラドキドキさせる場面がいくつもあります。あなたの印象に残った場面はどこですか?
(2)ヒッチコックは映画の中で小道具を巧みに使うことでも知られています。この映画の中で印象に残った小道具はありましたか。
(3)主人公ジェフの向かいのアパートの住人たちは、それぞれ小さなドラマを抱えているようです。面白かったエピソードはありましたか?
(4)あなたの好きなヒッチコック映画があれば教えてください。

以 上
遠藤大志さん (8nqqh1v5)2023/9/3 16:53削除
『裏窓』を観るのは今回で3回目である。映画好きであればアルフレッド・ヒッチコック作品は誰しもが観ている作品であると思う。
 今回第十六回映画好きの集い旧作品になったということで30年ぶりに観た。
 アパートの裏窓から見た中庭越しに見えるアパートメント住民の生活、人間関係は足を骨折したカメラマンにとっては絶好の暇つぶしとなる。
 現代ではこの手の観察はプライバシー侵害や覗き見となり犯罪の範疇に入ることになると思うのだが、1950年代であれば許される行為だったのだろう。
 中庭越しのアパートメント住民の何と奔放ぶりかと笑ってしまう。
 下着一枚でカーテンも閉めずに踊ったり、どこかで誰かに見られたりしていないかなど周りに気を使うかと思うが、なんとこのアパートの住民たちは無防備である。
 それをいいことに主人公のカメラマンのジェフは朝から晩までその光景を眺めている。最初看護師のステラや恋人リザはジェフのこの行為に冷ややかな視線を向けているが、事件の臭いが強くなっていくにつれ、関心を持ち、その証拠を探ろうと危険な行為に出ていく。この変貌ぶりは面白いし、少年探偵団ぽい。
 リザ役を演ずるグレース・ケリーのその美しさは目を見張るものがある。そんな彼女が恋人ジェフにぞっこんなのが何とも羨ましい限りである。
 また、リザが男の動かぬ証拠を見つけようと少年顔負けのやんちゃをするところもかわいい。
男がジェフの存在に気づき、殺しに来るところは緊張感がある。
フラッシュを焚いて何度も威嚇する演出は何とも新しい。

 最後アパートから突き落とされ、両足ともに骨折するところはヒッチコックの憎い演出であり、ハッピーエンドを笑いにしている。

 ただ、アパート住民の明け透けな日常、周りに何にも警戒しない所は、現代の演出には使えないと思えるし、自分のアパートに犯人が容易に入って来れれるところもちょっとやりすぎという気がした。
 しかし、ヒッチコックの細かすぎる演出には脱帽する。

(1)サスペンスの巨匠と呼ばれるヒッチコック。この映画でもハラハラドキドキさせる場面がいくつもあります。あなたの印象に残った場面はどこですか?
 やはり、リザが男の動かぬ証拠を見つけようと男の部屋に入り込み、男に命を狙われそうになる場面と、ジェフの元に指輪を返せと乗り込み、命を狙われる場面である。

(2)ヒッチコックは映画の中で小道具を巧みに使うことでも知られています。この映画の中で印象に残った小道具はありましたか。
 フラッシュを焚いて何度も威嚇する演出。残像が残り、男の凶暴さが露になる。

(3)主人公ジェフの向かいのアパートの住人たちは、それぞれ小さなドラマを抱えているようです。面白かったエピソードはありましたか?
 年配の女性がオシャレをして若い男を部屋に連れ込むが、いざいい雰囲気になった時に、拒絶し男を追い出すシーン。また大量の睡眠薬を飲もうとするシーン。

(4)あなたの好きなヒッチコック映画があれば教えてください。
 「鳥」です。動物の反乱を「鳥」という人間が太刀打ちできない動物にさせることが怖いし、敵わない気がする映画である。
克己 黎さん (8kvydqc8)2023/10/22 19:23削除
『裏窓』を観て  克己 黎

<テーマ>(1)サスペンスの巨匠と呼ばれるヒッチコック。この映画でもハラハラドキドキさせる場面がいくつもあります。あなたの印象に残った場面はどこですか?

→1.グレース・ケリー演ずるリサが、中盤スーツ姿で横になって窓を眺めたシーン。
→2.リサがセールスマンの家にのりこむシーン。セールスマンに見つかり絶体絶命。

(2)ヒッチコックは映画の中で小道具を巧みに使うことでも知られています。この映画の中で印象に残った小道具はありましたか。→カメラスコープ。
カメラは銃とともに男性のセクシュアルな喩えにされることがある。双眼鏡では見れないところをカメラスコープで見るところが実にエロチック。

(3)主人公ジェフの向かいのアパートの住人たちは、それぞれ小さなドラマを抱えているようです。面白かったエピソードはありましたか?
→1.一人で乾杯しているミス・ロンリーは若い男性に隙をつかれるがプライドがそれを許さないで軽はずみな関係を断り、嘆く。ラストシーンでミス・ロンリーとピアニストが仲良くなるのにホッとした。
2.パーティーガールのビキニの女王蜂。
いつもビキニで体操やダンスなどをしているがパーティーで男性選び。ラストは復員兵の彼?もしくは弟が帰ってきてこちらもホッと一息。
ミス・ロンリーもビキニガールも同じ女性ながらそれぞれに悲哀がある。
3.お散歩するたび、籠から紐で地上に降りては上り、紐で引っ張られるエレベーターを使うお散歩犬。とてもコミカルだが、よく考えると危ない。

(4)あなたの好きなヒッチコック映画があれば教えてください。  
☆『めまい』。キム・ノヴァクのミステリアスな美貌と二役の演技力が見事であり、ストーリーもラブミステリーとして練られている。ジェームズ・スチュワートとのコンビも似合っている。キム・ノヴァクのグレーのスーツに金髪の結髪は、私の憧れだったし、今もそうである。


映画感想
→何回か見ているが、都度発見があるのがヒッチコック作品だ。『裏窓』は、特にそうで、まるで舞台劇を観ているかのようであり、アパートの住人たちのストーリーたちが交錯する。雑誌カメラマンの隣家をスコープで覗き見をするストーリーは、現代では犯罪になるくらいとてもエロチックで、プライバシーに踏み込むクレイジーな趣味だ。
グレース・ケリーが『泥棒成金』『ダイヤルMを廻せ!』のように、またまた金持ちの女性を演じている。シックなモノトーンカラーのドレス姿が似合う。グレースの華のある美しさがあってこそ、覗き見趣味のこの映画が、しっかりしたものに見える。しかし、ジェームズ・スチュワート演ずるカメラマンのジェフは、脅迫の手紙をリサを使ってセールスマンに渡したり脅迫の電話をかけたりしているので、やはり、現代ではこの話はプライバシー侵害になる話であろう。グレース・ケリーのオテンバな感じが可愛いし、やはりモナコ大公妃になるのもうなずける気品ある美しさに釘付けである。
2023.10.22
上終結城さん (8g07wmfj)2023/10/24 19:32削除
1.はじめに:この映画を選んだ理由
 『裏窓』はヒッチコックが監督兼製作者として最も充実した時期(米国での『見知らぬ乗客』(1951)~『鳥』(1963)頃まで)に製作した作品のひとつ。完璧なセットを舞台に、細部までこだわって撮ったヒッチコック会心の映画であり、彼のベスト作品のひとつ。これまで「映画好きの集い」ではヒッチコック作品がとりあげられてなかったので、今回、代表作である本作を選んだ。

2.ヒッチコック作品
 アルフレッド・ヒッチコックはその後の映画界に最も影響を与えた映像作家のひとりだろう。一作ごとに挑戦的な映像技術、演出方法を試み、観客を恐怖と不安の感情に引き込む工夫を、生涯にわたって創出しつづけた。
 トリュフォー著『ヒッチコック 映画術』に出てきたエピソードだが、ヒッチコックはレイモンド・チャンドラーが書いた脚本が気に入らず、二人の仲はよくなかったらしい。ミステリーを「文学」に近づけようとしたチャンドラーと、すべてを言葉ではなく映像で表現したいヒッチコックとでは目指す方向が反対だ。
 ヒッチコックは視覚的インパクトのあるシーンを重ねてストーリーを引っ張ってゆく。観客はその魔術的な力で映画の最後まで連れてゆかれる。彼は視覚効果のアイデアを探し続けた。『めまい』(1958)で高所恐怖症の主人公がらせん階段で感じる「めまい」の映像化はその典型だろう。また観客をハラハラさせる演出。たとえば『知りすぎていた男』(1956)。オーケストラのシンバルが鳴る瞬間に殺し屋の銃弾が発射されることがわかっている状況で、曲がどんどん進行し(カメラも楽譜の上を進む)、シンバルの時が徐々に近づいてくる場面の緊迫感。
 上述の『映画術』に書いてあるが、ヒッチコックの関心は「恐怖とセックスと死」の三つだった。これらは『裏窓』でもすべてあてはまる。

3.『裏窓』について(ネタバレあり。注意)
 本作品はヒッチコック映画の中でも完成度の高い傑作と評される。足を骨折し車椅子から動けない主人公ジェフ(ジェームズ・スチュワート)。物語はすべて主人公の視界の範囲内で進行する(ジェフが寝ている時の映像もわずかにあるが)。この設定がすばらしい。カメラマンであるジェフは、退屈をまぎらすために中庭を挟んだ向かいのアパートの住人たちの生活を、ときには双眼鏡や望遠レンズまで利用して「覗く」。本来、映画を観ることは、観客が暗闇の中で「他人のプライベートな人生を覗く」行為だ。『裏窓』ではその構造を逆手に取って、ジェフの視線と観客の視線を同化させてゆく。
 むろんジェフにも覗くことへのうしろめたさがある。それを看護婦ステラや恋人リザ(グレース・ケリー)にとがめられる。しかしアパートのセールスマンが妻を殺したのではないかとの疑いが生じ、この覗きがにわかに正当性を持つことになる。そして…。
 撮影はすべてスタジオに造り上げたセット内でおこなわれた。ヒッチコックはこの舞台から一歩も出ずに、見事な話術で観客に魔法をかけた。
 
4.鑑賞のテーマ
(1)サスペンスの巨匠と呼ばれるヒッチコック。この映画でもハラハラドキドキさせる場面がいくつもあります。あなたの印象に残った場面はどこですか?

①「おまえは彼女に何をした」とジェフがメモした手紙を、リザが男の部屋のドアの下へ差し込む。室内にいる男が手紙に気づきドアへ歩み寄る。男がドアを開ける瞬間、リザは廊下から間一髪姿を消す。その一部始終がひとつの映像フレーム内のワンカット同時進行で映しだされる。これはヒッチコック得意の演出、カメラワーク。

②かかってきた電話をジェフがあわてて取り、殺人犯に自分が目撃者(手紙を書いた本人)であることを知られてしまった場面。受話器の向こうでカチッという音(男がジェフの居場所を特定した証拠)。

③男がジェフのアパートへ来て階段を上がり足音が近づく。部屋のドア下のすきまから差し込む光が消え、男がドアを開けて入ってくる場面。

(2)ヒッチコックは映画の中で小道具を巧みに使うことでも知られています。この映画の中で印象に残った小道具はありましたか。

 この映画の主要なサイドストーリーはジェフとリザの結婚問題である。リザは結婚を望み、ステラも結婚を勧めるがジェフは煮え切らない。暮らす世界の違うリザとの生活はうまくいかないと思っているのだ。映画の中で結婚指輪が結婚の象徴として、また殺人の証拠として使われている。大胆にも窓から男の部屋へ侵入したリザは、部屋を探して妻の結婚指輪を見つける。そしてそれを自分の指にはめて背中にまわし、ジェフにだけわかるように見せる。これはリザがジェフへ結婚を訴えているとも解釈できる。

(3)主人公ジェフの向かいのアパートの住人たちは、それぞれ小さなドラマを抱えているようです。面白かったエピソードはありましたか?

 ちょっとベタな演出だが、ミス・ロンリーのドラマ。(孤独、若い男のふるまいに傷つく、自殺がよぎる、流れてくる曲に気づく、最後は作曲家とのロマンスの予感)

(4)あなたの好きなヒッチコック映画があれば教えてください。

①『サイコ』(1960)を観たときのショックはちょっと忘れがたい。
②『めまい』(1958)のキム・ノヴァックのあやしい美しさ、ジェームズ・スチュワートの偏執狂的な行動など、不思議な魅力のある映画です。
③『北北西に進路を取れ』(1959)は娯楽映画のお手本。


5.『裏窓』から連想される映画
 小生が思いつく範囲であげると以下の通り。もっとたくさんあるでしょうね。

①野村芳太郎『張込み』(1958)。原作松本清張、脚本橋本忍。逃亡した殺人犯(田村高廣)が元恋人(高峰秀子)のところへ立ち寄ると直感した二人の刑事が、女の住む家の向かいの宿の二階に張込み、女の生活を観察する。そして…。地味な張込みが続く場面は『裏窓』の影響があるかも。

②黒澤明『天国と地獄』(1963)の前半部分。カメラが三船邸から出ない設定。この映画では『裏窓』と反対に、室内にいる三船敏郎たちが犯人から「覗かれる」側。

③コーエン兄弟『ノー・カントリー』(2007)。殺し屋シガー(ハビエル・バルデム)が、大金を持ち逃げしたモスの泊まるホテルの部屋まで追って来る。暗い部屋のドア下のすきまから廊下の光が差し込んでくる。近づくシガーの足音(? 無音だったかも)。この緊迫感は『裏窓』の最後、男がジェフの部屋へ来る場面に似ている。

④サム・メンデス『アメリカン・ビューティー』(1999)。ストーカー青年が隣りの娘の部屋をビデオカメラで覗く場面。

⑤スティーヴン・キング『ミザリー』(原作は1987、映画は1990)。足を骨折して動けない主人公が味わう恐怖。設定が似ている。

⑥ブライアン・デ・パルマ『ボディ・ダブル』(1984)。ヒッチコック崇拝者のデ・パルマが『裏窓』、『めまい』へのオマージュを捧げた映画。ちなみに『殺しのドレス』(1980)は『サイコ』へのオマージュ。

⑦ウィリアム・ワイラー『ローマの休日』(1953。製作はこちらの方が先)。若い王女(オードリー・ヘップバーン)が退屈な宮殿から逃げ出し、ローマで冒険する物語。高貴な娘と新聞記者との恋、ダンスパーティーでの王女の大立ち回り。これは『裏窓』におけるハイソなクール・ビューティーと貧乏カメラマンの関係や、グレースが見せる大胆な行動(殺人犯の部屋に窓から侵入)を連想させる。そして『裏窓』のラスト(グレースが読む雑誌を変えるシーン)は、住む世界が違う二人のほろ苦い結末(『ローマの休日』のような)を暗示しているかもしれない。
石野夏実さん (8x4c17f0)2023/11/3 20:00削除
2023年11月例会旧作ヒッチコック監督「裏窓」〈1954年作品)感想
                         11月3日  石野夏実


 この映画を観て最初に思ったことは<アメリカでもエアコン以前のクーラーがまだ一般家庭に普及していないであろう1954年公開頃の真夏ならば、窓を開けっぱなしにして暮らすしか方法がないのだろうか>であった。
これほど他人様の生活が丸見えというアパートの部屋の造りと、あけっぴろげな住人たちの暮らしぶりに大きな違和感を持った。
せめてレースのカーテンをつければいいのにと思ったがそれでは映画にならない。
あれほど見られているのに視線を感じないのだろうか。
四六時中覗いている方も異常な変態である。
 わざとらしさは、虚構の世界が前提の映画であっても、鼻についたらその映画の魅力は半減すると思う。
ヒッチコックは覗き見は隠された欲望というかもしれないが、21世紀では他者のプライバシーに興味がない人も多い。
この映画はすべて中庭を中心としたアパートのセットであったとのことであるが、すごく大掛かりだ。住民たちの様子は身振り手振りがオーバーな演劇形式を試みたのであろうが…ミス・グラマー?ミス・ダンサーのわざとらしさはヒッチコックのサービス精神と個人趣向であろうか。
 夜間にバルコニーで寝る夫婦は蚊に刺されないのだろうか。これもわざとらしいコメディ―設定だ。
ひとりディナーのミス・ロンリーの孤独さえも平坦にみえる。バックに流れるビング・クロスビー(エルヴィス・プレスリーは、まだ54年には聴かれない)の甘い歌声は懐かしかった。
 主人公ジェフ(ジェームズ・スチュアート)と恋人リザ(グレース・ケリー)の関係と恋愛の説得力がイマイチ弱い。サスペンスはエンタメだからそれを求めてはいけないとヒッチコックには叱られそうであるが、ハリウッド映画自体が、娯楽映画専門世界なのだ。
 
 何十年も前にTVで観たことがあった「裏窓」が、これほどコメディ要素のある映画だとは今回プライムで観直して初めて気が付いた。
ヒッチコックは「レベッカ」〈1940年※アカデミー賞作品賞)も作れば「サイコ」(1960年)や「鳥」(1963年)も作り、生涯監督作品50本以上を残し、今なお世界一のサスペンス映画監督といわれているだけではなく、斬新な撮影方法をいち早く取り入れた巨匠でもあった。
例えば、今回参考にしたくて観直した「めまい」のオープニングクレジットは、1958年製作なのに大写しのキム・ノバックの瞳から幾何学模様が流れコンピューターグラフィックのようであった。これは驚きである。ヒッチコックは新しいモノ好きで、どんどん取り入れる人だった一例であろう。
 私がリアルタイムで映画館で観たのは「鳥」だけであるが、TVでは中学生の頃にサスペンス単発ドラマシリーズの「ヒッチコック劇場」を観ている。
TVの観客に向かって監督自身が案内人になり独特のテーマソングと共に登場し前ふりでサービスしていた。最後の頃は子ども心にもマンネリ気味で面白くなくなっていた記憶。
「鳥」の上映の頃とTVは同時期だったと思う。映画「鳥」のCMも頻繁に流していた記憶がある。それで映画館に観に行ったのだと思う。
 
内容に対する感想は、ありえないほどのあけすけなアパート長屋の住人たちの上っ面な暮らしぶりの深みのなさと、それをのぞき見する悪趣味なカメラマンの2流コメディーにしか思えなかった。
題名「裏窓」の漢字が意味深で寄与した部分もあるのだろう。タイトルは大事である。
 グレース・ケリーは文句のつけようがない美人女優であるが、それ以外の魅せられる個性があるのだろうかと映画を観ながら思っていた。
万人受けする美しさは女優にとって一番のチャームポイントであることも当時のハリウッドなら当然であろう。しかも、ヒッチコックはエンタメ専門であるので盛るところは盛る。代表作は綺麗な女優の登場ばかりだ。 

 ところでヴィヴィアン・リーにしてもエリザベス・テイラーにしても美しさに加えそれ以上に特別な個性を伴っている。天性もあると思うが備わっているものが違うのであろう。
 「めまい」のキム・ノバックはとてもいい。あの役は他の女優にはできない彼女の代表作であると思う。「裏窓」と「めまい」を比較すると「めまい」のほうが私は好きである。心理の憶測が色々できるからだ。

 両作品の主役のジェームズ・スチュアートは、おそらく有名大学卒のホワイトカラーの典型的な容姿で当時のエリートアメリカ人像そのものだと思った。イメージ的に戦場に赴くカメラマンではないだろうし、刑事役にしては泥臭くない。
 ハリウッド映画で2枚目でなくもっと個性的な役ができる俳優が登場してくるのはもう少し後なのかもしれない。(オーソン・ウェルズやマーロン・ブランドは除く)
ヒッチコック映画と言えば私にはケーリー・グランド(1904~1986)とジェームズ・スチュアート(1908~1997)であるが、ふたりは似ているような気もするし演技レベルも同様で、決定的な違いは顔の形と長さが違う。瞳の好みでいれば、私はケーリー・グラントの方がいいし男女ともに髪の毛の色はブロンドよりも濃い色の方が好きである。
 1959年の「北北西に進路を取れ」では監督はイメージとして「裏窓」のジェームズではなく「断崖」のケーリー・グラントを配役したそうだ。ケーリーの方がジェームズより4歳ほど年上で「北北西~」の公開時は驚くことに55歳である。「裏窓」のジェームズは公開時46歳だった。

 54年の「裏窓」、58年の「めまい」、59年の「北北西に進路を取れ」、60年の「サイコ」、63年の「鳥」、この10年間がヒッチコックの最盛期であろう。
ヒッチコックがいなかったら、今のハリウッド映画は違ったものになっていたかもしれない。
「人が怖がることが一番面白い」というヒッチコックはあんなに太っていたのに80歳まで生きたので、それに関してもすごいなと思う。


今回の旧作「裏窓」のテーマ

 (4)あなたの好きなヒッチコック映画があれば教えてください。

今回ゆっくり観直した「めまい」が一番気に入りました。
一番怖いと思ったのは初めてみた時の「サイコ」です。あれは怖かった。
「鳥」は、TVCMが流れすぎていたので逆に怖くなかったです。
一番印象深いのは「レベッカ」です。高校のサイドリーダーで原作を読んで
いたので映画(ビデオテープ)を観た時は興味深かったです。
大掛かりなサスペンスとしては「北北西に進路を取れ」です。
ヒッチコックのサスペンスは「勘違い」がキーワードかな?とも思いました。
池内健さん (8qbh6yx3)2023/11/6 21:29削除
犬が殺されているのが見つかったとき、唯一驚かなかった人物を犯人と推定するのは鋭いと思いました。車いすの主人公ジェフが、犯人が部屋に迫るのをただ待ち受けるしかない場面はハラハラしました。グレース・ケリーがこんな場末にまったくそぐわないほど美しいのは、リアリティー重視ではない、細かいことをあげつらうな、というメッセージと受けとめました。

(1)印象に残った場面
いかつい犯人がジェフの部屋に迫るシーンにスリルを感じました。ジェフが窓から落とされ、もう一方の脚の骨折ですんだのはアメリカ流のハッピーエンドへの布石なのでしょうか。

(2)印象に残った小道具
主人公が使うカメラ。望遠レンズで他の部屋をのぞいたり、花壇の写真を比較して何か埋まっていると推理したり、犯人の目くらましにフラッシュをたいたりと、カメラマンである主人公が自らの武器として存分に活用しています

(3)アパート住人の面白かったエピソード
孤独なミス・ロンリーハートが音楽家と結ばれたこと。無理をして自分を良く見せようとしても打算的な男に利用されるだけだったのに、自分が好きな音楽に身を任せていたら幸運が舞い込んできたわけで、自然体の大切さを感じました。

(4)好きなヒッチコック映画
「鳥」を観たとき、意味もわからず鳥の大群に襲われる不気味さが印象に残りました。今年は各地で熊が出没して史上最多の人的被害を出していますが、これは人口減少で人の手が入る里山が狭まり、熊の活動範囲が人里に近づいているのが要因と言われています。「鳥」の鳥たちにももしかしたら何か環境の変化があったのかもしれません。

掲示板には、プライバシーが守られない住環境への違和感が記されていますが、欧米人は日本人に比べて他人の目を気にしないようです。フランス人のフランソワーズ・モレシャンは昨年8月、読売新聞石川版に掲載されたエッセーで「私たち欧米人は、自分たちの生活をカーテンで覆い隠そうとはしません。隠すことは何もないし、他人の生活に無関心なので、『見る』ことや『見られる』ことに注意を払わないのです。むしろたぶん、見る、見られるを楽しむポジティブな空気があります」と述べています。
清水伸子さん (8p590r59)2023/11/8 15:33削除
映画好きの会・会員としては恥ずかしいのですが,ヒッチコックの作品を観るのはこれが初めてです.「鳥」という映画の宣伝を見て怖そうだな印象を持ち,観るのを避けてきたように思います.大まかな印象としては,ハラハラする場面はあるものの,あくまでもシリアスではない娯楽作品だと感じました.アパートの裏窓に映し出される様々な人間模様を描き出しながら,そこにジェフとリサの恋愛と殺人の犯人を暴き出すミステリー要素を加えられている印象を持ちました.ただ,ジェームス・スチュアートが演じたジェフに全く魅力を感じられす,反対にリサ役のグレース・ケリーはあまりに美しく,なぜリサがジェフに惹かれるのかなと思いました.そもそも,リサが犯人に見つかってしまい「ジェフ!」と叫んでいるのにどうすればいいのか分からずにいる様子にはイライラしました.大声で「警察が来るぞ!」と叫ぶなり,電話をかけるなり色々方策はあるはずなのにと思ったのです.まあこの映画はリアルに捉えてしまわない方が良いのかもしれません.多くの住人や警察官が見ている中,犯人がジェフを窓から落とそうとすること自体ありえないのではないでしょうか?

1,印象に残った場面
ジェフが犯人に追い詰められて,何度もフラッシュを焚き,その度に犯人の目に映る映像がだんだん近づいてくる場面

2,印象に残った小道具
フラッシュとカメラの望遠レンズ,小さなバックから出てきたリサのナイトウエア,終わりの場面でリサが手に取る本とファッション雑誌

3,面白かったエピソード
色々なエピソードが重なり合っている所が面白いのだと思いますが,特に一つをあげるならミスロンリーにまつわるエピソードでしょうか

4,好きなヒッチコック映画
すみません.これから機会があれば見てみようと思います
山口愛理さん (8xfaoi67)2023/11/11 12:07削除
「裏窓」を観て

〇原作者ウイリアム・アイリッシュについて
この映画を劇場で観たのは40年ほど前になる。実はそのずっと前の中学・高校生時代にウイリアム・アイリッシュという作家に心酔していた。1942年に発表された「裏窓」は彼の代表作の一つで大好きだった。(ちなみに私の筆名はこの作家に由来する)
先ず、アイリッシュについて少し書く。彼は筆名を三つ持っていて、アイリッシュ名義のものが多く、一番有名な「幻の女」は映画化されている。コーネル・ウールリッチ名義では「黒衣の花嫁」などの黒シリーズが有名で、これも映画化されている。ジョージ・ハプレイ名義では寡作。彼は生涯定住せず、ニューヨークのホテルで暮らしながら小説を書いた。大都会の孤独、限られた時間内での死への恐怖などの切迫した心理を、スリルとサスペンス極まる哀切な文体で表現した。謎解きよりも、焦燥感あふれる心理描写に重点をおいている。

〇ヒッチコックと映画「裏窓」
映画「裏窓」はこのアイリッシュの作風を踏襲しながらも、ヒッチコック独自のおしゃれで美しい映画に仕上がっている。特にグレース・ケリーの存在。原作では手伝いの黒人男性サムがわけもわからず彼の手助けをするだけなので、こんな美しい恋人は出てこない。この脚本とキャスティングはヒッチコックならではで、彼は女優を美しく撮る天才ではないかと思う。
それから殺人のトリックとそれを見破るジェフの推理は、ここでは詳しく書かないが、やはり原作に軍配が上がる。ラスト近く、犯人と遭遇してから体の自由が効かない彼がいかに身を守ったかの下りは特に原作の方が緊迫感は凄い。
要するにこれはヒッチコックが味付けした「裏窓」なのだ。だが、初めて劇場でこの映画を観た時の感動は忘れられない。スタジオにセットで作ったという街並み、その裏窓はこちらから見えすぎている感があるが、色合いがとても美しく、一つ一つの窓に繰り広げられる束の間の人生が愛おしく感じられた。
ちなみに上終さんが書かれているようにヒッチコックに影響された監督は多い。私はトリュフォーも好きだが、「ヒッチコックとトリュフォー」という本は分厚いけど凄く面白かった。私もブライアン・デ・パルマの「殺しのドレス」や「ボディ・ダブル」は、エロティックだけど凄いと思う。ロブ・ライナーの「ミザリー」も緊迫感が半端ではない。また、去年ビデオで観たパトリス・ルコントの「仕立て屋の恋」は「裏窓」に似たエッセンスがあり、おそらくオマージュなのだろう。

〇課題について
①印象に残った場面はセットと、この裏窓の風景全て。
②印象に残った小道具は犬を上下に運ぶ籠。古い時代のストロボの光。
③向かいの住人たちの面白かったエピソードは、ミス・ロンリー・ハートが目の前にいない恋人と赤ワインを分かち合うシーン。ピアノ弾きの部屋にヒッチコックがいるお決まりのシーンや、彼とミス・ロンリー・ハートが一緒にいるシーンも好き。
④キム・ノヴァクが美しい「めまい」、私自身も鳥恐怖症なのでそれを助長した「鳥」、モロッコを舞台にした「知りすぎていた男」など。
藤野燦太郎さん (8j4tkzsk)2023/11/12 22:47削除
裏窓 感想 藤野 2023.11.19
1950年代の年代の映画として考えるべきだが、現代映画と比較すると、まねのできない点もあるが、違和感もまた目立つ。
興味ある点
1.ウイットに富む。この作品全体のあらすじを作れても、このウイット満載の会話は作れない。
2.「女は旅に出るのに宝石を置いて行かない」「結婚指輪は必ず身に着けている」など1950年代の文化がよくわかる。
3.下町の古いアパートに暮らす人々、女性ダンサー、芸術家、作曲家、サラリーマン、毎日日向ぼっこしている老夫婦、孤独な老婦人などの日常風景を丁寧に描き、群像劇のようにも見える。その中である日不審な出来事を目撃する主人公。次第に疑惑は確信に変わっていく。
違和感
1.映画のあらすじを見て今と比較すると時代の流れからかやや単純と感じる。1950年代ではバラバラ殺人は極めて衝撃的なものだったのでしょう。
2.覗き映画として考えると、主人公の部屋にカメラを置いてアパートの各部屋を観察することはその時代では画期的だったのだろうが、現代ではさすがに陳腐である。
また住人たちがあまりにも明け透けでコミカルなこと。これはヒチコックのサービス精神かな。
3.動かぬ証拠といえるものが、いくつあるのだろう。状況証拠ばかりではないかな。
この時代は日本でもいくつも冤罪があったようなので、観客も納得する時代なんでしょうね。
テーマ1.ハラハラさせる場面
覗いていることがばれ、男が自分の方を見た時、そして自分の部屋に近づいてくる足音が聞こえる場面です。主人公が逃げることが出来ないため、なおさらハラハラしますね。
テーマ2.小道具について
子犬でしょうかね。なぜ花壇を探ろうとするのか?なぜ殺されたのか。
テーマ3.ヒッチコック映画について
自分は「レベッカ」を推薦したい。ヒチコックのアメリカ進出第1回作品。
画学生の「私」はモンテカルロで知り合った大富豪マキシムと結婚する。
大邸宅に入った「私」は、前妻レベッカを慕う召使たちに冷たく迎えらます。
レベッカが使っていた開かずの間、レベッカのイニシアル入りの封筒。ヒチコックは「私」の不安を、光と影の対比と巧みなカメラワークで心理サスペンスにしています。
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管理者さん (8nj60pct)2023/8/22 07:17 (No.881677)削除
第16回文横映画好きの集い(自由映画)(2023年11月19日)について、ご自由に感想をお書込みください!
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管理者さん (8nqqh1v5)2023/6/7 13:07 (No.807161)削除
課題映画、第15回文横映画好きの集い(旧作)(2023年8月20日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
管理者さん (8nqqh1v5)2023/6/7 13:18削除
グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(1997)監督: ガス・ヴァン。サント
以降、幹事のテーマを記載後、皆様の書き込みをお願いします。
石野夏実さん (8p545kat)2023/6/7 14:28削除
1997年公開「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」
2023.6.7   石野夏実

 少し前に”これがアメリカの青春映画だ”という上質なアメリカ映画を観ていたので、今回の映画当番(旧作)では、この作品を課題映画にすることにした。
この歴史の浅い若い国(先住民は別)の青春映画は秀作が多く、他の国には真似のできない独特で新鮮なインパクトがある。だから私は時々観たくなるしこのジャンルが好きなのである。

ボストンに住む主人公ウィル(マット・デイモン)は、親兄弟もいなくて喧嘩っ早い20歳そこそこの若者。ガラクタ置き場の中にある彼女も呼べないような粗末で古くて狭そうな家に、ひとりで住んでいる。
孤独な彼にとって遊び仲間で仕事仲間の友人たちはかけがえのない存在だ。
なかでもリーダー格のチャッキー(ベン・アフレック)は、毎朝ウイルを車で迎えに来てくれる親友である。全員が大学とは無縁の肉体労働者だ。
※ボストン近郊には、ハーバード大学とMIT(マサチューセッツ工科大学)というふたつの名門大学がある。

ウィルは、図書館で読んだ本からの知識が豊富で、鑑別所送りになる暴行事件の裁判でも大昔の判例を引き合いに自分を正当化することができるほど雄弁である。

当時MITで清掃の仕事をしていたウイルは、世界的に有名な数学教授のランボーが学生向けに廊下の黒板に出しておいた難問を、いとも簡単に解いて書き込んだ。
教授は驚いてその回答者を探そうとしたが、学生たちに該当者はいなかった。
もう一度廊下にもっと難しい証明問題を出しておいたら、またウィルが正解を書き込んだ。
やっとのことでウィルを見つけ出した教授は、過去にも何度も暴行事件を起こし裁判中の彼の公判を見て身元引受人になった。彼の釈放の条件は、毎週教授の数学の個人レッスンとプロの心理カウンセリングを受けることだった。

ランボー教授は何人もの専門家にウィルの担当を頼んだが、全てウィルに茶化され負かされて終わった。
最後に教授は、学生時代の友人の精神科医ショーン(ロビン・ウイリアムス)に担当を依頼した。
この人物との出会いがウィルの心を少しずつ解きほぐしていき、「愛」とは何かを考えさせ、彼の旅立ちに繋がっていく。
教授は、愛する妻を亡くして2年が経っているが、いまだ時間は止まったままで、失意を抱いて前を向いて生きられない状況にあった。

ウィルは、チャッキー達と飲みに行ったハーバードの大学生が多く利用するバーで、女子大生のスカイラーと知り合い恋に落ちた。
しかし、身寄りのないウイルは自分の部屋に彼女を招くこともできないし家族に会わせることもできない。自分が傷つくことを恐れているからだ。西海岸の医学部に進学するため一緒に行こうと彼女に誘われたが「愛していないと」とうそを言って自分を守った。ウィルは、自分の過去に向き合うことに憶病になっているのだった。スカイラーは、カリフォルニアに旅立ってしまった。

ランボー教授はウィルに就職の世話をするが、ショーン先生は「もっと時間を与えて自分の道を決めさせるべきだ」と言う。
親友のチャッキーは「お前は宝くじの当たり券を持っていながら、一生それを尻に敷いて暮らす気なのか」と言う。
こうも言った「一番のスリルは、車を降りてお前の家の玄関に行く10秒前、ノックしてもお前は出てこない。何の挨拶もなくお前は消えている。そうなればいい」

いつかは訪れるウィルとの別れと旅立ち。
その日が来ることを淋しさと希望を合わせてスリルと表現するチャッキーの親友を想う気持ちの表し方は、最高の表現だ。
これがアメリカ映画の台詞の言い回しの良さなのだ。吹き替えでなく字幕の腕の見せ所。

ウィルとショーン先生のふたりは心が決まった。それぞれが新しい旅に向かって動き出す。
ラスト、旅立ちの日、チャッキー達が21歳の誕生日にプレゼントしてくれたオンボロ車を運転したウィルが、東部ボストンから西海岸まで長旅のロードをひた走る映像は全景のなか「Miss Misery」と「AFTERNOON DELIGHT」がラストソングで流れエンドクレジットが終わっていく。
長い一本の道、これからの人生という未知の道に向かって。

この映画は、主役のウイルを演じたマット・デイモンと親友チャッキーを演じたベン・アフレックが、実際にも幼馴染(マット10歳、ベン8歳)からの親友で20代でこの映画の共同脚本を書いたということで有名な作品である。
脚本の原作は、マットがハーバード大学の学生時代に書いた戯曲40枚がベースで、ベンがそれを読んで脚本化を提案。それをふたりで2年かけて作り込んだそうである。

説教じみた言葉が連なる映画は、辟易することも多い。
分かりきったことを執拗に伝える映画も、わざとらしくて心に届かない。

アメリカの青春映画の良さは、姿や表情を追う。だから成否は俳優、キャスティングにつきるだろう。
そして何十年経っても色褪せない青春映画は、主人公たちの初々しい若さがすべてなのだ。
もちろんそれを引き立てる監督の力と脚本の力があって初めて名作になるのだと思う。マット・デイモンの出世作であるが、若きマットはリヴァーにもディカプリオにも似ている。
ベン・アフレックは今の方が貫禄があるが、この頃のベンの方が細くてアンちゃん風で生活感があってとても良いのだ。
ふたりの映画は、これ以外観ていないので何とも言えないが私の好みの映画ではなさそうなので何も書けない。
ショーン先生役のロビン・ウイリアムズはこの役でアカデミー賞の助演男優賞を受賞。作品はアカデミー賞とゴールデングローブ賞の脚本賞も受賞した。文句なく名優であると思う。

監督はガス・ヴァン・サント。「マイ・プライベート・アイダホ」(リヴァー・フェニックスとキアヌ・リーブスW主演)「誘う女」(ニコール・キッドマン主演)はすでに観ているが、他作品も観たくなる監督であった。使う音楽のセンスも、ラップあり、ロックあり、フォーク調あり、とても良いと思った。

※WIKIより~受賞/ノミネート
第70回アカデミー賞
受賞 - 助演男優賞(ロビン・ウィリアムズ)/脚本賞
ノミネート - 作品賞/監督賞/主演男優賞(マット・デイモン)/助演女優賞(ミニー・ドライヴァー)/主題歌賞/音楽賞/編集賞
第55回ゴールデングローブ賞
受賞 - 脚本賞
ノミネート - ドラマ部門作品賞/ドラマ部門男優賞(マット・デイモン)/助演男優賞(ロビン・ウィリアムズ)
第48回ベルリン国際映画祭 
受賞 - 銀熊賞(貢献賞)
ノミネート - 金熊賞
第3回放送映画批評家協会賞
受賞- オリジナル脚本賞/ブレイクスルー賞
ノミネート - 作品賞


*********

映画を観終わって
〈1〉どの場面が一番印象に残りましたか


〈2〉音楽はどうでしたか



※WIKIより音楽関連~
1996年、エリオット・スミスは映画監督ガス・ヴァン・サントから彼の映画『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』のサウンドトラックの依頼を受け、書き下ろしの新曲「Miss Misery」、オーケストラバージョンの「Between The Bars」およびリリース済みの3曲を提供した。1997年に公開された映画は成功をおさめ、スミスの「Miss Misery」も翌年のアカデミー歌曲賞にノミネートされた。
1998年、アカデミー賞会場でスミスは白いスーツを着て短縮版の「Miss Misery」をオーケストラをバックに演奏した。結局、セリーヌ・ディオンが歌った、映画『タイタニック』の主題歌「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」が受賞した。


(3)アメリカの青春映画は他国にはない良さがあると私は感じるのですが、
  あなたはどう思われますか。お薦めがあれば教えてください。
遠藤さん (8nj60pct)2023/6/8 16:55削除
映画を観終わって
〈1〉どの場面が一番印象に残りましたか
 ショーンがウィルに対して「お前は悪くない」と5回言い、最後にようやくウィルの心の要塞が崩れ、涙するシーン。
幼い頃に虐待を受け、その悲しみ、苦しみを封じ込め、他人に対して心を許せなくなってしまった
自己防衛機能が、氷解する。

〈2〉音楽はどうでしたか
 BGM全てが、シーンとマッチしていた。

〈全体の感想〉
 マット・デイモンとベン・アフレックの息のあった演技が凄く自然で、実生活さながら仲の良さが滲み出ていた。
 最後チャッキーがウィルを迎えに来るが、何の前触れもなく、ウィルは西海岸に旅立っているのが、心憎い演出である。
 ロビン・ウィリアムは、妻に先立たれた精神科医ショーンを好演している。
藤原芳明さん (8g07wmfj)2023/7/7 10:04削除
1.はじめに
 この映画は初見。よくできたヒューマンドラマであり青春映画。しかし、わたしにはいまひとつ感情移入できなかった。その理由はなにかと考えると、つぎの通り。

①主人公ウィルの人物像(孤児で天才的頭脳のもちぬし。幼少期のトラウマ)が少し作りものに感じられ、リアリティに乏しかった点
②ストーリー展開が予想範囲から逸脱しない、ややベタな印象があること(ただしラストは意外だった)
③(これは映画の責任ではないが‥)アマプラで字幕版を選択したつもりがなぜか吹替版で、これも映画に入り込めなかった要因のひとつ(だって声も演技の重要な一部でしょ、それが吹替じゃ台無し。返金してほしいくらい)

2.課題について
(1)印象に残ったシーン
 ウィル(マット・デイモン)が大学で心理学を教えるショーン(ロビン・ウィリアムス)と最初に対面する場面。ウィルがショーンの亡くなった妻をからかい、本気で怒ったショーンがウィルの顔を締め上げる。ここから二人の本音の交流が始まる。

(2)音楽について
 エンドロールで流れる二曲。ひとつはS&Gの「サウンド・オブ・サイレンス」を、ひとつはイーグルスの「テイク・イット・イージー」を連想させる曲調で青春映画にふさわしい。

(3)アメリカの青春映画
 印象深い作品がいくつかある。マイク・ニコルズの『卒業(1967)』、ルーカスの『アメリカン・グラフィティ(1973)』、ピーター・ボグダノヴィッチの『ラスト・ショー(1971)』など。

3.本作から連想する過去の映画
 本作品の脚本はマット・デイモンが学生時代に書いたものがベースとのこと。本作を観ながら思い浮かんだ過去の映画があったので、少しコメントしたい。

(1)『エクソシスト(1973)』
 この映画のオープニングからウィルがショーンに初めて対面するまでの展開は、(唐突かもしれないが)『エクソシスト』(ウィリアム・フリードキン監督)を連想させた。悪魔に憑りつかれた少女リーガンに対し母親は最初、精神科医や脳外科医などの科学的医療を試みるが効果なく、最終的には藁にもすがる思いでカソリックの悪魔祓い祈祷師(エクソシスト)に依頼する。リーガンは父親から見捨てられたという喪失感を抱えた少女で、悪魔はその心のすきまに入り込む。悪魔に挑むのは悪魔祓い経験者メリン神父と、やはり心に傷(母親を十分看病できずに死なせた過去)をもつカラス神父。この構図も本作と共通する。ウィルは(おそらく誰からも愛されたことがないため)心に癒されない喪失感を抱え、通常のカウンセラーの手に負えない荒れた青年。ショーンは最愛の妻を失い、やはり心に深い傷を負った心理学者。ウィルとショーンは最悪の出会いを経て、本音をぶつける心の格闘を開始する。

(2)『アマデウス(1983)』
 社会適応力が低く、一見愚者のように見えるが、ある領域に関して天才的な能力を有する特殊な人間。一方、社会的な地位も名誉も獲得している秀才だが、自分には欠けている天賦の才をその天才の中に認め、嫉妬するしかない人間。本作品で言えばウィルがその天才、MIT数学教授ジェラルド・ランボーがその秀才である。これは『アマデウス』におけるモーツァルトとサリエリの関係に相当する。数学の難問を解いたメモをウィルは燃やして床に捨てる。その火を必死で消すランボー教授。その姿はモーツァルトが病気をおして作曲した最後の作品のスコアーをサリエリが見て、その才能に圧倒される場面とよく似ている。

(3)『卒業(1967)』
 上述の音楽の項で、エンドロールに流れる曲が「サウンド・オブ・サイレンス」に似た曲調と書いた。そういえば『卒業』のラストは、将来へのはっきりした見通しもなく結婚式場から花嫁エレイン(キャサリン・ロス)を強奪したベン(ダスティン・ホフマン)がバスの後部座席に座り、バスの後ろ姿が遠ざかってゆくシーンだった。これはウィルの車が、将来の見通しのないまま恋人スカイラーのもとへ走ってゆく本作のラストと似ている。

4.その他、余談
(1)インドの天才数学者ジュリニヴァーサ・ラマヌジャン
 ランボー教授がショーンにウィルを「ラマヌジャンみたいな天才」と説明する場面がある。ラマヌジャンはインドの実在の人物で夭逝した天才数学者。藤原正彦(数学者、エッセイスト。新田次郎、藤原ていの息子。『国家の品格』の著者)の著書『天才の栄光と挫折-数学者列伝-』のなかで紹介されていたのを読んだことがある。

(2)俳優ステラン・スカルスガルバー(ランボー教授役。スウェーデンの俳優)
 この俳優をどこかで見たことがあると思って調べたら、スウェーデンの作家スティーグ・ラーソンのベストセラー『ミレニアム』を映画化した『ドラゴン・タトゥーの女(2011)』に怖い役で出演していた。
清水伸子さん (8p590r59)2023/7/12 17:32削除
はじめに
 ずいぶん以前に観た映画で、好印象だった感じは残っているものの、今回久しぶりに観ると覚えていなかった部分がたくさんあるなあと思いました。ただ、いつもはテレビにアマゾンのファイアーステイックを繋いでいるのでそれで観ているのですが、なぜかU-nextやHuluにつながって仕方なくiPadで見ました。しかも前面に出て来たのをクリックしたら吹き替え版でガッカリしました。私の不注意なのですが。
全体の感想はとても良かったです。特にチャッキーたち仲間とウイルとの関係、ショーンとランボー教授との対比、ハーバードの学生の中で異色のスカイラーのなど、それぞれの存在がちゃんと生かされているように感じました。

1.一番印象に残った場面
それまで様々な知識で鎧を纏い、自分への質問ははぐらかして滔々と自分の弁を述べていたウイルが「君は悪くない」というショーンの言葉にようやく心を開きなく場面と、仲間が誕生日にボロボロだが自分たちで組み立てた車をプレゼントする場面、そしていつものようにチャッキーがウイルの家に迎えに行くと、ウイルはいなくなっている場面。

2.音楽について
強いインパクトは感じませんでしたが、全体的に美しい音楽が流れていた印象が残っています、

3.おすすめのアメリカ青春映画
私にとってのナンバーワンは何と言っても「エデンの東」「理由なき反抗」「グレートギャツビー」などです。
池内健さん (8qbh6yx3)2023/7/15 15:52削除
「グッド・ウィル・ハンティング」というタイトルが謎でしたが、実際に観て、「主人公(ウィル・ハンティング)が善良である(善良になる)」と「善意を求めて」のダブルミーニングだとわかりました。このネーミングのセンスからもうかがえるように知的に組み立てた作品です。マット・デイモンとベン・アフレックがスラムで育ったにしては品が良すぎ、主人公の固く閉ざされた心が「君は悪くない」の呪文で解き放たれる場面はややご都合主義(2時間にまとめなくてはいけない映画の制約上やむをえない)ですが、社会問題(児童虐待)の提示と解決策(対等な立場での対話)の提案もふくめて爽やかな青春映画だと思いました。

〈1〉印象に残った場面
21歳の誕生日に友人たちからプレゼントされた手作りの車でカリフォルニアに向かうラスト。ウィルはフォトグラフィックメモリー(映像記憶)で詰め込んだブッキッシュな知識を武器に身を守ってきたわけですが、ショーン医師や幼なじみの善意に気づき、周りの人間を信頼して生きていくことを決意します。芝刈り機のエンジン(?)を搭載した手作りの車は、不格好でも自分の意思で人生を切り開くことの大切さを象徴しています。あと、日本だったらあんな車は絶対に車検を通らず公道を走れません。アメリカの自由を印象づけるアイテムでもあると感じました。

〈2〉音楽
爽やかでした。

〈3〉アメリカの青春映画
アメリカの青春映画が独特なのは、中産階級の高校生ですら車を乗り回せるといった類いの「自由」があるからでしょうか。アジアやヨーロッパにそういう国はたぶんないと思います。これまでに観た中で一番好きな青春映画は「愛と青春の旅立ち」。この作品でも主人公(リチャード・ギア)は酷い環境で育ったのですが、軍隊という実社会のなかで様々な経験をしながら大人になっていく過程が「グッド・ウィル・ハンティング」よりも説得的です(昭和の感覚かもしれませんが)。
藤野燦太郎さん (8j4tkzsk)2023/7/17 22:21削除
グッドウイルハンティング感想  藤野茂樹

1. 印象的なシーン
カウンセラーは大抵上から目線で、患者の訴えを分析してどうすれば立ち直れるかを方向付けしていく。
しかし患者にはカウンセラーがまた説教を垂れていると感じて反抗する人がいる。
ウイルもその典型的な一人で、今まで多数のカウンセラーを困らせてきた。
ショーンは自分の愛する妻を失った過去を話し、ウイルと同じ様に苦しんでいる人間であると話し信頼されることを優先した。この本気で対決する部分がよい。

2. アメリカの青春映画
アメリカの青春映画は良くも悪くも他国の一歩先を行っているように思います。
たぶん今回の当番の方がイメージされているのは、青春群像の典型の「アメリカングラフィティ」あたりではないかと思います。映画では奔放な行動や事件、甘酸っぱい交流を描写しラストに登場人物4人のその後を字幕で表し(1人交通事故死、1人ベトナム戦争で行方不明、1人サラリーマン、1人作家)、苦い影を落としています。
「スタンドバイミー」も同じ形式。日本の小説では田中英光の「オリンポスの果実」も同じ。こういう群像小説や映画の「型」を世界で初めて作った人は誰だろうと時々思います。こういう人こそノーベル賞にふさわしいと思うわけです。
この形式に当てはめれば、一応読めるものができるように思います。
さて元に戻って、自分なら青春の甘酸っぱさから離れますが、大人社会に対する反抗というイメージで、「イージーライダー」、「時計じかけのオレンジ」をあげさせていただきます。同じ時代を生きたはずなのに、あのような発想はしませんでしたから。
克己 黎さん (8kvydqc8)2023/7/23 20:58削除
「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」を観て    克己黎


実はこの映画、三回ほど以前に観ているのだが、すっかり忘れてしまっていたので、初心に戻り、まっさらな状態で観ることにした。

孤児で虐待やたらい回しにされた少年時代の心の傷から、荒れた生活を、仲間たちとしながら、抜け出せず、自身の数学の才能や本の知識をもて余すウィル。マット・デイモンはハーバード大の学生だったはずだが、労働者階級の清掃員を題材にし、自身が豊かな感性でこの役を演じている。

マット・デイモンがキラキラしている。
また、若き頃のベン・アフレック(妻のジェニファー・ロペスしか思いつかないが)、やんちゃな友人を熱演。ラストのウィルが去った後のさみしさとうれしさの表情が良かった。

ロビン・ウィリアムズはさすが、カメレオン俳優。亡くなった妻を愛し続けた医者で、ウィルの頑なな心をぶつかりあいながらふれあい、溶かしていく。

素晴らしい人間の可能性の無限大さを表した見事な作品だった。

一、どの場面が一番印象に残ったかは、チャックがウィルが去った後の部屋を眺めてさみしさと嬉しさを複雑に顔に出すところ。


二、音楽は、デートシーンとベッドシーン、彼女との一度の別れのシーン、そしてラスト、仲間たちから贈られた車で彼女に会いに行く時のラストシーンの音楽が素敵だった。


三、アメリカの青春映画は、昔、中学時代に小遣いで古い映画をレンタルしていて、ロブ・ロウやマット・ディロンの「ブラッドパック」の「アウトサイダー」や「セント・エルモス・ファイアー」などを観たり、ジョン・トラボルタが好きで「サタデー・ナイト・フィーバー」や、「グリース」などを観たりしていた。
最近はあまり青春映画を見ていないが、学生、青年の映画も面白いと感じた。

       2023.7.23 克己 黎
山口さん (8j0wh7xb)2023/8/12 17:19削除
「グッド・ウイル・ハンティング」感想
1.印象に残ったシーン
去年観たが、今回は観直してないので、記憶に頼って。
マット・デイモンがガンガン難しい数式を解くシーンと、ロビン・ウイリアムズ演じる精神分析医と対峙するシーン。
この脚本は、頭の良い人が書いた、という印象が残る。だがその分、人間の感情や感性にもっと踏み込んだものが欲しいと思った。なので、私にはそれほど深くは刺さらなかった。ただ、人との出会いがその人の人生を左右する、という観点は大いに納得するし良いと思った。

2.音楽は。
違和感はなかったが、観直していないこともあり特に印象に残っていない。

3.アメリカの青春映画について。おすすめは?
何といっても「卒業」。脚本、音楽、俳優、時代性、すべてが秀逸と思う。青春の光と影、欲望と挫折と不安と希望の表現が素晴らしい。他には「ギルバート・グレイプ」「アメリカン・グラフィティ」「スタンド・バイ・ミー」なんかも好き。
特にアメリカの青春映画にこだわりはないが、仏映画では「大人は判ってくれない」「太陽がいっぱい」などが忘れられない。日本映画では「青春の蹉跌」「約束」などの貴重な映画をもう一度観たい。
津曲稀莉さん (8u3hl28m)2023/8/20 15:11削除
グッドウィルハンティング

〈1〉どの場面が一番印象に残りましたか
解体現場で、ウィルに親友のチャッキーが地元を出て行けと言うシーンです。地元を美しい、いつでも帰ってこれる場所ではなく、停滞する場所としてウィル以外の仲間が感じ取っていることがアメリカ的だと思いました。


〈2〉音楽はどうでしたか
挿入歌もですが、車や部屋の中で流れている音楽も各場面にマッチしていると思いました。
返信
返信10
管理者さん (8nqqh1v5)2023/6/7 13:20 (No.807174)削除
課題映画、第15回文横映画好きの集い(新作)(2023年8月20日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
管理者さん (8nqqh1v5)2023/6/7 13:26削除
エール!(2014)監督: エリック・ラルティゴ
以降、幹事のテーマを記載後、皆様の書き込みをお願いします。
遠藤大志さん (8nqqh1v5)2023/6/7 13:32削除
取り急ぎ、テーマを記します。

①一番好きなシーンはどこですか?

②「家族の通訳」と「実力が分からない歌の才能」
 あなただったらどちらを重要と考えますか?

③「コーダ あいのうた」も見た方に質問です。
どちらが良い映画だと思いましたか?

もう一度見直してみて、追って感想等は記します。
遠藤さん (8nj60pct)2023/6/8 07:49削除
一度、『エール!』も、『コーダ あいのうた』も観ているが、改めて両方共に観直した。

①一番好きなシーンはどこですか?
 やはり何と言っても、最後のオーディションの際に、聾唖の家族にも伝えようと、手話も交えて歌い上げる圧巻のパフォーマンスのシーンである。
その前日には学校で観客がスタンディングオーベーションして讃えているのを見ているので、歌の実力はある程度分かっているものの、大舞台で、自信を持って堂々と手話を交えて歌う様を見て、実力は本当なのだと家族は悟る。

②「家族の通訳」と「実力が分からない歌の才能」
 あなただったらどちらを重要と考えますか?
 4人家族の内3人が聾唖であるという特殊な構成だと、親や兄弟が健常な人間を頼るのは致し方のない事。ましてや自営業の場合は尚更である。娘が学校で歌が上手いと褒められ、音楽の道を目指したいと言われても、なかなかはい、そうですかと応援できない気持ちも分かる。やはり目の前の困窮した生活を何とかしたいという一念から娘の自由を束縛してしまう可能性が高いと思う。この葛藤が家族をより一層強固な絆へと導いていく。
 父が娘の歌をどうしても聴きたくて、喉に手を当てて聞き取ろうとするシーンでその葛藤を打ち破られる。

③「コーダ あいのうた」も見た方に質問です。
どちらが良い映画だと思いましたか?
 両方観て、やはり『エール!』の方が素朴で純粋さが伝わって来ると感じた。
 歌の選曲もエール!の方がいい。
清水伸子さん (8p590r59)2023/7/14 14:05削除
はじめに
 見終わった感想は爽やかでとても良かったけれど、この映画の対象とする観客の年齢について考えさせられました。青春映画であり家族の物語でもあると思うけれど、子供が観るにはあからさまな性的表現が多かったためです。また父親が選挙に立候補した結果がどうなったのか気になりました。

1.一番好きなシーンは?
 ラストで一旦車から降りて家族の元へ駆けてゆき、家族からの愛と祝福を受けて送り出されて未来に向かって走るシーン。ポーラの表情が全てを表しているように感じました。

2.家族の通訳と実力が分からない歌の才能はどちらが重要だと思うか?
 助けを必要とする家族のもとにとどまるか、自分の才能を信じてやりたい道に進むのかと問われれば、やはり後者だと思います。誰かの犠牲になって自分のやりたいことを諦めるというのは、どちらにとっても後悔を残すのではないでしょうか。

3.「コーダ愛の歌」との比較
 先に「エール」を観たので「コーダ」の方は二番煎じだという印象を受けたけれど、青春映画としてはより爽やかに作られていると思います。ルビーとマイルズが湖で遊ぶシーンはとても美しく印象に残ろました。ただ「エール」の方は経済的に逼迫してはいなかったけれど、「コーダ」の方は生活がギリギリで、しかも父親が免許を取りあげられた上に罰金も払わねばならない状況の中ではルビーを音大に送り出すのは実際問題として難しいのではないかと感じました。
克己 黎さん (8kvydqc8)2023/7/17 18:57削除
「エール」(2014フランス映画)を観て  克己 黎

一、一番好きなシーンは2つあります。


ポーラが国営ラジオのオーディションにて、手話つきで歌うシーン。両親や弟が聾唖(聴覚障害者)であり、歌が聞こえないけれど、素晴らしさは伝わったと思います。


可愛い衣装を着て、デュオで歌った後で、父親が、どう歌ったのかを声帯を触れながら聴くシーン。



二、家族との通訳を私なら優先してしまいそうですが、やはり後で後悔するでしょうね。


三、「コーダあいのうた」は見ておりません。


感想として、思春期の高校生が、恋をしながら一喜一憂し、生理が初めてきたころから、変身していくストーリーですが、両親が夫婦生活のしすぎだったり、友人マチルドが性に奔放過ぎたりと、性的刺激が強い映画でもありました。

お母さん役の方がとても綺麗で、明るく、また、音楽教師役は、日本俳優なら三上博史かな、とか思ったりしました。

後半は涙が止まりませんでした。良い映画です。ありがとうございました。
池内健さん (8qbh6yx3)2023/7/24 07:54削除
明るく感動的な作品でした。音楽をテーマにした映画はクライマックスが盛り上がるので、見終わった後の余韻も心地よいですね。
 フランス映画だからか、性に対する積極性が前面に出ていて、日本とのあまりの違いにむしろ感動しました。主人公のポーラが両親の婦人科診察の手話通訳をするシーンでは、セックスを3週間控えるようにと言われた母親があきれたような顔をするのが印象的でしたし、弟がゴムによるアナフィラキシーショックでダウンするところでは、コンドームの箱が大きくてびっくりしました。
 ポーラの声を聞いただけで才能を見抜くトマソン先生もすばらしいと思いました。生徒自身ですら気づいていない才能を見いだし育むことこそ教師の役割だと思います。あと、デュエットの課題曲は「マルキ・ド・サドのように激しく、娼婦も頬を赤らめるほど」と、学校で歌うには過激ですが、感情を解放するにはこのくらい大人な方がいいということでしょうか。生徒を子供扱いしない姿勢も好ましいと感じました。

①一番好きなシーン
 手話付きで「逃げるんじゃない、飛び立つんだ」と歌うオーディションのシーンは感動的でした。この歌は、ポーラが教師の提案を断って自分で選んだ曲です。そのメッセージを家族もしっかりと受け止めていました。
 父親がポーラののどに手を当てて歌声を感じる場面も良かったと思います。前の場面は学校でのコンサートで、ポーラたちのデュエットが無声になります。耳の聞こえない人たちにはこんなふうにみえるという前振りが効いていました。

②「家族の通訳」と「実力が分からない歌の才能」
 才能の方が重要です。挑戦すること自体が尊いと思います。家族の通訳については、ポーラが生まれる前の両親はポーラなしで生活していたわけですから、何とでもなるでしょう(とりあえず映画のなかではポーラの友人マチルドが通訳の役目を果たすことになります)。

③「コーダ あいのうた」とどちらが良いか
 「エール!」「コーダ」の順番で見ました。どちらも良かったのですが、最初にみた「エール!」に1票を投じたいと思います。
 「エール!」はシンプルにコメディに徹していながら最後にほろっとさせる松竹新喜劇のような作品でした。「コーダ」は障害者の困難や毒母など社会派的な視点を強め、かつ一人ひとりの行動の理由をわかりやすく説明しています(発音がヘンだといじめられた主人公ルビーに理解を示すヴィラロボス先生はメキシコ出身、など)。「コーダ」「エール!」の順で見たら、「エール!」のシンプルさを雑さととったかもしれません。
石野夏実さん (8tba9tky)2023/7/30 22:06削除
2023.7.30  石野夏実

 本日フランス映画「エール!」とそれのリメイク版21年公開「コーダあいのうた」を続けて観た。
「コーダ」のほうは21年作品対象の第94回アカデミー賞で作品賞、脚色賞、助演男優賞(父親役)を受賞している。
総合判断すると、甲乙つけがたい2作品であった。
両親が聾唖者で「エール」は弟、「コーダ」は兄が、聾唖者という設定。主人公の女子高生だけが正常者である。
一家の職業は、フランス版は酪農家で英語版は漁師一家である。
両親は夫婦仲も良く、兄弟も家業を手伝い家族仲良く暮らしている。
娘は手話で両親の耳となり口となって通訳し代弁する。彼女がいなければこの一家は成り立たない。(とそれぞれが思っている)
歌が好きなのと片思いの男のコが入部するので彼女も合唱部に入部し、顧問の先生に声質の良さと音程の確かさで目をかけられ、校内発表会の主役として私的レッスンを受け上達していく。
地元を離れ音楽の学校に進むか、留まって今までどおり暮らすかの選択が彼女に迫る。
主人公に関して、フランス版のルアンヌ・エメラも英語版のエミリア・ジョーンズもそれぞれに若く可愛く歌も上手でこれからが楽しみな新鮮な女優だった。
気になる細かい箇所が「エール!」にはなかったが「ゴーダ」にはふたつほど。
主役の漁師の娘であるはずのエミリア・ジョーンズが色も白く(腕はある程度焼けてはいたが)顔立ちが整いすぎていて生活感がない。それとお金がなく貧乏している一家なのに車が2台あって、乗用車の方はわりといい車なのだ。
この作品でアカデミー賞を3つも獲れたのは、おそらくコロナ下で対抗作品の数も少なく話題作もそれほどなかったからではないだろうか。
もちろん2作ともヒューマンドラマで感動的。使われている曲も選曲が良かったが、「コーダ」の「Both Sides Now」(青春の光と影)とエンドロールの「Beyond the Shore」の歌詞がとても良かった。「エール!」は発表会での歌の歌詞のユニークさに拍手。さすが、フランスなのだった!
 ******************************
①一番好きなシーンはどこですか?
 
 家族が見守る中、選抜会場で主人公が3人に届くように手話を交えて歌った箇所は感動的。
 父親が娘の歌を聞きたいといって歌わせ、喉を触って振動で音を感じる場面。 
 家族と別れて旅立ちの時、走り出した車を停めてもらって全速力でもう一度立っている3人のところに走って戻り、
 4人で抱き合いまた全力で走り出すシーンにグッときました。この全力疾走が最高! 

②「家族の通訳」と「実力が分からない歌の才能」
 あなただったらどちらを重要と考えますか?
 
 後悔しないよう自分の進みたい道に挑戦してほしい。親も、そちらを望むと思う。

③「コーダ あいのうた」も見た方に質問です。
 どちらが良い映画だと思いましたか?

 内容出来栄えは甲乙つけがたいです。声質は、エミリア・ジョーンズの方が好きでした。
 もちろんルアンヌ・エメラの歌声は癖がなく上手でした。
 容姿全体像は、エミリアはすごく癖がなくて美少女ですから漁師の娘役にやや違和感。
 酪農家の娘らしい好演はルアンヌ・エメラですかね。
藤原芳明さん (8g07wmfj)2023/8/4 16:14削除
新作『エール』(2014年 エリック・ラルティゴ監督)フランス映画 藤原芳明 

1.はじめに
 本作『エール』(2014)の方がオリジナルにもかかわらず、先に『コーダ』(2021)を観ていたので、ストーリー展開と結末がわかっていた。このため『コーダ』を最初に観たときほど新鮮には感動できなかったが、やはり最後はじーんとした。物語のベースはフランスのコメディエンヌ(ヴィクトリア・ドゥヴォス)が書いたシナリオとのこと。そのためか映画全体がコミカルでユーモアに満ち、明るい作品になっている。

2.課題について
(1)好きなシーン
①学校でのコンサートを終えた夜、ポーラがデュエットで歌った曲をもう一度独唱で父親に聴かせるシーン。聾唖者の父親はポーラの喉に手を当てて歌を聴き、終わると「ありがとう」と言う。
②パリの音楽学校受験の際、ポーラが家族(両親、弟。全員聾唖者)にも歌詞がわかるように手話を使って歌い、歌い終わると家族が立ち上がって喝采するシーン。

(2)「家族の通訳」と「実力が分からない歌の才能」の選択
 『エール』のベリエ家は比較的金銭にゆとりのある酪農家族として描かれている。だから(聾唖者である自分達には娘の歌の才能はわからないが)娘の可能性を信じてチャレンジさせてやるほうがストーリーとして自然と思う。芽が出なければ帰ればいいわけだし。
 一方、『コーダ』はけっこう厳しい生活を余儀なくされる漁師家族の設定だった。このため娘ルビーがいなくなることは『エール』より深刻な問題になる。その分、ルビーを音楽学校へ送り出すことのドラマ性は高まったともいえる。

(3)『コーダ』と『エール』の比較
 どちらも感動的なドラマで甲乙つけがたい。先に『コーダ』を観てしまったので不公平なのだが、感動は最初の『コーダ』の方が強かった。また『エール』では役者が全員健常者で聾唖者の演技だったのに対し、『コーダ』では両親、兄が本当の聾唖者俳優だったとか。父親フランク役(トロイ・コッツァー)は聾唖者で初めてアカデミー助演男優賞を受賞。この演技のリアリティの点で私は『コーダ』に軍配か。

3.日本の古い聾唖者映画について
 以前、聾唖者家族を描いた日本映画『名もなく貧しく美しく』(1961)を観たことがある。聾唖者夫婦を演じるのは高峰秀子と小林桂樹。監督・脚本は松山善三(高峰の夫)。実話にもとづいた話だったか。細部の記憶はすっかり薄くなっているが、観たときはずいぶん感動したのを覚えている。貧しいなかで健気に生きる聾唖者の姿を描いていた。物語の中で、例えば夫婦の赤ん坊が夜中に熱を出して泣いているのに、聾唖者ゆえにそれに気づかず、結局赤ん坊が死ぬ、という悲劇的なエピソードもあった。トーンとしてはしんみりした映画だった。
 もちろん『名もなく貧しく美しく』は六十年以上昔の日本映画なので、時代も文化(国民性)も違い比較してもしかたないが、『エール』が障がい者や性の問題をからりと明るく扱っているのとは好対照だ。また最近のフランス映画は必ずしもSad Endingではないことを再認識した。
藤野燦太郎さん (8j4tkzsk)2023/8/4 23:20削除
エール 感想 藤野

1回見ただけで強い印象を受けるよい作品でした。
聴覚障害者家族の中で唯一の健常者が、音楽教師に歌の才能を認められてパリの音楽学校のオーディションを勧められるという設定。
オーディション会場で、主人公が家族に届くように手話を交えて歌ったところは感動的でした。
自分はこのシーンに既視感がありました。それは文学散歩の打ち上げで行った「歌声喫茶、新宿ともしび」でよくやっていたことだからです。この映画が影響していたのかもしれません。
ラストは爽やかな希望を漂わせています。久しぶりに感動させていただきました。

1. 印象的シーン
娘に歌の才能があるなんてどうしても理解できない父親が、ポーラに歌わせ、その際首に手を当て喉の震え、手に伝わる振動から理解しようとします。障害者が健常者の世界を理解しようとする姿のなんと感動的なことでしょう。
  
2.「家族通訳」として残るか「実力のわからない歌の才能にかけるか」
自分だったら歌の才能にかけてみたいと思います。自分以外は聴覚障害者という困難な家庭環境で育った主人公が、それを乗り越えてオーディションに出場する、何という希望のあるエンディングでしょうか。観客に夢と感動を与えるのも映画の重要な役割だと思います。
ですが私たちは実際には夢がかなわない人がいることを知っています。
病気の家族の世話をするヤングケアラーと呼ばれる若人が日本に6%もいて、その人たちは自分の夢をあきらめています。私たちは自分の夢を実現させてもらってよかったわけですが。
そんなことを知っているからより感動が大きかったのでしょう。
匿名さん (8j0wh7xb)2023/8/12 17:15削除
「エール」感想
1.好きなシーン
主役の彼女が歌うシーンすべて。ちょっとハスキーで声量のある彼女の歌声が好き。特に最後のオーディションの場面が良い。

2.家族の通訳と歌の才能、どちらが大事か
家族の通訳や家の仕事に生きる意義を見出している人なら、それも良い。が、他にチャレンジしたいことがあるなら、絶対そちらに行くべし。それでないと後悔し、後々家族のせいにすることになるから。

3.「コーダ」とどちらが良いか
彼女の歌声が好きなので「エール」の方が好き。また、「コーダ」の方が船に乗るという緊迫感や、低収入の家庭のせいもあり全体に生真面目な雰囲気なのに対して、「エール」はストーリーがシンプルで、牧歌的で家族愛あふれるちょっとコミカルな雰囲気がある。その家族愛に特化した作風が、このような重いテーマの映画の場合、生きていると思った。
津曲稀莉さん (8u3hl28m)2023/8/19 15:48削除
①一番好きなシーンはどこですか?
ディスコミュニケーションが発生しているシーンを日本の映画であまり見たことがないのでそういった箇所が印象に残りましたが、特にラスト近くの住民との質疑応答のシーンだと思います。
父と母が一貫して直接的なコミュニケーションを取るのに対し、健常者のポーラは聾唖者でないということよりも、そうでないことによって外界のコミュニケーションの曖昧さを認識している(ゆえに家族と外界のコミュニケーションを媒介できる)という違いがあります。それゆえに、ポーラが協力しない限り選挙活動は上手く行くはずがないのですが、家族内の直接的なコミュニケーションをポーラの媒介によって住民に伝えるという主題の回収の仕方でないのが新鮮でした。

②「家族の通訳」と「実力が分からない歌の才能」あなただったらどちらを重要と考えますか?
難しい問題ですが、家族の通訳として村に留まるのは後悔が残りそうだと思いました。
返信
返信11
管理者さん (8pa6wkw7)2023/6/12 13:16 (No.811921)削除
第15回文横映画好きの集い(自由映画)(2023年8月20日)について、ご自由に感想をお書込みください!
石野夏実さん (8pa6wkw7)2023/6/12 13:17削除
2023年6月公開是枝裕和監督「怪物」
2023.6.8 石野夏実

 カンヌ映画祭の脚本賞をTVドラマ脚本家で有名な坂元裕二氏が映画「怪物」で受賞というニュースが流れたのが、少し前。
前評判の高かった作品賞も監督賞も俳優たちの受賞もなかった。
主役の少年ふたり、母親役の安藤サクラと担任役の永山瑛太は最高のキャスティングであった。
賞レースの話題などは、映画の宣伝には一番効果的なのであろう。タイムリーな公開スケジュールであると思う。
企画の段階からの歳月も長く、制作費もかなり投入された映画の完成であったと思われる。
※これを書いている6月7日時点で映画のTVCMが流れている。

面白かったかと聞かれれば、イエスで☆3.8くらいか☆4まで。
よく出来た=作り込んだ話であるが、最初は題名がよくないと思った。
理由は「怪物」という名詞だけをポンと出されているので、結局映画を観ながらずっと題名を引きずってしまうからだ。誰が怪物?何が怪物?と。

無責任な噂やちょっとした嘘も、人から人へ伝わる中で得体のしれない怪物のように大きくなっていく。虚実混交の情報社会では、話題は巨大化し怪物化する。
得体の知れなさでいえば個人が持つ誰にも見せないもう一人の自分、これもまた内なる怪物か。

安藤サクラ=シングルマザーの母親が、大事なひとり息子(湊)が担任からモラハラを受けたり暴力を振るわれたりしたと、学校に校長相手に談判に行く。
騒ぎすぎているわけでもない。
これくらい訴えていかないと無いことにされてしまう、と感じているからだろう。ただし、すべて愛する息子からの一方的な話を信じていることから始まっている。

次に担任(瑛太)について、初登場の場面の担任は落ち着きもなく学校側親側からみても謙虚さが足りないような態度であったが、自分に非はないと思っていたからであろう。
行きつ戻りつの場面展開がやや複雑に画面に映し出されるため、混乱する観客もいると思う。
後半になるにつれ、実際は真面目で目も行き届く担任教師の姿が映し出されていく。ただし、トイレに閉じ込められたいじめのように目の前で起きたことでしか判断できないのは、誤解を招くこともある。すぐに子どもの話を聞くべきだ。判断は、それからでいい。

この映画は、物事を一方的にとらえると予期せぬ方向に行ってしまうことがあることを、学校での生徒と先生の関係の中で浮き上がらせていく。

(教育現場での事なかれ主義は、子どもが自殺して初めて問題の大きさが表面化する。犠牲者が出てからしか、TVや新聞の報道は伝えられない。
学校から何か問題が起きていると進行形で教育委員会に報告が上がってくるはずもなく、悲劇が起きた過去形でしか知らされないニュースの受け手の我々は、教育現場の閉鎖性に毎回絶望的になってしまう。この映画では自殺者はいない。)


学校に、校長に、担任に、話をしに行く母親の強さと説得力は、容赦はしないとの凄みがある。
私は母親として立場は同じなので、のらりくらりの話がかみ合わない学校側とは相容れないが、この母親から息子への距離感がなさすぎるのでは、と少々感じた。夫を亡くしひとり息子が人生の全てだからであろうが、子どもは自分を守るために一番身近な親にも嘘をつくことがある。盲信と信頼・愛情は違うと思う。

不要な登場人物は、担任の先生の恋人(高畑充希)の役どころであると思った。
是枝作品だけでなく、2時間ほどで出来ている映画に無駄な配役は不要である。担任の日常と問題が起きた時の恋人の様子を描きたかったのであろうが、担任へのマスコミのインタビュー場面だけで十分ではないだろうか。
あれもこれも入れていくと時間が足りなくなる。恋人が去る後ろ姿だけで十分だ。

湊のクラスでいじめられている男のコ(依里)は体も小さく教科書の読みもすらすらとは出来なさそうであるが、秘密基地=廃電車の遊び場や野原に咲く花の名前をよく知っているし生活力はありそうだ。この子は母親がいなくて父親(中村獅童)に暴言やDVを受けている。屈託なく明るくふるまっているが、心の闇は深い。死んだ猫を火葬しようと枯葉にライターで火をつけ燃え上っても平気なのだ。湊は怖くなり慌てて水をかけ消火した。

このふたりが遊ぶ秘密基地の廃電車は、とてもよく出来ていて実物かと思ったがセットであったようだ。ただし、秘密基地には「スタンド・バイ・ミー」の木の上の小屋、「そのときは彼によろしく」の廃バスなどが使われているので、敢えて廃電車にしたのかとも感じた。またポリ袋が風に舞う場面が瞬間出ていたが、先月「文横映画の会」の定期Zoom会で取り上げられた「アメリカン・ビューティー」の場面を一瞬ではあるが思い出させた。もう一つ、湊は母親の車に乗せられ動き出した時、故意にドアを開け転げ落ちた。この場面は韓流ドラマで観たことがある。
という具合に、3カ所ほど気になる場面があった。もう少し独自性が欲しい。

ラスト、ふたりの男のコは大雨のため山崩れ土砂災害の危険がある立ち入り禁止になって規制されている秘密基地に出かけ、廃線トンネルの先にある廃電車の中で楽しく遊んで夜を過ごしていた。母親と担任は、必死にふたりを探す。
土砂は廃電車の上にのしかかり、水が溢れた。。。

ふたりの男のコが廃電車から脱出し楽しそうに野原を走る場面でエンディング。
バックに流れる坂本龍一のピアノ(遺作となった)も澄んだ音色で美しい調べ。重苦しさはなく軽やかでもなく。
映画との違和感はなくエンディング曲に相応しかった。
しかし最後のこの場面、本当にふたりは助かったのだろうか、それとも非現実か。
どちらにもとれそうなのである。
母親や担任に助けられた場面は出てこなかった。全てから解放されてジ・エンドなのか。
TVで流れる映画宣伝のCMのナレーション「感動のラスト!」、これこそ?怪物CMか。
映画の初っ端に流れる雑居ビルの火事場面が怖い。「かいぶつ だーあれだ!」 


ふたりの関係はBLであった。
5年生で愛する相手を見つけ、何十年も共に生きられる人生もきっとあるはずだ。
映画を観終わって家に着いてからも、若くして本当にこの人(このコ)とずっと一緒に生きていきたいと思える相手に巡り会えたのなら、それも最高に幸せな人生と、大きく頷ける結論が出た。
この少年たちのその後を、続編で撮ってほしい。その後も社会人になるまでを続々編で撮ってほしい。第3部、25歳くらいまでが知りたい。
俳優は交代してもその年齢に相応しいコたちがいると思う。それが11歳のBL映画を撮った監督の責務かと思った。

※この映画を観て、50年後の人生まで考える必要はないのであるが。。
異性よりも同性の方が本人を理解してくれると思うので、同性愛者はますます増えると思う。
異性の恋人や夫は理解しようと努力してくれても、おそらく同性のようには理解できないであろう。ミステリアスがいいと思えばこれはこれで良いということになる。
阿王 陽子さん (8pa6wkw7)2023/6/12 13:18削除
フランシス・フォード・コッポラ「ゴッドファーザー」三部作を観て   阿王陽子

6月の梅雨時期、観ようとしてもなかなか観れない、ゴッドファーザー三部作を週末に観ることにした。

第一作はマーロン・ブランド演じるビトー(ゴッドファーザー)の慈愛に満ちながらも残酷なドン・コルレオーネと、大学を卒業し、ダイアン・キートン演じるケイと親しくなり軍人となったアル・パチーノ演じるマイケルとの比較、そしてビトーが亡くなりマイケルが二代目ゴッドファーザーになるまでを描く。アル・パチーノがハンサム。マーロン・ブランドはさすがの貫禄。ダイアン・キートンが可愛かった。

第二作は、若き日のビトーがなぜゴッドファーザーになったのか、シチリアのコルレオーネ村出身なのを、ちょっとした手違いから苗字のコルレオーネとされてしまったことから、ビトー・コルレオーネと名乗り、人情味あふれながらも残酷であるのを、ロバート・デ・ニーロが、マーロン・ブランドのクセを真似し、演じた。一方で二代目ゴッドファーザーになったマイケル・コルレオーネと妻ケイとの別れ、マイケルが冷酷にファミリーの抗争に勝ちながら、過去の軍人になる、と言っていたころの若き日の自分を振り返るところまでであった。私は、第二作が一番印象的で、特にロバート・デ・ニーロが豊かな演技であった。

第三作は、第二作からだいぶたち、息子がオペラ歌手になり、娘メアリー(ソフィア・コッポラ)がアンディ・ガルシア演ずるビンセントと恋仲になるものの、マイケルは心配から、二人の仲を許さず、別れさせるが、それがちょっとしたポイントとなり、マイケルは糖尿病で倒れ、三代目ゴッドファーザーをビンセントに譲るが、息子のオペラ歌手デビューの時に命を狙われる。しかし、撃たれた時に近くにいた娘メアリーに銃弾があたり、メアリーは死んでしまい、マイケルは悔恨で絶叫する。最後は過去のシチリアのアポロニアとの短い恋愛結婚、ケイとの生活、娘、などを思い出しながらシチリアで一人さみしく亡くなる。

三部作を3日に分けて観たのだが、とにかく長い。しかし、なかなか面白く楽しめたし、アル・パチーノの第一作から第二作にかけてのマイケルの変貌と、第二作のロバート・デ・ニーロの豊かな演技、第一作のマーロン・ブランドの迫力は良かった。

しかしながら、第三作の娘ソフィア・コッポラ演ずるメアリーは、出番が多すぎる気がした。フランシス・フォード・コッポラの娘だからかもしれないが、やや、くどい気がして、第三作は違和感があった。

三部作を通して、途中休憩をはさみながら家で観たのは良かった。映画館では長すぎる気がしたし、大画面で虐殺ばかりなのは、ちょっと気分が疲れてしまうと感じた。

有名なゴッドファーザーの音楽がとても沁み入った。 2023.6.11
石野夏実さん (8p545kat)2023/6/15 11:06削除
先日投稿した6月公開の是枝裕和監督作品「怪物」の補遺です。
この作品は第76回カンヌ国際映画賞主要部門の授賞式前に発表される独立賞の「クイア・パルム賞」を受賞した。
これは、2010年に創設されたカンヌ国際映画賞の独立賞の一つでLGBTやクイアを扱った映画に与えられ、日本映画としては
初の受賞になったとのことです。

また、是枝監督によれば廃電車のイメージは「銀河鉄道」だそうです。少年たちはジョバンニとカムパネルラ。飾りつけも彼らが主体で手作り制作したようです。
阿王 陽子さん (8kvydqc8)2023/6/18 12:33削除
「オードリー・ヘップバーンの初恋」を観て 阿王陽子

オードリー・ヘップバーンだからと、見てみると、オードリーは、ちょい役で垢抜けないバレリーナの役であった。また、日本題名を「オードリー・ヘップバーンの初恋」(1951)とつけているが、原題は「シークレット・ピープル」、秘密結社の話である。
革命家を獄中で獄死させられた父を持つ、マリアとノラの美人姉妹と、預かるレストランを経営する親友、そして7年間行方知れずの死んだ父の知り合いでマリアの恋人のルイ、彼らが計画する政敵の暗殺計画に、マリアが可哀想に巻きこまれてしまう。

このルイ役のセルジュ・レジアニは、前の課題にあった「冒険者たち」で癖が強い役で出てたが、こちらも癖が強く、マリアを利用する革命家を演じている。セルジュ・レジアニはおそらくハンサムな部類なのだろう。

が、なにより、素晴らしかったのはマリア役のヴァレンティナ・コルテーゼである。7年間彼氏を待ちながら、レストランで甲斐甲斐しく働く前半の素朴な姿、そして名前を変えて整形手術(髪の色を金髪にしてメイクを濃くしている)容姿を変え第2の人生を生きながらも妹が心配で見守る姿、この前半と後半の対比が面白かった。

ルイはマリアが死んだと知らされた後、マリアの妹のノラで、バレリーナとして成功した彼女を操ろうとするが、最後はマリアが刺されて死んだ後、ノラは拒否する。
そして、マリアがルイが死んだと思い込み形見として持っていたペンを、ルイが発見し、エンド。

ヴァレンティナ・コルテーゼの魅力につきる、映画であり、悲恋物語ながら、なかなか面白かった。


オードリーのイギリス時代の作品はこの「オードリー・ヘップバーンの初恋」「オードリー・ヘップバーンの若妻物語」(1952)「オードリー・ヘップバーンの素晴らしき遺産」(1951)を観たのだが、なかなか、佳作でとくに「初恋」が素晴らしかった。

オードリーが垢抜けないが、やはり彼女はスレンダーラインのスタイルを活かしたジバンシイの衣装に包まれて魅力を発揮できるのではないだろうか。

オードリーのダンスシーン、バレリーナシーンなども見ることができる。オススメである。2023.6.18
藤原芳明さん (8g07wmfj)2023/8/17 11:26削除
「大島渚作品とわたし」 藤原芳明 

1.はじめに
 先日(8/3(木))東京 京橋の国立映画アーカイブで開催の「展覧会 没後10年 映画監督 大島渚」へ行った(展覧会は8/6に終了)。1971年頃、5歳上の次兄(S26年生まれ)が大島の初期作品を何本か(『青春残酷物語』や『日本春歌考』など)観ておもしろかったと褒めていた。それからわたしもこの監督の作品を観るようになった。以下に大島渚作品について感想を短く述べる。

2.大島渚の位置づけ、評価
 ウィキベディアによると、ゴタール監督(最近亡くなった)は大島渚の『青春残酷物語』(1960)を本当の意味でヌーヴェルヴァーグの最初の作品と評価している。また黒澤明は生前、大島の才能を高く評価し、日本の次代を担う映画監督として期待していたと云う。

3.わたしが観た大島作品
 わたしが映画館で観た最初の大島作品は『夏の妹』(1972。わたしは高校2年)。この作品は公開年にちょうど返還された沖縄がテーマで、大島にしては凡作と評されることが多い。当時新人だった栗田ひろみが可愛かったので観に行ったのだろう。以降の作品は(『マックス、モン・アムール』(1987)を除き)すべてリアルタイムに映画館で観た。(ちなみに『夏の妹』は最近WOWOWで約50年ぶりに観た)

 初期作品には社会的テーマをするどく突き付けたものが多い(『青春残酷物語』、『日本の夜と霧』(1960)、『絞首刑』(1968)など)。作風の大きな変換点は『愛のコリーダ』(1976)だろう。これ以降、大島はさまざまな「愛」のかたちを一貫して描き続けた。男女の愛欲の明暗(『愛のコリーダ』、『愛の亡霊』(1978))、男と美青年のあやしい愛(『戦場のメリークリスマス』(1983)、『御法度』(1999))、果ては人間の女(演じるのはあのシャーロット・ランプリング)とチンパンジーのオスの愛まで(『マックス、モン・アムール』)。
 
4.大島渚の最高傑作は?
 さまざまな意見があると思うが、『愛のコリーダ』を推す評論家もいる。ただし日本で最初に公開された映画は原形をとどめないほどズタズタに修正・編集されたもので問題外。ほぼ原形に近いもの(ただしボカシ修正あり)をわたしがビデオで観たのはずっと後年である。
 わたしは大島作品をすべて観たわけではないし、最高傑作を判断する資格もない。しかし好きな作品ならばいくつかある。

 ひとつは日本の土着的な男女の愛の姿を描いた『愛の亡霊』。不倫関係にあったせき(吉行和子)と豊次(藤竜也)がせきの夫 儀三郎(人力俥夫。田村高廣)を殺し、死体を古井戸に隠す。しかしやがて儀三郎の亡霊が現れて…。亡霊になった田村高廣の演技がすばらしい。映画のなかに回転する車輪がアップになるシーンがある。これは田村の父親 阪東妻三郎の名作『無法松の一生』(1943。阪妻は人力俥夫の松五郎役)へのオマージュだろう。大島は、『愛のコリーダ』が愛の華の部分を描いたとすれば『愛の亡霊』では愛の茎も根も描いた、と言っている。

 もうひとつは、あやしい美しさを漂わせた『戦場のメリークリスマス』。ビートたけし(ハラ軍曹)、坂本龍一(陸軍大尉ヨノイ)、デヴィッド・ボウイ(陸軍少佐ジャック・セリアズ)などの素人を使った巧みな演出、当時としては新しいテーマ(例えばヨノイとセリアズは立場を越えて互いに惹かれあう)と高い美意識、坂本の音楽など、強く印象に残っている。
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管理者さん (8nj60pct)2023/3/7 06:32 (No.721487)削除
課題映画、第14回文横映画好きの集い(旧作)(2023年5月21日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
管理者さん (8nj60pct)2023/3/7 06:39削除
アメリカン・ビューティー(1999)監督: サム・メンデス
以降、幹事のテーマを記載後、皆様の書き込みをお願いします。
山口愛理さん (8nj60pct)2023/3/7 07:15削除
アメリカン・ビューティーの課題についてです。

1 好き嫌い関係なく、印象に残ったシーンはありますか?
2 この映画は名言、名セリフが多いと言われています。あなたはどれに感銘しましたか?
3 自由に感想をどうぞ。

以上よろしくお願いします。
遠藤さん (8nj60pct)2023/3/7 09:15削除
1 好き嫌い関係なく、印象に残ったシーンはありますか?
あらゆるシーンが印象的である。

①レスターはチアリーダーで娘と一緒にダンスをするアンジェラに一目惚れするシーン。

②リッキーは父に隠れて麻薬の売人をし、隣の様子を盗撮して覗き見ているシーン。
そんな不気味なリッキーに関心を持つジェーン。

③ガレージで筋トレをするレスターのもとにずぶ濡れのフランクがやってくる。
突然フランクにキスされ、彼がゲイだと悟ったレスターは、なるべく傷つけないよう“誤解だ”と告げるシーン。

④レスターとアンジェラはリビングで二人きりとなり、ついにレスターの妄想は現実となる。
しかし、アンジェラが初めてだと知ったレスターは彼女を抱くことをやめ、父親の顔を取り戻すシーン。

2 この映画は名言、名セリフが多いと言われています。あなたはどれに感銘しましたか?

「今日という日は、残りの人生の最初の一日」
妻も娘もいるただの中年男性が、25歳も年下のアンジェラに惹かれ、変わっていく。自分で自分を励ますかのようにレスターが呟いたセリフ。始めるのに遅いことはないのだから、いつだってスタートできると自分自身に言い聞かせる。


3 自由に感想をどうぞ。
いかにもアメリカ映画という印象。
単純、笑える、大胆、パワフル。
アメリカが抱えている「リストラ」「セックスレス」「不倫」「同性愛」「麻薬」「銃」「親子関係の崩壊」「虐待」がこれでもかというほど散りばめられている。
途中の枯葉が舞い散るシーンは、「フォレストガンプ」を彷彿させる。どこか似た映画だと思った。
阿王 陽子さん (8kvydqc8)2023/4/9 16:47削除
「アメリカン・ビューティー」感想
         阿王 陽子
(1)好き嫌いに関係なく、印象に残ったシーンはありますか?

→ダンスの発表の時にアンジェラにスポットライトが当たり、薔薇の花びらが舞うシーン。

→またレスターがダンベルで運動しているのを、隣家のリッキーが録画するシーン。


(2)この映画は名言、名セリフが多いと言われています。あなたはどれに感銘しましたか?


→In less than a year,l 'll be dead.

→冒頭にレスターが語るシーン。「サンセット大通り」(1958)を踏襲しているそうで、主人公が自分の死を冒頭に予告している。


(3)自由に感想をどうぞ。
→二十年ぐらい前の学生時代、友人と見て、気持ち悪い映画だと思ったが、今回ひさかたぶりに見て、やはり気持ち悪い映画だと思った。
ケビン・スペイシーの名演技や、アネット・ベニング、クリス・クーパー、ソーラ・バーチなどがうまい演技をみせているこの映画、タイトルはアメリカン・ビューティー「アメリカの美(美人、美しさ)」とあるが、それが指すのはなにか。
アメリカの美、家庭の円満、男女の健全な交際、規律規範、アメリカの美が崩れていく様子が描かれる。
アメリカン・ビューティーのひとつである美人は、処女であり、自信がなく、大人っぽく見せようとしていままでセックスに派手だったと話していたのが最後にわかり、レスターは君は美しいと話す。
実はゲイである隣家の大佐にキスされるが、拒んだため、大佐に射殺されるのだが、ラストシーンで、ジェーン、キャロリン、と娘と妻キャロリンを思い、

「僕に起きたことについては、確かにかなり腹を立てることもできる、、、でもこの世界にこれほどたくさんの、美しいものがあるというときに、腹を立て続けるのは難しい。(中略)僕の中を、美が雨のように通り抜ける。僕の、愚かなつまらない人生の、瞬間瞬間に対する感謝の気持ちがいっぱいになる、、、あなたには僕が何を話しているのか、きっと見当もつかないことだろう。でも、ご心配なく。あなたもいつか、わかりますよ。」

と、終わる。
アメリカン・ビューティーとは薔薇の品種のことらしく、映画の中でも薔薇が何回も登場するが、アメリカン・ビューティー、アメリカの美しさとは、やはり平凡な中流階級の家庭人の家族の愛情である、のだろう。

なお、名セリフが多いと課題にあったため、「映画で覚える英会話アルク・シネマ・シナリオシリーズ」の『アメリカン・ビューティー』(2000年・アルク英語企画開発部・編)を取り寄せて、映画を見終わった後で読んだ。
石野夏実さん (8p545kat)2023/4/16 19:49削除
1999年アメリカ映画「アメリカン・ビューティー」感想
2023.   4.16 石野夏実
  
先ずは下着姿の娘の独白から始まったと思ったが、違っていた。話し相手がいた。
そして、この娘がどこにいるのかもよくわからなかったが、隣に越してきた同じ高校に通う男のコの部屋のベッドの上での会話だったのだと、のちの場面で知る。

高校のチアダン仲間の同級生に、自分の父親が突如エロくイカレてしまった嫌悪から「あんなパパ死んだほうがまし」と言ったら「僕が殺そうか」とその男のコは言い、娘が「殺してくれる?」と返答。
怖そうな話が始まる予感のプロローグだ。

題字の「AMERICAN BEAUTY」は黒の背景に真っ赤な血の色の文字。殺す話ならば「BEAUTY」とは何?と思った。(※主人公の妻が育てている大輪の赤いバラの品種名が「アメリカンビューティー」だそうである)
妄想相手の女のコが真っ赤なバラ(AMERICAN BEAUTY) で満たされた浴槽に仰向きに入っている画は映画の中にあった。
「アメリカン」とは、ヨーロッパや日本には決して存在しないアメリカ独自のストレートな文化の強調なのだろうと、これは観終わってから確信した。

風に舞う白いビニール袋?紙袋?の転がるさまや風に乗るさまを写したビデオを「一番美しい作品を見せよう」と娘に見せながらの男のコの詩的モノローグ。
この映画のキモでもあると思うが「この世で目にする美の数々」(のうちのひとつ)とは思えなかった。観客の映画に対する評価も、おそらくこの袋のビデオ映像に対する感性も加味されるのだろう。
私は男のコの感性が理解できないわけではないが、感動はしない。

映画の始まりで区画された住宅街が俯瞰され「僕はレスター・バーナム、ここが僕の住む町、ここが僕の通り、ここが僕の生活」「今年42歳で1年たたぬうちに僕は死ぬ。そんなこと今は知らない。ある意味、僕はもう死んでいた」と主人公が自己紹介。

シャワー室の場面や、娘がバスケのチアをしている応援に行き、一緒にチアダンをしている同級生の女のコに一目ぼれでイカレテしまったこの42歳の主人公レスター。彼の放心顔を見て、その日私はビデオを観るのを放棄した。

頭のなかでのキャッチコピーは「イカレタおやじのエロドタコメディ時々真実」が浮かんだ。しかし、どんな映画にも真実は必ず入っているのが真実と思い直しもう一度、日を改めて画面に向かった。ネトフリでも配信されていたのでこちらで観た。

ひとり娘は16歳。娘と同い年で親しくしている女のコに対し、イカレル親父がいるだろうか。
男性から見れば、若いコに目が行く中年オヤジの気持ちも理解できるであろうし若さは何ものにも代えがたいけれど、好演のレスター親父=ケヴィン・スぺイシーはやはり変態系の味。
心で思って悩んで妄想だけにしておかないのが、1999年のアメリカ映画のようだ。レスターは小娘に好かれるよう、すぐさま肉体改造に励む。

主人公に関し、フランス映画なら崩壊する中年男を見つめる映像を工夫するかもしれないし、日本映画なら会うのを避け環境を変える設定もあるだろう。
アメリカ映画は概ねストレートで単純だ。主人公は、悩むことなく己に課したミッションを遂行する。

ゲイの話も中途半端であるし、不動産仲介業のレスターの妻はお粗末すぎるし、
彼の妄想も妻への欲求不満がかなりあるのだろうが、それは積もりに積もっていて、今に始まったことではなかった。レスターは、リストラ対象候補になったことで自分を解放する道を選んだ。学生時代のアルバイトだったハンバーガー屋の店員は大好きな仕事だったから、退職後はそこで働きだした。内面の葛藤に拘らないのがアメリカ映画なのだろう。こちらが深読みするほどの深刻さが伝わらない。ここまでは、まだコメディータッチ。

隣家の主人は、退役軍人で超カタブツだ。時には息子に暴力をふるう、反省はするが。息子は大麻や薬物を親に隠れて売っている。自分でも使っているし(病院にも入っていたので学年が遅れている)レスターにも高級品を売ったりして、けっこうチャッカリしている。父親の扱いも手慣れたものだ。引っ越してきた時から娘やレスターをビデオで隠し撮りしているこの男のコも変態だ。

息子とレスターが恋愛関係にあるのではないかと疑った退役軍人(隠れナチファンで隠れゲイ)であったが、ゲイである自分をレスターに受け入れてもらえなくて混乱し、ピストルでレスターの後頭部を撃ちぬいた。
実はその時、妻もレスターを撃とうとピストルをバッグにしのばせていた。
日頃の欲求不満をやり手同業者との浮気で解消していた妻は、ハンバーガー屋のドライブスルーの受け取り口で夫に現場を見つかってしまったからだ。

夕食時にはキャンドルを灯しBGMの中で家族が食卓を囲むたった3人だけの一家がバラバラに崩壊していく様は、どこかで見た光景のようでもある。
それぞれが独立した人格として互いを許容し合えば、ここまでの崩壊はなかっただろう。信頼関係は日々の積み重ねの結果であり、崩壊家族にはそれがない。
離婚という選択がすでになされていれば、レスリーは死なずにすんだかもしれない。不毛な中流家庭もなじり合いの貧困家庭も、子どもにとっては不幸な家庭だ。

ともあれ、レスターは42歳で人生を終えた。
幼い娘と若かりし頃の妻と自分の幸せそうな家族写真を眺めていたら、後頭部に銃口が当てられ血しぶきが飛んだ。
食卓に横向きに顔を乗せ目を開けたままだった。これで終わっても未練はないのだろうか。俳優スペイシーの眼差しは、独特だ。どのようにも解釈できる。
懐かしい家族写真を微笑みながら見ていた時に突然背後から撃たれ、そのままの状態で即死だったから、目を開けたままストップしていたのだろう。
突然の死は、若ければ若いほど、瞬時に生涯が走馬灯のように巡るとも言われている。

死の表情で、やっと余韻を残す場面がラストに出てきた映画になった。
最後の「死の一瞬の話」のナレーションは不要だ。無言で映像を流しながらラストにすればいい。 
チアダン少女が、経験のない頭でっかちの普通の女の子だと知って、我に返った42歳の中年オヤジの突然の死は、すべてが誤解から始まった帰結なのだった。
 
1999年は、アメリカ映画の当たり年といわれた。「マトリックス」(キアヌ・リーブス主演)も「ボーイズドントクライ」(前回の指定映画「ミリオンダラーベイビー」のヒラリー・スワンク主演)も公開された年だ。その他も話題作多し。
この映画が、アカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞、撮影賞の5部門を受賞とのこと。
私はこの頃から仕事をセーブし、再び映画館に足を運ぶようになっていた。
中途半端な映画でアメリカンな映画が、他の話題作を押しのけた年だった。
後付けはいくらでもできる。よほどのことがない限り、映画鑑賞はいちどきり。
観ながら感じた印象を最も大事にしていいのではないだろうか、と思わせた映画だった。
1995年の猟奇殺人映画「セブン」の犯人役のケヴィン・スペイシーが印象深いが、4年後はイカレタ親父でアカデミー賞主演男優受賞。
他作品にも数多く主演出演し役柄の幅も広く、名優といわれてきたが近年は複数のセクハラの告発で有名になった。それをきっかけにゲイをカミングアウトしたそうである。いかにも「アメリカン」な話だった。
清水伸子さん (8p590r59)2023/4/16 22:05削除
*印象に残ったシーン
 白い紙袋が空を舞うシーン

*名台詞だと思った箇所
 印象に残ったセリフ
 「今日という日は残りの人生の最初の日である」
 「中を舞う白い紙袋が遊びをねだる子どものように僕にまとわりついた。その日僕は知った、すべてのものの背後には生命と慈愛の力があって何も恐れることはないのだと。この世で目にする美の数々、それは僕を圧倒し心臓が止まりそうになる」
 「犠牲的人生はあなた自身が招いているのだから、力関係の問題を解消すれば恐れは全て霧散し自己中心の生活ができる。自分の行動とその結果に責任を持つことで他人の犠牲となる日々から解放される」

*感想
 主人公レスターが自分の娘の友人に欲情するという設定に気分が悪くなった。妻のキャロリンは口やかましくて物質的な面ばかりを重要視するタイプとして描かれているようだが、こんな夫婦がなぜ離婚しようとしないのかが不思議だった。隣人のフィッツ大佐も大量の銃を所蔵し、ナチの信奉者、そしてゲイを忌み嫌っているように見せながら実は自身がゲイであり明らかに妻や息子を虐待している。この妻もなぜ離婚しようとしないのか?そして息子のリッキーは内省的で紙袋が風に舞う様子を写したビデをジェーンに見せながら語る彼の言葉は美しいが、彼にしても大麻の売人として稼ぎ、死の中に美を見出している事にやはり違和感を感じてしまう。また、彼が家を出る時に「かわいそうなママ」と言いながらもなぜ母を救うとはせず、パパを頼むと言うのか?彼に惹かれるジェーンの気持ちもわからないではないが、彼らのその後はハッピーなのかと疑いを持ってしまうし、救いを感じる事が出来ない。そしてレスターが願い続けたアンジェラと、もう少しで思いを遂げられるというところで彼女が処女だと分かった途端、我に帰ったように行為をやめて服を着せ掛け、娘のジェーンの事を心配する父親の顔になるのも唐突な感じを受けた。最後、レスターが殺される直前に家族写真を見て幸せだった事を思い、キャロリンも夫を殺そうとしたにもかかわらず、殺された後で彼の服を抱き締めて泣くというのも無理があると感じてしまった。
 しかしこの作品はアカデミー作品賞、主演男優賞、監督賞、脚本賞、撮影賞を受賞している。私の作品への理解が足りないだけなのかも知れない。
山口愛理さん (8j0wh7xb)2023/4/18 17:11削除
●『アメリカン・ビューティ』(原題American Beauty)1999年米 監督/サム・メンデス 脚本/アラン・ボール
第72回アカデミー賞作品賞・監督賞・主演男優賞・脚本賞・撮影賞受賞、その他受賞多数

・はじめに(この映画を選んだ理由)
この映画はアカデミー賞をはじめ数々の映画賞を受賞している。監督のサム・メンデスは、ブロードウェイのミュージカル『キャバレー』の演出で大成功をおさめた若手の人物。監督が彼に決まった時、スピルバーグは、「彼なら映像の世界でも成功できる」と確信したとの逸話もある。
「アメリカン・ビューティ」というのはバラの品種の名前。アメリカの富と美の象徴なのかもしれない。実際、映画の中では主人公の妻がお揃いの赤いサンダルを履いて庭のバラの手入れをするシーンがある。でもその深紅の色は、恋愛、不倫、官能なども連想させ、また血の色と同じ赤色は、生命のほとばしりとともに、何か不吉なものも同時に連想させる。
私は20年近く前にビデオで観たのだが、ずっと忘れていた。先日あるクイズ番組で、1990年代を代表するアメリカ映画として、この映画のことが出題されていた。そこではたと思い出し、年代は微妙だが、今回旧作として取り上げてみようと思った。

・あらすじ
アメリカの平均的な中流家庭。一戸建てと赤いバラが咲く明るい庭。その家庭の主人である広告会社勤務の中年男レスター(ケヴィン・スペイシー)は仕事に嫌気がさす中、娘ジェーンの美しい同級生アンジェラに恋をしている。妻キャサリンは不動産の仕事をしながら同業の男と不倫の真っ最中。娘ジェーンは父親と理解しあえず反抗し、向かいの家の息子リッキーと付き合う。リッキーはマリファナ歴があり、彼が考える独特な美しいものをビデオにおさめる趣味がある。リッキーの父親バディは妻と息子を暴力的に支配し、ホモセクシュアルを嫌悪している男。危ういながらも、これらの関係はなんとか成り立っていた。しかし、ある事件が起きてから、その人間関係の均衡が徐々に崩れていき、レスターの死という思いもよらない結末が待っていた。

・テーマについて及び私の感想
1.印象に残ったシーンは。
リッキーが撮影した宙を舞う白いビニール袋の映像。初めにこの映画を観たのは何十年も前なのに、なぜかこのシーンだけは脳裏に焼き付いていた。私はこのシーンを観た時、平家物語の「……猛き者も遂には滅びぬ。ひとえに風の前の塵に同じ。」という文言が浮かんだ。実際には、リッキーが撮影した美しいものの極致といった位置づけなのだが。彼はこの映像の何に美を感じたのか。15分間も風に舞いながら抗いながら、カメラフレームの中に存在するビニール袋。生きとし生ける者の危うさの象徴としての美と感じたのだろうか。
初めはいかにもアメリカンなコメディタッチのこの映画は、ラストに向かうにしたがって深刻度を増し、奥深くなっていく。ラスト、主人公のレスターに死が訪れるのだが、彼の脳裏に走馬灯のように駆け巡る映像とともに流れるレスターの独白のようなナレーションのシーンは非常に印象的だ。そこには諸行無常的な観念もあるのだが、ありのままの心に戻って穏やかになっていくレスターの姿があると思った。

2.感銘した名言、名セリフは。
「今日という日は残りの人生の最初の日である」
これはこの映画のオリジナルではなく、1960年代のアメリカで流行した「Today is the first day of the rest of your life 」という格言で、薬物中毒患者救済施設の設立者であるチャールズ・ディードリッヒの言葉を引用したものらしい。実に素晴らしい言葉だと思う。
・リッキーが例のビニール袋の映像をジェーンに見せる時に言うセリフ。
「すべてのものの背後には、生命と慈愛の力があって、何も恐れることはないのだ」
・ラストシーンで流れるレスターの独白ナレーション。
「死の一瞬。全人生が目の前をよぎると言われている。しかし、その一瞬は一瞬ではないのだ。それは大洋のように果てしなく広がる時間。~中略~ 美のあふれる世界で怒りは長続きしない。体の緊張を解くと気持ちは雨のように胸の中を流れ、感謝の念だけが残る。僕の愚かな、取るに足らぬ人生への感謝の念が。大丈夫。いつか理解できる」

3.自由感想
アメリカの平凡な中流家庭が抱える不倫問題や親子関係の問題点を描き、初めは昔の日本のドラマ「岸辺のアルバム」みたいだと思っていた。ところが次第にコメディタッチになっていき、後半徐々にミステリー色が濃くなったと思ったら、ラスト15分、一気にサスペンス風の展開になり思いもよらない衝撃的な幕切れとなる。
際どいセリフやシーンも多いのに、全体的に流れるトーンは静寂で詩的かつ哲学的。この一筋縄ではいかない演出が出色だと思った。監督の演出と脚本の秀逸さに圧倒された。
多くを語らず想像にゆだねる省略した映像も良い。例えば、レスターが殺されるシーンではレスターの穏やかな横顔に向ける銃口のアップが映るだけ。また、ジェーンやキャロラインが死体となったレスターを発見するシーンは無く、ただ妻がクローゼットで夫の衣類を両手で抱きしめるシーンのみ、などなど。
娘のジェーンも友人の美少女アンジェラも虚飾を捨て素直にありのままに生きようとし、レスターの心も穏やかになったその時、皮肉にも死が訪れる。妻はそこで初めて夫の大切さを知ることになる。風に舞うビニール袋のような、危うい重みの無い現代アメリカの中流家庭像。その崩壊の過程の表現が見事だ。
藤原さん (8g07wmfj)2023/4/19 21:42削除
旧作品 『アメリカン・ビューテイ』(1999年 サム・メンデス監督) 藤原芳明

1.はじめに
 チャップリンは「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」といったそうだが、この映画はその逆だ。登場人物たち一人ひとりのありようはコメディタッチで描かれるが、全体を引いた視点(ちょうど冒頭の空撮映像のように)で俯瞰すればこの映画はアイロニーに満ちており、無邪気には笑えない。この映画では喜劇と悲劇がコインの裏表である。軽い笑いをねらった軽喜劇に対して、シリアスなテーマを含む重喜劇ということも可能だろう。ただし映画全体のテイストは軽さを基調としている。なお、本作品中にはアメリカ人ならげらげら笑えるジョークやギャグが随所に盛り込まれているらしいが、残念ながら私にはそのおかしさがよくわからなかった。

2.映画のテーマについて
 主人公レスター・バーナム(42歳)の家庭は一見どこにでもありそうなアメリカの中流家庭である。家族は会社員の夫(レスター)、不動産販売の仕事をもつ妻(キャサリン)、ハイスクールに通う娘(ジェーン)。しかし夫婦関係、親子関係は救いがないほどに冷めている。このバラバラな家族が見かけだけ取りつくろって一緒に生活する姿は滑稽でもあり、痛ましくもある。レスターは娘の同級生アンジェラとの疑似恋愛を妄想し、妻キャサリンは冷え切った夫婦関係のフラストレーションを同業の成功者との浮気で発散、娘は隣人のストーカー青年(リッキー)に惹かれてゆく。
 この映画が描くのは、アメリカの(日本でも同じだろうが)家庭や職場で繰り広げられる取りつくろわれたまやかしの姿であり、その偽善の薄皮を一枚剥がせば欲求不満で膨れあがった生身の人間がいるという現実なのだろう。では自分にとって「本当に美しいもの」とは何か? そんなことを問いかけている映画だと思った。真っ赤な薔薇の花びらや、小さなつむじ風に舞い踊るごみ袋などが象徴するものは何であろうか。

3.課題について
(1)印象に残ったシーン
 映画のなかで間接的な映像を多用しているのが印象的だった。たとえば 
 ①リッキーが録画したジェーンの映像(父親を殺してくれる? とカメラに語りかける)
 ②リッキーがビデオで撮影中のジェーンの姿(道を隔てた向かいの二階窓際に立つ)がリッキーの部屋のTVモニターに映されているシーン
 ③通り向かいの二階部屋から見ているリッキーへ、自分の部屋の鏡に映ったジェーンが笑いかけるシーン(ジェーンは窓に背を向けている)

(2)記憶に残る名セリフ
 不動産販売の成功者(役名失念)がキャサリンを口説く場面でのセリフ。「成功を目指す者はどんな時も幸せのイメージを保つことだ」。つまり、いま自分が幸せに見えるのはポーズであって、じつは自分と妻はうまくいっていないと暗にほのめかし、キャサリンを誘惑している。このセリフは映画全体のテーマ「取りつくろわれたまやかしの姿」を象徴するものだろう。

4.娘ジェーンのキャラクター
 親や世の中をシニカルに突き放して見ている娘ジェーンは、キャラクターも容姿も『アダムス・ファミリー』の長女ウェンズデーを連想させる。ジェーンの恋人になるリッキーも、死体を愛好するなど滑稽なほどに薄気味悪く描かれている。もう少しコメディ色を強調すれば、リッキーもウェンズデーの恋人役としてそのまま『アダムス・ファミリー』で使えそうだ。

5.ケヴィン・スペイシー
 達者な役者であることは間違いないが、『セブン』(1995。デヴィッド・フィンチャー監督)や『ユージュアル・サスペクツ』(1995)のケヴィン・スペイシーを観て以来、私は彼に対してどこか信用できない不気味さを感じてしまう(もちろん彼の役柄のせいなのだが)。私生活では、本人はゲイであることを明かしている。また最近、性的暴行の疑いで複数の男性から訴えられているらしい。そんなゴシップも彼の印象に影響しているかもしれない。
藤野燦太郎さん (8j4tkzsk)2023/4/30 22:25削除
アメリカンビューティ 藤野

どんな会社でも少し景気が悪くなれば、社員の何割かはすぐにリストラ対象になってしまう。
家庭では娘に嫌われ、会社経営に夢中の妻とも不仲である。忍耐の塊のような男が、ある日娘の親友に恋をしたという設定。これだけなら非常識さばかりが目立って映画は成立しないが、以下のように4つのことが同時に起こっていくので、観客は複雑な気持ちになりながらついていく。
市民が常に新しい強い刺激を求めていて、これに応えようと映画界が、異常な設定競争をしている。これはアメリカ人の精神構造がゆがんできているためなのでしょうか?

リストラされるレスターと娘の親友少女の関係(ロリータ)
妻キャロラインと顧客男性との関係
娘ジェーンと隣のサイコパスな少年の関係(ストーカー)
息子リッキーをレスターがゲイにしたと怒る父親フランク(ゲイ)

この4つの関係はほぼ同時進行で起こり、そのうち3つにロリータ、ストーカー、ゲイといった現代的要素なので、より複雑な展開になっている。不快感の残る映画。
もちろんこの不快感こそが監督の狙ったものなのでしょう。

1. 印象に残ったシーン
a.いつも硬い表情で、瞬きしない男。このリッキーが死んだ鳥を撮影し、美があると話す。
まだ高校生なので、サイコの予備軍だが、これが怖い。
b.ばらで埋め尽くされたバスに横たわるアンジェラ

2. 名セリフ
「今日という日が、残りの人生の最初の日」
リストラの恐怖で沈んでいたレスターが、再び息を吹き返して、生き直そうとする。

3. この映画は名セリフあまりないが、誌的なナレーション、誌的な独白がいくつもある。
この部分に観客は惹かれているし、自分も強い印象を持った。
風に舞うビニール袋のシーン
ラストのナレーション
池内健さん (8qbh6yx3)2023/5/16 11:21削除
初参加です。「映画好き」といえるほど映画はみていませんので課題作の大半は初見になりますが、事前の予備知識なく作品自体に向き合いたいと思っています。

 「アメリカン・ビューティー」はサイコ物のような雰囲気で始まりますが、次第に登場人物がそれぞれに抑圧された生活に疲れていることがわかります。社会的な成功、つまり人にうらやましがられる生活を維持したいという強迫観念を抱える妻キャロライン、いまいち出世できずに妻から相手にされない夫レスター、夫婦仲の悪さにうんざりする娘ジェーン、強権的な父親と抑鬱的な母親のもと二次元(ビデオ)の世界でなんとか正気を保つ高校生リッキー……。唯一穏やかな表情を浮かべているのは同性愛者カップルだけ。世間の目を気にせずありのままの自分でいられることが一番の幸せだというメッセージだと思いました。
 主人公レスターはリストラをきっかけに、本来の自分を探す「旅」にでます。その行き先は高校時代。ハンバーガーショップで働いたり、学園のアイドル・アンジェラと付き合うため体を鍛えたりと、青臭い青春時代のプロセスを追体験します。やがて念願かなってアンジェラを手に入れますが、最後の一線で踏みとどまった。好きな子をゲットするプロセスこそが癒やしであり、そこで「旅」の目的は達成されたからです。隣人フランクに殺されなければ、もう一度家庭に戻ってやり直せたのではないかと思いますが、そうなると安易なハッピーエンドで映画としての深みがなくなったのではないでしょうか。

1 好き嫌い関係なく、印象に残ったシーンはありますか?
「風に舞うビニール袋」
 地上の重力にとらわれず、きままに揺らぐ。一般的には殺風景だとか、ゴミをほったらかしにしてだらしない、とか評されるはずの現象を、そうした一般常識にとらわれずに「美しい」と言えるようになりたいと思いました。映画のタイトルは「アメリカン・ビューティー」ですが、このシーンはむしろ日本的な「わびさび」の美じゃないでしょうか。だからこそアメリカでは「気持ち悪い」高校生の特異な美意識と位置づけられるのかもしれませんが。

「レスターに口づけするフランク」
 同性愛への嫌悪感を隠さない元軍人のフランクが、実は同性愛に苦しんでいたとわかって衝撃的でした。家族への抑圧的な態度も、本来の自分とは異なる「あるべき父親像」に過剰に束縛された結果だったわけです。仮にフランクの誤解通りレスターが同性愛者であればフランクも救われたのでしょうか……。

2 この映画は名言、名セリフが多いと言われています。あなたはどれに感銘しましたか?
 Today is the first day of the rest of your life.

3 自由に感想をどうぞ。
 同性愛も大きな要素となっている作品ですが、主演のケビン・スペイシーが後に同性への小児性愛スキャンダルで失脚したことを知っているだけに、どういう気持ちで演じていたのかが気になってしかたありませんでした。
阿王 陽子さん (8qifujs5)2023/5/21 08:17削除
参考書を読んだところ、キャロリンが家族と食事中流す音楽は、『バリハイ(ミュージカル南太平洋の主題歌)』でキャロリン好みのムーディーなロマンチックな音楽。一方、不動産王と浮気したあとは、『ドントレインオンマイパレード』という、ボビー•ダーリンの「人生は楽しいことでいっぱいだ。その楽しみを邪魔するようなことはしないでくれ」というポップで、キャロリンの心情が反映されている。



また、アンジェラの出た「セブンティーン」は1944年創刊、アメリカで最初にして最大の若い女性向け雑誌であり、アメリカの12歳から19歳の87%の月刊公称1390万部をほこる大人気雑誌だそうだ。



また、ケビンスペイシー演ずるレスターのモデルは、ビリーワイルダー監督の『アパートの鍵貸します』のジャックレモンの「バディーボーイ」ことCCバクスターであることは、『アメリカン・ビューティー』監督サム・メンデスが公言しまたケビンスペイシーとジャックレモンは親密な友情関係であったそうである。あと、冒頭の主人公が死を予言して始まり、終わるのは同じくビリーワイルダー監督の『サンセット大通り』へのオマージュともいえる。
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返信11
管理者さん (8nj60pct)2023/3/7 06:31 (No.721486)削除
課題映画、第14回文横映画好きの集い(新作)(2023年5月21日)について、テーマに続き感想を自由にお書込みください!
管理者さん (8nj60pct)2023/3/7 06:41削除
ルーム(2016)監督: レニー・エイブラハムソン
以降、幹事のテーマを記載後、皆様の書き込みをお願いします。
清水 伸子さん (8nj60pct)2023/3/7 07:13削除
1. 印象に残ったシーンを教えて下さい

2. 魅力を感じた登場人物はいますか?

3. 主人公の女性が最もつらかったのは、何だと思いますか?

以上の3つの点以外でも、自由に感想を教えて下さい。
遠藤さん (8nj60pct)2023/3/7 07:45削除
ルームはフリッツル事件を基に書かれたエマ・ドナヒューの小説『部屋』を原作としている。

1. 印象に残ったシーンを教えて下さい。

 ママとオールドニックの声で夜に目が覚めてしまったジャックはクローゼットから出てきて、男の寝顔をみてみようとする。その時、男が目を覚まし、ジャックに触れようとした男に抵抗したママが首を締められてしまうシーン。

2. 魅力を感じた登場人物はいますか?

 5歳の男の子ジャック(ジェイコブ・トレンブレイ)
幼いながらも健気な所は好印象である。

3. 主人公の女性が最もつらかったのは、何だと思いますか?

 テレビの取材を受け、ジャックの父親のことやジャックを自由にする方法があったのでは? という質問を受け苦悩する所。そして、その夜、自殺を試みる場面。

 以上の3つの点以外でも、自由に感想を教えて下さい。

 同時期に「ガール・イン・ザ・ベースメント」を観た。このルームとよく比較されると聞いていた。冒頭部分は部屋での親子の監禁生活となっており、ガール・イン・ザ・ベースメントと酷似する。ただし、救出された後の話がルームの特長である。
 ルームでは救出後の親子の葛藤、両親との葛藤が描かれており、被害者のトラウマがテーマになっている。
 似ているが、焦点の置き方が違うと感じた。
阿王 陽子さん (8kvydqc8)2023/4/9 16:58削除
「ルーム」感想  阿王 陽子

(1)印象に残ったシーンを教えてください。
→「ルーム」の中でバスタブにジャックがいてお母さんがとれた自分の虫歯を渡すシーン

(2)魅力を感じた登場人物はいますか?
→ジャック(子役)


(3)主人公の女性が最もつらかったのは、何だと思いますか?
→一、監禁されながら息子を励ましながら暮らしたこと
二、自分を監禁した男の息子であるジャックを自分の実父でジャックの祖父にあたる実父が見てくれなかったこと
三、インタビューなどで心無い言葉を向けられたこと

暗くつらい映画なため、なかなか陰鬱な気持ちになった社会派映画だったが、脇役に見たことのある俳優、女優が出ていたので、なんとか最後まで見た。しかしなによりも素晴らしいのは子役の悲しいまでに純粋な名演技である。
清水 伸子さん (8ixz4w01)2023/4/12 17:27削除
映画「ルーム」について 
*公開日:2015年9月15日(カナダ)
*監督:レニー・アブラハムソン
*原作者:エマドナヒュー
*アカデミー主演女優賞受賞、アカデミー作品賞・脚色賞・監督賞ニミネート
*トロント国際映画祭観客賞受賞、バンクーバー国際映画祭最優秀カナダ映画賞
 ゴールデングローブ主演女優賞・作品賞受賞、英国アカデミー女優賞受賞

あらすじ
 「昔々僕が下りて来る前、ママは毎日泣いてTVばかり見てゾンビになった。そして天国の僕が天窓から下りてきた。ママを中からドカンドカンて蹴ったんだ。僕が目をぱっちり開けてじゅうたんに出てきたら、ママがへその緒を切って“初めましてジャック”というジャックの声で物語が始まる。17歳の時下校途中で誘拐され7年間納屋に監禁されたジョイ(ブリー・ラーソン)は、その間に一人で男の子ジャック(ジェイコブ・トレンプレイ)を出産し育てている。狭い納屋の中でオールドジャックと呼ぶ誘拐犯に生活を頼るしかない彼女は、それでも卵の殻をつなぎ合わせておもちゃを作ったり、工夫してストレッチや運動をさせ、ジャックの5歳の誕生日にはケーキも焼く。けれどジャックは誕生日ケーキにはろうそくがないとダメだと大声で主張する。色々な事が分かり主張するようになったジャックをこのまま納屋で育てるわけにはいかないと思ったジョイはジャックに脱出計画を告げる。計画は成功し、熱心な婦人警官はジャックの言葉を頼りに納屋を特定し、誘拐犯を逮捕してジョイも無事に救出される。
 しかし、二人を待っていたのは単なるハッピーエンドではない。ジョイの両親と再会するが、両親は離婚しており遠くに住む父親は飛行機でかけつけたものの誘拐犯との間にできたジャックの存在を受け入れる事が出来ないまま帰ってしまう。狭い部屋、母親、それにオールドニック、小さな天窓に切り取られただけの外界がすべてだったジャックにとって外の世界は強い光や見知らぬ大勢の人々に驚きなかなか適応できずスマホで遊ぶばかりだ。そんなジャックの様子に苛立ち、声を荒げるジョイ。収入を得るために出演したインタビュー番組で、「ジャックが大きくなったら父親の事を話すのか?」「犯人に頼んでジャックを病院の前に置いてもらえば彼は普通の子ども時代を過ごせたのでは?」などと言われた事が更に彼女を追い詰め自殺を図ってしまう。しかし、祖母とそのパートナーのレオの優しさに支えられて徐々にジその髪を切ってもらい、ジョイに届ける。ジョイも元気になって戻ってくることができ、最後にジャックの頼みでふたりは”ルーム“に行き、ジャックは「さよなら植木」「さよなら洗面台」「さよなら…」と5年間暮らした部屋にきちんと別れを告げる。

①印象に残ったシーン
 ・ジャックが初めて部屋の外に出て、広く青い空をおどろきながら驚きながら見上げているシーン
 ・最後にジャックが部屋に別れを告げるシーン
②ジョイにとって自殺を図るほど辛かったのは
 ・インタビューを受けたことで、狭い部屋の中でせいいっぱい精一杯ジャックを守り育ててきたつもりだった自分を否定されたように感じたのではないか           と思った
③魅力を感じた登場人物
 ・ジャックの存在が圧倒的


感想
 ジョイとジャックの生活や心のありようをとても丹念に描いていて、何度観ても新しい発見があり感動してしまう。傷ついた人の心にずかずか立ち入っていくことがどれほど危険なことか、また反対に距離をとりながら、そっと見守る事の大切さも身に染みて感じた。


藤原芳明さん (8g07wmfj)2023/4/21 13:16削除
新作 『ルーム』(2016年 レニー・エイブラハムソン監督)感想 藤原芳明

1.はじめに
 私はこの映画をまったくの予備知識なしで観た。そのため映画の冒頭からかなり長い時間、自分がなにを見せられているのかわからず、ずっと落ち着かない状態のままだった。開始から30分ほど経って、母親ジョイが5歳の息子ジャックに自分たちの置かれている状況を説明するのを聞き、ようやく事態が理解できた。それからは映画の展開に引き込まれた。このストーリーが実際の事件をベースにしていると知り、その残酷さに唸らされた。この驚くべき物語を、観客が無理なく共感できる感動的な作品に仕上げている。

2.課題について
(1)印象に残ったシーン
①ジャックが「ルーム」から脱出する場面
死んだふりしてカーペットに巻かれたジャックが男の運転するトラックの荷台から必死で逃げる場面。どうか逃げのびてくれと願わずにはいられなかった。脱出方法が、無実の罪で14年間投獄されたエドモン・ダンテスの脱獄を真似ているのも象徴的だ。
②実の祖父と祖母の再婚相手
祖母ナンシーの家に引き取られたジョイとジャック、二人に実の祖父ロバートとナンシーの再婚相手レオをくわえた家族全員でテーブルを囲む場面がある。ロバートはジャックを直視できないと席を立つ。ジャックは娘の子であると同時に犯罪者の子である。ロバートはその事実を容易に受け入れられないのだ。一方レオは血のつながりがないだけに、かえって拘りなく自然にジャックと接することができた。この対照的な二人の描写にリアリティがあった。

(2)魅力を感じた登場人物
①逃亡してきたジャックを保護し、ジャックのわずかな言葉から犯人の住居を推理した有能な女警察官
②ジャックと適切な距離感を保ちつつ、少しずつジャックの心をほぐしてゆくレオ

(3)主人公ジョイが最もつらかったのは?
①もちろんジョイにとって監禁された7年間は悪夢の日々だったはずだ。ジャックが生まれてからの5年間は息子を守り抜くことが自分の使命と言い聞かせて耐えてきたのだろう。
②解放された後、TVインタビュアーに、ジャックを外部の誰かに託さず自分で育てる選択をした点を非難され、そのことも彼女を傷つけた(その後ジョイは自殺を図る)。

3.ジャックとジョイにとって「ルーム」での5年間
 この部屋だけが世界のすべてであるジャックにとって、生まれてからの5年間はどう感じられただろうか。外界を知っているわれわれの眼、あるいはインタビュアーの興味本位な眼からは「可哀そう」と映るかもしれないが、外界を知らないジャックにとってはそれが不幸だとの意識はなかっただろう(別の世界と比較しようがないから)。幼いこどもにとって24時間母親と一緒にいることはむしろ幸福なことかもしれない。ジャックにとってこの部屋は拡大された母の胎内だったはずだ。このため、ジャックは映画の最後にもう一度「ルーム」に戻りたいと思ったのだろう。
 脱出に成功し祖母の家で新しい生活を始めたジャックは、最初は戸惑いながらも次第に世界に適応してゆく。幼いジャックが高い環境適応力を示す一方で、17歳まで普通の青春を過ごしていたジョイには、この7年間が癒しがたいトラウマになったに違いない。この母子の描き方にも無理がなく、説得力があった。
石野夏実さん (8p545kat)2023/4/21 22:34削除
2016年日本公開「ルーム」(カナダ、アイルランド、イギリス、アメリカ制作)
2023,4,19  石野夏実

 実際の誘拐監禁事件をもとに書かれた小説を原作にしている。もちろん怖い映画であったが、理不尽で悲しい映画でもあった。ラストの前を向き歩き出す親子ふたりの後ろ姿は、過去からの決別だ。
ばあばの「人は皆、助け合って強くなる」がこの映画のテーマだろう。

途切れず通して観ようと思い観始めたところ、1/3ほどのところで用事が入りいったん終了。3日後にやっと観終わった。配信は便利であるが視聴者主導のため、臨場感に欠ける。この手の映画は一気に見るべき映画だと思う。

7年間の止まった時間の中で17歳だった女子高生は24歳の母親になっていた。監禁犯との間にできた息子ジャックが5歳の誕生日を迎える日から映画は始まっていく~「ママ、5歳になった」

その子の髪が長いので、最初は女の子かと思った。とても美しく可愛い顔に驚嘆した。ママであるジョイは納屋に拉致監禁され犯され続け、その場所で男の子を生んだ。
生まれたその子の世界はひと部屋だけの物置が全てだ。下界との接点は天窓から見える小さな空だけ。普通の窓はなく、ドアは暗証番号でしか開かない。四方を壁で覆われた狭くて汚い小屋。辛うじて観られるTVだけが2次元世界のすべて。ふたりの現実の世界は遮断された部屋=ルームだけだった。

ママ=ジョイの容姿は、時間が止まっている分、幼さが残っている。
ジャックがいるから生きていられる彼女は健気だ。息子に知識や理屈も言葉できちんと教え、理解出来るように話す。モンテクリスト伯のお話も歌も歌って聞かせる。ジャックは本も読めば、絵も描ける。思考力も養われていてとても賢い。

5歳という設定のジャックに扮した、実際は8歳であったとのジェイコブ・トレンブレイは、まさに天才子役であった。
母親ジョイ役のブリ―・ラーソンは、この映画でアカデミー主演女優賞を受賞。(※因みに同年の主演男優賞は「レヴェナント蘇りし者」でディカプリオが受賞)

ジャックの顔中に熱湯で茹でたタオルをあてがい、真っ赤に火照った様子を犯人であるオールド・ニックに見せ病院に連れて行かせようとしたが失敗した。翌日、解熱剤を持ってきたニックにジャックが死んだことにして、絨毯でジャックをぐるぐる巻きにし埋葬するよう仕向けた。ジャックを外へ連れ出す作戦は成功したが、おそらく自分の命と引き換えになることも考えての決断だった。
硬直状態を保ちニックにバレずにすんだジャックは、ニックに抱えられ赤いトラックに乗せられた。ママ=ジョイから細かい指示を受けていたジャックは、荷台からの脱出に成功し犬を連れた男性に助けられた。

犯人はあっけなく逮捕され、どんでん返しも復讐もなかった。これはスリラー映画でもミステリー映画でもなかった。
その後の母子とジョイの両親(ばあばとじいじ※監禁中に離婚していた)+ばあばの再婚相手との対面。検査等入院の病院から帰り、かってジョイが暮らした家の中での描写に切り替わる。
ジョイの部屋の机もベッドも行方不明になった時のまま、ジョイとジャックを迎えた。離婚した両親のうち父親は遠方に住むようになり、ジョイが生きて帰ったことを知り飛んできたのだった。しかし父親=じいじは、誘拐犯の子であるジャックを受け入れることができないと言い帰って行った。

ジャックを否定することは娘を否定することであると思う。娘が恐ろしい極限状況の中で7年もの間壊れずに生存してきたことは奇蹟であり、無事を喜ぶべきだ。5歳の息子を守りながら必死に生きてきた娘を、今度は世間から守るのが親の愛情ではないだろうか。
ジャックは誘拐犯の息子ではなく、父親は存在する必要はなく、自分だけの息子であるとの思いで生きてきたジョイにとって、このことが理解されないことは、一番悲しいことであった。

誘拐犯が捕まってから以降の場面に、この映画は時間をかけている。その後の母子の様子や家族との繋がりを見せて、はじめてこの物語は終わることができる。


ラストの現場検証で母子が訪れた物置は、あまりにも小さな小屋だった。
初めてそのことを知ったジャックは「クローゼットも洗面台も(触りながら)、天窓もサヨウナラ」  「ママも部屋にサヨウナラして」と。
二度とあの世界の方が良かったと思うことはないだろう。
庭に出たら雪が降ってきた。手をつないで歩くふたりの後ろ姿が遠ざかりながら終わる。

プロローグが蘇る~おそらくママが何度も何度もジャックに言い聞かせていたはずのジャックの誕生物語だ~
「昔々、僕が下りて来る前、ママは毎日泣いてTVばかり見てゾンビになった。そして、天国の僕が天窓から下りてきて、ママを中からドカンドカンて蹴ったんだ。僕が目をパッチリ開けて絨毯に出てきたらママがへその緒を切って『はじめましてジャック』」って。
山口愛理さん (8j0wh7xb)2023/4/28 15:07削除
『ルーム』を観て
若い母子が部屋に閉じ込められるということ以外、詳細は一切知らずに観た映画。先入観がない分、何が起こっているのかわからない不気味さ、不穏さに入り込んで観られた。
一貫して五歳のジャックの視点に立って、この映画は作られている。

①印象に残ったシーンは?
ジャックが死体になりきって部屋から脱出するところ。生まれて初めて見る外の世界(テレビでは見知っている世界)が現実にあることの驚きを、ジャックの目から見た青空を通して生々しく表現していた。
最後にもう一度部屋に行くというラストには驚いたが、思い出の残る一つ一つの家具や天窓にサヨナラを言うことによって過去にきっぱりと決着を付けられた。なるほど、と思った。爽やかなラストシーンだった。

➁魅力を感じた登場人物は?
本当に子役とは凄いものだと思う。ジャックの無邪気さと繊細さが素晴らしかった。母親にとっては憎むべき部屋なのだが、ジャックにとっては母と自分の二人だけの世界を守ってくれた唯一の安全な場所(そこしか知らないのだから)だったのだろう。その執着から決別して成長していく様を、子役ながら見事に演じていた。
また、ジャックの言葉から部屋の場所を探し出した有能な婦人警官、ジャックにさりげなく普通に接したレオの優しさも素晴らしかった。

③主人公の女性が最も辛かったのは?
17歳で拉致された女性ジョイにとって地獄のような部屋も、ジャックが生まれてからはその存在が唯一の救いとなる居場所に変わって行ったのだろう。心の中では赤ちゃんだけでも外に出したいと思っていても、それは生きる希望を奪われるに等しいことだからできなかった。だが、その点をインタビュアーに強く突かれた時が、彼女が一番辛かった時ではないかと思った。その後精神を病んでしまうのだから。
だが、それも全てにサヨナラするというあのラストシーンによって、非常に救われる形になっていたと思う。
池内健さん (8qbh6yx3)2023/5/18 22:36削除
「ルーム」

 母親と二人、小さな納屋から一歩も外に出ずに育った5歳の少年が、驚くほど聡明に新たな世界に順応していく。若い母親が希望を失わず、物語を聞かせたり一緒にストレッチしたりとできるかぎりの愛情をそそいで育てた結果でしょう。悲惨な中にも人間の可能性を感じさせるストーリーでした。

1.印象に残ったシーン
・天窓
 部屋には普通の窓がないかわりに天窓が開いていて、何度も画面に登場します。光や雨、落ち葉で季節の移り変わりを示すだけでなく、部屋が外界とつながっていることを象徴し、観る者に救いの予感を与えてくれます。また、物語の中で部屋の位置の特定に重要な役割を果たしているのもうまいと思いました。
・ジャックがカーペットにまかれて部屋を脱出するシーン
子どもの頃、家にあった本の中で、デュマの「がんくつ王」(モンテクリスト伯)がいちばん好きでした。ジャックも、エドモン・ダンテスが死体のふりをしてシャトーディフ監獄を脱出する場面をなぞって逃げ出すことで、新たな世界を手に入れました。
・ジャックが髪を切るシーン
 自殺未遂で入院した母親にパワーを分けるため、ジャックは旧約聖書の英雄サムソンのようにずっと伸ばしてきた髪をバアバに切ってもらいます。大相撲の断髪式ではないですが、大きな世界で生きていく決意表明でもあり、ジャックがたくましく見えてきます。
・納屋を再訪したジャックが一つ一つの家具に別れを告げるシーン
 映画の最初の方で、家具たちにあいさつをするシーンがあり、これと呼応する形で、母と二人きりで過ごし、ある意味ノスタルジーの対象でもある納屋と訣別します。かすかな喪失感をともないながらも世界で生きていくための最後の通過儀礼(イニシエーション)のように映りました。

2. 魅力を感じた登場人物
・ジャック(を演じたジェイコブ・トレンブレイ)
この天才子役がいたからこそ映画が成立したと思います。

3. 主人公の女性が最もつらかったこと
・テレビインタビューで子どもをもっと早く逃がせたはずだと指摘されたこと
 母親のジョイは出演料目当てに受けたインタビューで「犯人に頼んで子どもだけでも外に出そうと考えなかったのか」「いっしょに暮らしたのは最良の方法だったのか」と指摘されて傷つき、自殺を図ります。ジョイは息子のジャックと支え合えたから希望を失わずにすみ、またジャックも母親の愛情を受けてきたからこそ健やかに成長していったのですが、その努力を否定されたように感じてしまったわけです。

4.その他
 アイルランド出身の女性作家エマ・ドナヒューの原作「部屋」は、オーストリアで2008年に発覚した「フリッツル事件」に基づいています。 この事件は、電気工ヨーゼフ・フリッツル(当時73歳)が実の娘エリーザベト(同42歳)を自宅地下室で24年間監禁し、レイプして7人の子を産ませていたというもので、救いはまったくありません。監禁場所は地下なので窓はなく、床から天井までわずか1.7メートルと狭苦しいスペースでした。物語では地下室を「天窓」のある納屋に変え、監禁犯を第三者のオールド・ニックと設定することで、かろうじて希望を感じさせる余地をつくりだしたのだと思います。
 ちなみにドナヒューは現在カナダで同性パートナーと暮らし、第三者提供の精子で出産した2人の子どもを育てているそうです。映画では主人公のジョイがインタビューで「ジャックが大きくなったら父親のことを話すか」と問われ、「犯人はジャックの父親じゃない。父親とは子どもを愛する人のこと」と答えていますが、これはドナヒュー自身の声でもあると思います。
藤野燦太郎さん (8j4tkzsk)2023/5/18 22:57削除
ルーム 感想 藤野

このような変質者的映画に羊たちの沈黙、コレクター等があるが、この映画は少し違っていた。
二部に分かれていて、

前半 納屋の一室に7年間閉じ込められた女性とその子供の生活。ゴールドニックはジョイを誘拐し、子供を産ませ、飼育し完全に支配しています。
一方のジョイはマインドコントールされ、逃げることができません。

後半 解放されたはずの二人が社会に適応できなくて苦しみます。暖かく迎えられるはずの親からは、孫にあたるジャックを見ることができないと言われます。これに対してジョイは「彼の子じゃない、私だけの子」と主張。また両親は離婚し、再婚していた。私なんかいなくても、楽しくやっていたことがわかって失望。困っている人を助けよと教えられ、犬のことで困っているあいつを助けようとして誘拐されたのだと反発する。
さらに、マスコミからは子供だけでも病院の玄関にでも置いておけば救われたのではないかと言われます。心無い言動でジョイたちは傷ついていきます。
ジャックもまた、レゴで遊ぶことができず、子供らしくないと言われる。
ジャックはついにあの部屋に戻りたいとまで言います。

後半が新しく、解放されたが二人は社会に適応できなくて苦しむ様子が詳しく描かれています。適応できなくてジョイは自殺未遂までします。

最後、この二人はどうしたら立ち直れるのか、この社会に適応するには何かが足りないと感づく。二人の結論は7年間暮らしたあの部屋に戻ること。
二人の暮らした狭い部屋で、苦しくて悲しかったけれど、一方で懐かしい部屋の家具たちにお別れの挨拶をして、区切りを付けることが必要だとわかった。
これがないと再出発できないと感じた二人は警察によって壊された納屋の一室に戻り、「さようならイス、さようならテーブル、さようなら植木、さようならクローゼット」と挨拶を繰り返す。

印象に残るシーン
1. ジャックは犯人の子供だったが、「ジャックは彼の子じゃない、ジャックは私だけの子」と主張し守るジョイ。
2. 7年間暮らした壊れた部屋に戻り、「さようなら植木、さようならイス、さようならクローゼット」とお別れの儀式をする二人。
魅力ある登場人物
ジョイ  解放されてから適応できなくて、精神が壊れていく様子が見事に演じられていた。

主人公女性のつらかったこと 
犯人の子を産むという選択をしたが、解放後親族から冷たく扱われる。
日本だったら母親が同情されると思われる。

アメリカには堕胎に関して、2つの相反する立場がある。胎児の権利を尊重して堕胎を禁じる考え、もう一つは女性を尊重して生まない権利を擁護する立場。
大統領選の際に毎回テーマとなり、激しく議論されている。
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管理者さん (8nj60pct)2023/3/7 06:46 (No.721496)削除
第14回文横映画好きの集い(自由映画)(2023年5月21日)について、ご自由に感想をお書込みください!
石野夏実さん (8nqqh1v5)2023/3/12 13:38削除
大阪梅田のシネ・リーブルで観た「エゴイスト」感想
                 2023.2.25~3.8 石野夏実
 
 監督と脚本は松永大司で俳優出身の48歳。すでに話題作を何本か撮っている。
(性同一性障害の現代アーティストのピュ~ピルを8年間追いかけたドキュメンタリー映画や「トイレのピエタ」など)
「恋人たち」の橋口亮輔監督(ゲイを公言)の映画にも出演し、また同監督の2作品の助監督も務めた。
 映画の原作は高山真の同名自伝小説。高山氏の死後に映画化され、この原作は文庫本にもなり、現在映画のヒットと反響も大きく重版中。
 この映画は元女性誌編集者でエッセイストの高山真と、その高山氏の急死した若い恋人、恋人の母親との三人の物語である。
 主人公のファッション誌編集者=浩輔〈30代)に鈴木亮平。体を売って病弱な母親との生計を立てている若者、龍太に宮沢氷魚。龍太の母親に阿川佐和子。三人共に適役で、他の俳優は思いつかないほどであったが、母親役は原田美枝子でも良かったのでは、とあとになって思った。作品も俳優陣も色々な賞を獲るのではないだろうか。

 ある日ジムのパーソナルトレーナーをしている龍太のところに、友人から紹介された浩輔がトレーニングを受けに来た。浩輔は、龍太が気に入った。龍太は若くて美しく言葉遣いも丁寧だ。
 龍太は愛想がいいが、仕事なので本当のところはどうなんだろうと、原作も読まず映画の内容もほとんど知らないまま旅行中の大阪で、時間が空いたために映画館に飛び込んだ私としては、始まりの龍太の笑顔に半信半疑であった。
 龍太は浩輔からのお金もきちんと受け取るし、お母さんへのお土産といって浩輔が帰り道で買ってくれた高級鮨も和菓子も、遠慮はするものの貰って行くからだ。ひょっとして、お母さんの話は嘘ではないだろうか、と思うほどだった。
 浩輔が騙されていなければいいけれど、と思いながら映画の進行を見守った。
龍太が浩輔のマンションから帰る時、浩輔はベランダに出て手を振る。龍太も笑顔でそれに応える。ふたりは、本当に惹かれあっているのかもしれない、と思い始めた。
 数々のドラマの中での裏切りを見慣れている私としては、こんなにあっさりふたりが両想いになっていっていいのだろうかと思った。見ているこちらが、意地が悪く素直でないのかもしれない、とも思った。
 ある日、龍太は浩輔を病弱な母親(阿川佐和子)と暮らすアパートに招いた。
以前、手渡したお鮨や和菓子のお礼を母親は浩輔に言う。龍太の話は全て本当のことだった。母親は、孝行息子が友人を家に連れてきたことをとても喜び、手作りのおふくろの味で歓待してくれた。
 
 浩輔が毎月決まった額(20万円?小説では10万円)のお金を渡すことで龍太は体を売る仕事を止め、肉体労働や料理店の下働きをするようになった。
しかし幸せな日々は長く続かなかった。ある日、ふたりでドライブに行こうと納車日の中古車屋で浩輔が待っていると、龍太の母親から携帯に電話がかかった。
 母親が龍太を起こしに行ったら、ベッドで眠ったまま死んでいたのだった。思いがけない龍太の突然の死。
お通夜の席で浩輔は、足に力が入らず腰が砕けて立ち上がれない。これほどの心理状況になっている鈴木亮平の演技は「そうなるんだろうな」と思わせるほどの大きな説得力があった。
 
 後半は、浩輔=鈴木亮平と龍太の母親=阿川佐和子のふたりが向かい合う。
病気の母を8年間の闘病の末14歳でなくした浩輔は、龍太の母親に自分の母を見る。すでに彼女は末期のガンであった。収入のあてはない。浩輔は現金の入った封筒を差し出す。受け取れないと返す母親であったが結局は有難く受け取るしかなく、この場面は、せつない。
(原作では生活保護の申請が許可される)入院している彼女の見舞いに、息子のように訪れる浩輔であった。
 見舞いの花を活け終わり、枕元での時間を過ごし、帰ろうとする浩輔に母親が「まだ帰らないで」と懇願するところで画面暗転、映画は終わった。
 となりの席で30歳前後?の男性がすすり泣いていた。最後列に近かったので、前方の様子がよくわかったが女性客が多かった。
梅田のミニシアタ―「シネ・リーブル」の2月25日の日曜日、昼の座席はほぼ満席で、すすり泣きの声があちらこちらから聞こえた。
残念ながら、私は泣かなかった。
 旅行から帰り3日後、原作の少々薄い文庫本を買って一気に読んだ。活字もやや大きく会話箇所も多いので、読了までにそれほど時間はかからなかった。
 
 観てから読んだ今回の場合は、120分の上映時間の場面の割り当てに興味があった。原作のどこを使ってどこをカットしていたか、何の描写に力を入れ強調したか、原作を変更したところは等々、思い出しながら考えた。 

 
 ひとつの出会い、ひとつの恋愛、その後ろにある家族、友人、人間関係。
思い切り本気で人を好きになることは、人生の中で何度もあるものではない。
この映画は、高山氏が最愛の恋人の突然の死〈2007年)とその母親を看取って〈2009年)から1年後に、ほぼありのままを小説にした自伝小説が原作だ。
 時間の経過を知りたくて高山氏のブログを遡って読んでみた。
単行本「エゴイスト」は2010年9月に浅田マコト名で出版され死後の2022年8月に高山真で文庫本初版発行。23年2月に4刷であるが氏の他の著作も売れているようだ。

「エゴイスト」という題名、私はしっくりこなかったので、しっくりくるまで考えるしかないと思った。
「利己主義」とは自分勝手、自分のことしか考えない、という意味合いで普段使うから、今ひとつ高山氏がつけた題名は謎なのだっだ。
「愛する人のために何かをしてあげたい」という気持ちは「エゴイスト」から一番遠い心情だと思えるのだが、果たしてこれは浩輔の「エゴ」なのか。
 最初からこの二人には金銭の関係が大きかったが、「貢ぐ」という一方的な愛情表現と言い切ることはできない関係にまでふたりの関係は進んだ。特に龍太亡き後の浩輔と母親との関係だ。
しかし、いかにふたりが恋愛と呼ぶ恋人同士であっても、絶対的に浩輔の方が年齢も収入も格段に違うので対等とは思えない。
 愛は気持ちで、気持ちは金銭で、それがなければ生活していかれない現実を浩輔は知っているからこそ、金銭を渡す。気持ちとして金銭を押し付けることは最たる「エゴ」なことなのだろうかと思ったから、高山氏は自伝小説を「エゴイスト」という題にしたのであろうか。
 しかし全く私見であるが、浩輔は、というよりカミングアウトしている女装のオネエたちは、外見を見ても自虐的なところが感じられる。攻撃的な性格は、内包されていると思うが、時々露呈することもあると思う。
 仕事を変えたことによる過労も、ひとつの大きな死因であろう龍太に対し、それは自分のエゴの押し付けではなかったかと浩輔は自分を責めているのかもしれないとも思った。
 浩輔には、龍太が母親と肩を寄せ合って生きている貧しい生活を乱したという自覚もある。自分が現れなかったら、この若さで死んでしまうことはなかったかもしれないという自責。相手に何かをしてあげたいという気持ちは自己満足の「エゴ」なのだろうか。
 この原作者は、文庫では金銭や細かいことにけっこう拘る。手巻きずしの材料にいくら使ったとか、もちろんそれを書くことに躊躇しないから、書いているわけだが、書くこと自体が軽い発想だと思う。龍太の時間をお金で買うことから始まり、気持ちをモノで表したり生活の援助にお金を渡す。中年の社会人として生きている、渡す側の成功している大人の発想ではないだろうか。
 氏の生前に映画化の話は出ていたようだが、この小説は氏が亡くなる10年も前の2010年に刊行されているので、自虐的に題名を「エゴイスト」と命名したのかもしれないという思いが、私には強い。

 同じゲイの話でも、外見変わらず対等な関係でさりげなく普通に生きているふたりの話の方が私は好きだ。
多様な恋愛、多様な関係、多様な生き方、世の中はどんどん変化している。すべては個人の問題。国家や他人が関与する問題ではない。

少子化が大問題?対処の方法はいくらでもある。
藤原さん (8pa6wkw7)2023/4/20 09:05削除
自由推薦作品 『RRR』(2023年 インド映画 S・S・ラージャマウリ監督)
藤原芳明 2023/3/15

1.はじめに
 インドを舞台にした英米制作映画はこれまでいくつか観てきた。たとえば古くはジャン・ルノワール監督『河(1951。製作は米)』、アッテンボロー監督『ガンジー(1982。製作は英、印)』、ダニー・ボイル監督『スラムドッグ&ミリオネア(2009.製作は英)』など。ただインドの映画会社で制作された映画で小生が観たものは少ない。『ムトゥ 踊るマハラジャ(1995)』、『きっと、うまくいく(2009)』、本作が三本目か。評判の高いインド映画というだけの予備知識で出かけた。

2.物語
 ネタバレになるので物語は詳しくは書けないが(ウィキペディア等で確認ください)。1920年イギリス植民地時代のインドが舞台。インド総督(英国人)一行が森で生活するゴーンド族を訪れた際、美術の才能があるゴーンド族の少女マッリを気に入り、少女を無理やり総督府のあるデリーへ連れ去る。ゴーンド族の守護神ビーム(森に棲む虎ともわたり合う勇者)はマッリ奪還を計画する。
 一方、デリー近くの警察署にはインド人の警察官ラーマがいた。ラーマは手柄を立てて昇進する野心を抱いており、インド人の反英デモ首謀者を、単身身体を張って逮捕したりする。
 ビームとラーマは偶然、列車事故で命の危機に陥った少年を救出するため協力したことをきっかけに、急速に親しくなる。物語はここから二人の友情、対立、対決‥と目まぐるしく展開してゆく。

3.史実とフィクション
 ビームとラーマにはインド史上実在のモデルがいるらしい。二人ともインド人にとっての英雄(反英独立運動家)なのだが、生きた時代が異なり両雄が出会った史実はない(日本で言えば、たとえば幕末の高杉晋作と坂本龍馬などに相当するか。ただし幕末のこの二人は一度会っているらしい)。映画のストーリーはまったくのフィクションで史実とは無関係。監督兼脚本のラージャマウリは、この史実改変の手法をタランティーノ監督の『イングロリアス・バスターズ(2009)』から学んだとのこと。(タランティーノといえば『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(2019)』でも歴史(シャロン・テート事件)の改変をやっている)

4.俳優と演出
 監督・脚本(ラージャマウリ)や主役の二人(ビーム役:ラーマ・ラオ・ジュニア、ラーマ役:ラーム・チャラン)を私は知らなかった。とにかく俳優二人の髭もじゃ顔や大げさな表情、演技、ストーリー、すべてが暑苦しいまでに濃く、熱い。誰かが言っていたが、かつて日本中を夢中にさせたスポ根マンガ『巨人の星』などで描かれた熱血、友情、感動、涙、そして運命的な対決、などを思い出させる。映画全編を通じて、この熱量が演技、アクション、戦闘シーン、ダンスシーンのすべてに臆面もなく注ぎ込まれている。
 
5.楽しみ方
 わび、さびを愛するひとにとっては辟易しそうな熱量の映画だが、始まってしまえば三時間怒涛の流れに乗っかるほかはない。そしてエンディングまで押し流されてゆく。観終わったときは、泳いだ後の疲労感でぐったり。しかしその疲れはむしろ心地よく、達成感さえ感じる。小津安二郎『東京物語』の世界とは対極にある映画だが、エンターテイメントに徹したインド映画の活力、陽気さ、迷いなく振り切った壮快さを感じさせる。ちなみにビームとラーマがイギリス総督館のパーティで歌い踊る『ナートゥ・ナートゥ』は今年のアカデミー歌曲賞を受賞した。映画のなかのこのダンスシーンは圧巻。

6.おわりに
 結論から言えば、この映画は断然面白く、観ることをお勧めするが、三時間を乗り切る体力と覚悟がいるかも(笑)。ただし(わずかな例外を除き)英国人は極端な悪役になっている。これはインド映画なので仕方ないか。かつて香港のブルース・リー映画で日本人が悪役だったように。
石野夏実さん (8p545kat)2023/5/11 21:38削除
2023.5.5公開成島出監督作品「銀河鉄道の父」感想
5.11  石野夏実

 GW後半に公開された直木賞受賞作が原作の「銀河鉄道の父」を近所のシネコンに観に行った。宮沢賢治モノが映画化されるのは、賢治の作品に興味を持つ者としては嬉しいことで、ぜひとも観に行きたいと思っていた。

12時から約2時間の上映時間であったが、平日の昼間という時間帯のため、観客は少なくはないものの高齢者がほとんどであった。エログロナンセンス軽薄がひとつも入っていない文芸作品であったことが、かえって新鮮であった。
「宮沢賢治の父」という題名でなく「銀河鉄道の父」であるのは、原作を読んでいないので映画を観てだけの感想になるが、映画の最初と最後の場面に鉄道の車内をもってきたこととは、大いに意味も関係もあるのだろう。

宮沢賢治の位置づけは「雨ニモマケズ」を中学校の国語の教科書で教わり暗記させられた団塊世代としては、この1作だけでおそらく一番身近な国民的詩人であるということになろう。
今を含め、その後の小学生たちには、「やまなし」という蟹のお話の中で出てくる「クラムボン」が何者(モノ)なのかを問われる、国語の読解力と想像力を試す童話を書いた有名な作家なのであろう。
そしてアニメになったりミュージカルになったりの「銀河鉄道の夜」は、童話というより小説であり大人も子供も楽しめる未完の物語である。

この映画は、その代表作「銀河鉄道」の名のスケールの大きさと同様に、明治時代に生まれ大正時代を生き抜き、昭和の初めに37歳の若さで亡くなった賢治の、短くも家族愛に支えられた一生を描いた文芸作品であった。

主演は父親役の役所広司であるが、日本一の映画俳優としてまた新たに代表作が1本増えたと思う。菅田将暉の賢治も顔つき風采共に良かったが、低音の声質が彼の場合個性的過ぎて、役との馴染みが難しい。台詞のない佇まいは最高の適役であった。
容姿にアクがなく声も良い森七菜は、妹役トシとして若手女優陣の中で最も相応しいと思った。役所広司相手に一歩も引けを取らず、自然体での互角の存在感は、見事だった。坂井真紀の母親も出しゃばらず動きも良かった。

岩手の花巻の言葉は実直な謙虚さが伝わり良かったし、風景もそれを捉えたカメラっワークの美しさも申し分なかった。
パンフレットを読んだところ賢治の実家の質屋の店構えは、岩手には古い町並みがほとんど残ってなくて全国を探し回り、岐阜の恵那市の商家を借りての撮影だったそうである。箪笥などの家具類も掛け軸、衝立に至るまで裕福な商家らしいものを苦労して調達したとのこと。家族の着物も色は地味ではあるが上質なもので揃えられ、観客にもそれが伝わった。全てが本物の持つ落ち着いた美しさで整えられ、室内や賢治の机上にあるランプの美しさも堪能できた。

キャストから撮影、美術、照明、衣装にまで完成度の高い美しさの統一性は成島出監督の力の見せ所であった。久しぶりに原作を読みたくなった良い映画と出会った日となった。

エンドロールの「いきものががり」の歌は、必要だったのか。議論が分かれるところであろう。私は不要、一緒に観に行った夫は違和感なしとのことだった。
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